番外編『ジュリオット=ロミュルダー生存録』⑤

 3ヶ月後。

 レクサス公爵の意向を押し切って、彼の思惑通りに『銀の乙女』は公演された。


 カトラが配役を変えるというレクサス公爵の意向を了承するはずがない、と密かに思っていたジュリオットであったが――どうやらカトラは、主人公である剣姫ジルの役を受け入れてしまったそうだ。


 そして配役を変えると宣告された3日後くらいから、彼女は普段庭園を回っている時間帯を全て練習に当てていたらしい。


 らしい、というのは実際にその場を目にしていないからである。


 そして同時期、ジュリオットは何故かロビンから、『なるべくカトラと会話しないように』と忠告されるようになった。


 ただ、『何故』と聞いてもロビンのかわし方が上手く、どう詰めてもはぐらかされてしまう。それでジュリオットは仕方なく、彼の命令通りカトラとは医者と患者としての必要最低限なコミュニケーションだけを取ることになった。


 一方で、カトラも何かを隠しているようだった。その日からどこか態度がよそよそしく、けれどそれがジュリオットへの気遣いから来る優しい拒絶であったことだけはわかった。彼女は嘘をつくのも隠すのも下手だったのだ。


 けれど根本の理由が何なのか、ずっとわからぬままジュリオットは公演当日を迎えることになる。


 その日全てが終わり、全てが始まった。





 ――。

 ――――。


 一体、何が、起きたんだったか。

 肌を炙る灼熱を感じながら、ジュリオットは周囲を見回した。


 焦げたような匂いが鼻を掠める。


 周囲では阿鼻叫喚が入り乱れ、血が飛び、劇団員や観客をまとめたあらゆる人間から生命が奪われていることを自覚する。遠いどこかから爆発音が轟いた。けれどそれらに気を留めている場合ではなくて。


「カト、ラ、さん……??」


 舞台上でぐったりと仰向けになっている薄金髪の女性に手を伸ばす。彼女の白い手足はだらんと伸び、ふんわりとした印象を受ける純白のドレスには、驚くほど不似合いの鮮烈な赤が染み込んでいた。


 何が起きた、何が起きているんだ。


 剣姫ジルが魔女フィオネを討伐し、その功績を讃えて皇帝による称賛の儀が行われる、という終盤のシーンまでは順調に進んでいたのは覚えている。


 カトラの演技はなんというか、初めて見るジュリオットの想像を遥かに超えてくるものだった。ロビンの演技は役と完璧に一体化して架空の人物を舞台上に存在させるというものだったが、カトラはそれを踏まえた上で世界までそこに存在させていたのだ。


 彼女が歩けば風のそよぐ野原が見えたし、歌えば鳥のさえずりが聞こえた。彼女が剣を振るえば戦場の砂の匂いが感じ取ることだって出来た。とてもヘロライカに身体を蝕まれ、体力を削がれている人間の演技には見えなかった。


 規格外、とはこういうことを指すのだろう。

 それでなんだか夢見心地のまま、物語は終盤に突入したのだ。


 そこで突然問題は起きた。一切、何の予兆もなく。


 まず最初に舞台上に立っていたカトラが、皇帝から勲章を賜っている最中だったジルが、身を弾ませてひっくり返ったのである。腹部と肩から血を撒き散らして。


 それが最初の異変だった。


 次に劇場内の照明がまとめて落とされて、全方位から銃撃音がして、何がなんだかわからないままジュリオットは観客席と観客席の隙間に身体をねじ込んで、事が収まるのを待った。


 しかし銃声は止まずに次々と連射がされて、照明が復旧したとき劇場内には役者や観客が撒き散らした血の匂いと、それに混ざった火薬の匂いが充満していた。


 それで、それで、それで。


「……何が、起きて」


 血はどんどんと銃創から溢れているが、苦しみに喘ぐこともなく、うっすらと目を開けたまま停止しているカトラの身体を前に、ジュリオットはただ頭を真っ白にしながら彼女の上半身をゆっくりと抱えて起こす。


 頭が持ち上がると、かくんと首が曲がった。そしてするりと、彼女の長い髪の毛先が小さな肩から滑り落ちて、だらんと垂れ下がる。


「……っ」


 どこかで大地を揺るがす爆発音が響いた気がするが、そんなことも気にならないくらい紫髪の青年は切迫していた。


 カトラは高確率で死んでいる。それはこの混乱した最中でも理解できていた。けれど、何故彼女が殺されたのか、誰に殺されたのかは全く見当がつかない。


 人気女優だからか。貴族の令嬢だからか。私怨によってこんな大規模なテロが仕組まれたのか、それともただなんとなくで殺されたのか。何もわからないが、ただひとつ言えるのは、『殺されなくて良いはずの人が殺された』ということ。


「ッ!!」


 そしてもうひとつハッキリしていたのは、ジュリオットの胸の内が、やけに空っぽになっていたことだ。


 頭は情報や思考でいっぱいになって今にも爆発しそうなのに、胸の内だけがすっからかんなのだ。怒りが湧くわけでも悲しみに染まるわけでもなく、ましてや嬉しいわけもない。物を取り去った空き部屋のように何もなかった。


 多分、本来そこにあったのは『生きる意味』で。


 ジュリオットが生きる意味は、今先ほど息を引き取ってしまったのだ。


 穏やかに寿命を迎えたわけでもなく、ジュリオットが考えていたようにヘロライカに苛まれて死んだわけでもなく、どこぞの誰とも知らぬ人間の殺意にその肢体を撃ち抜かれて死んでしまったのである。


 あと半年。そう思っていた終わりは、いつのまにか背後に立ってジュリオットの肩を叩き、振り向いた彼を馬鹿にするように笑っていた。


「――ジュリオット!!」


 ふと緊張した音色の声に鋭く名前を呼ばれて、ジュリオットはおぼつかない思考を広げたまま声の方向に顔を向ける。すると、そこに立っていたのは華やかな純黒の衣装を纏った魔女――もとい、ロビンであった。


 彼はジュリオットの腕の中に収まるカトラに一度目をやると、複雑そうにその顔を歪ませて歯を噛むが、


「……こちらに来なさい。逃げ道を確保したわ」


「……ですが、」


 カトラを支える手が震える。このまま彼女の遺体をここに置き去りにして良いのだろうか。せめて安らかに穏やかに眠る権利があるはずだ。


 思いのほか心はカトラに強く囚われていたようで、ジュリオットがらしくない食い下がり方を見せれば、ロビンは悲しげな表情を見せる。でも、それはカトラの死を嘆いている訳でも、ジュリオットに感化されたわけでもないようだった。


「……どうして。どうして貴方も父上もカトラに執着するの? アタシにはそれがわからない。カトラはもう助からないわ。それを理解しようとせずに駄々をこねるような性格じゃないでしょう、貴方は……!」


「そう、だったんですけど。でも……生きたいという意思が、なくなってしまったんです」


 幼少期は薬学を勉強する為に生きて、母親が死んだらヘロライカを収束させる為に生きて。そして半年前からジュリオットの生きる理由は、カトラを健康な身体に戻してあげることがジュリオットの生きる目的だった。


 けれど、カトラの命は今日奪われた。前触れもなく、大勢の観客の前で。


「今までずっと、何かそれらしい目的に依存することで生きてきました。ですが私を現世に繋ぎ止めていた、『カトラさんを治す』という目的は今、実現が不可能になってしまった、私は用済みになってしまったんです」


 だからもう、なんでも良くなってしまった。

 ここでロビンと生き延びたところで、ジュリオットは喪失感からまた禁制薬品の力を借りる日々が続いてしまうかもしれない。

 そうして結局、身を滅ぼすくらいならいっそここで――。


「じゃあ、尚更アタシと一緒にいらっしゃい」


「……は」


 軽く投げかけられた誘いに、俯きかけていた顔を上げるジュリオット。

 ただの勧誘の言葉だったのに、それが酷く優しい救いの言葉に聞こえたような気がして、乾いた唇が思わず震えた。


「アタシは貴方を必要としているわ。アタシだけじゃ為せないことを為そうとしてるの。ずっと前から考えていたんだけれど、ちょうど良いわ、ここでロビン=プレアヴィールは死んだことにしてもらいましょう」


「……は?」


 流石の滑舌で捲し立てるロビンに、今度は呆気にとられる。

 するとそれを一切気に留めない黒衣の魔女はつかつかとこちらに歩み寄り、骨みたいに痩せこけたジュリオットの二の腕を引っ掴んで、


「さぁ、早く逃げましょう。もうじきこの劇場は崩落するわ。生きる理由が欲しければ、アタシと一緒に来なさい」


「えっ、あの、ちょっと……!」


 慌ててカトラの遺体を横にさせると、ちょうどそのタイミングでロビンは紫髪の青年をぐいっと引き上げる。すれば無理やりジュリオットは立たされて、そのまま恐ろしい力で舞台袖の方へと連行されていき、


「あの、何をするつもりで……!」


「それは後でゆっくり話しましょう。忘れてるかもしれないけど、この劇場は襲撃されてるの。カトラを殺すことが目的のようだったから、今はホール内には居ないようだけれど……戻ってくる可能性も考えると、長居は賢明ではないわ」


 そう言って、完全に舞台袖に消える前に一度、ステージ上に横たわるカトラへ紫紺の視線を流すロビン。


 その瞳が捉えた光景が、死に絶えた実姉の姿が、一体彼にどんな感情をもたらしたのかはわからない。元々2人が複雑な関係であることは勘づいていたから、悲しんでいるようにも、どこか憎んでいるようにも見えた。


 舞台袖に入ると、一気に視界が暗くなる。

 けれどロビンの足取りは確かで、まるでどこをどう逃げたら良いのかを事前に何度も確認したようだった。


 ――こうなることを、知っていたのか?


 訳の分からない疑問が生じ、いやそんなはずはないとジュリオットは首を振る。ただ異様に落ち着き払っていて悠然と逃げているからって、ロビンがこんな事態を想定できていたという可能性にイコールを結ぶのは早とちりだ。


 ……でも、確かにジュリオットの中には。


「……」


 このままロビンのいざなうままに、道を進んで良いのかという不安があった。





「……」


 ――既に死に絶えた、かのように思われたカトラは、ジュリオットとロビンが血の匂いの充満するこの場から離れるのを確認すると、不意に薄く目を開けた。本当にうっすらと。それ以上は瞼が重くて持ち上がらなかった。


 そうしてごく僅かに出来た隙間から、遠ざかる2人の背中に視線を投げる。


 そこに置いていかれることへの悲しみや怒りの色はなかった。

 ただ、慈愛の色だけが映っていた。


 ――視線は返されることなく、彼らは完全に舞台の外へと消えてしまう。



 この選択をしたことに、後悔はない。



 これでロビンが幸せになれるなら、自分はこの人生に別れを告げられるのなら。強いて言うなら、ジュリオットに謝れなかったことと、ずっと隠してきた気持ちを伝えられなかったことが唯一の心残りだが――。


 この『壮大な計画』に巻き込んでしまったことを、彼は許してくれるだろうか。

 

「……」


 一体、何を考えたのだろう。

 彼女は溶けゆく意識の中で、ふと嬉しさが心に満ちているのを実感して。


 カトラ=プレアヴィールは、微笑んで、死んだ。

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