第80話『夜の魔女と銀の乙女』

 ノエルを試しているかのように、不敵な笑みをたたえるフィオネ。隠そうともしないその悪人顔は、鼻筋の整った彼がやれば威圧感のあるものになる。


 しかし、その笑みの裏からこっそりと心の内側を探られているようで、不快な心地に銀髪の少女は思わず顔をしかめた。


「……そういう反応をするってことは、ボクがこの提案に対して、どちらに首を振るかをわかってるんじゃないですか?」


「あら、バレたかしら?」


「……その悠然とした態度は、断られると思っていないように見えます。確かに、死ぬのは怖いです。でも、仮に死刑や監獄から逃れられたとして、その先の未来に生きたいと思える理由がありません」


 聖騎士になりたいという夢も途絶えて、帰る場所すらも失って。元々大したものを抱えてこなかったノエルの手中は今や空っぽで。死にたくはなくなったが、かと言って生きたいと思えるようになったわけでもないのだ。


「まぁ、今やアンラヴェル神聖国ではもう面倒な立場らしいものね、貴方」


 戦争屋は笑う。そうだ。もはやノエルは一般人と偽ることも出来ぬほど、『洗脳の神子』として有名になってしまったのだ。前のように、神子ノエルは死んだことにしてやり直す、という生き方をすることも出来ない。


「……えぇ、ですから貴方がたの提案に乗ることも、出来ません」


 生きる意味がないのならば、協力する意味もない。わざわざ監獄に出向いて成功するかもわからない計画に協力する必要もなかろう。


「すみませんが、ボクは1人で生きてみようと思います。ボクみたいな奴が外の世界で長いこと生きられるなんて、そんな身の程知らずなことを考えてるわけじゃあないですけど……それが1番、後悔をしない最期の迎え方な気がするんです」


 そう告げると、フィオネは悲しそうに目を伏せた。


「あら、そう言われると寂しいわね。でも仕方がないわ、こればっかりは簡単に頷けない話だもの」


 ――なんて、言うと思った?


 邪悪な笑みを浮かべると、美しい魔女は『ハイ実力行使』と渇いた拍手。刹那、ノエルの喉元には刃が突きつけられていた。

 フィオネの隣に居たノートンが、音も立てずに抜刀したのである。


「あ……」


 震えた声が溢れる。首はまだ傷つけられていないようで、ノートンのコントロールの精密さが窺えたその一方で、彼女には今何が起きたのかがさっぱりだった。


「な、にを……」


 変に身動きをとれば斬られる。と反射的に防衛本能が司令を出していたので、少女はただ刃物を向けられたまま、目を見開くことしか出来なかった。


 すると、組んだ足を戻したフィオネが談話室のローテーブルに身を乗り出し、向かいに座るノエルの小さな顎を摘んで、摘み上げて、


「いい? アタシは戦争屋で、貴方みたいな可愛らしい女の子からしたらと〜っても悪い男の人。諦めが悪くてズル汚くて、心の醜い人間なの。そんな奴に目をつけられた時点で、貴方の命運はお生憎様、ほとんど決まったようなものよ」


「ッ……!!」


 くいっと慣れたように見下ろしてくるフィオネ。喉元に差した鉛色の抑止力と、真正面の双眸が持つ強制力に誘導され、逆らうことも出来ずに上を向くノエル。


 少女の黒曜石のような瞳には、鋭い紫紺の光が映される。


 どこまでも見透かしていそうなそれは、見れば見るほど不安になり、とても長々と見ていられるものではない。間近で見る美人の顔は大迫力で、けれど変なプライドのせいで視線を逸らすことも出来ずに睨みつけていれば、


「嫌だったら洗脳の能力を使いなさい。貴方にはきちんと抵抗する力がある。それさえ満足に使えないようならこの世界ではやっていかれないわよ」


 無言で抵抗をする彼女を見かねたのか、フィオネの両眼は細められた。


 しかし、その瞬間。その一瞬で状況は変わる。


 瞬きほどの僅かな一瞬に、彼の本性が瞳の奥でちらついたのだ。

 幻覚とも取れる速さで消えてしまったが、それを直視し、息を呑んだノエルの唇は白雪のように冷たく、ゆっくりと――歪む。



「……とても、酷いお芝居ですね」



 ――いつのまにか、震えは止まっていた。

 そして、そんな渇いた言葉が薄い唇から溢れ落ちていた。


 そのせいか、はたまた別の何かが原因だったのか。一瞬だけ確かに震えた、自分の顎を摘む魔女の骨張った手の上に、ノエルは自らの小さな手を重ねて握る。

 逃がさない、とでも言うように。


「貴方、諦めが悪いのでしょう? だったらボクを利用するという選択肢だって、そう簡単に諦めるはずがない。貴方のこれは単なる脅し」


「……」


「脅してる最中だって、台詞を読み上げてるみたいだ。頭の中ではボクがどう動いたらなんて言おう、ってずっと考えてる。ボクがなんて言おうと結果的に貴方に賛同する方向に持っていくために、喋りながら無数のパターンを考えてる」


 きっと、そんなことが出来る彼は相当頭が良いのだろう。


 けれども彼はあまりに無抵抗なノエルを前にして、一瞬だけ動揺してしまった。傍目から見ればわかりもしない小さな反応だったが、目と目を見合わせてしまったばかりにノエルにはそれがわかってしまったのだ。

 それが、彼の失敗だった。


 このままだとノエルは、自死を望んでしまうかもしれない。

 何をどう言えばその事態は回避されるのだろうか。

 どうすれば両者が納得できる契約条件で、共同関係を結べるだろうか――。


 たった1度の動揺が、彼の考えていた全てを明かしてしまったのである。

 だから、


「死なせる気なんて、ないんでしょう?」


 圧倒的な存在感を前に、消えかけの灯火のような笑みで応じる。

 ふわり、という効果音が似合うだろうか。


 祝福するように緩く持ち上げられた口角が、安心させるように柔らかく細められた眼差しが、悪感情で薄く汚れたフィオネの世界には映っていた。


 フィオネは、何か嫌なものを見たように頬を強張らせる。


「……穢れのない目って、なんでも見透かすから嫌ね。姉を見てるみたいよ」


 そう言い捨てるとノエルの顎を離し、彼女の手を振り払い、彼は露骨に不機嫌そうに髪を掻き上げてのすっとソファに腰を戻した。隣のノートンは、あえて今作っている鉄仮面の下で、主君が不機嫌になっていることを珍しく思う。


「とうに1回穢れた目ですけどね。欲にまみれた人間って本当に汚い。でも、悪を悪だと割り切っているフィオネさんは綺麗でしたよ」


「ありがとう。嬉しくないわ」


 繕いもせずに本音を駄々漏らしにするフィオネ。しかし手のジェスチャーだけでノートンに刀を下げるように指示し、それに従ってノエルの喉元に向けられていた長物は洗練された動作で腰脇の鞘に仕舞われた。


「物凄く腹が立つわね……そうよ、アタシは貴方を死なせる気なんてない。それに貴方を無理やり協力させる手立ては他にもいくつか用意してる。けど、こうして刃物で脅すのが1番貴方にとって優しいからごり押ししようと思ったのよ」


「……1番、優しい? 今のがですか?」


 流石にこれは予想だにしておらず、素で驚いてしまうノエル。

 一方フィオネは紅茶の残りを全てあおると、『えぇ』と当然のように頷いて、


「他は正直、貴方に負担を大きくかけると思ったから。不用意に負担をかけられた人間が最高のパフォーマンスを披露することは出来ないわ。だから貴方を利用するその手前、なるべく通常に近い精神状態で協力をしてほしかったのよ」


「は、刃物で脅される以上の負担……? ちなみに、それって何か聞いても?」


「本当に後悔しないかしら?」


「ッ……どうせ、ボクが貴方の提案を断り続けたら結局言うことになってたんでしょうから、今聞いたところで変わらないかと」


 正直脅される以上の心の負担、というのがそうそう思いつかず、ノエルは半ば投げやりな思考でアンサーを求める。おおよそ、くだらないことだと思っていた。


 だが、そんな中途半端な心持ちで聞いたことを、彼女は後悔することになった。



「じゃあ、遠慮なく。アンラヴェル神聖国が、死んだわ」





 ――最初、何を言ったのかがわからなくてノエルは聞き返した。


「……はい?」


 アンラヴェルが、ノエルの故郷が死んだ、とは。


 それは言葉通り、滅びたという風に受け取っていいのだろうか。でも、それはつまりどういうことなのだろう。確かに教皇は居なくなって、後釜を狙う汚らしい大人だけが残ったが、それだけで国が滅びることはなかろう。


 じゃあ、なんだ? 戦争屋流のブラックジョークなのか?

 だとしたら趣味が悪すぎる。これで『冗談よ』なんて言われた暁には、流石にフィオネの横っ面を殴る自信がある。その前に、ノートンに斬られて殴る手そのものがなくなるかもしれないが。


「貴方の故郷は死んだ。もう存在しないわ」


 諭すように言い直されて、そろそろ冗談ではなさそうだ。


 何を言えばいいのか分からなくて、何を考えようにも思考が上手く回せなくて、なんとなく足が地についていないような気持ちになりながら、


「……どういう、ことですか?」


 とりあえず、なんとなく、明確に意思があったわけでもないのに尋ねた。


 すれば、


「貴方が捕まって、宮殿を離れて少し経ってからのことよ。貴方が移送されている最中アンラヴェル神聖国に、感染病『ヘロライカ』をベースに強化された病原菌が人体に空気感染するウイルス・ガスとして国中にばら撒かれたの」


「……ヘロ、ライカ、って」


 記憶を巡らせるノエル。確か、自分の隔離部屋にあった蔵書の中、世界の出来事について綴られた歴史書に、そんな名前の病気が出てきたような気がする。


 5年ほど前にロイデンハーツで流行した、原因不明の不治の病。帝国の財力を持ってしても完全な治療薬を作るには至らず、予防ワクチンを作るだけで手一杯だったという世界最悪の感染病。


 自然に発生したものではない、と専門家が発言したことから今もなおテロが疑われ続けているもの――だった気がする。


「その、病気を……ガスにして、撒かれた……?」


「えぇ。当初は正体不明の悪病に国民が次々と苛まれて病院に搬送されたけど、突然のパンデミックに医療機関は数日で崩壊したそうよ。つい昨日知った話」


「え……ぇ……?」


 ノエルには、彼が何を言ってるのかがわからない。


 言っている言葉の1つ1つはわかるが、それらを繋げ合わせた時に言葉達はふわふわと浮ついて、ノエルに理解という行動を取らせようとしない。ただ、拙い思考回路が雲みたいに果てない無理解の空に浮く。

 それだけに、フィオネの言っていることは非現実的であった。


 でも、彼がその滑舌の良い口を止めることはなくて、


「その間にも前代教皇は処刑されて、次の教皇を誰にするかで揉め合っていた国家は他国への救援要請を怠っていた。だから、気づいた頃には遅かったわ。隣のロイデンハーツは移民を禁止して鎖国。交易を行っていたオルレアスも以下同様」


「ちょっと、待って……意味が……」


「まぁ、後にじわじわと理解できるはずだから、今すぐに理解をしようとしなくてもいいけれど――今語ったことは全て真実。それは信じてもらわないとね」


 薄く輝く金髪を払い、赤革のソファから腰を上げるフィオネ。彼は二言三言ノートンに何かを伝えると、未だ微動だにせず待機していたスーツの女性に食器の片付けを頼んで談話室から出て行った。

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