第91話『福利厚生の充実したお仕事です』

「さァて、どうすっかなぁ」


 熊のような体躯の男は、赤髪の女看守を担ぎながらセカンドを歩く。


 女看守は息こそあるが、意識のある様子はない。目を瞑り、だらんと熊男の肩の上で手足を垂らしていた。ところどころ擦りむいたような痛々しい跡があり、しわがない事が特徴であった看守服はボロボロになっている。


 一方で熊男――レム=グリズリーは、全身に大小様々な切り傷があるものの、それらが一切存在していないかのようにあっけらかんと振る舞っていた。


「この嬢ちゃんは誰に預けたらいいやら……」


 戦闘開始から30分、セカンドの一部が吹き飛ぶほどの激戦を繰り広げていた熊男と女看守であるが、結果として女看守・マルトリッドの気絶により勝利の旗はレムへと上げられた。


 本来はそこで首を折っておくのがレム流のとどめの刺し方なのだが、流石にまだ若いであろう女性を自分の無骨な手で仕留めるのは気が引けたため、現在こうして彼女を引き連れながら徘徊しているのである。


「ギルのあんちゃんもアズノアの嬢ちゃんも、俺がマルトリッドの嬢ちゃんと交戦してる間にファースト上がっちまったかな……つか、やけに静かだねィ。おーいお前ら、緑髪のあんちゃんとシスター・アズノアがどこ行ったか知らねえか?」


 このまま探しても効率が悪いと考えたレムは、近くの雑居房ざっきょぼうに収監されていた男囚人達にそう尋ねる。だが、全身から肉が落ちて骸骨への道を順調に辿る男らは、鉄格子を震える手できしきし揺らすだけで何も答えてはくれなかった。


「うーん、無理だな……この辺に喋れる奴はいねえ、の、か……っと?」


 その時、レムの鼻が妙な匂いを捉えてぴくりと動く。


「……血、か?」


 大量の、複数人――恐らく10以上は余裕で超えているだろう大勢の人間の血が混じった匂いだ。熊の獣人のさがなもので猛烈に腹が空いてくる。


 そういえば最近まではサードに居たから腹が減ることはなかったが、あそこから出たからまた動けば動くほど腹が減る面倒な生活に戻ったのだ――と今更な気づきを得つつ、レムはその足を血の匂いがする方向へと進めていく。


  するとそこにあったのは、数十人に及ぶであろう看守達の残骸であった。


 地面や近くの建物の壁は血で濡れており、看守達の半分以上は頭がない。

 かと思えば離れたところに潰れた頭蓋が落ちており、どれが誰の頭かわからなくなっている状態だ。恐らくこれはアズノアの仕業だろうな、とレムは思う。ならばギルもここを通ったのだろうか。随分と荒らしてくれたものである。


「……って」


 1つ、見慣れた姿の――いや、もはや原型は留めていないのだが、それでも知っている人間が居たような気がして一瞬素通りしかけた場所に目を向ける。


 すると、


「――ッ!? アズノア!?」


 穴だらけの黒ベールと修道服に覆われ、近くに鉄球のついた鎖を横たわらせた、決して健康的とはいえない赤黒い色をした血肉。周囲に散らばる黒髪は自然に出来たものかウェーブがかっており、アズノアの持っていたそれと特徴が一致する。


 疑う余地もなく、アズノア本人であるが――。


「銃殺か……そういや、嬢ちゃんの方は『ほぼ』不死身なんだったな……しっかしこの数、1人の女の子にどれだけ撃ち込んだんでい。ギルのあんちゃんは……逃走せざるを得ない状況だったか、はたまたは途中で別れちまったのか」


 流石に『見捨てる』なんて選択肢を選ぶ冷血漢ではないと思うが、まだ出会ったばかりで考え方が掴めていないので、見捨てていないという保証も出来ない。


「やっぱ、得体の知れねー奴にはもっと踏み込んでやるべきだったなァ。若造共に口酸っぱく教えといて、自分でいざって時に出来ねーたァ笑えるぜ」


 ――ジャックもアイツらも、俺なしでまだ生きれてっかなァ。


 そんな呟きを1人で溢しながら、レムもまたファーストに上がるための昇降機の場所を目指すのであった。





 それから約1時間後の午前1時頃、地上1階のエリア『ファースト』にて。

 そのフロアにて収監されていたノエルは、たった今面倒ごとに向き合わされていた。


「神子ノエル。貴様はもうじき判決が下され、死刑判決が下されるだろう」


 牢屋に捕らえられているノエルの手前、鉄格子越しに話しかけてくるのはとある1人の看守である。これと言って特徴のない人物なのだが、担当看守でもないのに時を選ばずやたらとノエルに構ってくるのだ。


 ただし今回はどうやら、『ノエルの運命を左右する重要な話』をしに来たらしく、


「我らが唯一神は……貴様が『天国の番人ヘヴンズゲート』に加入すれば貴様の罪を全て取り消してくださるそうだ。どうだこの魅力的な提案は。もちろんウンと答えるだろうが、念のために聞かせてもらおう。貴様は組織に加入するか、否かッ!」


「……入らないです」


「ぬぁにーッ!? 正気か貴様!!」


 ありえない、などと呟きながらずるずる後ろに引き下がり、愕然と震える看守。


「で、ではッ、我が『天国の番人ヘヴンズゲート』がどれだけ福利厚生に満ちた優良で純白な組織かを貴様に説明してやろうッ!」


 どんと胸を張った看守は『まず、』と開いた手の親指を折り、


「『天国の番人ヘヴンズゲート』は派遣先が選べるッ! 六熾天使のイツメ様が属される『ロイデンハーツ支部』、最も志願者の多く専用の寮もある『中央大陸支部』、そしてこの『ヴァスティハス収容監獄支部』……他にもあるッ!」


「いいです」


「聞けッ! そして肝心な保険だ。なんと我が『天国の番人ヘヴンズゲート』内には幅広く研究を進める機関があり、その中には医療部門で大躍進を見せているチームもあるッ! そこで大抵の治療を無料で受けられるため、医療費の心配がな……」


 と、看守が言いかけたその時。ノエルは寝台から腰を上げると、看守の方にふらりと歩み寄って鉄格子に掴みかかり、


「『操り人形フール・ドール』」


 ――反射で看守が彼女と目を合わせた瞬間、ノエルは禁じていた言葉を唱える。薄暗いグレーの瞳が銀色にきらりと輝き、その視線を受けた看守はしまった、というような表情で『なっ……』と溢した。


「静かに、そしてボクの質問にだけ答えてください。――貴方がたがアンラヴェルからボクを引き取ったのは、ボクの特殊能力を利用するためですか?」


「……む、特殊能力……?」


「アンラヴェルを……どうしてボクが居なくなってから殺人ウイルス塗れにしたのかな、って思いまして。もしかして、ボクがあの国から監獄に連れてこられたのは好都合で、このまま特殊能力を利用しようとしているんじゃないかって」


 最初はノエルを誘拐できなかった恨みで2回目のテロを仕掛けたところ、偶然ノエルが聖騎士に裏切られ監獄に移送されており、『ノエルを殺したい』という企みが失敗したのだとばかり思っていた。


 だがここで何日か過ごしてわかったのは、監獄を運営しているのもまたヘヴンズゲートであるということ。そしてテロを起こしたのも同じ組織であるため、ノエルが移送されている情報がテロチームにまで行き渡らなかったとは思えないのだ。


 つまり元々ノエルを国ごと殺すつもりで動いていたのならば、聖騎士が監獄に移送の受け入れを申請した時点でそのテロは中止になっていただろう。

 それが中止にならなかった、ということは、むしろノエルが標的から除外されてしまったのは奴等ヘヴンズゲートにとって都合が良いと考えたのだ。


「あぁ……確かにそれはあるだろうなッ! 『操り人形フール・ドール』を欲していた上にヘロライカ・ウイルスの有効性をどこかの国で試したい、と考えられていた神様にとってはこれ以上ない好条件であっただろうッ!」


「やっぱり……」


「まぁ、自分の国の騎士に裏切られて移送された、というお前には同情しないでもないが……お前は死の運命から見逃された貴重なアンラヴェル国民なのだ、せっかくの命を我らが唯一神のために使ってはどうかッ!」


「断ります」


「何故だァーッ!?」


 頑なに勧誘を断り続けるノエルに、もはや本当に人間なのかと疑うような目をして悶える看守。ユーモアがあって大変面白いが、それはそれとしていいかげん鬱陶しい。これに数日間付き合っているのだからノエルは自分を褒め称えたい。


 それに先程、サードとセカンドに収監されていた戦争屋『インフェルノ』のメンバーが脱獄した、というようなアナウンスもあった。


 夜中、それも日付を回ったばかりくらいの時間帯で、大勢の囚人が寝ている頃だろうにけたたましい音量で響いてきたので、監獄側からするとかなり焦っている状況なのだろう。ちなみにノエルはそのアナウンスで目を覚ました。


 これでノートンの目的が果たせたのなら、遠くないうちにノエルの解放をしてくれるはずだ。約束を彼が守ってくれるのならば、だが。


 だから、気を張り巡らせているのである。

 いつどんな事態が起こっても対応できるように、たとえ次の瞬間に戦争屋やノートンが現れたとしても、すぐ逃げ出す準備が出来るように――と。

 なので気を散らすこの独特な口調の看守が、これ以上なく鬱陶しかった。


「何故だッ、何故……」


 と、その時。


 少し遠くから数人分の足音がして、ノエルはそちらに意識を向けた。随分と慌てているような足取りである、まるで何かから逃走しているかのようだ。


「ノエル!」


 足音は一気に近づいて、そして自分の名前が大声で呼ばれた。

 次の瞬間、黒い人影が看守を小突いて吹き飛ばす。自分の身体を抱きしめてダイナミックに震えていた彼は『うぎゃーッ!』と小物みたいな悲鳴を上げながら、牢屋の中に居るノエルからは見えないどこかに消えていった。


「ノートンさん!」


 嬉々とした表情で声を上げるノエル。

 待ちに待って現れたのは、ノートンとその他数名だった。


 緑髪を束ねた殺人鬼のような男。空色の犬耳を持つ青年。ノエルよりも身長の小さい赤目の少年。包帯でぐるぐる巻きにされててノートンに担がれている男。

 そして――。


「シャロさん!?」


「あっ、ポエムだー!?」


「ノエルです!」


 薄茶髪を肩の方まで伸ばした中性的、というかもはや何故女性じゃないのか疑うような容姿の少年、シャロである。橙色の囚人服に身を包んでおり、彼も囚人としてこの監獄に収容されていたことがわかるが、


「マジでいんじゃん、トン兄ぃが居るって言った時は信じらんなかったケド」


「そ、それには訳が――」


「とにかく、今は脱獄に専念しよう。今俺が鉄格子を壊す。格子が割れて弾け飛ぶ可能性があるから、ノエルは一旦下がっていてくれ」


「鉄格子を壊す……!?」


 どんな力技だと耳を疑うも、ノートンが手をかけた格子がぎぎぎと音を立てて曲がっていくのを見て、命の危険を感じて引き下がるノエル。数秒後、ようやっと通れそうなくらいの隙間が出来上がり、ノエルは急いで牢屋の中から退室した。


「あー、そういやこんな見た目だったな」


「せやね」


 気絶しているノエルの姿を知っているギルとマオラオが、銀髪の少女にギリギリ聴こえないくらいの声量で呟く。そこにフラムが横から入り、小声で『どなたですか……?』と耳打ちすると、ギルが少し考えたあと『オヒメサマ』と答えた。


「おひめ……ッ!?」


「うるせェ」


「もがもごごご」


 その手前、ノエルは首元の輪っかの鍵穴に鍵を差し込まれて、長らく首を締め付けていたそれから解放される。


「とりあえず、何かなんだかわからないとは思うが、今は急いで脱獄しよう。多少撒いてはいるが、追いつかれるのは時間の問題だ。早急に船をしまっているドックを襲撃する。マオラオ、場所はわかるか?」


「今やってんで!」


 ノートンが小柄な少年の方を振り返ると、マオラオが薄紅色の両眼を輝かせながら周囲を見回している。『監視者』――透視の能力で、船が保管されている場所を探しているのだ。


「……あっちや、兄さん!」


「くそ、来た方向とほぼ反対側だったか……わかった、行こう。ノエル、君は悪いが俺が運ばせてもらう」


「え? ちょっ、たか……」


 返事もなしに小脇に抱えられ、手足をぶらんと垂らすノエル。そういえば最近もこんなことがあったような、と追憶していれば、突然視界がまとめて目の端に流れていき、顔面にとてつもない風圧を喰らい、


「速っ……!?」


 なるほどだから担がれるわけだ、とノエルは納得。足の速さはよくて人並みなノエルに、のんびりと合わせて走る余裕はないということだろう。


 そのまま、ノートン(+ジャック&ノエル)とギルとフラムとマオラオ(+シャロ)の7名は、看守や囚人達の喧騒が聞こえる方向へと逆戻りしていくのであった。

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