第90話『彼は2度目の〈死〉を知った』

 それから約1時間後の午前0時過ぎ。

 セカンドにてギルとアズノアの両者は、快進撃を続けていた。


「アズノア、向こうもだ!」


「ア、ゥ、バァッ!」


 ギルが近距離の範囲に居る看守を、別の看守から奪った両手剣で斬り殺しながら周囲を確認し、視野の狭いアズノアに指示を出す。するとアズノアが鉄球を振り回して遠距離に居る看守を殴り殺す――という具合。


 あまりに多くの看守が押しかけてくるので、これまでにギルとアズノアどちらも2回ずつ殺されているのだが、欠損した部位は再生するわ蘇るわで多少の足止めにしかならず、依然として2人が優位に立っていた。


「くっそ、どんだけ殺せばファーストに上がれンだ……?」


 斬りかかってきた看守の攻撃を剣で受け止め、払い、肩から腰までを斜めに切り裂きながら呟くギル。もはや作業と化しており、膝から崩れる看守に見向きもせず進行方向を見据えれば、どこから湧いているのか看守達が走ってきていた。


 不死身の2人組に対してこうも特攻されると、彼らは何かの時間稼ぎにされているんじゃないかとさえ思う。


 でなければ、殺しても止められない相手に戦おうなどとは思わないだろう。

 とすると、ここに長居するのはあまり得策ではない。


「シャロ達も救出しねーとなんねーのに、あの赤ェ髪のアマ絶対許さねェ……」


 地面に転がした奴の鼻骨を踏み割って、ギルは身軽に走り出す。


「うっ、らぁ!!」


 相手の胸のど真ん中を一突き。足の裏で胸板を押すことで、剣を引き抜く。今度は喉を斬り、次は両手を斬った。結果、多くの人間を斬った両手の剣は、色んな血が混ざりながら乾いてベタつきを帯び始めていた。


「うわ、切れ味わっる。そろそろ使いモンにならなくなってきたな……別の武器に変えねえと。なぁアズノア、お前の武器は耐久平気……か……」


 と、振り向いた直後。


 遠くの塔のような建造物から2人の看守が、アズノアの方へ銃を向けて狙っているのを目にした。

 それだけではなかった。とある小道から、建物の屋上から、色んな角度から計20名ほどの看守達がアズノア『のみ』を狙っているのを目にして――数瞬、血の気が引くとはどういう感覚かをギルは体感した。


 一方でアズノアはこちらを振り返り、ギルを挟んで奥に見えた看守の姿に、鉄球の鎖を握り直しているところだった。つまり、周囲の視線には気付いておらず、


「アズッ……」


 手を伸ばして名前を呼んだ瞬間、目の前の少女は人間から血肉に変わった。


 方々から発砲の音が響き、連なり、雨音のようになって鼓膜を貫く。

 同時に発射された弾丸は肉を穿った。穿ち、噴き出した血を被って、地面や壁に当たるとからんと音を立てて跳ね返った。

 その繰り返しだ。数弾がギルにも当たるが、アズノアはその比ではなかった。ありったけの鉛の雨を浴びせられて、いずれ立っていられなくなり、膝をつく。

 それでもたった10秒間、もしかすると永遠のようにも思われた時の中で、発砲の手が緩められることはなかった。


「……あ、ずのあ」


 2度目に名前を呼んだとき、彼女は細かい肉になっていた。


 その時ギルは思い出す。

 アズノアは『ほぼ』不死身に開発された人間であることを。完全に不死身のギルと違って何があっても死なないというわけではない。その再生力には限界があり、本気で殺そうと思えば殺せるのである。


「……あ」


 驚くほど掠れた声が自分の喉から出される。

 しばらく虚無が思考回路に霧をかけて、それから小刻みに震えた『は?』という現実を否定する気が漏れ出した。何が起きたのか理解が出来なくて、それでも現状を受け入れてはいけないことだけは確かで、


「な……にを」


 その時沸いた感情が、ギルにはなんだったのかはわからなかった。けれど何か言うよりも、何か考えるよりも先に身体が動いていた。


 アズノアが落とした鉄球の鎖を、赤い固形混じりの泥みたいになり果てた血肉から引っ張り上げて、垂れ下がる鉄塊の重みを確かめる。先端にかけての感覚がなく上手く力の入らない手でどうにか握り、大きく円を描くように頭上で振り回した。

 ひゅん、ひゅん。最初はゆっくりと振り回して、その感覚に慣れたら標的に向かって放り投げる。幾人かはギルの様子に慌てて建物の裏に隠れるなどしていたが、それでも目に見える限りの看守は全て殴り殺した。


 塔の上、道の影、あるいは空中浮遊している者も、見える限りの敵の頭蓋を吹き飛ばしていく。1度投げれば頭が1つ、赤い果実を潰したように弾けた。


 何故、こんなにも腹立たしかったのかはわからない。

 戦場で死ぬということは己の怠慢であり、己の不運であり、神様に愛されでもしなければいつかは誰しもに起こり得ることで――数人、数十人、数百数千人が死ぬ瞬間を見てきて、ずっと前から割り切っていたはずなのに。


 ひゅん、ぐちゃ。ひゅん、ぐちゃ。


「――あぁ、そんなに彼女が死んだことが悲しいのかい? ギル=クライン」


「ッ、あァ……?」


 ふと、やたら鼻につく声音で話しかけられて、ギルは殺意を宿したままの瞳でその声の聞こえた方を見る。そこは、4階建てほどの一際高い建物の屋上で、


「あぁ、君とは喋ったことがなかったね。ワタシはヨハン=バシェロランテ。この監獄の監獄長を務めている者さ!」


 緩く結った山吹色の髪が揺れて、整った顔が悲哀に満ちた微笑みをたたえる。

 この血と硝煙の匂いに塗れた石の世界を突然現れ立った男は、一瞬に周囲を舞台へとその身の存在感のみで変えてみせ、そしてアズノアの死を劇的に――つまり、舞台の一幕のように扱って、その終わり方を遠回しに愚弄していた。

 本人に、その意図があったのかどうかはわからないが。


「わかるよ、ワタシも彼女を殺すのはとても心苦しかった。彼女は長いこと監獄に勤めてくれていたしね。仕事の内容も鑑みると、彼女はとても素晴らしく強く、美しい人間として大勢が称賛すべき人間だった!」


 胸に片手を添えて、もう片方の手を優雅な仕草でギルへと差し伸べるヨハン。まなじりが嘆くように下げられたその両眼の奥に覗く瞳は、恐ろしいことだが本当に1人の修道女の死を憂いていた。


「けれどそれをたぶらかし、更に外へ連れ出そうという君の行動には頷けないな。だから仕方ないけれど、これは神様のご意志も兼ねて射殺を命じさせてもらった」


「……『神様のご意志』だァ?」


「そうさ。あぁ、もちろんこれを全て君のせいとは言わないよ。そうだね、星の運命とでも言っておこうか。安心したまえ、きっと神様は君を赦してくれる」


「るっせーな、長々垂れてねェで戦いやがれ。狂人の自己満足なお説教は要らねーんだよ、安全地帯からぬくぬくとお喋りして何勝手に気持ちよくなってんだ?」


 元々鋭い目つきを更に研ぎ澄ませて、セカンドの地上から睨み上げるギル。すると監獄長は口角をゆるりと持ち上げ、『あぁ』と柔らかな声を溢し、


「それも一理あるね。しかしワタシは武力を一切持たぬ身。多少のハンデは許して貰いたいものだよ、ギル=クライン。そしてワタシは君と戦うつもりは全くない。勝利しか認めない以上、勝てない勝負はしない主義なのさ」


「ただのビビりを格好つけた言葉で正当化してンなよクソ野郎……テメーは必ずぶち殺してやる、そこで待ってろすぐに終わらせてやっからよォ!」


 ギルは鉄球の鎖を捨て、近場に転がっていた長剣を取ると、建物の出っ張りを利用してロッククライミングの要領ですいすいと屋上まで上がっていく。


 しかし落下防止用の手すりを越えた時、そこからヨハンの姿はなくなっていて、


「ッ、あ……?」


 その代わりに、コンパクトのようなものを見つけた。蓋は開いていて、中にはレンズに似た何かが嵌め込まれている。それを拾い上げ、ギルが横についていた小さなボタンを押すと、レンズが青く光り輝いて辺りを照らし出した。


 遠隔型の、映写機である。


「……くそ。本当にビビりじゃねえかよあの野郎……!!」


 ギルはコンパクトを、出せる限りの力で屋上の地面に叩きつける。私怨を込められ乱暴に扱われたそれは、レンズにひびを入れて光を失った。




 そういえば死とは悲しい物であったと、ギルは思い出す。


 初めて死の悲しみを知ったのは母親が死んだ時だ。村全体が焼かれて、自分の家も教会も燃やされて、その中で母親が死んでいくのを見届けた時である。


 けれどドゥラマ兵になってからは、死の存在がありふれたものになっていて、慣れというのかだんだん仲間の死亡を悲しむことが出来なくなっていった。戦争屋になってからはもっと悪化した。

 ウェーデンでピザ屋の旦那を殺した時も、悲しいことだとは思っていたが、悲しいとは思わなかった。


 でも、アズノアが死んだ今、ようやく2度目の死を知った。


 そうだ、誰かが死ぬということは悲しいことなのだ。

 残された側の心はこんなにも空っぽになるのだ。


 何故こんな気持ちになっているのだろう。何故彼女の死をトリガーに自分はこの気持ちを思い出したのだろう。不死身という近しい状況から、無意識に同情していたのだろうか。もしかすると、そうなのかもしれない。


 いつか必ず仲間は先に逝ってしまう。

 その不安をどこかで抱えていたギルと、波長が合ったのかもしれない。そして彼女ならば逝く心配はないと、思っていたのだろう。


 けれど彼女は死んだ。

 必要以上の銃弾を浴びせられて、再生することも無くなった。


 自分は、1人に戻ったようだ。


 ――数分間、ギルがずっとアズノアだった肉塊を見つめていると、そこへ数人分の足音が届いた。おぼつかない思考で何事かと音のした方を見れば、


「ギ……ギルッ!?」


 聴き慣れた声。シャロの、疲労混じりの驚いたような声が響いた。

 そこに居たのは彼だけではない。マオラオにフラムに――。


「……え。なんで、ノートンが……つか、ジャック……!?」


 何故か居るノートンの存在に驚くも、それよりそのノートンに俵のように抱え上げられた血塗れの、全身刺し傷だらけのジャックの方が問題で、ギルは一瞬だけアズノアのことを忘れて彼の元へ駆け寄った。


 ――また。また自分は奪われるのか。アズノアだけでなく、旧来の親友まで。


「なんで、ジャック……息は!?」


「息は辛うじてある。ただ、ファーストにある医務室で急いで消毒・止血の応急手当をしないと、最悪の場合は死に至るだろう。つまり、あまり長々と喋ってはいられないというわけだ。走りながら説明をしようか」


 そう提案すると、ギルが一瞬何か言いたげに口を開く。しかしそれが我儘わがままであることをギルは理解していたし、引き止めることでジャックまで死んでしまうかもしれない、という焦りがあったので、出かかった言葉はすぐに呑み込まれた。


「あ、あぁ……シャロが疲れて見えっけど、大丈夫か……?」


「あ、すまん気づかなかった。じゃあマオラオ、お前はまだ体力に余裕があるだろう? シャロを運んでやれ」


「エッ!? あ、あっ、せ、せやな!!」


 突然の指名に抵抗を見せるも、緊急事態なので覚悟を決めたマオラオが、疲労困憊のシャロを強制的に横抱きにする。『うわッ!?』と間抜けた悲鳴が上がったような気がしたが、誰にも気に留められず疾走は再会された。


 走り出す瞬間、ギルの緋色の瞳が惜しげにアズノアの方を向き、それにフラムのみが気づく。だが、肉塊がアズノアであると理解していたのはギルだけだった。


「――まず、俺はフィオネと一緒にロイデンハーツのカジノまで迎えに来て、それでお前らが居ないことを知った。その後どうにか監獄に運ばれたことを知って、看守のふりをしてここでお前達を探していたんだ」


「それで、こいつら全員助けたのか?」


「あぁ。けど、途中で襲撃に遭ってな。そうしたらジャックが、自分が襲撃者と戦うと言って出ていったんだが、それに乗じて隠れていたら、監視者で状況を見ていたマオラオが『ジャックがやられた』と言って、慌てて回収に行ったんだ」


「それでこんな……待て、その襲撃者は誰だ? どうなった? ジャック相手に善戦できるなんて奴ァ限られて……」


「――ペレットだ」


「……は?」


 返ってきた言葉に一瞬、ギルの言葉が詰まる。


「ペレッ、トが?」


 確かにペレットは、今までにも何度か裏切ったような行動を見せている。イツメとの戦いでのあの違和感といい、燃やされた拠点から移送されてきたフラムから聞いた話といい、だんだんと信じるしかない状況になってきているが――。


 まさかジャックをこのような姿にされては、彼をどう扱えばいいのかがわからなくなる。刺し傷はパッと見ても5箇所は下らない、これほど殺意のある攻撃が出来るなら、彼はもはやこちらとは敵対関係だと割り切っているのだろうか。


 脅されているとか、あざむくためにヘヴンズゲートに取り入っている、などではなくて……?


「オレが『監視者』で見たからアイツなんは確かや。空間操作で動きを止めて、そこにナイフを刺した瞬間を見た。アイツは、もう敵と考えてええと思う。脱出直後はオレらに向けて、攻撃もしてきたしな……敵対はちょっと、嫌やけど」


「それ以前にも、俺が潜入が見つかった時にアイツとは交戦しているが、本当に殺す気でいたんだろうな。攻撃はどうにか捌いたが、かなり厳しい状況だった。認めたくはないが、俺もおおむねマオラオと同じ意見だ」


「……マオラオと、ノートンはアイツを敵だと判定するんだな。まぁ、実際に目にしたんなら頷ける話だが……シャロは、どう考えてんだ?」


 この話題において1番考えの気になる人物に投げかけると、颯爽と駆けるマオラオに横抱きにされているシャロは『え?』と話を振られるのを予想していなかったようにきょとんとし、それから唇に人差し指を当てて唸り、


「うーん……ウチ実は、何日か前に喋ってんだケドさぁ」


「うん!?!? 僕らそれ聞いてないですよ!?」


「いや、みんな混乱するかなーと思って、それに、その時は脱獄の方法みんなで考えててピリピリしてたし。そんで、ちょっと喋ったんだけどさ、なんか凄い気持ち悪かったから1発ぐらい殴りたいんだよね」


「き、気持ち悪かった……ですか……?」


 犬の獣人族の特性を生かし、まだまだ息を切らさずに走り続けているフラムは困惑したように聞き返す。すると、


「いやー、全然煽ってこなくて、アイツの顔なのにアイツと喋ってる感じがしなかったの。だから、1発殴って……目が覚めたら、それでいいかなって」


「……随分雑やな、シャロは。それは、敵って考えない方向で行くんか?」


「んや? 命の危険があるならシャロちゃんもアイツを殺すよ。ただ、『構わないでください』ってオーラをひしひし纏っててウザかったから、なるべくアイツが嫌がるように構い倒したいだけ。ちゃんとその宣言もしてから別れてきた」


「性格最悪だなホントに……けど、そうか」


 ギルは片眉をひそめて苦笑しながら、彼がその選択をしたことを驚く。


 彼ならば誰よりも先に、ペレットの始末を掲げるものだと思っていた。だから気絶しているジャックや、彼による実害に遭ったか怪しいギルを除いて満場一致かと戦慄しかけたが、彼を救出するという選択もどうやら視野に入れて良いらしい。


 ただペレットを救出するにしろ始末するにしろ、それまでに無数の問題が積み重なっているのだが――。


「んっじゃあ、早いとこ脱獄しねェとな……」


 ギルはそう、自分に言い聞かせるように呟いた。











 ――【シスター・アズノア】死亡。

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