第85話『脱獄まで残り:3日』

 ちら、とアズノアの様子を窺うギル。長い黒髪の彼女は、青紫色の唇をキュッと結んで何かを考え込んでいるようだ。


「そういえば返事、ちゃんと聞いてなかったけど」


「……」


 アズノアがこちらを振り向く。鉄球の鎖がじゃら、と鳴った。


「ダメならダメでしゃーねェよ。ただお前の意思を聞かないことには諦められねェからさ。……なんかやだな、マジでプロポーズしてる気分になってきた」


 謎の羞恥心で熱が昇ってくるのを自覚するギル。眉をひそめる。まさか女嫌いの自分がこんな体験をするとは夢に思ってもみなかった。自分の今までの言葉選びを思い出し、ギルが勝手に羞恥心を膨らませていると、


「ぶべらばッ!?」


 じゃら、と鎖が鳴った刹那、ギルの頭は重い鉄の塊にぶっ飛ばされた。アズノアが鉄球をギルに向けて振るったのである。


「いってェなオイ、ぶっ殺すぞテメェ!!」


 瞬時、残された首の肉からむくりと頭を生やして怒鳴り散らす殺人鬼。その奇妙な光景には誰もが絶句し、長い沈黙の後、アバシィナの狂笑が響き渡る。


「ほ、ん、ま、やぁっ……」


 ツボにはまってしまったらしく、げらげらと笑い倒す褐色の狂人。


「マジかよ……」


 不死身の力を見せつけられて、語彙を失うレム。


「……」


 自分と同じ不死身であることが証明され、ベールの下で目を見開くアズノア。驚くあまり数歩よろよろと引き下がり、鉄球の鎖を取り落とす。


「オイ聞いてっかテメェ、せめて確かめたいんだったら許可取ってから殺せよくそ痛えだろうが!! しかも頭だけ綺麗に取りやがって、向こうに落ちてる俺の頭どう処理すんの、まさか放置!? 俺嫌だけど!?」


 ただ1人真面目に、ギャンギャンと首の痛みを訴えるギル。しかし悲しいことにその言葉は修道女には届かず、アバシィナを笑わせるだけの役割を果たしていた。


「フルシカトきめるとは良い度胸してんな、1回ツラ貸せツラァ!!」


「――マッ、マ、マ、テテ」


「は? 待ってて? 良いぜいくらでも待ってやるから先にツラを……ってお前どこ行くんだ外に出んじゃねえよオイ!!」


 遠ざかる背中に大声を浴びせかけるもその甲斐虚しく、第3牢の洞穴を出てどこかに行ってしまうアズノア。責任放棄もいいところだ、通り魔もびっくりの投げやり具合に『ケッ』と吐き捨てれば、


「帰ってくるの早ッ!?」


 時折よろけながらも早歩きで帰ってきたアズノアにギルは唖然。更に、


「しかもその手に持ってんのって……」


「ツカ、テ」


 松明の明かりにきらりと光るのは、多少錆びたような色をした鍵だ。それを乗せた青白い手のひらから上に視線を上げて、ベールに隠れた修道女の顔をまじまじと見つめると、アズノアは居心地が悪そうにそっぽを向く。


「え、それ、この手枷と足枷を外すヤツ? エッ、それってお前は俺と一緒に監獄の外に出る……ってことでいいのか?」


「ウ、ウ、ウン」


「『うん』だか『ううん』だかよくわかんねえ反応だけども……多分肯定だと俺は受け取るぜ。……本気で言ってんだな、途中で取り消すのは勘弁だぞ」


 あまりに彼女が素直なので、ギルが目を鋭く細めて最後の確認をすれば、アズノアはベールがずれないように押さえながら大きく頷く。見間違えようのない振首だったので、先程の説得でギルをひとまず信用してくれたのだろう。


「……なら、俺もそのつもりで色々動くからな。けど、今それ渡されても流石に、じゃあ今出ようっつーのは無理な話だと……」


「っちゅーか何やねん! なんやええ感じの雰囲気で喋ってはるけども、ギルの兄さんだけに渡されても困るで!? わしにもその鍵渡しぃや!!」


「お前本当にうるせえな!?」


 アバシィナによる何度目かのシリアス・ブレイクが入り、もはや事前に打ち合わせをしたかのような反射神経で文句を叩き込むギル。


「アバシィナ、てめえの客観的な印象わかってんのか、どう考えたって解放したかねえわ俺もアズノアも!!」


「そないなこと言うてジブン、少人数で監獄の最地下から上がりきれるーなんて思っとんのかー!? あんさんは手ぶら、アズノアは走れへんのやぞー!?」


「地ッッッ味に痛いところ突くな本当に……なぁおっさん、おっさんは素手でどんだけ戦える? それによって俺らの命運が決まるんだが」


「あァー、素手で……まぁ、本領が発揮できんのは斧なんだが、次点で出来んのが体術なんで、それなりにどうにかなるたァ思うぜえ? なんせ、俺ぁ熊の獣人族なもんでねィ、力技に関しちゃ自信があんのよ」


「おっしゃおら聞いたかァ!」


 レム1人で十分な戦力追加が出来ると知り、『ざまぁ!!』と飛び上がらんばかりの喜びに打ち震えるギル。それに合わせてアズノアがまた牢屋を出入りし、今度は別の鍵を持ってきてレムの前にぽとりと落とす。


「……え、嬢ちゃんマジでいいのかィ?」


「……ウ、ン」


 松明を持ったアズノアが大柄のシルエットの前に立っているものの、ちょうど彼女が障壁になってレムの顔は見えなかった。

 まぁ、それは後で明るい場所で見ればいいか、とギルは割り切り、


「とにかく、お前は残るってことでいいな? アバシィナ」


「はん! 兄さんも存外冷たいやっちゃなあ! その選択を後悔することにならないとええけどな、あとわし今から拗ねとるから話しかけんでや?」


「おう、絶対に話しかけねえって誓ってや……」


 と、喜色満面の表情で言いかけたその時、


「――あの、喜んでますけど貴方がた、脱獄のタイミングについて考えたことはありますか?」


「……あ?」


 至極、冷静沈着な声音が場の熱気を奪っていき、ギルは間抜けな声を上げる。


「「……ねえな」」


 直後、ギル・レムからそれぞれ同じ言葉が綺麗に上がった。あまりに乱れなく揃うので、エセジュリオットは額を抑えて『ハァァァ〜……』と溜息を吐く。

 なんだか馬鹿にされているようで物凄く腹が立ったのだが、


「……3日後。11月スコーピオンの30日にこの監獄の白装束がほぼ出払い、囚人を見張るのが看守だけになります」


「……なんでお前がそれを知ってんだ」


「それはともかく。脱獄を狙うのならばこの日が良いでしょう。逃したところで終身刑の貴方がたには対して痛くはないでしょうが、そうそうこんなチャンスはありませんから、この日に出るつもりで居た方が良い」


「……いや、俺にはかなり痛え話だな。なんせセカンドに仲間が収監されてて、死刑があと……1ヶ月後とかって言ったか。とにかく時間がねェんだわ」


 だから、3日後のその日がチャンスだと言うのならば、そこを狙ってサードを脱出し、セカンドでシャロ達を探し出して救出した方が良いだろう。


 もしその日を逃してしまった場合、下手すると一向にチャンスを掴めないまま、セカンド組が死刑の日を迎えてしまう可能性もあるのだ。この先そう良いタイミングがあるとも思えないので、全てを3日後に賭けたいところである。


「じゃあ、その日に俺とアズノアとレムでサード脱出。俺は仲間を救出してから脱獄……って感じだな。そういやこの監獄って、船どこで停まってんだろうな。出来ればそれを乗っ取って出ていくのが1番かと思ってるんだけど」


「船のガレージの場所でしたら、アズノアさんがご存知かと思います。ただ1つ懸念しているのが、その首についた爆発物のことなんですが……覚えてます?」


 そう言われて、手が届かないので『え?』と首に意識を集中させるギル。よく感じ取ると、金属のような心地の重いものが首に巻き付いていた。

 この監獄にやってくる前に、移送船の中でつけられた首輪だ。


 曰く、担当看守が持つ遠隔操作型のボタンを押すと連動して爆発する、囚人の暴動を起こさない為の抑制装置というような話であったが――。


「あー、そういやこんなもん首についてたな。あんな重ッ苦しかったのにすっかり慣れて……あ、いや、んなこと言ってる場合じゃねえ……!?」


 そうだ、自分は危険物が首についていても大した問題はない、強いて言えば不意打ちで爆破された時に死ぬほど首が痛くなることくらいだが、仲間やレムはそうはいかないのだ。こんな至近距離でものが爆発すれば、普通は死ぬ。


 セカンドの牢屋から救出したところで、チャーリーに――あの青年にそんなことをする勇気があるとは思えないが――連動しているボタンを押されたら、救出の意味なく仲間はまとめて死んでしまうのだ。


「やべ、今気づいたわ……これ、どうすればいいんだ? 確か鍵穴みてーなのがあった気がするから、鍵があるとは思うんだが……もしかしてこっちの鍵は、流石にふわふわ野郎が持ってんのか……!?」


「――あァ、そいつのことなら心配しなくていい。俺に任せてくんなァ」


「……おっさん? 任せろってのは、どういう――」


 と、そこまで言いかけた時。どこかから足音がこん、こんと響いてきた。


 乱れのないリズムはとある女のそれを彷彿とさせ、その場に居た者達は思わず口をつぐむ。それだけに彼女が恐ろしいということであった。しかしアズノアは、何を思ったのか松明を洞穴の壁に掛け直すと、鉄球を握り直してぶんと振り回し、


「ぶべらばッ!?」


 再びギルの頭を、棘のついた鉄塊で吹き飛ばす。

 生えたての新しい頭は胴体と別れて、ごろんと地べたに呆気なく転がった。


「てめ、何を……」


「――何をしている!!」


 ギルの言葉に被せるようにして、生真面目そうな女性の焦ったような声が響き渡る。それに思わず素でびくつくと、風のように駆けつけてきたのはやはり、長い赤髪が暗闇の中でも映える女看守――マルトリッドであった。


 地下水路の方から走ってきた彼女は洞穴の前で立ち尽くし、この状況の理解に努めていた。


 が、ギルの周囲に転がった2つの頭と、血濡れた鉄球の鎖を握っているアズノア――これを見て何も知らない人間が連想できることは、おおよそ1つである。


「シスター・アズノア。貴様、まさかとは思うが囚人を甚振いたぶって遊んでいたわけではあるまいな……?」


 マルトリッドの瞳が怒りに燃える。といっても彼女のことなので、道徳心的なものから来る怒りではなくて、規則から外れたことをしていることと、後処理に負わされるのが自分だからという2つの点からくる怒りなのだろうが。


「鉄格子まで破って、この前の私の言葉をもう忘れたのか? 修繕をするのにどれだけの手間がかかると思っている、修繕費だって運営費から捻出しているんだぞ。特別な立場にあるからといって、勝手のしすぎではないか!?」


 声を荒げるマルトリッドに、何も返事をしないアズノア。彼女らのやり取りで修道女が何をしようとしたのかを理解したギルは、『あーうっせ』と首の裏を掻き、


「別に殺されたのは俺なンだから問題ねェっての。どうせ後処理っつッたってそこに転がってる頭を燃やしてもらうくれェだ。それより、真面目なテメーは怒るより先にやることがあって来たんじゃねーの?」


 被害者の癖をして、へらへらと笑いながらマルトリッドを宥めようとするギル。それに対してこちらを見た彼女の眼が、一瞬苛立たしげに細められたのがわかったが、


「ッ……指図されるのは非常に腹立たしいが、お前の言うことは最もだギル=クライン。私はドクター・ロミュルダーの移動を仰せつかっている」


 そう言うと彼女は、かつかつとエセジュリオットの前まで歩み寄って、


「というわけだ、ロミュルダー。研究室に移動するように」


「……ええ」


 エセジュリオットは返答をすると、だるそうにゆっくりと立ち上がった。


「……え?」


 ちょっと待て。この男、今まで手枷と足枷をされていなかったのか?

 というか研究室に移動とはどういうことだ、エセジュリオットは収監こそされているが囚人の扱いではないのか? 白衣のような格好であったことも含め、特殊な立ち位置であることはなんとなく理解していたが――。


「そしてアズノア、お前は自分の部屋に戻れ。説教は後でしてやる、いいな」


「……ゥ、ア」


 翻されるぴっしりとした背中に、アズノアの小さな呟きが投げられる。けれどもそれは女看守に聞き止められることなく、ただ静けさに溶けていった。


「……いや、助かったわ」


 マルトリッドとエセジュリオットの退散後、アズノアの機転に対してギルが感謝の言葉を漏らせば、黒髪の修道女は黙りこくった。


 あのまま談笑しているところでも見られれば、確実に脱獄は不可能になっていただろう。鉄格子が壊されていることやギルの頭が落ちていることを、アズノアはあの一瞬で自分の殺戮衝動によるものだとマルトリッドに勘違いさせたのだ。


 正直首を飛ばされるのが突然過ぎて対応できず、生え変わったはずの首には首がもげたような激痛が走っているのだが、


「ゴ、ゴ、ゴメ、ゴメンナ、サ」


「うい、おっけー……死ぬほど痛えけどな」


 助けられたことと、謝られたことを加味してお咎めはなしとした。




「――でも、それはそうとマジであのジュリオットそっくりの奴……『ドクター・ロミュルダー』ってのはどういうことなんだ……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る