番外編『ジュリオット=ロミュルダー生存録』⑥

 帝国劇場を出ると、外はもうすっかり夜だった。


 劇場は帝都のど真ん中にある為、テロ騒ぎで通報がされたらしく正規の出入り口を帝国の兵隊が押さえている。故に正面からは出られず、ロビンとジュリオットは大昔に封鎖されたという裏口を壊してそこから出た。


 すると奇妙なことに、そこには一台の馬車が停まっていた。


 困惑を見せるジュリオットの手前、明らかに何かを知っているような様子のロビンは無理やりジュリオットを馬車の中に押し込み、その後自分も乗車する。すると目的地を言う前に御者が手綱を揺らし、馬車が動き始めた。


 そうしてしばらくして、何が何だかわからぬまま辿り着いたのは、


「……港?」


 暗く黒い海が波打っている、真夜中の港だった。


 馬車を降りたジュリオットが海風に髪を遊ばれていれば、後ろでは御者とロビンが何かやりとりを交わしていて、


「ええ、先に行っているわ。貴方も後から来て頂戴ね、ノートン」


 どうやら旧知の仲のようだ。親しげに幾つかの言葉を交わしてから、終始得体の知れなかった御者と別れるロビン。そして彼は馬車の中から貰ってきたらしい重そうなスーツケースを引いてやってくると、


「じゃあ、ちょうど2時間後に出発するらしいあそこの船に乗りましょう。オルレアス王国行きの。最低でも5、6泊はかかるでしょうけど、このケースの中に必要なものは一式あるから費用の心配は……」


「ちょっと、待ってください!?」


 マイペースに展開を進めていくロビンに声を荒げて、ストップを入れるジュリオット。情報の量が多くて上手く処理できず、熱が額に昇るのを自覚しながら、


「何かしら」


「何かしらじゃなくて!! 何故……貴方は何をしようとしてるんです!? 『生きる理由が欲しければ……』みたいなこと言って勝手に私のこと引っ張り回して、説明がいちいち足りないんですよ貴方は!!」


 今まで溜めに溜めていた不満を爆発させれば、それまでどこか浮ついていたロビンの表情が少し引き締められる。唇は結ばれて、品定めをするような目つきで紫紺の視線がジュリオットの全身を眺めた。


 遠くで黄金色に輝く歓楽街の光がこの港にも届いており、夜風に遊ばれたロビンの薄金髪が――すっかり女性的な長さにまで伸びた髪が、それは幻想的に煌めく。


「貴方は――」


 ロビンの特徴的な、柔らかいのに芯の強さを感じさせる低い声が空気を震わせた。


「貴方は、生きる理由がなくば生きられない。そういう人間なんでしょう?」


「……ええ」


「でも、貴方を死なすのは惜しいの。その知識と技術があるというのに、捨てるなんてもったいないわ。だからアタシは貴方を生かしたい。利用したい。だから貴方は、アタシに利用されることを生きる目的として生きなさい」


「……はい??」


 声が間抜けにひっくり返る。一方で、


「アタシ、やりたいことあるの。今までプレアヴィール家のしきたりに従って必死になって演技という分野で人から認められようとしてたんだけれど、なんというかアタシって、そんな狭い空間に居ちゃダメな気がするのよね」


 からからと気持ち良さそうに笑いながら、ロビンはバレッタを外してその辺に投げ落とした。それなりに高価な髪飾りだった気がするのだが、その価値がわかっているはずの彼はそれを拾い上げることもない。


「……つまり、どうするんですか」


「そうねぇ……ま、せっかくよ。ひとまずは思いっきり、この腐った世界を変えたいわ。前から思ってたんだけど、どうにもつまらないのよこの世界。アタシ、自分にとって生きにくい世界で生きることを強要されるのはイヤよ」


「ハァい???」


「もっと自由に楽しく生きましょうよ。そうね、せっかくなら国の1つや2つを治めてみたいわ。だからとにかく武力が必要よね、国に攻め込むには一体どれだけの戦力が居ると思う?」


 意気揚々と黒の羽織も外して、その場に置き去りにしたままつかつかと停泊船の方へスーツケースを引いていくロビン。あれほど唇で大きな弧を描いている彼は見たことがない。彼は今、本当に心から高揚しているのだろう。


 滅多に笑わなかった彼がああも笑えるようになったのは良いことだが、それは良いことなのだが、だからといって彼の意思を許容できるはずもなく、


「あの……貴方、筋金入りの馬鹿なんじゃないですか?? 小さな子供じゃないんですし、世界がどうのとか貴方、そんなこと言ってられる状況じゃ……」


 なんて声をかければ、港にかかりっぱなしのタラップを渡ろうとしていたロビンは足を止め、ゆっくりとこちらを振り返る。


「……そうね、アタシはとびきりの馬鹿よ。馬鹿だから夢を見るの。人間は馬鹿じゃなきゃ夢なんて見ない、そうでしょう?」


「開き直らないでくださいません!?」


 どやーん、とロビンが得意げに口角を引くその様子に、ついついジュリオットの声が荒くなる。


「そんな、違うんですよ、何もかも。スケールだっておかしい、それに……」


 ただ冗談やちょっとした願望を溢したわけでなく、本気でやりたいと願って口にしていることが、ジュリオットは何よりも恐ろしくて。


 世界を1人の人間の思うように変えようだなんて、そんなこと出来る出来ない以前に許された話ではないのに。そんなことを望むなど、まるで――まさに『銀の乙女』に出てくる夜の魔女のようではないか。


「貴方は……貴方は、本気でやりかねないから怖いんです」


 そう呟けば、魔女は力強く頷いて即答した。


「えぇ、本気よ」


「っは……」


「現にいくつかの予定は立てているわ、どうやって戦力を確保するかって。それなりに強い後ろ盾が必要になるし、ゆくゆくは拠点も確保しなきゃならない……それを全て考えてからここに来たの」


「……どうして、そこまで突飛な行動をしようと思えるんです?」


 ジュリオットには、わからない。

 自分は永遠に約束された平穏の中で生きていたい。誰かの殺意に触れてこれ以上何かを失うのは嫌なのだ。そう思うことは果たして罪なことなのだろうか。人間は誰だって壊れることのない平和を望むはずだ。


 どう考えたってロビンは『常識』や『普通』から逸脱している。


 世界を変える。その望みは口にすることこそ簡単だが、到底人間1人の一存で叶えられる夢ではない。それにそれは酷く非平和的な話で、この戦乱の繰り広げられる世の中を治めようなど死にに行くようなものだ。


 そんな夢を見るフィオネは、おかしいから、恐ろしい。


 何より恐ろしいのはそれを本気で言っていること。単なる愚痴のように溢されたものではなく、告げられた言葉の中に明確な意思と計画があることだった。


 そのせいで人間でない者を見ているような心地がして、ジュリオットの身体は小刻みに震える。


 でも、


「願望の大きさに難癖つけるなんて嫌な男ね。自由な世界を望む理由なんて、アタシがアタシであるからとしか言いようがないわ」


 ロビンの眼はどこか遠い世界を見つめていた。小心者のジュリオットには到底見えない世界を見ていた。確かな自信で理想を描き、そのままそれが立体化するといういつかの未来を真っ直ぐに見透かしている。


 それで、ジュリオットは悟った。

 ロビン=プレアヴィールは、酷く馬鹿だ。人外級の馬鹿で、それから純粋で高い自己肯定感と果てない好奇心で構成された人間なのだと。


「けれど、アタシ1人で世界に影響を及ぼすのは難しい。だから、アタシに出来ないことが出来る貴方の力が必要なのよ。事前に言ったでしょう。アタシに利用されることを目的として生きなさいって」


 ――アナタノ、チカラガ、ヒツヨウ。


 ただのその一文がやけに優しく、甘く、誘惑的に聞こえた。

 今まであった反抗の意思が溶かされていき、ジュリオットの脳内が真っ白になって何も考えられなくなる。


 いけない、これは呪いの言葉だ。ロビンも対ジュリオットに何よりも効果的な言葉だと分かってて、平然と吐きつけたのであろう。それはわかっている。こんな見え見えの魂胆に乗せられてはいけない。


 しかし、けれど、それでも自分は確かに――弱くて、誰かに必要とされなければ生きられない人間なのだ。


 本当に、自分はこの人に貢献できるのだろうか。

 本当に、この人は自分が居なければダメなのだろうか。


 本当に、自分は――この世界に、居ても良いのだろうか。


「常識に守られて生きても、常識から外れて生きても、どうせ死ぬ条件は同じよ。それなら思いっきり自由に世界を楽しんでから死にたいでしょう?」


「……な、」


「――大丈夫、アタシと貴方ならやれるわ。試しに変えてみましょうよ世界」


 魔女が笑う。こちらを見て笑う。甘い言葉を囁いて、生きる理由を、この世界に居る意味を渇望する青年にそっと手が差し伸べられる。


 その手を取ればジュリオットはきっと、人間ではなくなってしまう。

 胸中では責任感が渦を巻いて、なけなしの善心が必死に自分を引き止めていた。


 そうだ、自分には責任がある。なんの断りもなく帝国病院の研修をやめることなど出来ないし、それにレクサス公爵の生死がわかっていないから雇用問題がどうなるのかも予測できない。


 だから――、



 だから?



 だから、なんだというのだろうか?



「……」


 そうだ。


 そう言われてみれば別に、こんな世界に秩序を守ってやるほどの価値はない。大人しく常識に縛られてやるような価値もない。よく考えれば自分好みに変えてやろうと思われても仕方ないくらい、この世界は酷くつまらなかった。


 そんな世界に理想の平穏を求めたところで、さて一体何が得られる?


 他人にねだった平和は酷く脆い。本当の『永遠に壊れない平穏』を求めるのならば、いっそ自分の手で生み出してしまえば良いのではなかろうか。


「……仕方が、ありません」


 ジュリオットは、ゆっくりと、捻り出すように告げる。


 生きる意味を渇望し、幸福な平穏を渇望し。


「わかりました。貴方を1度……1度だけ、信じてみましょう。しかし、私が今度貴方に従うかは貴方次第です。私はいつでもロビンさんを見ていますから。私が従うに相応しい人かどうかを、評価するために」


 責任感、問題、ずしりと重たいそれらを振り払って身軽になると、ジュリオットはロビンの元へと歩み寄る。なんとなく乗せられているような心地もしたし、所詮は利害の一致した関係でしかないのはわかっていた。


 けれど、あまりにも楽しそうに笑うものだから。あまりに力強く、確かな自信を発言のひとつひとつに乗せてぶつけてくるものだから。


 試したい、と思わせるのが、この男は随分と上手なようだ。

 腹の立つ嫌な男である。


 幸い私物は少ない人間だ。ここで全てを置き去りにしようとそれほど困らない。


「えぇ、良いわ。評価されることには慣れてるの、好きなだけなさい」


 ロビンは笑った。腹の立つ笑みだった。

 わがままを聞いてもらえた時のカトラに、本当にそっくりの笑みだった。




『あぁ、それから、貴方アタシのこと『ロビンさん』って呼ぶけれど――』




『色々の都合でロビン=プレアヴィールは今日で死んだことにしたいの。だからそうね、これからは【フィオネ】、って呼んでくれると嬉しいわ』





 そんなやりとりをしたのが、3年ほど前だったか。


 フィオネは処理班員によって甲板へと運ばれた、何者かに氷漬けにされて眠るジュリオットを見て不意に思いを過去へと馳せる。


 あれから沢山のことがあったが、彼には何度も助けられた。

 あの日、ジュリオットを誘ったのは賢明な行動だったと思っている。

 けれど、


「……はっ、無様な格好ね。貴方らしいと言えば貴方らしいかしら」


 答えぬかつての相棒に、ふとそんな言葉が溢れ出た。


 しかしそれは単なる強がりだ。ギル達4人の居場所も分からず、ジュリオットはこうして眠りについている。どうにかフラムだけは拠点で待っていてくれているが、この事態を彼に伝えるのも正直今は気が進まない。


 なんだろうか。手元からどんどんと仲間が奪われていくような気がして、フィオネは無意識に指先を震わせた。


 どうやら不幸とは不幸に重なるもののようで、未来予知の力も正直上手く扱えなくなり始めている。以前までならこの先どうすればいいのか、未来を視ることで解決できていたはずなのに。


 自分は果たしてどちらに向かって歩いているのだろうか。もしや自分は、全てを失う未来へと動き始めてはいないだろうか。ジュリオットが居ないだけで、自分の判断が正しいのかわからなくなってしまっている。


 これほど、自分は仲間に依存していたのか。

 嬉しくもない気づきに、楽しくもない笑みが溢れる。


 傍目から見ても今のフィオネは随分と酷いのだろう。時折、ノートンが自分を気にかけて声をかけてくれるが、正直今はあまり耳に入らない。らしくもなく、焦っていることに本人が気づいていないのが何よりもの問題であった。


「……なるべく早く、調子を取り戻さないと」


 フィオネはそう苦々しく呟くと、髪を海風に靡かせて夜の海を睨みつけた。



 ――すこしでも早く。取り返しがつくうちに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る