第81話『罪人へ堕ちるその第一歩』
そうしてその場には、ノエルとノートンとスーツの女性だけが残される。
「……」
ノエルは頭を抱え込んで、霧みたいにはっきりとしない思考回路を動かした。
何故、アンラヴェルがそんな被害に遭った? この事件は誰に仕掛けられた?
病原菌をガスにして撒き散らすなど、それなりの技術力がなければ出来得ないことのはず。単体で行ったとは考えられないし、それなりに大きな組織かそれとも国絡みの事象である可能性もある。
では、何故アンラヴェルが対象になった?
アンラヴェルは平和主義の中立国家として長い間健在してきたはずだ。味方も敵も作らずの立ち位置で、どこかから特別嫌われるようなこともなかったはず。
でも、そうだ、そんなことを言ってしまったら先月のテロだって――。
いや違う、先月のテロはノエルの能力が原因で勃発したのだ。
ならば今回もノエルのせいなのか? しかし洗脳の能力と、ウィルスガスを国中に撒き散らすことは結びつきにくい。
じゃあ何故だ、何故だ、何故だ……?
「――その件の、犯人についてだが」
突然、延々と頭を悩ませ続けるノエルを見かねたらしいノートンが、クッキーを乗せた皿から1枚摘み上げて呟いた。
「それも『
「ヘヴンズ、ゲート……!」
まるで、聞いてはいけない言葉を聞いたようだった。全身に一瞬震えが走り、水道の蛇口を固く止めたように呼吸が消える。
そうだ、全部奴らのせいだ。奴らが居なければフロイデが死ぬことも、祖父が責任を負わされることもなかったのだ。でも、それだけでは飽き足らずに、今度はアンラヴェルまで滅ぼそうというのか。
いいや正直、国はどうだって良い。
唯一、書物の数や古さで有名なアンラヴェルの禁書庫に住むことはノエルの密かな夢であったが、国そのものは正直愛着がないのでどうでも良い。
だが、ノエルの人生を全部めちゃくちゃにしたのは奴らで、奴らが居なければ今頃ノエルは、フロイデは、祖父は――。
「……あの」
ぽつりと呟く。眼鏡のレンズの奥にあるノートンの瞳が、こちらを一瞥した。
「貴方がたはその……アンラヴェルが滅ぼされたことについて、どう考えてらっしゃるんですか……?」
「……」
その質問に隠された、真の問いを見抜いたのだろう。ノートンは少し表情を硬くすると、『――ひとまず』と言葉を切り出して、
「他国で同じテロをする可能性がある以上、1度『オルレアス』という戦争屋と親しい東の王国に戻って対策を練るつもりだ。対策が出来たら、後はヘヴンズゲートという組織そのものについて調べ上げて、その
ヘヴンズゲートはこれまで度々戦争屋インフェルノの遠征に絡み、結果的にその本懐を邪魔しに来るような節がある。
向こうにその意図があるのかないのかはわからないが、これ以上邪魔をされれば本格的に【世界改変】もとい、都合の良い世界を作るという馬鹿みたいな目的は、ずっと遂げることが出来なくなるだろう。
それに正味、フィオネの未来視を何度か
それほどまでに異次元レベルな技術を持っているのであれば、そう放置を決め込むわけにもいかないのだ。
だから、得体の知れない宗教集団の排除。それが、フィオネが仲間の救出後に決めた次の戦争屋の目的となるのである。
「……じゃあ」
ノエルは口を開く。こんなことを口にしてしまって良いのだろうか。自分が本来なりたかったのは正義の名のもとに剣を振り、人を守護する聖騎士なのに。
でも、1人ではこの復讐はなし得ない。フロイデと祖父に代わりあのイカれた宗教集団を殲滅する為には、自分は悪に堕ちる必要があるのだ。自分にとっての正義を貫くために、世界にとっての大悪党になる必要が。
「――ボクが貴方がたに協力したら、ボクを戦争屋に入れてください……!!」
身を乗り出す勢いで、ノエルは懇願する。
これこそが自分の選択。戦争屋に協力する為に自分が出せる条件だ。
「ボクは、あの宗教集団を滅ぼさなきゃならない。でも、ボク1人では到底できないことです。ですから、貴女がたはボクを利用して必ず監獄の仲間を救い出してください。そして、ボクをその後のヘヴンズゲート殺しに、協力させてください」
「……」
ノートンは、ノエルの言葉を吟味した。
仲間の救出に協力すれば、オルレアス王国での平穏な生活も選べるかもしれないという若い娘が、決死になってわざわざ戦いを望んでいる。その望みを、フィオネや自分に協力する唯一の条件としてこちらに提示している。
何故彼女がそうするのか、ノートンは彼女についてそのほとんどを知らないからわからない。理解し得ない。
けれど、本気なことだけはわかる。自分が選ぶ道が楽な道でないことを彼女は理解しているのだろう。それを踏まえて彼女は、今必死に縋りつこうとしている。
その健気な様子は、故郷に置いてきた妹を彷彿とさせた。
だからこそ、自分に『それ』を決める権利があれば良いのにと心底思った。
自分は彼女を戦地に赴かせたくはない。こんな小さな少女が行くには、あの世界は些か残酷すぎる。顔に乗せるのは返り血じゃなくて、可愛らしくて女の子らしいメイクであるべきだし、纏うのは火薬の匂いじゃなくて花の香水で良い。
それが本来の、彼女くらいの歳の子にとっての、『幸福』だろう。
でも。
「……悪いが、それはフィオネの決めることだ」
――全ての采配は、悪い悪い魔女の振るもの。
自分にとってメリットがあるのならば、魔女はどんな人間も拒まない。
「……今であれば、あいつは君の話を聞いてくれるだろう。せっかくだ、一緒に探しに行こうか。彼が君を受け入れたら契約は成立――俺達が看守に成りすまし、監獄内を探索するために君を収容する……それでいいな?」
「っ、はい」
こちらの気も知らず、銀髪の少女は硬い表情のまま頷く。
その懸命な様子についノートンは、困ったように『……はは』と破顔した。
*
ヴァスティハス収容監獄の島周辺は、霧の発生率が高い海域として近隣の国では有名であるが、今日は何故だか普段よりも霧が濃い。
故に遠くの海は見えない。それでも、看守専用の渋い緑をした制服に身を包んだ2人は神子ノエルの引き渡しが予定されている船着き場にて待機していた。
船着き場、といってもタラップがかけられる程度の、低く開けた崖だが。
「……あれか?」
白い霧の向こう、そこにぼんやりと大きな木造船のシルエットがあることを確認した白髪の看守が指をさす。するともう1人がそちらを向き、
「あぁ、あれだろう。おい、カンテラを掲げろ」
手にしていたカンテラを持ち上げる。それに倣い、白髪も自分のカンテラを大きく掲げた。移送船に乗っている聖騎士達に、船着き場の位置を知らせるのだ。
しかし、異変は唐突に起こった。
突如、移送船から1つの人影が海に向かって飛び出したのである。そして海に沈むかと思われたそいつは信じられないことに水面を蹴り、水飛沫を飛ばし、高速で両の足を回転させながら前進してきたのだ。海の表面を蹴って。
「なっ……!?」
当然2人は目を疑う。だがそれは幻覚などではなかった。船から飛び降りたそいつは海を走っていた。しかも当たり前みたいな動作で跳ね、岩肌に飛びつき、2人の看守の立つ崖をロッククライミングの要領で登ってきたのである。
驚きすぎて固まっていた間に、そいつは崖をものの数秒で上がり切って目の前に現れた。破れた箇所など1つも見当たらない新品同然のダークスーツ姿で、腰に細長い鞘を携えて。息は切らしておらず、顔を歪めてさえいない。
――化け物だ。ただただそう思った。
「誰だ、貴様は!」
白髪が剣を引き抜く。その威嚇が意味を成さないことは分かっていたが、職務の都合上この男を勝手に先へ進ませてはいけない。だから剣を抜いた。
すると、予測していた通り。その男はこちらの威嚇をものともせず、水に濡れた黒髪を簡単に手櫛で直して整え、
「名乗りはしないが……少々手伝って欲しいことがある」
そう言って、スーツの袖口から紐を2本垂らした。
その紐の登場で、己の身の危険を本格的に理解したのだろう。看守は2人とも剣を構えるが、男――ノートンは彼らの間をしなやかな動作でくぐり抜け、首や腹などにそれぞれ紐を引っ掛けた。
紐は上手いこと絡み合って、看守2人を拘束する。
そうこうして彼らを芋虫のように地面に転がしていると、その間にフィオネ達の乗ってきた船が崖の近くまで身体を寄せて停泊した。
タラップが向こうからかけられて、フィオネや処理班員の数名がこちらに上がってくる。その後には、浮かない表情のノエルも続いていた。
収監される予定の彼女の姿を見て、更に状況が掴めなくなったらしい。聖騎士が運んでくるはずの少女が何故こんな奴らと? 疑問に思うことは多いが、圧倒的に不利なので下手なことは言えず、拘束された看守達は黙るしかない。
すると、フィオネがノエルを連れて看守の前に引っ張り出し、
「さぁ、出来る? まぁ、出来なきゃ何も始まらないのだけれど」
「……」
ノエルは拘束された2人の看守を前に、喉を鳴らす。
――出来るだろうか。絶対に悪いことには使わないと決めたこの力を、今ここで悪用しようとしている。使わなければこの計画は始まらない、それは分かっているけれど。頭では決めていても、心に一瞬の迷いが生まれる。
でも、これはフロイデの為。そして祖父の為であって、決して自分がやりたくてやっているわけじゃないんだ。そう強く、呪うように自分に言い聞かせる。
さぁ、使おう。人を傀儡に変える能力を。
「――『
――。
――――。
――――――。
ほぼ強制的な尋問を終えると、最後にノエルは看守達へフィオネに従うように2度目の洗脳をかける。短期間での2度がけは相当頭に影響が出るようで、時折眉をひそめて痛がるような素振りがあったが、彼女は決して痛いとは言わなかった。
ノートンは看守のうちの1人の制服を取り上げて、それを着込む。処理班員のもう1人が残った看守の制服を取り上げて、同様に着込んだ。
これでノエルを本物の代わりに収監し、その流れで監獄内を探索する。
本物の看守から一通り監獄の内部情報は聞いたので、上手く擬態が出来れば早々に正体がバレるようなことはないだろう。監獄が広い分看守も多く居るようだし、カードキーも身分証明帳も全部取り上げた。
あまり本物の看守と関わることさえなければ基本、恐れることもない。
「じゃあ、最後にこれをつけて頂戴」
フィオネから豆粒のようなものを投げられ、弧を描いて飛んできたものを受け取るノートン。手を開くと、そこにはシャツの襟に挟む為の無線機があった。
「ペレットが作った最新タイプの『超小型』ほどの精度じゃないけれど、それしか残っていなかったのよ。だから、それでどうにか頑張って。回収が必要になったらそれで言ってくれれば、また同じここに迎えに来るわ」
「あぁ、わかった。それじゃあ行ってくるよ」
「えぇ、ちゃんと全員連れて帰ってきて頂戴ね。――また」
言葉少なに別れると、ノートンは監獄のある方向――鬱蒼とした森林地帯に踏み込み、フィオネは後に監獄に送り出す予定の隠密班へ指示を始める。
ノエルは後ろ髪を引かれながらも、もう1人の看守役と共にノートンの後を追った。
「……あぁ、そうだ」
道中、思い出したようにノートンが振り返った。何事かと彼の顔を見れば、看守服のよく似合う彼は自分の顔に触れ、
「ノエル。君には説明し忘れていたが、俺の特殊能力は『鏡写し』。1度見たことのある人間の姿になる能力だ」
「鏡、写し……」
「魂の形――例えば特殊能力や記憶といった個々人の潜在的な部分までは真似ができないが、身長から体重、筋力をそっくりそのまま真似することが出来る」
『だから――』と語りながら、ノートンが顔を隠していた片手をスッと外すと、そこには完全に別の男の顔があった。というか、先程尋問したばかりの看守2人組のうちの片方と全く同じ顔だった。
「エッ……」
「扱いにくいだろうが、この顔を俺だと認識してくれ」
「うーん……ハイ。あ、ちなみにそれって、ノートンさんの知らない人の顔にもなれるんですか……?」
湿っぽい土を踏みながら、恐る恐る質問するノエル。しかし別人の姿になったノートンは別人の声で『いや』と首を振り、
「残念ながら1度目視した奴じゃないと無理だ。写真があるならそれでも出来るには出来るが……再現して欲しい奴がいたのか? この任務が終わってからなら付き合っても全然構わないんだが、女性だと正直厳しいな……精神的に」
「あっ、いえ! 多分ノートンさんはご存知ないでしょうし、写真も持ってないので諦めます……」
口調や雰囲気が似ているから、もしかしたらフロイデと擬似的に再会できるんじゃないかと思ったのだが、そんな考えは甘かったようだ。
表情には出ないように意識するが、やはりどこか残念そうな雰囲気を醸し出したまま、ノエルは看守役の後に続くのだった。
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《訂正と謝罪》
第76話の後書きで『ヘヴンズゲートに乗っ取られる前の監獄は〜』という説明をしたのですが、後々の設定とずれたので訂正しました。ごめんなさい。一応訂正版をここにも載せておきます。以下参照。
〈本編にぶち込み忘れたことの設定〉
Q.ヴァスティハス収容監獄における『看守』と『白装束』、一緒に仕事してるようだけど何が違うの?
A.どちらもヘヴンズゲートの人間だけど、収容監獄で囚人を裁く仕事だけに就いている人が『看守』、監獄の外で組織の仕事をすることもあるのが『白装束』です。
ちなみに世間は、監獄=ヘヴンズゲートということを知りません。教皇の親族派に寝返った聖騎士達も、監獄はまともな人達が運営していると思ってノエルを収監する手続きを行っていました。
【クオリティ維持のため、3話分のお休みを頂きます。すみません。次の更新は10月28日です】
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