第89話『命を買うなら屍を積みましょう』
――死体を見つける。首を落とされた死体だ。
綺麗に頭が落ちて、胴体も力なく横たわっている。
周囲には新鮮な赤い血が飛び散り、白い羽織の繊維がそれを吸って真っ赤に染まっていた。ふわふわとした優しい空色の髪も、赤く濡れて汚れてしまっている。
恐らくは鬼の仕業だろう。先日自分が逃してしまって以来、あの鬼はひっそりと監獄の中で身を潜ませ、この混乱に乗じてまた飛び出してきたのだ。
「……」
薄く目を開いた状態で停止している死体の前、黒髪の少年は一輪の小さな花を手中に呼び出す。それを青年の頭元に置くと、騒ぎ声のする方へと足を向けた。
*
チャーリーを殺し、無事入手した首輪の鍵を手にノートンは小道を進む。
この先に彼らは連れて行かれたはずなのだ。処刑の時間が早められているのだとすれば、急いで彼らを解放する必要がある。
だから走った。そして囚人4名を連行する看守2人の後ろ姿を見つけて、音もなく後ろから斬りかかる。
「っえ?」
シャロによく似た容姿の青年が、看守を殺す直前、空気が妙な動きをしたのを感じてぴくりと震え、こちらを振り向いた。直後青年の前で2つの血飛沫が上がり、琥珀色の瞳が驚きに丸められる。
まさか気づかれるとは思わず、彼には看守を殺すところを見せてしまった。
「――ん? あ、え……トン兄ぃ!?」
遅れて異変に気づいたシャロが、ノートンを見て少しの懐疑の後絶叫する。それにより犬耳の青年と一際小柄な少年も一緒になって振り向き、
「ノートンさん!?」
「え、なんでこないなとこに……!?」
「話は後だ。今はお前達の解放を優先し――と、この男はなんだ……?」
早速フラムから外した首輪をその辺に投げ捨て、眉を下げながら困惑したような目でジャックを見つめるノートン。この男が看守室のファイルで見た雷使いの『ジャック=リップハート』か。見れば見るほどシャロに似ているが――。
「……え? えっ?」
一方のジャックも突然現れた刀使いが誰なのかわからず、アホ丸出しの間抜けたきょとん顔を晒す。敵意が感じられないことと、ジャック以外の他3人が親しげな反応を見せていることから敵という判断はしていないのだが、
「ど、どなたですカ」
「あぁ、ごめんジャック兄ぃは知らなかったよね。えっと、この人はウチらを普段支援してくれてるノートン。通称トン兄ぃだよ」
「トン……兄ぃ? ……兄? オレというものがありながラ……?」
些細な言葉の違和を拾って、ゴゴゴ……と黒いオーラを撒き散らすジャック。しかしそれにノートンは気づいていないようで、
「シャロの兄弟……で良いのか?」
シャロの首輪を外しながら尋ねると、綺麗な顔立ちの少年は大きく頷く。
「うん、ウチのお兄ちゃん。遠征に行った先で偶然会ったの」
「そうか、君が……なら、解放してやらないといけないな。なんだか不機嫌なところすまないが、首輪を外させてくれるか?」
シャロとマオラオの首輪も外し終わって、残るはジャック1人。許可なく手を出すと噛みつかれそうだったので、念の為首に触れる権利を得ようとすれば、邪気を発していた彼はぐっ、と歯を噛んで嫉妬心を仕舞い込み、
「……オレが、こいつのお兄ちゃんだからナ? 言っとくケド」
「……? あぁ」
他人の感情にとびきり疎いノートンは、終始何故ジャックの機嫌が悪いのかわからないまま、彼の首についた無骨な機械の鍵穴に鍵を差し込む。
かちり。そのまま回すと音がして、首輪が外れて落っこちた。
「じゃあ、首輪も外したところで……そうだな」
近くの島に停泊させているフィオネの船を、無線機で向こうと通信してこちらに呼び寄せるか? いやしかし、妙なタイミングで呼び出してしまって、船に監獄からの集中砲火を浴びせてしまっては救出に来た意味がない。
それにまたここはセカンドで、脱獄するにはあとエリアがもう1つ。そこを通過するまで武器を持っていないシャロや、非戦闘員のフラムをどうやって外まで守り切るかも考えなくてはならない。
更に言うと、別地点ではサードからなんらかの方法で上がって来たギルが、鉄球を持った修道女と暴れ散らしているという話もある。
「そこと合流する方法も、併せて考えないとな……」
と、呟いたその直後。耳のすぐ近くで風を切るような鋭い音がして、刹那ノートンの肩に猛烈な痛みが走る。あまりにいきなりのことで、遅れて何事かと自分の肩に視線を移した瞬間、フラムから『ノートンさん!?』と悲鳴が上がり、
「な、ん……」
なんだ、と言いかけて言葉を止めた。
――刃渡り15センチほどナイフが、ノートンの肩を貫いていたのである。その異様な光景に一瞬呆然としかけたが、すぐにそんなことをしている場合ではない、と青年は我に返ってナイフを自力で引き抜いた。
すれば当然、大量の血が溢れ出して看守服を侵食する。背中をたらりと這いシャツの繊維に染み込む液体の感覚には寒気がしたが、ナイフを刺したまま動いて肩がぱっくりと切り離されてしまうことの方が恐ろしかった。
「ぐっ……走れ、開けた場所に出ろ! 俺は周囲を偵察する!」
「ま、待って、オレの方が偵察に向いてるはずだカラ、オレがやる……!」
「な……おい!」
気を急かしたジャックを待て、とノートンが引き止めようとするが、止めるよりも先に彼は全身を光に変えて、ナイフが飛んできた方向に飛んでいってしまう。どこまでも猪突猛進な兄の姿に、『あ……』とシャロが吐息を溢した。
「……仕方ない、行こう」
流石に光になった奴を追うことは出来ないので、ナイフを投げた犯人の処理は彼に任せて道を走る。本当は全力で駆けたかったが、人族の中では速い方なものの、あくまで人並みの速度しか出ないシャロに合わせてペースは少し落として――。
*
ソイツはすぐそこに居た。
塔のような細長い建造物のてっぺんに立っていたのである。
小道から飛び出て来たのがノートンではなくジャックであるとわかると、一瞬困惑したような表情を見せるが、それもすぐ透明な笑みに隠されてしまう。その感情の読めない様子が、不気味な奴だ、とジャックは直球に思った。
そもジャック自体、他人が何を考えているか読めたことなどほぼないが。
「えーっ、とォ……」
勢いよく出て来てしまったはいいが、自分はどうすればいいのだろうか。変なところでブレーキをかけてしまい、ここからの展開運びに焦っていると、目の前の白装束は微笑んで彼を見据え、
「ボク、貴方を相手するつもりではなかったんですけれど」
「あ〜……むしろ喜んでくれていいんだぜ、オレは結構つえーからナ。つか、前触れもなくあぶねーモン投げてオレの弟に当たりでもしたらどーしてくれんノ? ジャックくんに似てかわいい可愛い愛弟なんだケド」
文句を言って口を尖らせるジャック。対して黒髪紫眼を併せ持つその少年は、口元に優雅に手を添えながら『あぁ』と呟き、
「ご兄弟でいらしたんですね。なら……貴方のことも苦手になる気がします」
「ハ? 何ソレ、シャロの知り合いみたいな言い方するじゃ……」
「――『空間操作』」
ジャックの語尾に被せるように、能力名が呟かれる。
瞬間、銃火器による包囲がなされて、その銃口が全て自分に向けられていることに気づいたジャックは、『なッ』と弾かれたように驚くが、直後に『撃ちますね』という断りと共に各方向から何か音がして、
「待ってヨ、流石にそれはきつ……」
直後、連射。
耳を割るほどの銃声の重なりが周囲に響き渡り、その中心に居たジャックは当然ただではすまない――はずだったが、再び自らを稲光に変えて銃火器の合間を走り抜けて包囲の外へと飛び出す。
「な……」
まさか脱出されるとは思っていなかったらしく、少年は声を上げる。それと同時に宙高く飛び上がった稲光が人型に戻り、姿を露わにしたジャックは指でピストルの形を作ると、重力に任せて落ちていきながら、
「バーン!」
銃声を真似した声を上げると、銃口に見立てた人差し指から一閃が発射される。
それは真っ直ぐに少年を狙っていたが、何かが光るのを認識した瞬間に彼は自分と別の空間を入れ替える。自分を狙っていた稲光が真下を走って石の塔に直撃して焦げさせるのを見届け、とうとうジャックを危険人物と認識したようで、
「くそ……」
今ので早くも、最終手段を使わなければいけないと判断したらしい。彼が空間に手をかざせば、同時に一帯の空間が凝固する。光となって再び重力に抗い、高所を取ろうとしていたジャックも、空間を走れなくなり姿が人型に戻ってしまった。
「う? あ?」
そのまま、空中でストップするジャック。何が起きているのか理解できずにひたすら混乱していれば、
「こんな広い空間を止めると、反動が酷いのであまり使いたくないんですが。流石に貴方相手では使わない方が痛い目を見そうですし、仕方がありません」
少年の背後に淡い紫色に光る陣が展開し、それらは揃ってジャックの方を向く。
「エッ……」
「それじゃあ」
短い言葉の後に、転移陣から高速で銀のナイフが射出される。隊をなす弓兵が撃つ矢のようなそれらは、回避行動を取れないジャックの元へ一斉に走り、固定していた空間にナイフが刺さって動きを止める。
「解除」
瞬間、全ての運動がまた再生。
ナイフは射出速度と同じ速さでジャックの身体に刺さり、全身を刺された青年は各所から血を溢れさせながら、重力に従い落下していった。
「がっ……」
直後、少年――ペレットもその場で膝をつく。
特殊能力の中でもトップクラスの強さを誇る、〈上位種〉かつ〈空間系〉に属する彼の能力『空間操作』で出来うることの中でも、空間の維持は比較的身体に負担がかかりやすく、その維持した時間の分だけ激痛が能力者本人を苦しめるのだ。
「フーッ、フーッ……」
生理的に出てきた涙を溢し、こめかみを汗で濡らし、歯を食いしばりながら全身に走る痛みに耐え、呼吸を荒げるペレット。
「くそッ……燃費が、悪すぎる……」
能力にも適性というものがあり、身体と上手く馴染まない能力は圧倒的に疲労が押し寄せるのが早いのだ。
そしてペレットは『空間操作』とこれ以上ないくらいに相性が悪く、かつてはそれが原因でよく失敗を犯し、怒られ――というよりかは、動けなくなるまで殴られることがしょっちゅうあった。
『先生』曰く、自分で自分の足を引っ張るようでは暗殺者にはなれないと。
今思っても本当に愉快な話だ。自分から志願したことなんて1度もない。そう吐きつけてやりたいが、相手はとっくに空の上。重ねて、同じ愚痴を吐き合えたはずの仲間も全員空に居る。彼女も、セレーネも含めて皆。
――そういえば。『先生』の叱責を受けてボロボロになった自分を、懸命に手当てしてくれたのはセレーネだったか。
「……嫌なことを、思い出したな」
その彼女は自分に忘れられたまま、死んでしまったというのに。
けれど、だからこそ彼女を生き返らせる必要がある。
「『我らが神を信じたまえ』、か……」
もし本当に彼女を生き返らせられるのであれば、その時はとうとう信じてしまうのかもしれない。今は先生を殺してくれた恩と、セレーネを生き返らせたいという気持ちを原動力にあの、胡散臭い男には従っているが。
――そうだ、早く研究室に戻って、今日もまた設計図の解読を進めないと。
この世に存在する『殺戮兵器の設計図』の内の一部、ウェーデン王国に秘蔵されていたはずの設計図を過去の自分が、戦争屋が持ち帰って燃やしたせいで、解読が困難を極めているのだ。
こうも時間を浪費しては、神様が量産完了を要求した日までに間に合わない。『世界大戦』の日はゆっくりと、だが確実に迫っているのである。
いや、しかし先にノートン達を捕らえるか、殺すかをしなければ……。
ペレットはおぼつかない思考状態のまま、ふらふらと石の屋根の上を歩く。
とにかく今はジャックの生死状態を確かめて、瀕死ならきちんととどめを刺してから次の行動を考えねば。
「くっそ……することが、多すぎ……る……」
そう呟いてから少しして、ペレットは蝋燭の火が消えるように意識を失う。
踏み出そうとした次の1歩を空ぶって、そのまま引っ張られるように顔面を屋根に叩きつけ、それでも目覚めずに斜面を転がり落ちていった。
――。
――――。
――――――。
各地で騒ぎ声や爆発音が聞こえる中、その男はゆらりゆらりと天気の良い日に散歩をするようにセカンドを徘徊していた。
まとめられた艶やかな長髪は、山吹色の光沢を持って広く薄い胸元に流され、くくれなかった髪はウェーブがかかって歩みと同じリズムで揺れる。
その眩い髪色に相対する、森にいれば溶け込んでしまいそうな深緑色の軍服が、劇団俳優のような雰囲気を醸す彼をどうにか『看守長』に仕上げていた。
六熾天使が1人、イロモノと名高い【ヨハン=バシェロランテ】である。
「……おや、ミスター・アサシンじゃあないか!」
彼は細い目を喜びにぱっと開けて、傷も特に見当たらないのに満身創痍のようなくたびれた姿で倒れているペレットに駆け寄っていく。
「ミスターはこんなところでお休みかい? まぁ、地面が冷たくて心地良いという話なら頷けるけれど、長いこと眠るのはいけないね、風邪を引いてしまう。どうやら息はあるようだし、ワタシの部屋においで? たっぷりと癒やしてあげよう」
言いながら、軽々と黒髪の少年を抱え上げるヨハン。しかしその耳は妙な『声』を捉えて、彼の意識がペレットからそちらへと向く。
「ふむ、他にも人が居るようだね。どうやら我々の味方ではなさそうだけれど……もしや、その子にやられたのかい? ……いいや、つまらない冗談を言ってしまったかな。君は出来る子だ、負けるなんてことはありえない。そうだろう?」
意識のないペレットに語りかけながら、ヨハンは普通の人間には捉えることのできない音に導かれて進む。そして導かれた先にあった、血溜まりと数本の血濡れたナイフを目にすると、彼は嬉しそうに笑みをたたえた。
「あぁ、よかった! どうやら向こうも意識はなさそうだ。第三者の介入での逃走は仕方のないことさ、ここは引き分けといこう。ワタシは心底安心したよ!」
血溜まりとナイフから聞こえる声は、数名によるものだ。焦ったような音が何度も混じっていることから、恐らくは血を流した者の仲間がここに来たのだろう。怪我人らしき姿が周囲に見えない辺り、その仲間達に連れられたと見える。
「つまり、ワタシはまた不出来な子羊を処理する――なんてことをしなくて済むわけだ。いいや、そもそも君は殺さないよう神様から仰せつかっているから、せいぜいが足を切り落とすくらいの罰になるだろうけど……」
――ところで、とヨハンは落ち着いたように目を細めて、
「道中、チャールズ=クロムウェルを見かけたのだけれど――あの汚らしい子羊に花を手向けたのは君かい?」
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