番外編『ジュリオット=ロミュルダー生存録』③

 彼女の病名を調べるのに、そう時間は掛からなかった。


 事前に聞いていた情報である程度想定できる病気から、それぞれに対応している検査キットを持ってきていたので、半日もあれば事足りた。血液の採取に始まり、特定の血液量に含まれるあらゆる成分の配合率を調べて、何かしらが異常値であれば病気が特定できるのだ。


 だが、ジュリオットが考え得る中でカトラは最悪の可能性を引いてしまった。


 薄々予感していたのが的中したとわかった途端、ジュリオットはそれをカトラ本人に、また彼女の父親であるレクサス公爵に伝えるかを迷ってしまった。


 いや、立場上どうしても伝えなければいけない。

 医療従事者から患者への病名宣告は、必ずやるべきことである。


「……はぁ」


 検査に集中するために借りた一室の中で、ジュリオットは重い溜息を溢す。そして今は閉じている両開きの窓から、外の世界の空を見上げた。


 大空は橙色に焼き尽くされており、早くももう夕暮れ時のようである。曰く、夜にはレクサス公爵も帰ってくるというので、挨拶の後にすぐ娘の病名を伝えなければならない。


 だが、姉弟のやりとりからして、恐らくカトラはこのプレアヴィール家の家宝のような扱いにある。これを伝えたらどうなってしまうのだろうか。


 今から伝えなければならない言葉があまりにも重くて、喉や舌を動かせるような気がしないまま、ジュリオットは借り部屋を一旦退室する。


 一応、屋敷の中は常識的な範囲なら出歩っても良いと言われている。ので、今からちょっとした散歩タイムである。これから屋敷の中を回りつつ、どういう手順でカトラ本人やレクサス公爵に伝えるかを考えるのだ。


 ――が、


「――あ」


 ぼんやりと引かれるままに足を進めていると、なんと廊下の曲がり角にてロビンと遭遇してしまった。向こうもワンテンポ遅れて、こちらに気づいたらしい。少しだけ驚いたように彼は目を見開いた。


 窓から差し込む夕焼けに、紫紺の瞳が輝く。

 同時、何かの香水の香りと一緒にわずか、汗のような匂いがして、


「身体を動かされてきたんですか?」


 そう聞けば、ロビンは一瞬ふいっと目を逸らした。その後、無言でジュリオットの骨みたいに細い手首を引っ掴み、


「ちょっと、あの!?」


「……私の部屋に来い」


 来い、と命令口調なものの、それ以前にもう逃げることを許さない腕力で無理やり引っ張っていくロビン。彼と違う不健康な身体では振り切ることも出来ず、ただ歩幅の違いに後ろのジュリオットがよろける形で進んでいく。


 そしてとある一室の中に入ると、


「なあ。姉上にあって、私にないものとはなんだとお前は思う?」


「は? え、いや……ちょっと今の流れが本当によくわからないんですけど、はい? カトラさんにあって、貴方にないもの……?」


 唐突な展開にジュリオットは目を白黒させるばかりだが、正面に立つロビンの麗しい顔は至って真剣な表情である。男女問わず息を飲まざるを得ない、研ぎ澄まされた剣のようなその顔貌にジュリオットは戸惑いを見せたあと、


「柔らかさ……とか。温かさ、とかじゃないですか? いえ、貴方が冷たい人間って言ってるわけじゃないんですけど」


 睨みつけられている気がして、目を逸らしながら恐る恐る申し上げれば、ロビンは向けられた言葉をじっくりと味わう。睫毛の長い目を伏せて、『温かさ』と自分に教え込むように彼は口の中で呟き、


「もっと、他にも挙げていけ。無礼なことを言っても構わない」


「うっ……可愛いらしさ、とか。あとは儚さとかですかね……」


 美しくて気高くて、決して凡人には手の届かない存在。凛としていて他者を寄せ付けぬオーラがあって、恐らくそんなに友達は居なくて、凡人側からは対話に勇気が要るというのが現状のロビンへのイメージである。


 多少ジュリオット独自の偏見も混じってはいるが、それでも事実としてカトラとの間には絶大なる違いがいくつも存在しているはずだ。


 というか、こんなことを今日が初対面の自分に聞くのもどうかと思うのだが。


「――そうか。わかった、ありがとう」


 今のやりとりでロビンは、何か発想を得たらしい。

 勝手に連れ込んで勝手に質問して、勝手にジュリオットを混乱の最中に置き去りにしながらも素直にお礼を言った。


 そして気を急かしたように即退室した。


「……え? えぇ、はい……?」


 夕陽の差し込む、西日が強い部屋に置いてけぼりにされたジュリオット。

 彼には、薄金髪の美丈夫の考えが全くわからなかった。





 無人の部屋にぽつんと1人ロビンに置き去りにされたことで、再び現実と向き合う羽目になったジュリオット。彼はどうにか自分をやる気にさせ、無理やり自分の足をカトラの部屋がある方へと動かした。


 そうだ、何を恐れているのだ。

 別にヘロライカに感染しているという宣告は今までにもしてきたはずだ。


 ただ同僚が近くに居なくて、場所が院内じゃないだけで、やることはさして変わらない。


「……」


 改めて考えると、割と変化は激しかった。


 自分の仲間が居て自分のテリトリーで『お前はじきに死ぬ』と言うのと、自分の仲間が居なくてよく知らない人間のテリトリーで『お前はじきに死ぬ』と言うのではこちら側のプレッシャーが全然違う。


 時折病院では宣告を受け止められず、キレて怒り狂って殴りかかるような変人も居るのだが、カトラはともかくその身内にそんな変人が居たら今回ジュリオットは助からない。素手での殴り合いほど自信のないものもないのだ。


 だから、正直に宣告するのが怖い。


 しかもこんなことを言うのはアレだが、今回の患者であるカトラは今まで診てきた患者の中でもかなり特殊で、世界レベルのトップスターなのだ。


 それこそプレアヴィール家の家宝だとかなんとか言われて、あの人外級の美貌を持つロビンでさえ二の次扱いされてしまうような人が相手なのだ。よくわからないいちゃもんをつけられる可能性は十分にある――。


 けれど、どこまで逃げたってこれは、自分の仕事なのである。


 どれほどカトラのバックに居る存在が怖かろうとも、とりあえずは穏便に、事務的に患者本人へ宣告しなければならない。


 ――カトラはこの宣告を、穏やかに受け止めてくれるだろうか。


 心配と、大半が願望に占められた思いを抱えながら、ジュリオットはカトラの部屋の扉をノックする。


「どうぞ」


「失礼いたします」


 扉の向こうからカトラの声が返ってきたので、ジュリオットは要らぬ一礼を無意識につけつつ扉を押し開ける。


 しかしなんというかあれだ、彼女の声はよく通る。やはり歌劇女優ということだけはあるのだろうか、そういえばロビンも良い声をしていたと思い出しながら、再びベッドで楽にしているカトラと顔を合わせ、


「すみません、検査結果なんですが……今お伝えしてもよろしいでしょうか?」


「あら、凄く早いんですね……でも、その顔を見ればなんとなく、予想はつきます」


 表情を思いっきり固めてしまっていただろうか、こちらを見て悟ったように静かに微笑んだカトラは、手にしていた本をパタンと閉じた。


「恐らく――ヘロライカに、かかっていたのでしょう」


「……はい」


 驚くほど穏やかに尋ねるカトラに対して、申し訳ながら少々の不気味さを覚えつつも重たく頷くジュリオット。


 するとカトラは、長く伸ばしたブロンドの長髪に細い指を差し込んで、『そうですか……』と優しい笑みを含みながら梳いた。その横顔が丁度窓から差し込む夕陽に照らされて、ジュリオットは感嘆に息を飲み干す。


「治す方法は、ないんですよね?」


「……えぇ。延命することなら恐らく出来ますが」


 現在把握しているヘロライカの患者の中で、1番発症から死亡までが長かった人間の寿命は『半年間』。


 延命措置が試されるようになったのはごく最近のことで、現状実際の効果は判明していないが、伸ばせる限界は推定寿命から更に半年とのことなので、カトラが最高まで生きれるとしても予想される寿命はあと1年だ。


 そこから、発症から既に2ヶ月経っているというので、残り10ヶ月程度となる。


 そんな仮初めの延命措置を、カトラは望むのだろうか。


 いや、彼女が望まなくてもジュリオットの推察で行くと、プレアヴィール家がカトラにそうさせてしまいそうな気がするのだが――。


「……いいえ、延命はしたくありませんわ」


 こちらの考えを見透かしたかのように、カトラはぽつりと呟いた。


「だから父上に会ったとしても、どうか延命措置のお話はなさらないで」


「それは……約束は出来ませんね」


 少々、生に顔を背けがちなカトラの発言に引っかかりながらも、あくまで事務的な態度を心がけるジュリオット。


 しかし彼女の口ぶりからして、レクサス公爵は延命法があると知ったらやはり、無理にでもカトラにやらせるのだろう。そんな本人の意思を優先させない一家に住んでいたら、それは死にたくもなるのかもしれない。


 だが、ジュリオットはそんな父親に雇われてここへ来た身だ。


 生きるも死ぬも本人が望むならどうでも良いが、雇い主が娘である彼女を生かそうとする可能性がある以上、カトラの一存だけに従うわけにはいかない。


「とにかく、レクサス公爵にもこのことを伝えてから。お話はそれからです」


 碧眼の青年はそう伝えて静かに腰を折ると、『失礼します』と断ってからカトラの部屋を退出する。


 そして深い呼吸をしながら借り部屋へと戻るが、その道中、部屋の扉を閉める際に隙間から覗いた、カトラがこちらに向けた悲哀混じりの微笑みが、ジュリオットの脳内に強く絡みついて離さなかった。





 その日の夜。言われた通り、レクサス公爵が帰宅した。


 なので予定通り、ロビンを同席させた簡単な挨拶を終えた後、ジュリオットは真実そのままにカトラの病名と寿命について彼へ説明した。すると、初対面の時には気難しそうな顔をしていた公爵も真っ青になって膝をついた。


 およそ60代くらいの、しかし頑固で貫禄のある鋭い目つきの男であったが、やはりロビンがカトラを一家の家宝であると話していただけあったのだろう。ショックが大きかったのか、魂を死神に刈り取られたように虚な目をして絶望していた。


 そんな彼であったからこそ、案の定というべきか、延命措置の話をした時は飛びつくような勢いで『娘に施してくれ』と懇願された。


 なんなら依頼金は言い値で構わないとでも言わんばかりの焦りようで、同席していたロビンが止めなければ恐らくジュリオットは、錯乱していたレクサス公爵に首を締められて死んでいただろう。数時間経ったが未だに喉の感覚がおかしい。


 ジュリオットは喉をさすりながら、ロビンの隣で廊下を歩く。


 激流のような勢いでカトラの延命とジュリオットの長期滞在が決まり、早速今日は眠って明日からつきっきりでカトラを診るように言われてしまったので、明日からに備えて借り部屋で休息をとるのである。


 一方ロビンはというと、レクサス公爵と別れてからずっとだんまりだ。

 カトラの病名宣告を聞いて何か思うものがあるのか。いや、様子がおかしいのはそれ以前からそうだったが。と思えば、


「――お前は」


「はい?」


「……『しろがねの乙女』という童話を知っているか」


 何を言い出すかと思えば突然、そんな質問を投げかけて来たロビン。


 あまりにも唐突なので『ハァ?』と声をあげてしまいそうだったが、当の本人はというとやはりこれまた様になる思案顔をしていたので、そんな言葉も美の圧力に潰されて喉元から胃まで帰る。


 顔が良い人間は何かと得するな、などと思いつつ、ジュリオットは頷いた。


「えぇ、まあ……はい」


 ――銀の乙女。


 それはかつて実在したと言われる剣姫『ジル=リ・ドゥレ』の人生を元にしたファンタジー童話であり、子供向けながら残酷だと評される小説の名前である。大北大陸でのみ広まっている話で、本好きならば1度は手に取っている名作だ。


 農村生まれのうら若き乙女が神の啓示を受けて自国の騎士となり、夜の魔女フィオネに魅入られた隣国と戦いを繰り広げるというのが主なあらすじ。


 モデルである剣姫ジルは戦場の最前線を馬に乗って駆け、美しい銀の宝剣を掲げて味方の士気を高めていたという逸話から『銀の乙女』という題名が付けられたのだと言われているが――。


「その童話を元にした歌劇が、プレアヴィール歌劇団の最大の名物であり、主役である剣姫ジルを演じることこそが劇団員の最大の栄誉なんだ」


「……はぁ。なるほど?」


「それで近日、『銀の乙女』の公演の為に担当する役を振り分けるテストがある」


「ほう」


「私は男だが、どうしても剣姫ジルになりたい」


「……ほう?」


 この時点でなんとなく、雲行きの怪しさを感じ取るジュリオット。

 巻き込まれ体質なジュリオットはこういった空気の変化に敏感であった。


「だから、明日から私の練習に付き合ってくれ」


「ほ……」


 ――頷きかけて、今一度ロビンの言葉をもう1度じっくりと味わい、


「ハァ!?」


 立ち止まって、絶叫する。


「何故私がそんなことをしなければならないんです!?」


「それはお前が真実に忠実であると判断したからだ。お前は私に何が足りないかという質問に対して臆さずに答えた。よってお前は私の演技の欠点をきちんと洗い出してくれるだろう。首が飛ぶのを恐る他の使用人には出来ないことだ」


 当たり前のことを語るように堂々と、確固とした自信を紫紺の双眸に見せながら語るロビン。その身勝手さにジュリオットは愕然としつつ、


「私は普通に断りますけど!? 私はその手の知識は全くありませんし、あったとしてもサービス労働なんてことしたくないんですが!?」


「その手の知識はない方が逆に好ましい。報酬は……何か欲しいものがあるとしたら買い与えよう。プレアヴィール家は血縁を辿れば大商人にも流通している。通常では購入できないものも購入できる」


 どうだ、と腕を組みながら提案をするロビン。対してジュリオットは彼の言葉を反芻すると、すんっと事務用の真顔になって、


「前向きに検討します」


「あぁ、出来ればそのまま了承してくれると助かる」


 くるんと手のひらを返したジュリオットに笑むでもなく頷いて、そのまま彼の自室がある方へと廊下の曲がり角を曲がっていくロビン。


 が、その広い背中をこちらに見せながら、淡々と一定のリズムで足音を遠ざからせていくロビンを途中まで見送って――ふと、碧眼の青年は魚の骨が喉に詰まったような感覚に襲われる。



「え、平然と話進めましたけど、おかしくないです??」

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