第73話『あの子に恋をした理由』

 フラムの特殊能力・『冥府の番犬トリプレット・ヘッズ』。


 能力者と性格・思考・特技・好みが完全に一致した実体ある分身を2人まで作ることができ、各々に自我を持たせて行動することが出来る非・上位種の能力。


 分身は殺されても能力者の任意で復活させることができ、逆に分身が自ら消えることは不可能。これも能力者の任意で回収を行い、回収した時に能力者は分身の得た知識や発見を得ることが出来る。


 更に、次の能力使用時には分身にもまた記憶の全てが共有される。


 ただし能力者が分身に絶対強制を出来るような仕組みはなく、何か頼み事をするには能力者が直接交渉をし、分身が了承する必要がある。


 また、分身は主人に反抗することも出来る為、きちんとしたコミュニケーションと信頼関係を要する――と、いうのが主な内容だ。


 それを使用する、というのがフラムからの提案であったが、


「その分身の能力を、具体的にどーやって使うつもりなんだよ」


 提案されただけではイマイチ想定が出来ないジャックは、首の後ろ側をポリポリと掻きながら尋ねる。


「まず、牢屋の内側から鉄格子の前に立って、格子を挟むように分身を出します。いつも分身を出す時は自分の身近から出てくるんで、もしかしたら出せるんじゃないかと思って昨日の深夜に試したんですけど、出来ました」


「え、あの辺って監視カメラついとらんかった……?」


 何度か見ているので確かなはずだ。マオラオが困惑したような表情で呟けば、フラムはぴくりと尻尾を跳ねさせて、海色の瞳をスススーッと横へ流す。


「本当に一瞬出しただけなので、多分大丈夫じゃないかと思います……」


「ワン公気弱そーに見えて勇気あんなァ〜」


 嫌味のように聞こえて、実は本気の称賛を送るジャック。彼の言葉を片耳で受け止めつつ、『それでですね』とフラムは言葉を紡ぎ、


「その後、分身に自由に周囲を移動させます」


「おぉ、なるほど……でもあれやろ、知らんところで分身捕まったらどうするつもりなんよ。分身は自分の意思で自分を消せんのやろ?」


「はい、ですからそこは、マオラオさんの協力を仰ごうと思いまして」


「エッ、オレの? 監視者? ……あぁ、なるほどなァ!」


 マオラオは思い当たることがあったらしい。思いのほか好感触な反応で犬耳の青年は頬を緩めるが、ジャックだけがついていけずにぷんすこと口を尖らせて、


「ジャックくん、わかんない」


「あぁ……えっとな、あんさんオレの能力覚えとる?」


「マオ助の能力……あれか、なんかストーカーみたいなやつ。えっちなやつ」


「あの、悪気なぁく言うてんのはわかっとーけど、あんさんほんまにいちいちヤな言葉使いよるな!? 確かにやらしー能力かもしれへんけど、着替えも風呂覗いたことなんかあらへんしそもそも覗く勇気もないし……」


 わたわたと腕をばたつかせて自らの無罪を証明しようとし、逆に怪しさを増していくマオラオ。そのせいで周囲からの疑いは深くなっており、薄茶髪の青年は気味の悪いくらい口角が吊り上がった笑顔で『ヘェ』と笑って、


「……で、誰の風呂覗いたって??」


「ぶむッ!?」


 闇のオーラを全身に纏いながら、マオラオの顎を鷲掴みするジャック。文句なしの満面の笑みとは裏腹に、殺気のあまりぶるぶると震えるその手には凄まじい握力が込められて、顎の辺りがみしみしと異常な音を立てており、


「マオ助さぁ……オレの弟に時々へーんな目向けてるよなァー?」


「変な目ってなんやねん別にアイツに対してそんなやらしー目を向けた覚えはイダダダダダッッ!!??」


「自覚のないむっつりかぁ……。――楽に逝けると思うなよ」


 茶番にしてはやけに鬼気とした色を含む声に囁かれて、マオラオはこのままだと死ぬことを察知する。全身から汗が吹き出し、冗談じゃなく本当に殺される気がしたので、ギリギリ怪我をさせない程度の力でジャックの手を拒絶。


 飛びのいて四つん這い、威嚇する猫のようなしなやかなポーズを取れば、やけに熱のない琥珀色を研ぎ澄ませたジャックは横目に彼を見やり、


「ま、派手に欲情しなけりゃいーケド。狙ってんなら簡単に手に入ると思うなヨ、何しろこのオレの弟だかんな。そう手の届く位置に居る奴じゃねーゼ?」


 そう固い声音で忠告すれば、警戒の表情を浮かべていたマオラオはふと、驚いたように顔を緩め、その後きつく唇を結んだ。


 僅かに俯けば、切り揃えられた前髪が彼の目元に影を落とす。


「そんなん、誰よりもわかっとるわ」


 マオラオは威嚇の状態を解いて立ち上がると、ギルとシャロが身体を動かしている少し離れたところへ視線を流して呟く。


 その声は自身でも驚くほど小さく、あっという間に風に流されて消えていった。今の発言が聞こえたらしいジャックは視線から割くような鋭さをなくしながらも、険しくシワを刻む少年の横顔を真っ直ぐと目にし、


「バレてんのやったら言うけどな。あんさんに言われんでも、届かんのも、見合わんのも、『好き』って言うてもらへんのも、全部わかっとーで最初から」


 ――ギルのように気も回らない。ペレットのように守ることも出来ない。


 鈍感でタイミングが悪くて、壊すことばかりで何も守れず、ろくに彼のピンチに間に合ったことがない。それがマオラオという人間だ。似合わないことなど誰よりも知っている。隣に居る資格がないことだってそうだ。


「でも、悪いわ、好きなもんは好き。ほんま、こないなことシャロにはもちろん、ギルなんかには絶対言われへんけどな。いじられるんが恐ろしいから」


 初心なものだから最初は見目に騙されて、でも男だった上に中身があんな破天荒でめちゃくちゃだと知って絶望して、けれどそんな迷惑な性格が、楽しくて素敵なものであるように思える日が増えて。


 具体的にいつからかはわからない。でも、気づいたら好きだった。


 無理難題で至極無謀、世間的に見れば男が男を好きになる奇妙な恋愛だ。戦争屋という命のやりとりを常にしている立場もあるし、そもそもマオラオ自身に好かれる要素が微塵もない。成就の望みは誰が見たって薄いだろう。


 それでも、


「……ほんま、どうしようもないとこまで来てんねん。気色悪いとは自分でも思ってんけどな」


 どれだけ身の程知らずで、危険で、叶いようのない恋だとしても、その気持ちに偽りはない。ジャックに告げたようで自問自答――もとい、再確認であったマオラオの発言を受け、ジャックはそこで冷酷な顔つきを初めて崩した。


「マオ助……」


 どんよりとした緩い風が、頬を撫で、横髪をさらっていく。


 紅玉を嵌め込んだような双眸に『彼』を映して、瞬きした瞬間、ボール遊びをしていたその人が手を滑らせてこちらへ豪速球をぶち込むのが見えて、


「……あれ?」


 素っ頓狂な声を上げた瞬間、額にストレートな衝撃が広がって、小さな身体のマオラオはひっくり返って気絶した。





 それから何時間が経ったのだろうか。いや、実はそれほど経っていないのかもしれない。時間感覚の狂った闇の中で、静かにまどろんでいたマオラオはふと意識を取り戻し、自らの体勢を理解すると同時に違和感を捉える。


 仰向けに寝ていることは確かだった。が、やけに頭の位置が高い気がする。しかし枕の感触ではないし――。


 雨粒に頬を濡らされ、マオラオは薄く目を開ける。

 するとそこにあったのは、こちらを覗き込むジャックの顔面。それを見た瞬間、自らの頭を支えている物体がなんなのかを理解し、


「わっ、ぎゃあーーーッ!?」


 絶叫をあげてそこから飛び退けば、正座から足を崩した状態で座っていたらしいジャックはもろに轟音を食らって『うるせぇーッ!!』と白目をむく。


「マオ助、お前……このジャックくんに膝枕されておいて、鼓膜を割りに来るとかどーいうリョーケンだよ! しかもオレの顔見た瞬間に逃げたナ!?」


「いや、大声あげたんは謝るわ、すまん。……でもなんで膝枕!? 状況が掴めんのやけど、っちゅーかまだ屋上におって――」


 と、言いかけていたところに、タイミング悪く割り込んできた存在によってマオラオの意識は全部そちらへ持って行かれ、


「マオっ、ごめん!! 痛くなかった!?」


「え、あぁ……そっか、お前が投げたボールが当たって……」


 手を申し訳なさそうに合わせて謝罪をするシャロを見て、気絶の寸前に見た記憶を思い出すマオラオ。そういえば、何やら感傷的な物思いに耽っていたら、シャロがえげつない手の滑らせ方をしたのだ。


 で、豪速球と化したバスケットボールを額にぶち込まれ、後ろにひっくり返って後頭部をコンクリートに打ちつけた気がする。


 全く、どれだけ肩の力が強いんだか――と、シャロの身体に秘められたパワーに戦々恐々としつつ、マオラオはふと疑問を覚える。


 確かに後頭部強打という大惨事に見舞われはしたが、マオラオの身体はそんなんで気絶するほどやわではないはずだ。事実アンラヴェルでは石の分厚い壁と一緒に殴られたが、それでも血を吐くくらいで気絶まではしなかった。


 まぁ、そこで死なないのがまず奇妙な話なのだが、それは一旦置いておいて。


「あ、せや。オレ監獄に来てから、ろくにトレーニングしとらんのか」


「――うおぉぉぉ……ん? どしたよマオ助、急にぶつぶつと」


 絶叫のせいで耳鳴りのする頭を抱えながら転がり回るのをやめ、突然独り言を始めたマオラオに目を瞬かせるジャック。


 それを受けてマオラオは、『いやぁ……』と髪の中に指を差し込む。そして後頭部の若干腫れた場所に触れつつ、シャロと選手交代してギルのバスケに付き合わされている可哀想なフラムを遠くに見やりながら、


「顔と頭ぶつけたくらいで気絶すんのおかしいなぁ思っててん。けど、しばらく鍛えてないから身体鈍ったんやなーって思ったら、納得行った」


「……? 何言ってんだヨお前は」

 

 頭を打ったせいでおかしくなったのか、と心配と混乱の方向へシフトしていくリップハート兄。するとマオラオは『あぁえっとな』と説明を脳内で順序立てて、


「オレ、ちょい変わった体質でな? 人より運動の影響が身体に出やすいねん」


「ふむ。……出やすい、っつうのは」


「軽ーく筋トレしとるとエラい丈夫で強い身体になるんやけど、ちょーっとでもサボると急に人並み以下のひ弱になってしまうんよ」


「ほー? お得な体質してん……のか??」


 目を瞑り、顎を摘み、首を捻ってうーんと熟考するジャック。対してマオラオは後頭部に差し込んだ指をそのまま手櫛にして髪を梳き、『いや正直オレもわからんねん』ともう片方の手を乱雑に振り、


「人よりちょっと強くなれるんはお得やけど、すぐ弱なるからオレはあんまこの体質好きやないわ」


「そっかァ……あ、じゃあ今の話を聞くに、今のマオラオは運動してなくて弱っちいから気絶したわけで、運動してる本来なら気絶しなかったってこと?」


「そういうことやな。けど……なんや、ジャックの言い方やとエラいオレが負け惜しみしとるよーに聞こえるな」


 ――なんて会話をしていれば、不意にマオラオの白い頬に一滴の雨粒が落ちて濡らされる。それでふと上空を見上げれば、今まではただ地上を陰らせていた曇天の空から冷たい雨が次々と振り始めており、


「あーッ、まずい雨がッッッ!!」


 向こうのベンチでは書類を濡らしてしまったらしく、慌てるあまりキャラを忘れて絶叫しているチャーリーが大急ぎでファイルを抱え込んでいる。


 離れたところでバスケットボール中だったギルとフラムも、流石に降雨とあってはゲームの続行は出来ず、ただ空を見上げたまま突っ立っていた。


「皆さん、早く牢屋に戻ってください!! ……あぁ、鎖に繋がないと移動させられないんだったくそっ」


「凄い勢いでキャラを放棄するじゃんアイツ……」


 間延びする口調もふわふわのキャラクターも、全て捨て去ったチャーリーが慌てて羽織を脱いでファイルを包んでいるのを見て、仕方なく素直にツナギの袖を捲ってやって手首を見せるギル。


 しかしそこへ突然、隣に居たフラムが無言でボールを押しつけてきて、


「え、おいフラム……」


 どこかへ駆けていくフラムの背中に呆然と呟くも、犬耳の青年はそれを聞こうとはしない。ただ彼は、離れたところでシャロと『雨強くなってきたねぇ』と呑気に会話をしているマオラオの方に走り寄り、


「……えっ?」


 彼の小さな肩を鷲掴みしたかと思えば、彼の耳元で何かを囁く。唯一その言葉を聞いた紅色の少年は間抜けな声を上げて、『今日?』と聞き返した。


「――はい。急がないと、しれません」


 透明な雨粒に濡らされるフラムの顔は周囲には見えず、温厚な彼がこの時何を考えていたのかはわからない。


 チャーリーの近くだったということもあって長話はせず、話の詳細までは説明されなかったのだろう。フラムから解放されたマオラオも、呆気にとられたようにぽつんと立って雨に濡れていた。


 ただし、チャーリーの元へ向かったフラムを見送りながらその少年は、


「……何を、考えてんねや」


 フラムの顔を直視して、それに影響されたのだろうか。

 幼さの残った顔を強張らせて、漠然とした恐怖に背筋をなぞられたような気持ちになりながら、震える声音でそう呟いていた。

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