第86話『その男、悪鬼羅刹につき』

 自分はこの手で人を殺したことはない。

 けれども自分が作ってきた発明品は、何百万何千万もの人々を殺してきた。


 その代表的な作品は殺人ウィルス『ヘロライカ』だ。長年に渡って積み重ねてきた薬学の知識を全てひっくり返して、徹底的に人体を蝕む為に作った人工病原菌。並大抵の研究者にはその構造を解けないように、複雑な構造で作り上げた。

 もはや『自分』にしかその仕組みと、治療薬の作り方がわからないように。


 お陰で早期に対策されることもないまま、自分の努力の結晶は多くの命を奪った。


 ヘロライカを作ったのは相当昔の話だが、1番本領を発揮したのは5年ほど前のロイデンハーツ帝国での流行時だろうか。あの国だけで200万以上の命を奪ったと聞いている。あれが1番良い結果を出せた年だっただろう。


 けれども同じ時期、もう1人の自分が当時緊迫していた医療界に貢献したらしい。ワクチンがすぐに流通して、次第にパンデミックは収拾されていった。


 でも、完璧に収まった訳ではなかった。

 富豪が住まう国、ロイデンハーツ帝国の辺境の村。貧乏人しか住んでいないような寂れた地域に、未だ感染者は居た。自分は新たに『ヘロライカ・改』を作る為、その村に『天国の番人ヘヴンズゲート』の天使をけしかけた。


 いや、実際そうするよう指示したのは自分ではない。『神様』だ。


 ヘロライカは人体の中で成長を遂げると見抜いた彼は、生存している感染者の血液を採取して分析することで、より強い病原菌を開発できると考えたのだ。だから感染しながらも未だに生きていた病人を攫うように言った。


 そうして連れてこられたのは、青い髪を持った兎の獣人族の少年だった。


 自分は少年から血液を採取して、数日かけて研究した。そして今度は別の人員の協力もあって、ガスタイプのヘロライカを作ることに成功した。


 完成したそれは、早速アンラヴェル神聖国で撒き散らかされた。

 結果、アンラヴェル在住の数百万人に感染し、現在鎖国を余儀なくされた国民達は近いうちに必ず来る自分の死をそれぞれ待つのみとなっている。もしかすると、いや高確率で1000万人を殺害できる勢いである。


 ――後悔はしていない。殺人自体は望んじゃいないが、自分の発明品がどこまでやれるのかを知るには『死亡者数』は良い指標なのだ。数値は重要である。比較に役立つので、不思議と自分のしていることに抵抗感はなかった。


 そんな冷淡なところがあの神様のお気に召したのだろう。

 自分としても度を越えた殺戮行為を許容し、支援してくれる彼の存在に少なからず助けられていた。これで『保存』という名目で、研究時以外、囚人と一緒のあの暗い洞穴に閉じ込められさえしなければ文句はないのだが。


「はぁ……」


 薄汚い地下水路から一変、清潔感のある白を基調としたエリアに昇降機を使って上がってくると、思わず疲労の溜息が漏れる。


 こんなことを繰り返し続けて、一体今は何度目なんだろうか。

 よくもまぁ気を狂わさずに過ごせているものだと、自分でも関心している。


「あ〜ッ、ロミュルダーさんじゃないですかぁ」


 間延びした声がして、ふと後ろを振り返る。

 するとそこには空色の綿飴みたいな、いや綿飴は言いすぎただろうか、とにかくふわふわとした毛質の背の高い青年が居た。


 身長190センチ。無駄に細長い自信のある自分ですらも見上げなければ視線の合わない長身漢に、『なんです』と面倒臭そうな顔を隠しもせず全面に出せば、


「ちょっと、酷くないですかぁ〜!?」


 可愛らしい巨漢はぷんすこと頬を膨らませて怒る。


「ハリーくんにご飯あげてきた帰りなんですぅ、見かけたから話しかけただけで、なんか悪いですかぁ〜??」


「ハリー……? あぁ、血液を採取させて頂いたあの少年、まだ生きていらしたんですか? てっきり神様の意向で廃棄されてるものだと思っていたんですが」


 これ以上使い道のない少年なのに意外だ、とロミュルダーが目を丸くすれば、チャーリーは餅のように柔らかそうな頬をぷにっと自分で押して、


「廃棄は決まってましたけど、おれの一存でこっそり育ててるんですっ」


「……育てるのは良いですけど、育てても育てなくてもじきに死にますよ」


「は〜冷たい、これだからオジサンはやんなっちゃいますね〜! 死亡するのも間近であることくらいおれにだってわかりますよーっだ。でも、死ぬ時くらいちょっとでも幸せな夢見たいでしょぉ?」


「オジサン……」


 確かに生きてきた年月自体は中年、いやヒトの人生を何周もするような気の遠くなるほど長い時間だが、面と向かって言い捨てられると何か傷つくものがある。アズノアの能力の効果で体内時間も止められて、つい若い過去のままの姿で居たからそういった自覚もなかった。


 そうか、自分はおじさんと言われてもおかしくない歳なのか――とぼんやり顎を撫でつつ、髭は前に研究室で剃った時から全く生えていないのを確認しながら、


「『白昼夢』。強制的に入眠させて、他者に幸せな夢を見せる能力……でしたか。貴方の思想に案外能力の影響を受けているんですね。『幸せな夢』限定でかなり使いにくいところとかも、へっぽこの貴方によく似ています」


「あ〜ッうるさ〜い! 聞こえな〜い! それに『白昼夢』の本質は低コストで強制入眠させられることなんでぇ! そこ間違えないで頂いて! それじゃあ!」


 ふわふわと羊のような印象の青年は、鬱陶しそうに耳を押さえながら早歩きでジュリオットの横を通り抜けていく。それを無言で見送るロミュルダーであったが、チャーリーの長い手の甲に包帯が無器用に巻かれているのに気づき、


「……また訓練を重ねたんですか。無理すれば強くなれるわけではないのに」


 そう問いかけるも、羽織の下に傷だらけの身体を隠しているのだろう彼はぴくりと指先を震わせただけで、立ち止まることはなかった。





「――と、いうわけでぇ、皆さんの死刑は3日後に決まりました〜」


「「「「……はァ!?」」」」


 笑顔で戯言を抜かす檸檬の眼の青年に対して、怒りや混乱を内包した叫び声が四方向から浴びせかけられる。しかし青年は動じずに、可愛らしくも悪意のあるきゅるんとした瞳で首を傾げた。


「どうかしましたぁ?」


「いやふざけないでください、というわけでってどういうわけですか!?」

「なんでオレらが死ぬ日早められてんノ!? もっと後だったよナ!?」

「やだ〜ウチまだ死にたくない、遺書だってせっかく絵描いて提出したのに!」

「何言うてんねん、あんさん1ヶ月後と3日後の区別も出来ひんのかぁ!?」


「うわ〜うるさい上に同時に喋られても何言ってるかわからな……」


 方々からの騒がしいバッシングに引き気味の青年――チャーリー。

 白装束姿の彼は4つ並んだ牢屋の中に居る、今にも格子をブチ破って出てきそうなフラム・ジャック・シャロ・マオラオの4人を冷ややかな視線で眺めると、


「……ふっ、ざまあないですねえ」


 ゆるりと口角で頬を持ち上げて、憐れむように嘲笑する。


「かわいそ〜な貴方がたに説明をして差し上げましょう。先程、侵入者とおぼしき者と遭遇したんですぅ。現在その不審者は――とある職員と交戦中ですがぁ、不審者の辿った道筋を辿って監獄長が『声』をお聞きになった結果――」


「声? 誰のや」


「あぁ、声と言っても実際の誰かのものではありません〜。残留思念を読み取る力と言い換えましょうかぁ? 監獄長がその能力を使われた結果、貴方がたの関係者であることが判明したんですよぉ」


「え、関係者……? 誰か助けに来たってこと……?」


 自分達の知り合いかつ、ここに入ってくることが出来そうな人物を思い浮かべるシャロ。外に居るジュリオットやフィオネがこちら側の状況を知っているのかわからないが、彼らならば居場所を割り当てるくらいのことは出来るだろう。


 ただし単体で乗り込むには力不足だ。頭脳派とはいえ、常識的な護身なら出来るくらいの戦力を2人とも有しているが、流石にヘヴンズゲートの人員が群れるこの監獄に単身乗り込むなんて無謀な行動は、些か彼ららしくないように思える。


 となるとそれ以外になるわけだが、そう来れば処理班の誰かだ。

 というか、潜入してきたのであればノートンが1番納得できる人選である。


 彼の特殊能力は『鏡写し』。肉眼で直接認識した人間の姿になれる能力で、潜入にはもってこいの内容だ。戦力的にも申し分なく、正直なんであの強さで戦争屋に頑なに来ないのかがわからないほど。


 だから、彼が来てくれたならば希望は大きいと思うが――。


「侵入されたからって、何もシャロちゃん達の死刑をそんな急ぐ必要ある!?」


「えぇ。侵入者を1人捕らえるのは難しい話ではないですがぁ、救出を目論んでいる人間が1人だけではない可能性を考えるとぉ、1ヶ月と少しあとの死刑の間まで時間を与えるのは不安ですからね〜」


 ――なので、先に貴方がたを処刑してしまおう、という話なんです〜。


 天使のような微笑を浮かべてぱん、と包帯ぐるぐる巻きの両手を胸の前で合わせるチャーリー。大変可愛らしいアクションではあるのだが、言っていることが物騒な上迷惑すぎて総合的に可愛くない。


「あ、言っときますけどおれが決めたことじゃなくてぇ、監獄長が決めたことなのでおれに文句とかは言わないでくださいね〜?」


「……何だよその手の包帯。昨日までなかったよナ?」


「……え? あぁ、これはちょっとやらかしただけです。じゃあ、今日の刑務作業の説明を……」


 と、言いかけたその時。足元で強めのカンッという音がして、チャーリーは並大抵の人よりも高い位置にあるその両眼を下へと向けた。


「――エッ?」


 地面に当たって跳ねたのだろう、音が聞こえた辺りよりも離れたところに、燻んだ黄金色の銃弾が落ちていた。


 ――何故こんなところに銃弾が? 下手すれば撃ち抜かれかねなかった大事にも関わらず、チャーリーは異常の出来事を体験したショックで、脳内に壮大な宇宙を描きながら恐る恐る弾の飛んできた方向を振り返ると、


「……え」


 チャーリーは、時がゆっくりになったような錯覚を得た。


 目の前の光景は一瞬のことであったにも関わらず、スローモーションのように動きの全てがのんびりと流れていく。


 振り向いた少し先、エリア『セカンド』の空中には男が2人。

 片方は純白な羽織を天使の羽ののように優雅にひらめかせて、もう片方は監獄の看守服を身に纏っている。看守服の方は右手に刀剣を握っているようで、その目線の先には周囲に淡い紫の幾何学的な模様をした陣を展開する天使が居る。

 その魔法陣が如き模様は天使に付き従うように並び、しかしその面は看守を狙うように向いていた。


 ――。

 ――――。

 ――――――動く。


 まどろむ夢のような時間が弾けた瞬間、ゆるりと波を作っていた天使の羽織は空気の抵抗で強く煽られる。

 そして直後、無数の魔法陣からあらゆる姿の機関銃がパッと顕現し、


 あっ。

 青年がそうとしか言えなかった刹那、硝煙を連れた夕立が来た。


 辺りに散る金属色の雨音が、暇を与えず鼓膜を穿つ。





 まずい、そう思った直後に豪雨のような銃撃はなされた。


 逃れようと空中に飛び出したのを逆手に取られ、ろくな回避行動が取れない状況での一斉射撃。1秒の間に数十弾に及ぶ弾数が放たれて、どうしても刀では捌ききれず穴だらけになることが予想されたノートンであったが、


「く……っらぁ!」


 刀を握っていない方の手で拳を作り、重力に引かれていきながら彼は空間を殴る。すると銃弾の群れは風圧に煽られて、進行方向の真逆へと吹き飛んでいった。


「っ、は……!?」


 ペレットが理解不能といったような表情で攻撃をやめ、自分のもとにどういうわけか返ってきた弾を回避する為瞬間移動でセカンドに着地する。ぶつかるところを失った銃弾は大きく弧を描き、石畳の床に降り注いだ。


 一方のノートンは、地面が近くなると身体をぐるんと回転させて背中ではなく足から着地。そのまま身体を捻り、人外じみた速度でセカンドを駆け抜けていった。


「どんだけ人間離れしてるんだ、あの人は……!」


 これで確信した、あの看守服はノートンだ。


 こんな芸当が出来るなど彼以外に思い当たらない。鬼族のイツメ=カンナギであればあのような脳筋的回避は造作もないだろうが、空気を殴って銃弾を跳ね返すことが出来る奴というのは基本限られているのだ。


 あんな化け物を長々と放置できない。薬が効いているこの間に、急いで捕らえなければ戦争屋を救出される可能性がある。


 ペレットは急いで空間を飛ばし、ノートンとの物理的距離をぎゅんと詰めた。

 そして両手に拳銃を召喚すると、


「逃さない……!!」


「それは困るわね、ペレット?」


「ッ――!?」


 ノートンだと思っていた人物から伸びやかな男声がして、ペレットは引き金を引こうとした直前で踏みとどまる。いや、自分の意思で止めたというよりも、その声の持つ圧力で止めざるを得なかったという方が近いだろうか。


「アタシも万能じゃないの。撃たれれば死んでしまうでしょう?」


 ノートン、だったはずの看守服の男が振り返る。


 くるりと見せられたその顔面は、乱れなく全てのパーツがきちんと置かれた彫りの深い顔があった。その目はノートンの赤ではなく、フィオネの紫色をしている。男が看守の帽子を外せば、薄金髪の毛先が中から零れ落ちた。


「フィオ、いやっ、ちがッ……!」


 それがノートンの擬態であると数瞬遅れて気づいた時には、フィオネの姿をした彼は身軽に跳躍し、長屋のような形をした建造物の屋根に乗っていた。その下の牢屋に居る囚人達が、流れ弾を喰らわないかとしきりに怯えている。


「――悪いけど、ここで捕まる気はないわよ」


 そう言い捨てると、擬態元の人間ではあり得ないような人外級の運動神経でひょいと建物の向こう側へ身を落とすノートン。ふわりと金髪が靡きながら障害物の奥へ消えていくのを見て、ペレットはそれを追いかけようとするも、


「ぐっ……?」


 ごぼっ、と胃の方から熱いものが迫り上がってきて、ペレットは反射で口を押さえる。思わず吐き出した時、白い手のひらを染め上げたのはぬるりとした赤い血であった。口内も鉄の味一色に染まって、ペレットは呆然とする。


「……まさか、もう」


 薬で痛みを感じないようにしたとはいえ、負担は身体にかかり続ける。


 本来よりも被害は最小限で済んでいるが、元々消耗の激しい『空間操作』では1粒薬を摂取したところでここまでが限界なのだろう。それで痛みを感じずに続けて能力を行使していたペレットに、身体がどうにか出したSOSがこの吐血だ。


「くそ……」


 このまま痛みは感じていないから、このまま身体を動かしたっていい。けれどもそれで死んでしまったら、ペレットの願いは果たせられないし、ヘヴンズゲートの大きな損失になる。


 殺戮兵器の解読が出来るのは、今はこの世でペレットしかいないのだから。


 ――ペレットは、羽織の裏側に忍ばせた無線機をオンにする。


「……すみません、取り逃しました」


《――あぁ、それは仕方のない話さ! 相手が鬼族ならばね》


「……鬼族? ノー……先程の侵入者がですか?」


《あぁ、彼の名は【トンツィ=シェイチェン】。シェイチェンというのは、もっとも強い鬼の一族の名前だよ。実質、世界最強と言ってもいいね! ミス・イツメの話では『赤眼』と『高身長』がその一族の証らしいのだけれど……その様子だと姿は偽られていたのかな》


「……なんて?」


 トンツィ=シェイチェン、と言ったのか。


 『声』を聞くヨハン監獄長が言うのだからそれは本当のことなのだろうが、彼が本当は『ノートン』という名前ではなかっただけでなく、彼があの鬼族――しかもその中でも1番強い鬼の一族の生まれだなんて。


 確かにそう言われてもおかしくないだけの実力が彼にはあるし、事実それを今先ほど体験したばかりだが……。


「……シェイチェン?」


 どこかで聞いたことのあるような苗字に、ペレットは1人ぽつりと呟いた。

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