第83話『元・4人目の悪童』

 確かに、あの少年の声だった。


 ノートンは布擦れの音を立てないように慎重に1歩を踏み出し、階段を1段降りる。油と鉄の混じった嫌な匂いのことも、彼は一時的に忘れてしまっていた。


 この階段の続く先が、どこなのかはわからない。けれどもし彼ならば、彼が居るのだとするならば、決して良い状況ではないだろう。チャールズのことも含め、様子見だけでもする価値がこの空間にはある。


 階段を全て降り、コンクリートで塗装したような地下通路を壁に一定間隔で掛けられた松明の明かりを頼りに進む。


 奥へ進むほど濃くなっていく悪臭。それと同時にペレットとおぼしき声の発生源はどんどんと近づいていき、曖昧だった人数も次第に明確になってくる。


 この空間に居るのは自分を除いて3名だ。

 1人がチャールズ、もう1人が推定――ペレット。3人目が分からないのが割と不安だが、幸いまだ向こうはこちらに気づいていないようである。


 ペレットらしき声が話を続ける。


「――これが終わったら、セレーネは――んですよね?」


「あぁ、そのように神様は仰っていたよ!」


 推定ペレットの質問に、ミュージカル調な男の声が返される。その声はチャールズのものか、はたまたは未だ姿かたちが判明していない3人目のものか。声を張っているせいで、はっきりとこちらにまで聞こえてくる。


「ミス・セレーネの遺体はこちらで回収していてね。遺体といっても軽症ばかりで死に至る要素が見当たらなかったけれど、彼女を目覚めさせることなんて神様にとっては容易い話さ! 我らが神を信じたまえよ、ミスター・暗殺者アサシン


「……?」


 一体彼らは、何の話をしているんだろうか。一瞬気になったが、気が散って息を殺すどころではないので雑念を振り払う。


 地下通路は複雑な構造になっていて、道中いくつか曲がり角があったが、響き渡るミュージカル口調のお陰で彼らがどこに居るのかは掴めていた。だから急な鉢合わせにだけ気をつけて、ノートンは声のする方向に進んでいく。


 すると、そこには扉が開け放たれた部屋があった。


 なるほど換気をしているらしい、あそこから猛烈な悪臭が広がっている。だんだん鼻が慣れてきてしまったようで、あまり苦痛には思わなくなってきたが。


「それにしても貴方がした『提案』〜、よく神様に通しましたよねぇ。旧時代の悪意の象徴・『殺戮兵器』の設計図の解読と兵器の設計をしてやる代わりに、死んだ女の子を生き返らせろ……なぁんて」


「……団員が提案出すのって、そんなに珍しいものですか?」


「神様相手に強気に出たこともそうですけど、神様が貴方の提案を飲まれたことの方が驚きですかねぇ……ヘヴンズゲートはみ〜んな驚いてましたからねぇ」


「はは、それは仕方のない話さ! 古代ウェーデン語で記された設計図、それを理解できて尚且つ機械に精通しているのは、この世界にはもはやミスター・アサシンしか居ないのだからね。ミス・セレーネが生き返れば話は変わるが……」


「――待ってください」


 ぴた、とペレットらしき声を合図に会話が止まる。会話の騒がしさで音が紛れると思っていた忍び足の、上げた片足が床を不用意に踏めなくなり、ノートンは思わずつまずきかけた。しかし嫌な予感がして足を半歩後ろへ引くと、


「侵入者がいます」


 ――ぐおん、と空間が歪んだような気がした。


 直後、


「ッ!?」


 歪んだ空間がシワ伸ばしのようにピンと張り直されると同時に、目の前、すぐ眼前に白い衣装の少年が出現する。軽やかに、浮いた形で。

 現れてから少し遅れて、慌てて重力を自覚したようにひらりと羽織が舞うのを確認した刹那、ノートンの耳に向かって容赦のない足蹴りが叩き込まれ――と、それを腕の外側でカバーして、空いた片方の手で刀を引き抜き、


「っ、」


 少年は息を呑んで、眠たげだった紫色の瞳を丸くした。


 ノートンの刀が引き抜かれきり、振り払われる前に回避行動を取る。自位置を空間ごと後ろへずらして、刃先が胸の近くを通っていくのを見送りながら、少年は地面を足の裏でゆっくりと迎えた。

 とん、と軽快な着地にひらめく羽織、染み付いた油の匂いが煽がれて漂う。


「貴方は――」


「っ、お前……っ!?」


 少年がこちらを見て誰だか分からず、反応に困っているのに対し、ノートンは目の前の人物を凝視して息を飲む。


「どういうことだ、お前……」


 何故だ、どういうことだ?


 ペレットが居るんじゃないか、とは事前に予想していたが、何故――彼があの白い装束を纏っているのか。白い装束は『ヘヴンズゲート』という組織の証ではなかったのか? この状況が理解不能なあまり、ノートンは現実を否定しかけ、


「何のつもりだペレ……」


 ――ペレット、と呼びきる前に口を止める。


 そうだ、向こうからは自分は別人の姿に見えているんだった。ここは下手に親しげな対応を取らず、設定を守り切った方が良いのだろうか。だが咄嗟のことでつい刀を引き抜いてしまったし、ここから身内のふりを続けるのは無理がある。


 ……逃げなければ。


 ノートンは全身の力を集中させて、弾けるように地下通路を逆戻りした。


 淀んだ苦い空気を身体で押し裂き、閉じたハッチを無理やり開けて、物置小屋の扉を弾くように開ける。急遽広がった世界に直前とのギャップでくらくらするが、ずっと遠くまで行かなければ追いつかれることは理解していた。


 だから立ち止まらずにそのまま石の都市――エリア『セカンド』を突き進み、


「くっ!」


 遥か後方で僅かに聞こえた風を裂く音で振り返り、矢のように飛んできたナイフを全て刀で崩す。鉛色に艶めく長物を左右へ鞭のように激しく振るえば、落ちたナイフの刃がきんきりりんと石の床で踊って倒れた。


 小分けの殺意を全て斬り落とすと、向かいには不可解に顔を歪めたまま、こちらに手を伸ばしたようなポーズのペレットがいた。

 あの指でナイフを召喚し、軍隊のように使役してこちらに走らせたのだろう。


「貴方は、一体……誰ですか……?」


「……さぁ、誰だろうな」


 嘘は大抵通用しないと判断したので、ペレットを惑わせる方向へ進む。


 お陰で向こうはかなり焦っているようだった。アイツのこんなに焦ってるところなんて見た覚えがないな、なんて思いながらも、ノートンは無意識に自身の呼吸が上がっていたことに気づく。


 そうか、自分も動揺しているのだ。

 ペレットがあの宗教集団と同じ格好をしていることに。


「……悪いが、俺も俺で色々と混乱していてな。ここは引かせてもらおうか」


 そう言い捨てるとノートンは手近な建造物を垂直に駆け上がり、見晴らしの良い屋根にまで登り詰めた。しかし当然見逃してはくれないようで、


「っ!!」


「ま、やっぱりムリだよなぁ……」


 振り返ればそこにあるはずのペレットの姿が消えて、ノートンは溜息を溢す。

 一応は潜入を続けている以上、本気で物を壊したり投げたり出来ないので、手加減すれば死ぬ上位種の中の上位種『空間系』はあまり相手取りたくないのだが。


 ノートンは仕方なく獲物の柄を握り直して、ぎゅんと上半身を捻る。

 そしてラケットを振るように振り切れば、


「言っとくが」


 かぁん、という音がして、銃弾が弾かれる。いつの間に背後に回り、拳銃を構えていたペレットはありえない光景に目を見開いた。


「――防戦一方で行くからな? 俺は」





 都市のような構造になっているフィールドを駆ける、駆ける。


 石の色、灰色一色になっている屋根の上を走り、飛び越え、また別の建造物に飛び移る。全く室内とは思えない広さに相変わらず圧倒されながら、追走者の目を誤魔化すため時折トリッキーな方向に動いたりする。


 下に居る囚人達は、この騒ぎに気づいているのだろうか。看守に通報されたらもっと厄介なことになるので、あまりバレたくはないのだが。


「ふっ……!」


 一方でノートンを追いかけるペレットの息は既に上がっている。


 向こうの足が速すぎて、『空間操作』を乱用しなければ追いつけないのだ。それなりに自分も足腰を鍛えて人の数倍は足が速いつもりでいたのだが。


 はためく看守服の背を追いかけつつ、相手が一体誰なのかを考える。


 一見この監獄のその辺の看守のようだが、ただの看守ならあれほどの身体能力を持っているはずがない。何より銃弾やナイフを斬り伏せる強度を持つような刀を、監獄側が配布したという話もペレットは知らない。


 だから、高確率で看守に擬態をした部外者だ。

 となると幻覚を見せる、あるいは別人に成り代わるような能力者がここに該当するわけだが、ペレットの記憶上にある人物でこの条件に一致するとすれば、


「ノートンさん……!?」


「っは……」


 呟いた時、一瞬逃げる看守が苦笑を漏らしたような気がした。といっても超高速の鬼ごっこの中でのことなので、正しい音が聞き取れたのかは定かではないが。


「っ……」


 仮にあれがノートンだとして、というか条件上ほぼノートンだとは思うが、だとしたら自分はどうすれば良い?


「ころ……すのか」


 戦争屋を殺す準備はしていたが、まだ彼を殺すイメージは明確に持っていない。一応お世話にはなっていた身だから、前準備なしに本気で殺しにかかるには相当な勇気が要るだろう。そう思うと、拳銃を握る指先の感覚が薄くなる。


 でも、殺さなければならない。

 幸い――『ドクター・ロミュルダー』の薬はここにある。


 ペレットは急ブレーキをかけて立ち止まり、羽織の中から小瓶を取り出してその蓋を開ける。中には水色の小粒が5つ。


 5つが『人体の許容範囲』なのだと説明をされた。含めば含むほど薬の成分が身体を蝕んでいき、使用者を死に近づけていくのだ。でも、そのリスクの代わりに使用者は、一時的に能力の使用可能量を莫大に増やすことができる。


 つまり能力の使用と引き換えに起こる疲労や痛みを、身体に感じさせない『自分を騙す薬』なのだ。


 『ヘロライカ・ウィルス』に続く、ドクター・ロミュルダーの最高傑作。世界で唯一彼にしか作れない薬品。能力と体力をイコールで結びつけてきた人類の根本を覆す常識への叛逆の証――その試験者になってやろう。


「……ん」


 薬の1つ目を、ラムネを落とすような気軽さで口に放り込む。何度か噛むと食感もラムネに近くて、でも味だけが薬の味をしていた。口内に残る苦味は、生理的な反応で出てきた唾液を使って押し流す。


 そういえば去年のいつだったか、戦争屋のジュリオットにはラムネを奢ってもらったような記憶がある。王都での買い物の荷物持ちにされた帰りの夕方に、そういえば最近の流行りなのだと言ってその辺で奢ってくれた。


 自分は菓子も流行りも知らなくて、てっきり錠剤を出されて馬鹿にされているのだと思って、『なんのつもりっスか?』と聞き返したら鼻で笑われたのだ。


 正直腹が立ったが、彼のチョイスは間違っていなかった。

 初めてのラムネは美味しかった。残りは全部出迎えにきたシャロに食われたが。


「っ……」


 舌の窪みに残る微量の苦味に顔を歪めながら、石の屋根の上を走る。


 ドクターは即効性があると言っていたが、効力を発揮するまでは若干のタイムラグがあると言っていた。だから『空間操作』が制限なく自由自在に使えるようになるまで、あともう少々の時間がかかるだろう。


 せっかく命を5分の1犠牲にするのだから、見逃さないと良いのだが。


「……っふ」


 全身の血液の巡りが良くなって、体温が僅かばかり上がるのを自覚すると共に、自然と口角が歪む。でも、


、近いうちに死ぬな……」


 誰にも聞こえない呟きを垂れ流して、それからもう2度とそんなことを言わないように固く口を閉じる。心は殺せ。なんてことはない。人を殺すのと同じくらい、自分を殺すのは得意だろう。


「――『空間操作』」


 意味もなく、忌むべき力の名を呟いた瞬間、白装束の少年は掻き消えた。

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