番外編『ジュリオット=ロミュルダー生存録』④

 翌日から、ジュリオットの生活は一段と慌ただしくなった。


 早朝5時に起きてロビンの演劇の練習の付き添い、朝7時に朝食をとって8時にカトラの健康観察、それから一旦帝国病院に帰って院長に事情を説明し、延命用の薬を3日分とそのレシピのコピーを持ち出してプレアヴィール家へ帰還。


 そうするともう15時くらいになっているので、再びカトラの健康観察と一緒に薬を投与して、それから19時まで再びロビンの練習の付き添いである。


 それが終わったら夕食をとって風呂に入り、21時からは借りた部屋にて延命薬の調合。


 流石に不眠症ぎみのジュリオットでもこの重労働には耐えられず、延命薬の調合中に気絶するように眠りについた。


 更に翌日からは、前日移動に当てていた時間をそれぞれロビンの練習とカトラのリハビリに付き合う時間に振り分け。


 正直ロビンの件に関しては、途中から何故自分がという疑問を改めて覚えなくもなかったが、今朝例の親戚の大商人に珍しい薬草を仕入れてもらうよう連絡を送ってくれたとかで、すっかり良いように操られてしまっていた。


 そして――



 そんな生活が、半年ほど続いた。


 半年後の春になってもカトラは未だによくやっており、延命薬のおかげもあるだろうが、とにかく人並み程度には動き回れるようになった。


 最近はそれを良いことにちょっとしたわがままも言うようになり、外に出て庭園の花を見たいだの、読みたい本があるから書庫に居たいだの、初対面の印象では考えもしなかった『手のかかる子供』っぷりを見せつけていた。


 それは恐らく、今まで部屋に閉じ込められていたその反動ではない。


 ジュリオットの見解としては、彼女にとってジュリオットこそが初めて彼女によく尽くしてくれた人間で、それ故についわがままが溢れてしまうのだろう、と思っている。


 父親のレクサス公爵とは親子というよりも劇団長と女優という印象が強く、ロビンはどこかでカトラを嫌っている節があるらしくよそよそしい。母親はよく知らないが半年間ずっと見かけなかったので恐らく既に故人だろう。


 劇団員は何度も主役を掻っ攫ってしまうカトラに嫉妬を覚えており、使用人は恐れ多くてそう簡単に距離を詰められない、とあらゆる理由で他者が彼女との間に一線を引くので、今までカトラは『孤立』していたのだ。


 だからその分、医者の立場で仕方なくとはいえ、半日ほどずっとカトラに構い続けるジュリオットに心を開いてしまったのだろう。


 当時19歳のジュリオットと23歳のカトラ。


 微妙な年の差も、ジュリオットに心を開いた彼女を前にしてはそれほど感じられなかった。むしろ彼女が年下のような気持ちにさえなっていた。


 そうして、無邪気で可憐な笑みを見る度に彼は思うようになったのだ。


 まぁ、嫌いじゃない、と。


 それと同時に、こう思うようにもなった。


 彼女の寿命はこのまま想定通りにいけば、あともう半年後に死んでしまう。今も彼女を治す方法がないか考え得る限りの手段を試してはいるが、現状進展はない。恐らく、彼女は近いうちに死んでしまう。


 そうなった時、自分はどうなってしまうのだろうと。


 彼女を治療の研究は、今やジュリオットが生きる理由になっている。

 その理由が半年後に失われてしまったら。

 

 らしくもない想像に身を震わせて、ジュリオットは今日もまたカトラに袖を引かれながら、春の温かな庭園に向かうのだ。





 事態はおかしくなり始めたのは、夏に入り始めた頃だった。


 この頃は『しろがねの乙女』の公演に向けて、プレアヴィール歌劇団は毎日のように練習を重ねていた。願い通り剣姫ジル役に選ばれたロビンは特に躍起になっていたのだが、ある夕食の場にてレクサス公爵は突然こう言ったのだ。


「――ロビン。私は今カトラを再び舞台に上がらせようと考えている」


 公爵とロビンと、客人枠でジュリオットが食しているだけの静寂の空間。食器の微かな音と、使用人が移動する音だけが聞こえる世界で、レクサス公爵のしゃがれ混じりな声はよく響いた。


 そして、食事中の手を動揺したように震わせたロビンが、銀のフォークを取り落として陶器にぶつけた時の甲高い音もまたよく響いた。


「……何を仰るんです。意味が、わかりません」


「お前の考えている通りの意味だ。カトラの容態が回復している今、カトラを主役に選ばずしてどうする」


 当然であることを口にするような声音で、ただ淡々とロビンの尊厳を踏みにじるレクサス公爵。


 すぐ傍で実の息子が息を張り詰めさせ、その表情を絶望の色で固めていることには気づいているのだろうか。少なくとも、ジュリオットだけは確かに彼のプライドに傷がつけられていくのを目にしていた。


「私の席を、姉上に譲れと仰るのですか」


「いいや、そうではない。元々それはお前の席ではないからな。確かに指名したのは私だが、その立場は代理とさして変わらない。今までお前が勝手に姉の席に『座った気になっていた』だけだ」


 そう言ってレクサス公爵は、ゆったりとグラスを回して渋い赤色をしたワインを喉に通す。


「お前は夜の魔女・フィオネの方がよっぽど似合う」


 そんな悠長な、対してこちらを気に留めていないような父親の様子に、ロビンは怒りを覚えたらしい。彼は歯を噛み締めてから手をついて立ち上がり、細長い指に怒りを込めてテーブルクロスにしわをつけ、


「っ、その役にはまた別の団員が……!!」


「なに、劇団2位の実力を誇るお前であれば誰も文句は言わない。併せて、配役も完璧なのだからむしろ進んで席を譲るだろう」


「……何を」


 平然と言い切る団長の姿に、今度は得体の知れぬものと出会ったような冷たい恐怖に背筋を撫で上げられるロビン。


 その顔は今まで見たこともない歪みを見せていた。それで、様子を静かに伺いながら食事を進めていたジュリオットも、初めてロビンの顔を直視した。すると、ロビンは唇を震わせながらこちらに目を合わせ、


「ヘロライカは……感染病ではなかったか。未だ病に侵される姉上を大勢の人間が集まる劇場に呼ぶことは、医療従事者としてお前はどう捉える、ジュリオット」


「……ヘロライカは、最有力の説によれば突然変異を起こして病原菌を宿してしまった豚の赤肉を、抗体になり得るいくつかの常在菌の数が人並み以下の人間が口にして初めて感染すると言われています。ですから……」


 ジュリオット的には、カトラを舞台上に立たせることに関しては問題ない。あらゆる感情や道徳的な話に目を瞑れば、の話だが。


「……嘘だろう」


 信じられないと言ったように、椅子に崩れ込むロビン。


 その際に煌めいて見えた薄金髪は、半年前から随分と伸ばされて今はボブ程度の長さになっている。女性である剣姫ジルを演じる為に、彼はあらゆる方法で髪を伸ばそうと試行錯誤していたのだ。


 そのことを知っている周囲の使用人は痛々しげな表情で、それでもなお一定の距離を保ってただ仕事を淡々とこなしている。

 空いた食器を下げて、飲み物を新しく注いで。


 一方でレクサス公爵は何を考えているのか、ちらりと一瞬息子に目をやっただけで表情はぴくりとも動かない。カトラがヘロライカに感染していると伝えたあの日の動揺っぷりが、まるで幻覚であったかのように静かだった。


 唯一中立であったかのように思われたジュリオットでさえも、医学的な観点に基づき事実を述べただけとはいえレクサス側についたような内容で発言。


 もはやこの場に、完全にロビンの味方になる人間は存在していなかった。


「……私が、夜の魔女を……フィオネを演じるのか。ジルじゃなく」


「あぁ、そうだ。カトラには私の方から個別に話しておくから、お前は明日から魔女の台詞を叩き込め」


 そう告げて、白い布で口を拭った公爵は、そのまま席から腰をゆったりと上げて立ち上がり、あらゆる人間の思惑が入り乱れたこの場からも離席する。


 そうしてただ取り残されたロビンは、


「――ッ」


 何か苛立ちをぶつける力すら出てこないのか、机に伏せて頭を抱え込む。もはや生きる気力を放棄しているように、そうジュリオットには見えた。


 だが、


「……」


 その時、『魔女』は静かに笑みを含んでいた。





 明らかに、その日が境目であった。

 その日から、ロビン=プレアヴィールはおかしくなってしまったのだ。


 レクサスに配役を変えると言われたその次の日、晴れた早朝のことだ。


 ドアを引く感覚も手がよく覚えてしまったダンスレッスン室に入ると、毎度のようにそこにロビンは居た。柔軟体操をしていたらしく、いくらか横に開脚した状態で上半身をゆっくり前に倒している。


 こう言った時のロビンの集中力は凄まじい。


 それでもって、相変わらずスタイルが良いと思いながら、何故かロビン用に作るようになってしまった栄養ドリンクをロッカーの上に置いていると、


「――あら、随分と早いじゃない」


 こちらに気づいたロビンが、体操を中断して話しかけてきた。どれだけ念入りに体操していたのだろうか、いつもよりも血行が良い気がする。なんだか機嫌も良さげなのは何か理由があるのだろうか。


 ジュリオットは早朝から大きな溜息を溢すと、


「本当、嫌になりますよ。貴方のおかげでどうも、起きなくても良い時間に目を覚ますようになってしまって……ん?」


 今のやりとりに違和感を覚えて、紡ぎかけていた言葉を止める。


「……なんと、喋りましたか?」


「『あら、随分と早いじゃない』って言ったわ。……あぁ、そんなに驚かなくてもいいじゃない。単に役に入れ込んでいるだけよ」


 鳩が豆鉄砲を食ったような滑稽な表情を見せるジュリオットに対し、おかしそうに笑いながらひらひらと手を振るロビン。


 その手つきも若干艶かしく、何というか女性らしいものを感じる。しかし口調と仕草以外は特に変わらず、骨格も顔つきも今までのロビンのままである。男性の身体で女性らしさを演出しているわけだ。


「え、っと……はぁ」


 正直あまり、違和感はない。


 いや、女性かと言われたら完全に『女性のふりをした男性』なのだが、そういうワードから連想されるような生理的な嫌悪感が生じないのだ。


 理由の大体は、当人が元より中性的な雰囲気の持ち主であることと、その仕草が中途半端ではなく完璧に、隅々まで女性が模倣されたものであったことだろうが。


「女じゃないアタシが女役をやるには、内側を変える必要があるわ。でないといくら衣装で骨格を誤魔化そうとも、本来の性別が内面から滲み出てしまう。その歪みは素人の観客にだって悟られるって、昨夜それに気づいたのよ」


「は……はぁ。それで対策を取ろうとした結果、こ……こうなったんですか?」


 発想のぶっ飛び具合や思い切りの早さに関しては、その片鱗を今まで度々目にしてきていたのだが、まさかこんな徹底的な役作りをするとは思っていなかった。


 ある程度の慣れが出来ていたと思っていたジュリオットも、流石にこれには面食らいながらおずおず尋ねれば、


「えぇ。これで相当な仕上がりになるはずよ。今回は少し自信があるの」


「自信?」


 聞き返せば、ロビンは余裕そうな笑みを含んで『ええ』と答える。

 その笑みはなんだか印象的で、数年経った今も脳裏に焼き付いて残っていた。





 夜の魔女・フィオネは、悪魔と契約して魔力と美貌を手に入れた元人間である。


 彼女は好奇心が強くて欲深く、いつも何かしらを欲している人だった。だから悪魔と契約して手に入れた魔法の力と永遠の美貌にもいつしか満足できなくなり、世界そのものを欲するようになった。


 だから手始めに、とある帝国の皇帝を魅了して傀儡かいらいに変えた。そうして自分の思いのままに一国を操り、次々に他の国を滅ぼして吸収させるようになったのだ。


 国民は戦争を繰り返す帝国に非難の声を上げ始めるが、魔女に魅入ってしまった皇帝や兵は聞く耳を持たない。


 しかしそんな頃、まだ滅んでいなかった海辺の王国に、神から啓示を受けたという少女『ジル・リ・ドゥレ』が顕現。後に剣姫と呼ばれる彼女は、魔女を討伐する為に戦場に立ち、小さな手に銀の剣を握り――というのが主なあらすじだ。


『――あぁ、皇帝陛下。お会いしたかったわ』


 1ヶ月後、実際に使用する舞台にてリハーサルが行われた。


 衣装は着用せず、レッスン着のままでの練習であった。ジュリオットは何故か観客席にロビンの付き添い人として座らされており、慣れが出来てしまったのか他の劇団員からもその場に居るのが普通、みたいな扱いを受けている。


 なんなら先程『あっジュリさん!!』とか言われて、それをきっかけにぞろぞろと付近に集合されて、やんややんやと喋ってきたくらいだ。


 そう、いつのまにか他の劇団員とも仲良くなっていて、最近では早朝に作る栄養ドリンクの本数は1本から40本に変わっていた。もはや公式マネージャーである。


『噂に聞くその頬の傷跡。あぁ、本当にあの皇帝陛下なのね』


 今練習をしているのは、物語の始まりである第一幕。


 主人公である剣姫ジル役のカトラを必要としないシーンであり、悪魔と契約して皇帝を虜にする魔女フィオネを最大限に印象付ける重要な場面となっている。


 現在、舞台上に立っているのはロビンと皇帝役の青年、それと既に魔女に見入ってしまった兵士役の青年達だ。天下のプレアヴィール歌劇団のメンバーだけあって青年達の演技も目を見張るものがある。


 が、それでも視線はつい、ロビンの方へと向いてしまう。


 誇り高き武人にして、一国の皇帝を魅了した美しき魔女。モデルこそ過去に居ても存在はしない架空の人物だが、それは確かに今この舞台上に存在していたのだ。


『寄るな、汚らわしい魔女め。ここに来るまでに多くの兵をその話術で籠絡したのは知っているぞ、悪魔に純潔を奪われてまでこの国が欲しいか!』


『あら、籠絡だなんて人聞きの悪い! 皆様聞いた? ただアタシは世界を知りたいだけですのよ、皇帝陛下。ほら、私の目をよぉくご覧になって』


 すすす、と静かな歩みで皇帝陛下の傍に寄り、艶かしい手つきで陛下の頬を包み込む夜の魔女。口づけをするほど近く、愛撫するように優しく、じっと目を合わせてくる魔女に皇帝陛下は思わず引き下がる。


 ――恐らく、今の青年のよろめきようは演技ではなかった。


 傍目から見ていてもロビンは、男性的な身体つきをしているにも関わらず、そのしなやかな仕草が矛盾を感じさせない。加えてあの暴力のような顔貌が魔女の色気をまといながら、やたらと官能的な手つきで触れてくるのだ。


 ジュリオットであっても思わず下がり、ついで腰を抜かしていただろう。そう思えば腰を抜かさなかった青年は、むしろ頑張っている方かもしれない。


 ――間違いなく、今の主役はロビンだ。


 けれど、レクサス公爵のカトラへの入れ込みっぷりは、カトラがあのロビンを凌駕しているということを簡潔に明らかにさせている。


 ロビンよりも、演技が優れているのか。


 そう考えると俄然興味が湧いたが、長時間の練習に耐えられる体力を持ち合わせていないカトラは、少し打ち合わせをした後にほぼぶっつけ本番で来るらしい。つまり本番まで演技を見ることは出来ないのだ。


 それで良いのかとロビンに尋ねたが、


『……そういう才能も含めて、父上は姉上を買っているわ』と。


 ますます、カトラのことがわからなくなった瞬間だった。同時に、彼女のことをもっと知りたいとも思った。


 ――。

 ――――。


 けれど、ジュリオットとカトラにそう長い時間は残されていなかった。

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