幕間『私と神様だけが知っている』

 100年、1000年、いやそれ以上だろうか。


 数えることも億劫で、なおかつ『サード』と呼ばれる、自分の能力が作り出す特殊領域に居れば時間など軽率に狂う為、アズノアは自分が一体何年前に生を受けたのかを覚えていない。


 父母の顔も名前も覚えていない。そもそも父母が居たのかさえ不確かだ。それほど記憶は老いているのに、身体だけが当時のまま。体重は多少減っただろうが、身長や髪の長さはほぼ変わっていない。

 ただ蛇がのたくったような、手術の痕を除いて全てあの時のままだった。


 かつては農村の若い村娘だった。どんな人にも優しく正義感の強い少女であり、多くの村人から『アズノアちゃん』と可愛がられていた。


 美しく愛らしい村娘のシスター。その噂は王都の方にまで広がって、一目見たいという者が年に数回現れ、当時そうは呼ばれていなかった『神様』も彼女を見にやってきたことがあった。


 神様は、今まで訪れてきた観光客の中でも一風変わっていた。


 当時は農業が盛んな時代で勉強を不必要とする風潮があったのだが、その頃には珍しい下級貴族の〈学生〉だったのだ。


 だから彼は年が近かったにも関わらず、彼女より遥かに物知りだった。広い海の向こうに何があるのかを知っていた。彼は海の向こうには沢山の国があって、自分達と同じような『人間』が沢山住んでいるのだと言った。


 面白い、と思った。彼の話が本当なのかはわからなかったが、彼の明かす知識はどれも心躍る話ばかりだった。


 そんな彼の――アドの夢は、監獄を運営することなのだという。


『もし君が良ければだが、私の作る監獄の教誨師きょうかいしになってはくれないか?』


 当時17歳だったアズノアに、アドはそう言った。教誨師。それは、死刑を目前にした囚人の悩みや、不安を取り払ってあげる為の職務である。


 アズノアは人一倍正義感が強かったが、同時に馬鹿でもあった。彼女はアドの正義感に感動するあまり、その頼みを一も二もなく受け入れてしまったのだ。


 元々誰かの悩みを払ってあげたいと思っていたし、お給金も多めに払う、と言われてしまっては文句の1つも言えなかった。これでお世話になった父母に恩返しが出来る、となんなら舞い上がっていたくらいで。


 けれど当然、彼女の父母はアズノアを止めようとした。ただの農民で学がなかったとは言え人の親。まだ嫁入り前の娘を遠くの監獄で働かせるものかと、裏でアドに抗議していたのをアズノアは知っている。


 でも、知らぬ間に両親は丸め込まれていた。

 その時はアドが父母を説得してくれたのだと思っていたが、今思えば明らかに様子がおかしかった。離島にあるという監獄へ向かう船に乗った時、それを送り出してくれた両親は明らかにアドに心酔していた。


『――上手くやろう、アズノア』


 初めての海に興奮していたアズノアの隣で、それを微笑ましそうに見ながら溢したアドの発言が、あれ以来時折、酷く気持ち悪く頭の中でこだましている。





 監獄の基地にするのだという孤島についた。

 そこにあったのは黒く大きな、まるで巨人が住んでいたんじゃないかというくらい大きな城だった。


 曰く、太古の城で歴史的価値がわからず、流れに流れて最近まではアドの叔父が所有していたのだが、その叔父が死んだことにより遺産を振り分けた際に、アドがこの巨大な城を欲しがって貰ったらしい。


 城の中に入ると、既に何人かの若者が居た。


 実はアズノア以外にも協力してくれる人間を世界各地で募っていて、そこに居た20人近くがアドが誘った人間の全体の一部だったらしい。のちに数十から数百人をまた連れて来る、とアドは説明していた。


 どうやら今は仕事を振り分けて、監獄をリフォームしているらしかった。


 巨大な城のリフォームを、たった20人で。とはいえ流石『神様』の集めた人材というべきか、少人数というデメリットは個々人の有能さでカバーされ、仕事がどんどんと展開されていった。


 その中に自分が混じるというのは恐れ多かったが、若者達はみな個性が強い割に良い人達ばかりだった。


 そしてアドを中心とした人々の輪は広がる。


 監獄を運営して軌道に乗り始めた頃には、もはや数千人にまで及ぶ大きなチームになっていた。


『いやあ、本当に有難いよ』


 監獄を運営して1年目を記念する、しかし仕事の都合上、ミニスケールでしか出来なかった記念パーティーの時にへらへらと笑っていたアドの顔も、その後に調子に乗ってアドが酔い潰れたことも、アズノアは未だに忘れていない。


 あの頃のアドはまだ、ただの気が良くて才能に溢れた青年だった。


 でも、途中から彼は――アドはおかしくなった。

 いや、そもそもアズノアに提案を持ちかける前からおかしかったのだろうか。


『私の目的は達成できそうにない。次へ行こうか』


 彼はそう言った。その言葉だけはしっかりと覚えている、全てを知った時、その時のアドをずっと憎く思っていたから。でも当時はなんのことだか分からなくて、ただ彼が『能力を使ってくれ』と言うので言われるがままに使った。


 は、自分の手の届く範囲のものだけを外のあらゆる影響から隔離し、守るだけの能力だった。


 彼女は自分とアドを『時間』という概念から隔離した。

 それに合わせて、彼も能力を使ってみせた。彼が一体、どんな能力を使ったのかまではわからなかった。そもそも説明をしてくれたことがなかったし、彼が能力者であることすらその瞬間まで知らなかったのである。

 けれど――彼が能力を使った瞬間に、世界は変わった。


 何が変わったのか、それを明確に言い表すことは出来なかった。


 でも、彼が世界の各地から集めたはずの看守達は、ヴァスティハス収容監獄から誰1人残らずに消え去っていた。


『上手くやろう、アズノア』


 呆然とするアズノアの前で、神様は笑った。





 その世界はとてつもなく気持ちが悪かった。

 自分の知っている世界の印象とどうにも噛み合わないのだ。


 それに、久しぶりに家へ帰ろうとすると父母が居なかった。

 というより父母の存在そのものが存在していなかった。どこの誰に父母の名前を聞いても『それは誰だ?』と首を傾げられるだけ。顔見知りの村長に聞いてもなんのことやらで、挙句に『お嬢さんは誰だい』と聞かれる始末。

 そもそも、村の名前から変わっていた。

 『ヘロデイア』なんて名前ではなかったはず。


 愕然とした。

 もしや自分を知る者はもう、この世のどこにも居ないのでは。そう思った。


 実際にはアドが居たけれど――でも、彼と一緒に居ることが酷く恐ろしいことのような気がして、既に彼とは別れていた。


 実は独占欲が強いことを知っていたから『断られるのでは』と思っていたが、彼は自分との縁切りを快く受け入れた。『また君の方から会いに来るだろうから、別に構わないさ』とあの低い声でさわやかに笑って。


 その時は誰がそんなことをするものか、と胸の内側で思っていたものだが、村長から話を聞いてようやく意味がわかったような気がした。


 この世界にアズノアを知っている人間はアド1人で、彼しか自分がアズノアであると認めてくれないのだと。


 その時のアズノアはもう精神が限界で、狂ってしまいそうで、だから誰かからの肯定が欲しかった。だから素直に故郷の村からアドの元へ戻った。どこか変容してしまったヴァスティハス収容監獄へ。


 久しぶりに帰った監獄は、アドと縁を切った数日前とはまた少し変わっていた。


 知らない人間がやたらと増えていたのだ。

 そしてその人間達は皆、白い装束に身を包んでいた。


 その光景を初めて見た感想は、『どこかの宗教だろうか』だった。まさか実際に彼らが信者で、崇められているのがアドだとは思っていなかったが。彼らは彼女を見るなり捕まえに来て、結果アズノアは監獄内の手術室の中へと運ばれた。


 手術室に入ってからは麻酔を打たれたので、記憶がほとんどない。ただし強い睡魔に引き寄せられるような感覚の中で、確かに『アドがこれを命じた』という話だけは聞き取れた。


 ――。

 ――――。

 ――――――。


 麻酔の眠りから覚めた時、全身に違和感が走っていた。

 全身に糸が通されて、自分の見た目が化け物のようになっていたのだ。


 アズノアは泣いた。そしてそんな彼女を、アドが一目見に来た。アズノアは泣いて沢山彼を罵ったが、彼は悠然とした態度を崩さなかった。いずれ自分の手にアズノアが堕ちるということを疑っていなかった。


 彼が何の為にこんな手術を命じたのか。

 当時は何もわからなかったが、そんなことはどうでもよかった。


 アズノアは何度も死のうとした。飛び降り、餓死、溺死、焼死、窒息死、銃殺、斬殺、自分1人で出来る方法はなんでも試した。


 舌を噛んだ、毒を飲んだ、腕を切り落とした。

 でも死なない、死ねない、死ぬことが出来ない。

 首を絞めた、腹を切った、心臓を突き刺した。あぁ死なない死なない、死なない癖して血だけは流れる。血と身体に残る痛みが主張する。『私は人間です』『血液が足りません』『身体が動かせません』――違うだろう、人間のふりをしているだけだ。一丁前に痛がるな。

 10秒も経てば傷口は塞がる。痛みは消える。四肢が普通に動く。

 死のうとする度に、アズノアは自分の身体が馬鹿になったことを知った。


 『お腹が空きました』『睡眠が足りません』『酸素が欲しいです』――滑稽だ。どうせ何も摂らずとも死なないのに、鬱陶しい。





 全てを諦めた頃に、アドは再び現れた。


『アズノア、そろそろ君も疲れたろう』


『そんな君に良い話がある。君にしか出来ない仕事だ』


『世界中から集めた極悪人をしておける場所が欲しいんだ。そこでヴァスティハス収容監獄の地下水路を君の力で時間から隔離してほしい。君はそうだな、そこの管理をしてくれれば良い。……ん、何故保存するのかって?』


『実は『特殊能力』という概念にとても興味があってな。ドクター・ロミュルダーという男と一緒に手を組んで研究していたんだが、実は特殊能力というのは低確率で他者に〈移し替え〉が出来るらしいんだ』


『つまりだアズノア。私は世界中から集めた貴重な上位種の能力者の能力を、出来れば味方の非能力者に付け替えてあげたいと考えているんだ』


『ただし研究は中々上手くいかなくてな。下手すると何百、何千年という長い戦いになるかもしれない。かといって被験者を放置すれば、君と違って容易く死んでしまうだろう? だから、時間の概念から隔離してほしいんだよ』


『まぁでも、表向きはあれだ。永遠の終身刑ということにしておこうか』


『君を不死身にしたのもこの為だ。私がその気でも、君に死なれて全て水の泡にされては困る。かといって君の能力を誰か、私に協力的で献身的な非能力者に付け替えようにも、現状の可能性として成功する確率はとても低いからな』


『そう、君に協力してもらう必要があるんだ』


『それと、ドクター・ロミュルダーも出来れば保存しておきたいから、申し訳ないが彼も預かっていてほしい。彼は特に死なせたくないんだ。彼の技術は凄い。先日は殺人ウィルスを開発していたんだよ』


『いつになるかはわからないが、いつか必要になった時に使いたくてな』


『おっと、そういや命名するように言われていたのを思い出した』


『うーん……私が名付けるとやたら餓鬼くさいと言われて却下されるから、あまりこういうのを考えたくはないんだが……そんなに悪いか? 『デス・ムーン』』


『……あぁ、じゃあこうしよう。アズノア、君と私が出会った村の名前はなんだったか覚えているか?』


『……覚えていないか、まぁかくいう私も覚えていない。2択までは絞っているんだがな。よし、じゃあ――ヘロライカにしよう!』


 その後もアドは散々喋った。

 こちらの意思など全く聞かずに己の計画や夢を語り、勝手に満足していた。けれどもアズノアには抵抗するほどの気力が残されておらず、自分が人間である証拠がどうにかして欲しくて、彼の独善的な提案を受け入れた。


 労働とは人間を、いや生命を象徴する概念である。


 働かなければ生きてはいけない。

 鳥も魚も獣も虫もみな、生きる為に自分の役割を遂げている。


 それをすることで自分がとうに失ってしまった何かが、少しでも取り戻せるような気がしたのだ。だからアズノアは、自分が支配する時間のない空間――もとい、エリア『サード』の管理人になった。


 改造された身体はそう簡単に疲れることがなく、能力はほぼ永続的に使いっぱなしだった。


 時間が凍結した世界に疲れたら、外の世界を歩く。そして自分の醜さを思い知らされるような、見目のいい囚人と出会った時はそれを殺す。特に獣人族の囚人は何よりも優先すべきターゲットだった。獣人族は愛らしい耳や尻尾があるからだ。


 囚人を殺してしまっても、自分だけは許された。

 何故ならば極悪人を管理しているのは自分だけで、サードの囚人の永久的な保存を望んでいるのは監獄を運営している大元の『神様』だからだ。


 それをいいことに、殺して、殺して、殺しまわった。


 そして、そんなことをしている間に、世界は何度も姿を変えていた。

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