第74話『彷徨える修道女と朝の星』

 同日(投獄9日目)の深夜23時。


 とっくに就寝時間の範疇であり、通路の照明はほとんどが消されて薄暗くなった頃合いにて。いつもなら各々睡眠をとっていたであろう第7班の5名は、皆揃いも揃って夜更かしをしていた。


 というのも、フラムが周囲の調査をすると皆に提案をしたからで、


「別に、マオラオさん以外も起きる必要になかったと思うんですけど……」


 そうぼやきながら、フラムは10014番の牢屋の鉄格子に掴まって、肉眼で見える限りの周囲を窺う。


「マオラオさんの方はどうですか?」


 視線を一旦瞬きで切り、牢屋を隔てている壁の方へと首を向ければ、壁の向こうから返ってくるのは何やら難しそうな唸り声。現在、隣の10013番の牢屋ではマオラオが『監視者』で紅色の両眼を淡く輝かせている最中で、


「今んとこ監視カメラさえ掻い潜れば……って感じやな。ほら、チャーリーが言うとったあれ、今日どっかのお偉いさんの処刑日だって話あったやん。あれの後でゴタゴタしてんねやろな、いつもはおる看守も今日はおらへん」


「わかりました、オッケーです」


「……なんやけどな、あれから考え直したんやけど、わざわざあんさんが分身行かせる必要はあるんか? オレが監視者ァ使った方が安全とちゃうか?」


「そうなんですけど、でも多分、細かいところまでは見れないでしょう?」


「よう知っとんなお前。この前までオレの苗字知らんかった癖に」


 痛いところを突かれて軽い文句口調で返しながら、マオラオは1度これ以上の能力の使用をキャンセルする。淡く輝く紅玉の瞳をそっと瞼で隠して、数秒間目を瞑れば次に開眼したとき光は消えており、


「とりあえず、オレは目の準備運動も出来たし、この辺は今は大丈夫なんはわかった。やから後はお前次第や。いけるか、フラム?」


「ッ、はい。分身を出しますね」


 フラムは深呼吸をひとつすると、鉄格子を掴んだまま瞑目して集中。

 すれば、鉄格子を挟んで通路側に柔らかな水色の光が生まれ、それは次第に人体の形を成していった。


 心臓の辺りから順番に広がって、指先や頭頂部まで作り上げると、光は霧散して中から人間を露わにする。そうしてその場に現れたのは、鏡に写したようにフラムそっくりな――いや、本人と言っても過言ではない、『分身』であった。


 通路の方へ現れた彼は、衣装もそっくり写しており橙色が鮮烈な囚人服姿だ。分身フラムは驚いたように周囲を見渡した後、思考を巡らせて今までに本体フラムが見てきた分の共有された記憶を処理し、


「……とんでもない計画に呼んでくださいましたね」


 と、これまたフラムと同じ柔らかな男声を発して顔をしかめた。


「すっ、すみません。これしか思いつかなかったもので……」


「まぁ、分身である以上こういった役目にも回されるんじゃないか、とは以前から常々考えていたので今更とやかく言いませんが……分身とはいえ、きちんと命があります。使い捨てじゃあないんですからね!」


「はっ、はい、肝に銘じますね……」


 鉄格子を挟んで向かい合い、片や腕を組んで説教を垂れ、片やペコペコと頭を下げているフラム達。奇妙なそのやりとりを前に初見のジャックは呆然としており、ギルやシャロは笑いを堪えようと寝台で転がっている。


「……気づかん内に、分身くんめちゃくちゃご主人に言うようになったなぁ。あれやないの? 分身って人格も一緒のはずやろ?」


「僕もわかんないですけど、何かが確実に歪んでるんですよね……酷使しすぎてしまったんでしょうか、使い勝手が良いばかりに……」


 見た目が同じはずなのに、何故か本体よりも鋭く見える分身の目つきを見て、日頃の行いを思い返そうとするフラム。


 拠点のあの屋敷の中で家事を回すため、普段はもう分身2人と一緒に必死になって動き回っているのだが、考えてみればどこか心の中で『所詮は自分だから』と分身に甘えを許していなかったのがいけなかったのかもしれない。


 ここを出たら存分に休ませてやろう、などとフラムは密かに決心をしつつ、


「頼みます、周囲を回ってきて脱出できそうな場所を探してきてください。マオラオさんの監視で補助をつけます、危なくなったら貴方を回収するので……!!」


「……はあ。わかりました、じゃあ行ってきましょう。それでは」


 ひらっと乱雑に手を降って、かなりドライな対応で頼みを引き受け、即座に身を翻し通路を歩いていく分身フラム。それに合わせてマオラオが再び『監視者』を発動するが、本体のフラムは言い知れぬ悪寒を浴びるように察知しており、


「本当に、大丈夫なんでしょうか……」


 ぽつりと一言、口の端から落とすように呟いた。





「……全く、人使いの荒い人です」


 本体と別れた分身フラムは吐息を溢し、足取り早くに監獄の中を歩いていく。


 獣人である事を利用して耳と鼻を駆使している為、看守がどこを徘徊しているかは見ずとも検討がついた。故に大胆な足取りで周囲を捜索中だ。恐らく、この行動は全てマオラオの『監視者』を通して向こうに伝わっているのだろう。


「……むず痒い」


 どこから見られているかわからない、というのは中々に気持ちが悪いもので、ふと分身フラムの口からそんな言葉が溢れ出た。


「……あそこの角に監視カメラ。あの辺は……あそこだけ微妙に床の匂いが違う。見た目は似てるけど、こっちよりも匂いが軽い。――床の下に罠を敷くために、過去に1回床材を剥がした? ともかく、あっちには行けないかな……」


 すん、と鼻を鳴らして違和のある場所を回避しつつ、分身フラムは空色の尻尾をゆらゆらと動かしながら道を曲がる。


 現状見かけている囚人は眠っている者か、亡霊のように言葉にならない声を上げている者だけで、分身フラムの行動を看守に報告しそうな奴は居ない。


 というか、仮にまだ気の確かな奴が起きていたとしても、就寝時間に起きていること自体がこの監獄で禁止されているので、報告すれば『深夜に起きていた』として自分までもが処されかねない。


 ので、起きている奴は基本見て見ぬふりをしているのだろう。


 報告されないのは都合が良い、とフラムは渇きかけていた唇を舐めて潤し、埃っぽさに鼻の前で手をぱたぱたと払いながら最大警戒のもと捜索を続行。


 石造りの古代都市風の収監エリア『ファースト』の通路を、本体を模して出来た囚人用のパンプスの靴底で鳴らしながら進む。


 だが、


「――ッ?」


 不意に鼓膜を掠めていった音にぴくりと耳を動かして、即座に手近な建物の陰に身を潜める分身フラム。


 何者かが、こちらへ近づいてきていることは確かだった。が、本体フラムが自分を回収しないということは、向こうからこちらを見ているであろうマオラオは今の状況を『問題はなし』と捉えているのだろう。


 もし捉えているのであれば、これ以上の探索は危険だとして本体のフラムに回収するよう伝えているはずなのだ。


 だから、一体何の音だったのかはわからないが、回避できるレベルのことならばここは慎重に動きさえすれば――


「……」



 ――ぎっ、ギギ。



「……ッ!?」


 明らかに近距離で音が聞こえて、分身フラムは身を竦ませる。そしてその音が聞こえた方向を分析して、いやまさかと天を見上げた瞬間、


「カワ、イイ。イヌ、カワイイ」


 ――塔のような建築物の上に、鎖を握った女が居た。


 修道女のような黒衣を纏い、豊かなウェーブを持つ白く長い髪をベールの中に収めた女だ。年齢は不詳、ただし身長からして子供ではないのは確実だった。


 通路の仄暗い明かりに照らされた頬は青白く、痩せこけた体型をしており、健康体ではないのは誰が見ても歴然。しかし血の通っていないような青紫色の唇は、これ以上ないくらいに口角を吊り上げており、


「ァ、アナタ、アナタァ、アナ、タァァァ……ッ」


 その、片言で繰り返すような言葉遣いが、彼女の言い知れぬ不気味さを昇華している。ただし何よりも恐ろしいのは、


「鉄球……!?」


 細い指に握られ、長い長い鎖の先で塔からぶら下げられた、フラムの頭よりも若干大きな鉄球であった。


 いや、正式にはモーニングスターと呼ばれる部類のものだろう。棘の突き出た鉄球は、修道女(仮名)が鎖を手繰るたびそれに従ってゆっくりと揺れて、時計の振り子のように特定の空間で行ったり来たりを繰り返す。


「カァ、カァイイ、ネ」


「か……可愛い? 何が? 僕がですか……?」


「アナ、タ、ソノ、ソレ、ソレ、ホシイ」


 こちらの話が通じているのかいないのか、壊れたように喋りながら分身フラムの頭を指差す修道女。彼女のとったアクションに数瞬呆然としてから、『えっ、僕の耳ですか?』と困惑しつつ聞き返した。


 すると、


「ミッ……ミミ。ミミ、ミミ、ミミ!!」


「えっ――、」


 興奮したように口を歪めて、ぬるりと光る舌を覗かせる修道女。


 次の瞬間、塔の上に立つ彼女は片手で持ち手を握り、片手で鎖を握った状態で後者の腕を大きく回して、垂れ下がっていた鉄球をぐるりと大きく振り回した。


 すると室内の緩い空気を棘付きの鉄球が殴り破って、次第にそれは残像を帯びながら回転を繰り返し、


「待っ――本当に、本体の僕はなんで僕を引っ込めないんです!?」


 悪寒がして走り出したその瞬間、修道女は鎖をこちらへ向けて放り出し、勢いのついた鉄球をこちらへ飛ばしてきた。

 当然、普通に投げられるよりも速度のあるそれは、逃げ去ろうとする分身フラムの頭に向かう。迫り来る鉄の塊を前にして、1秒後くらいに撒き散らされるであろう血塊の幻影を見つつ、


「ふんっ……」


 分身フラムは全体重を預けた片足に全ての意識を集中させて、犬の半獣人であることを活かした強脚力でその場から進行方向へ飛び跳ねる。

 すれば、真後ろで鉄球がエリア内の建造物に衝突する音がして、


「――ッ!」


 迫り来る床を眼前に左腕を差し出し腕から着地――そのまま身を転がし、肩へとエネルギーの支点を移動させて滑らかにローリングを決める。


 が、


「はっ、ちょっと……!?」


 振り向けばそこにあったはずの建築物が弾け、歪に砕けて瓦礫の雨に様変わりしており、この事態の異常さに分身フラムは頬を引きつらせる。


「本当に、主人は馬鹿なんじゃないですか!?」


 何故ここまで来ても回収がされないのだ、と本体の愚かさを呪いながら一目散にエリア内を駆け抜ける分身フラム。


 方向は本体達の居る場所とは真逆だが、今はそんなことには構っていられない。回収がされないということはあの修道女の攻撃をこれからもろに喰らう可能性があり、そうすれば――死にはしないが、分身とて立派に痛覚が備わっているのだ、死に至る痛みを味わうことになる。


 そんなの分身だからって、死んだら消えてリセットされるからって、嫌に決まっているだろう。


 ただ痛みを味わいたくないという理由だけで、その理由があるからこそ、分身フラムはがむしゃらに逃走を試みる。


 だが、向こうの獲物は不幸なことにもモーニングスター。鎖は異常に長く、修道女から10メートル以内に入ってしまえば確実に血肉へと早変わりだ。つまり修道女の歩速と、モーニングスターの攻撃範囲を考慮しながら逃げる必要がある。


 しかし、この監獄の中において気を払うべきものは他にもあり、


「これじゃ、罠も看守も感知できない……!!」


 全速力の逃走に意識を注ぎ込むことによって、おざなりになる罠や看守への警戒。これで逃げた先で捕まったりしたら笑えないな、と思いつつ疾走を続ければ、後方ではまた修道女の鉄球が空ぶったらしく建築物が呆気なく崩れる音がする。


 そうして、修道女の攻撃と施設内の崩壊により異常事態の匂いが張り巡らされた当エリアでは、流石に眠っていた囚人も目を覚まさざるを得ない。


 今も鉄球を投げる準備をしているのであろう修道女と、彼女から逃げるため犬の獣人の脚力で疾走する分身フラム。彼ら組み合わせを目にするなり、野次馬精神でベッドから出てきた囚人達もどよめいて、


「待て、なんで【シスター・アズノア】が躍起に……!」


「おい、何したんだか知らねえが、獣人の! ……って、逃げ足速ぇよ!!」


「いやっ、逃げてる男はどうでもいい! だが、シスターの鉄球にゃあ俺達まで巻き込まれかねねー!! 早く誰か看守呼べっ、看守!!」


「バッカ、ンな時間帯に起きてんのがバレたら俺らがしょっぴかれんぞ!!」


 混乱というものは伝播しやすいもので、囚人達の騒ぎ声は次々に別の地点の囚人まで起こして、気づけばエリア『ファースト』ほぼ全員が起床している異常事態へと発展。その中で分身フラムは、ふと耳に止めた言葉を吟味しており、


「【シスター・アズノア】……?」


 あの修道女がそう呼ばれているのならば、彼女の役職は格好通り『シスター』で良いのだろう。(鉄球を持っている意味がわからないが。)


 しかしこういった収容施設のシスターといえば、こうして囚人を武器を手に追いかけるような物騒な輩ではなく、もっとこう……囚人の罪を聞いてあげるだとか、死刑直前の囚人の不安を取り除いてあげるだとか、やはりその名にふさわしい職業内容であるイメージだ。あくまでイメージだが。


 なのに、彼女は今現在モーニングスターを片手に狂戦士と化している。


「一体、どうして……」


 独り言のように呟けば、不意に脳内で何かの記憶がちらついた気がした。その記憶がなんだったか、思い出そうとすればふと『鉄球』というワードが引っ掛かり、その単語で本体フラムの記憶を検索していれば、




《あの、今日はですねぇ、その……シャロさんに『サード』の時空間を管理している処刑人さんがいらっしゃる、ってお話はしましたっけ?》


《その方がですね、監獄の中を徘徊される日なんですよぉ……》


《普段は『サード』の中にいらっしゃるようです、中まで入ったことがないので詳しくはわかりませんが……それで、ずーっとぐるぐると色んな場所を歩き回すんですねぇ、主に午後入ってから翌日の夜明けまで〜……》


《ゆうが……まぁ、そうです。愛用の鉄球を振り回しながら歩き回る方でして……牢屋の中に入っていれば問題はないんですが、以前すれ違った囚人の頭蓋を潰すという事故が多発しまして〜》




「……あ」



 ――答えを、見つけてしまった。

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