第87話『野生の熊は死んでも起こすな』

 およそ2日と少し。脱獄の時は来た。


 看守の出入りしないタイミングを見計らってアズノアが、外から持ってきた鍵でギル・レムの手枷と足枷を外す。こん、という音がして枷が落ち、2人はようやく洞穴との結合から脱することが出来た。


「うわ、めちゃくちゃ久しぶりに立った……大丈夫か、なんか足震えてね、俺」


「くぅーッ、腰が痛え……なあ、脱獄今日はやめにしねえかィ? 俺腰くそ痛え」


「悪ィがそれは無理だ、俺は急いでるんでな。お互いの為にもここを抜けるのは今日じゃねえとダメだ。おっさんが向かうって船着き場までの道も、アズノアの話だとクソ遠いって言われてんだろ、協力体制で道開かねェと」


 立ち上がり、一応全身の節々の動きを確かめるギルと、久しぶりに体勢を変えたおかげで腰に走る激痛に弱音を吐くレム。それに対してアバシィナは、夜目すら利きにくい暗がりでもわかる羨ましそうな視線を向けてきて、


「なぁ、考え直さへん?? せやあれや、外は何かわからんから怖いやろ? でもわしが居ればどんなモンでも怖くなくなる……保険の為にもわしは解放した方がええと思うで? なぁ、そこのカッコいいお兄さん方」


「俺がカッコいいお兄さんなのは同意だが、お前さんを同行させる方が怖えーから連れてかねェよ。諦めろてんでィ」


 レムは淡々と言いながら、無骨な金属製の首輪のついた熊のように太い首に触れた。すると首輪が淡く緑色に光り、次の瞬間、


「うぉ!?」


 首を緩く締めていた首輪は、あっという間にフラフープほどの大きさになる。そしてレムの肩幅よりも広がった為、重力に従って地面に落下した。


「俺は物を大きくするって能力者なんでねィ、下手に壊そうとして爆発させるよりもずっと効率的な外し方が出来るのよォ」


 そう言って、熊のような大きな手でギルの首にも触れるレム。彼同様に首輪は淡い緑色に光って大きくなる。久しぶりに外の空気に触れた喉に触って、若干締め付けた後があるのを実感しながら『ヘェすげえ』と感動。


「汎用性のありそうな能力じゃねーの。生き物はでっかく出来んのか?」


「そこまで教えるほど俺ぁ優しかねーよ」


「……ま、助かった、ありがとな。じゃあ――」


 ギルはエセジュリオットの方を振り向くと、アズノアが歩み寄ってきてそこへちょうど松明の明かりを持ってきてくれる。橙色の火に照らされた紫髪の男は、眩しそうに目を細めながら嘆息して、


「アズノアさんは頼みました。決して戻ってくることのないように」


「なんかその顔面で言われると色々腹立つけど……まあ、そのつもりでいるわ。そんじゃあな、アバシィナと2人っきりとか気分乗らねえだろうけど」


「本当に。では、さようなら」


 言葉少なに別れの言葉を掛け合うと、アバシィナにとやかく言われないよう逃げるように第3牢から脱出する。鉄格子は先日アズノアが鉄球で壊したまま修理が間に合っていなかったので、大きく出来た隙間から器用に身を捩って脱出した。


 懐かしの地下水路へ出、いっそう強くなった悪臭にレムと眉をひそめつつ、


「ほんじゃあ、いくかィ」


「あぁ、確か……この道を通って、突き当たりのショウコウキ? って奴を動かすんだったな。俺ら扱いわかんねーから、動かすのは任せたぜ、アズノア」


 彼女を振り返ってそう言うと、一瞬震えたアズノアは唇を固く結んで頷いた。


 ――作戦はこうだ。


 まず、今は11月スコーピオンの30日、推定深夜0時。


 そしてエセジュリオットの情報が正しければ、今日からこの監獄からはほぼ全ての白装束が居なくなっている。理由は『神様』から中央大陸に集まるよう大規模の招集があった為らしい。何をするのかは知らないと言っていた。


 なのでその時間帯を狙って、白装束を乗せた船が出発した後に無人の船を奪って脱獄するつもりでいる。それにつき、セカンドにて仲間を見つけて解放し、ファーストに上がって船着き場を探す必要がある。


 幸い、各階のマップはアズノアが把握しているというので、彼女と逸れることさえなければ迷子エンドという最悪のオチだけは迎えずに済む予定だ。


 そうして無事仲間を見つけた場合は、アズノアの鉄球で牢屋の鉄格子を破壊して救出した後に、首輪をレムの能力で外す手筈である。


「俺ァ、探し物すんのは苦手だからな。地形把握してるアズノアの嬢ちゃんがあんちゃん側についてる以上、多少の協力体制は見せてやんねえと」


 昇降機に乗っている最中、そうぼやくのは熊男レムだ。


 短く乱雑にカットした茶髪はそのまま熊の毛皮のようで、目は柔らかく垂れているが見る者が見ればその両眼が数々の苦難に抗ってきたものだとわかる。身長は2メートル近く、筋肉に恵まれているのか全体的に太い印象がある。


 褐色とは言わずとも日焼けた顔には、いつだかにしたギルの予想通り、野獣か何かの引っ掻き傷の痕が刻まれていた。期待を裏切らない歴戦の武人顔だ。


 収監前は何を生業にしていたのか知らないが、その恵まれた体格は生まれつきのものというだけではないのだろう。よく動き回る職業だったのか肌や立ち姿はとても若々しい。総合的に見ると30代から40代前半といった具合か。


 ギルはそんなことを思いながら、


「主従関係みたいに扱われてもヤなんだけど」


「……まぁ、女の子の扱いには気をつけてやんなよ? あんちゃん」


 地下2階から地下1階へ上がる為の小部屋――通称『昇降機』に乗りながら、男2人はそんなやりとりを交わす。


 肝心のアズノアはその会話を聞いているのかいないのか、壁に貼り付けられた数字つきのプレートの前でぼんやりと立っていた。





 マルトリッドは疲れていた。


 アズノアの暴走の後処理に追われ、神様からの指示により監獄の防衛が手薄になるので、非常事態に備えて看守の配置システムを見直し、明日の早朝に行う戦争屋の処刑の為に必要な書類を準備。


 これらそれぞれアズノア・ヨハン監獄長・チャーリーが行う仕事のはずなのに、何故か全員やる気がないor作業能力が至らないので几帳面かつ監獄内の地位も高いマルトリッドに全て回ってくるのだ。


 しかし回ってきたものとはいえ、投げ出して監獄全体のバランスやスケジュールが崩れるのは彼女も不本意だ。結果引き受けてしまい、自分で自分を追い込んでいるのが現状であった。


 チャーリーはまだいい。あれは若いし成長途中で、本人も物覚えの悪さを自覚しているし、しているなりに上手くやろうとしている節が見られる。


 でも前者2人は本当にどうしようもない。これでよりによって2人とも『サードの管理人』と『六熾天使』というそれぞれ特別な立場にあり、手をあげることも物申すことも出来ないのだから余計腹立たしかった。


「ふぅ……」


 エリア『セカンド』を歩きながら短く息を流す。


 次はアズノアが破壊した鉄格子を修繕する為に被害範囲の測定だ。朝からファーストからサードまで行ったり来たりで冗談抜きに骨が折れそうだ、などと思いながら昇降機に向かっていた最中、何の操作もしていないのに扉が開いた。


 そして、それからの出来事には理解に時間がかかった。


「……ッ!?」


 顔を見合わせて、驚きに目を見開く。昇降機の中には、知っている顔が3つ――ギル、レム、アズノアの顔が並んでいた。


 マルトリッドは一瞬現実を否定しかけ、しかしそう簡単に否定できるような事態ではないことを理解する。何故アズノアとサードの囚人2人が、昇降機を利用してセカンドに上がってきたのだ?


「お前達、どういう……」


「やっべ見つかった! アズノアッ、ぶちのめせ!」


 ギルが指示を出すと、その前に立っていたアズノアが勢いよく前のめりに飛び出して、愛用の鉄球の鎖を握った腕を鞭のように振るう。すると並々ならぬ重量であろう鉄球が軽々と宙を飛び、マルトリッドの頭上に襲来した。


「ッ――!」


 赤髪の女看守は飛んできた鉄球に手を差し伸べて、その白い手のひらに銀色の風を集中させて発射する。

 ごうっ、と大きな音がして風は鉄球にぶつかり、そのままアズノアに跳ね返すまでは行かずとも、軌道は大きく変わって離れたところに叩きつけられた。同時、その爆風の影響を受け、マルトリッドは長い赤髪を靡かせながらギル達を睨みつけ、


「どういうことだ、何故ここに居る!」


「そりゃ説明できねィなあ! これでも喰らってろぃ!」


 大声を上げながら飛び出したレムが宙へ大きく放り投げたのは、淡い緑色の光を纏う石の小粒であった。サードの第3牢の壁を削ったものだ。5粒ほどのそれらはマルトリッドに迫った瞬間、肥大化し、あっという間に大岩となる。


 それにより、マルトリッドの視界は岩肌で覆い尽くされ、

 

「なっ……」


 声が漏れるが、マルトリッドはすぐさま地面に空砲を放つとその反動でふわりと後ろへ飛び跳ねる。風で身体を押し出したのだ。とどまっていればこちらの頭蓋骨を砕き割っただろう岩はすれ違い、次々とその威力で床の塗装を砕き割った。


「ちっ……おい、お前達!」


 マルトリッドは通路を封鎖する岩の上に飛び乗り、逃げ出した囚人2名を捕らえようと声を上げる。しかし既に彼らは逃走を試みて、セカンドの作る石造都市の小道に入ろうとしており、


「させるものか……!」


 マルトリッドは岩から飛び降りると、それを追いかけながら看守制服の襟に装着した無線機をオンにする。


「――おい、聞こえるかチャールズ!!」


《――エッ、な、なんですかぁ……?》


「早急に緊急事態用アラートを鳴らすよう、看守室に連絡を入れろ! 私からはのんびりとあの脳足りん共に説明している暇はない、いいか1度で聞き取れ!」


《えっ、え、は、はい!》


「エリア『サード』よりギル=クラインとレム=グリズリーが脱走、シスター・アズノアによる協力を確認。直ちにエリア『セカンド』に看守を集中させ、監獄の周囲に包囲網を張れ! そして戦争屋を全員、今すぐ処刑室に移動させろ!」


《……えっ、なにがッ》


 1度に聞かせるにはあまりに多い情報量に、思わず聞き返したチャールズの声を一方的に切り、目の前の囚人1人に意識を集中させるマルトリッド。


「……1人?」


 いつのまにか、追っていた背中は1つになっていた。他の2人が見当たらない、もしや全員纏めて捕まることを恐れて散開したのか。


「……いいだろう」


 普段滅多に上がらない口角が歪む。マルトリッドは風を操り、大きく宙へ飛び上がりながら前進すると、ぐるんと身体を捻って空を舞い、およそ真下を走り抜けようとするその囚人に向かって刺すように落下。

 脳天に踵落としを――と、


「まァ、怖いことすんじゃあねえの」


「――ッ!?」


 熊のような手に振り落とした脚を掴まれ、そのまま軽々と真上に放り投げられる。何が起きたのか困惑しているうち、上からのセカンドの全貌が視界に映り、


「けど、鉄仮面のお前さんでも女の子だろィ? 長くてきれーな脚は生涯大事にした方が良いと俺ァ思うねィ」


 ――いつの間にやら、囚人の腕にすぽんと収まっていた。横抱きである。


「……??」


 マルトリッドには何が起きたのか、全く分からなかった。けれど視界に入ってきたいかつい中年の顔を、反射で作った己の拳で殴り飛ばし、腕の中から脱出する。


「ぶっへおっへごっふッ!」


 盛大にむせながら、しかしその言葉から受け取れるような印象とは裏腹に、ふらりとよろけただけの囚人――レム=グリズリー。その頑丈さにそういえば、彼は〈熊〉の血筋の獣人族であったと気を引き締めれば、


「はーっ、ダメかァ……俺ァ、細っこい女の子に手ェ出すのはあんま好きじゃねえんだけどねィ……」


 気怠げだった熊男の瞳に、好奇的な光が宿る。


「んじゃまあ、死なねえ程度に遊ぶかぁ? マルトリッドの嬢ちゃんよォ」


「……ッ、受けて立つ」


 双方睨み合い、そして――相手に襲いかかる。

 同時、緊急事態を知らせるアラートがけたたましく監獄内外に鳴り響いた。

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