第71話『戦争屋のペレットの殺し方』

 そんなやりとりをしたのが、7日ほど前のことであった。

 脱獄の手がかりは集められないまま軽率に時間は過ぎ行き、投獄9日目(処刑まで51日)となった日の昼過ぎ。


 ギル・シャロ・ジャック・マオラオ・フラムの(何故かチャーリーからは第7班と名付けられた)5名は、監獄の刑務作業を身体に馴染ませ、ただ黙々と何かしらの機械のパーツを組み立てていた。


 場所はヴァスティハス収容監獄の地下1階。ただ組み立て作業をする為だけのつまらないデザインをした大部屋の一角で、彼らはまとまって着席して説明書とパーツへ交互に視線を走らせる。ただ淡々と、粛々と。


 無論、脱獄する気は十分にある。あるのだが、しかしあまりに糸口が掴めずに気が立っているせいで、口を開く気が起きないのだ。


 ちなみに、それで起こる二次災害は何かというと、


「――ギル、怖い顔してるよ」


「……あ、マジか」


 シャロに言われて初めて険しい顔をしていたことに気づき、打ち消すように目を瞬かせるギル。彼は『さんきゅー』と言ってまた説明書を眺め始めたが、ギルの表情が普通の思案顔に変わってもなお、シャロの瞳から憂いは消えない。


 本人は気づいていなかったようだが、今までのギルは本当に酷かった。定期的に舌打ちをするわ、溜息を吐くわで彼が胸中に濁らせる不快感が周囲に伝播し、マオラオとフラム辺りも次第に機嫌が悪くなっているのだ。


 しかしところ変わって、それほど影響を受けていないのが我が兄である。


 基本的に能天気なジャックは、疲労こそ見せているが文句を言うような素振りは全くないのだ。むしろ単純作業にもゲーム性を見出しているようであり、流石我が兄と称えたいところだがその能天気さが裏目となっているのも確か。


 割と楽しんでやっているジャックは周囲の変化に疎く、不機嫌MAXの人物にも余裕で話しかけに行く。まさに喋る地雷とあだ名するに相応しく、


「……兄ぃ、しーっ」


 意外にも機械類と相性が良いのか、職人並みの速さでパーツを組み立て、ハミングまでしていたジャックにシャロは鋭く静かな息を聞かせる。するとジャックは我に返り、『あ、いけね』と鼻歌を止めた。


「……」


 頭痛がする。この状況で全体をまともに見れているのが、自分だけであるという状態にシャロは目眩に見舞われていた。いや、フラム辺りはまだ周囲を窺えているだろうが、シャロのように周囲へ口出しする勇気が足りていなかった。


 結果、皆を繋ぎ止めるかすがいの役割を果たしているのがシャロだけになってしまっているのだ。


 シャロは額を押さえ、瞑目して俯き、ふるふると何度か首を横に振る。今にも出そうな溜息は喉で殺し、んん、と咳払いに変換して作業に戻り――。


「はぁい、7班は作業終了です〜」


「……あ」


 チャーリーの声と短い拍手に意識を引き戻されて、シャロは深海に沈むような長い無意識の世界から我に返る。見れば、既に作業開始から3時間も経過しており、目の前ではチャーリーが出来上がったパーツを回収をしている最中であった。


「はい、シャロさん回収です」


「あ、うん。これと、これと……」


 最後にシャロがパーツを渡せば、全てチャーリーの抱えている大きな段ボール箱の中に収められていく。そうして許容量ギリギリとなった箱を抱え上げると、受け取りに近くまで来た白装束へと譲渡。


 ギルやマオラオらが席を立って移動する中、シャロだけは他の班の囚人やそれを担当する白装束達の行動をぼーっと眺めており、


「――。……ッ!?」


 ふと1人。どこの班から来たかはわからないが、フードを目深に被ったある白装束の、ソイツの奇妙な歩き方に見覚えがあって、シャロは席を立ち上がった。


「ねぇ、ちょっと……」


 音を立てないよう最大限に気が払われた、よく見ると足の動かし方がぬるぬるとしていて気持ちの悪いあの歩行。それをシャロは知っている。最近は任務続きで見る機会は全くなかったが、模擬戦闘の時にはよくあいつがやっているのだ。


 対象に気配を察知されない為の、暗殺者の為の歩法――。


 ここ数年の記憶がない、と話していたあいつを、フィオネが興味本位と高い期待で引き取った当初。まだあいつが礼儀正しい後輩であった頃、模擬戦闘の後で『自分にも教えてくれ』と頼んだシャロに対して、彼がそう説明したのを覚えている。


 『幼少期に習った特別な歩き方で、センスが必要とされるからきっとシャロ先輩には無理だ』と。


 今思えばあの時から馬鹿にされていたのでは、と疑問に思わなくもないが、とにかくこの世であの歩法を使えるのは本当にごく僅かだと聞いているから、この状況下で彼以外の可能性がシャロには考えられなかった。


「まっ、待って!!」


 シャロは弾かれたように追憶から返ると、その白装束が作業部屋の裏側――事務用通路に入っていくのを目で追いかける。だが、フードを目深に被ったそいつは歩いているはずなのに圧倒的に足が速く、


「ねぇ、待ってってば!!」


 丁度ギルらに注意を向けていたチャーリーの目を掻い潜り、シャロは白装束の背を追いかけて走り寄る。案の定こちらを振り返ってくれることはないが、それでも無理やり手首を引っ掴んで振り向かせた。


 するとぐるんとこちらを振り向かされて、純白の羽織がひらりと舞う。乱雑に引っ張ったせいでフードが取れて、猫っ毛の黒髪がふわりと靡いた。



 ――きちんと、話をして欲しかった。



 預かり知らぬ所で裏切られて、ただわからぬまま静かに怒りをたぎらせて、カスみたいに残されたどうしようもない煮凝りを、全部綺麗に洗い流して欲しかった。真実を本人の口から説明して欲しかった。


 なのに。


「――」


 振り向かせればそこにあると思っていた紫色の双眸は。実際に、そこにあった両眼は。今まで、腹立たしいと思っていたその瞳は。



「……なんでしょう?」



「ッ、あ」


 知っている色、知っている形。


 それなのに、今まで1度も触れたことのなかった冷たい目線に、シャロは唇を小さく震わせて『声』になれなかった吐息を落とす。


「……ッ!!」


 真っ白な装束を纏って、彼がそこに立っていることが何よりもの証拠だった。


 本当に裏切っている。その事実を目の前にしたシャロは、しかしそれを理解できたとしても信じたくなくて喉を凍らせる。肝心な時なのに声が出ない。言いたい言葉は沢山あるのに、何から言えば良いのかがわからない。


 でも、今何かを伝えなければいけない気がする。感情を全て消し去ったような、その透明な笑みも腹が立つ。似合わなくって反吐が出る。


「……なに、かんがえてんのか、知らないけど」


 声を震わせて、唇も指先も震わせて、怒りを宿した双眸で睨みつける。ただ人形のようにお行儀よく微笑む少年に反し、荒れ狂う感情をそのまま顔に映して、砕いてしまいそうなほど強く奥歯を食い縛った。


 平気で裏切ったことも、屋敷を壊したことも、こうして今捕まっている仲間に対してなんとも思っていないような目をしていることも、全部、全部、全部。


「ぜったいに、ぜったいに……!!」


 許さない。


 と、言葉を紡ごうとしてふと、口が止まる。


「……?」


 逃がさないよう掴んでいた少年が、ふと安堵の溜息を溢したのだ。よく聞き取れたものだと聞き取ったシャロ自身が驚くくらい、本当に小さな吐息であったが。


「――『絶対に』、なんですか?」


 それでも顔に感情を滲ませることはなく、少年は透明に笑った。

 どんな色もそこには存在せず、ただどこまでも作り物の笑みだった。


 そんな気持ちの悪い笑みで、彼は次の言葉を待ち望んでいた。早く拒絶されて楽になりたいという願いがその一言に込められていて、そこには確かに少年が殺しきれなかった『そいつ』の意思があった。


 あぁ、そうか。


 こいつは元々の関係を終わらせる為に、自分のことを拒絶して欲しいと考えているのである。そうすれば、お互いに気兼ねなく敵対できるから。それに、裏切った自分に対して『連れ戻そう』なんて優しい感情を持って欲しくないのだろう。


 戦争の世界において、裏切りは大きな罪であるから。

 その自覚があるから許して欲しくない。徹底的に嫌われていたいのだ。


 はぁ、なるほどわかった。

 少年の切なる願いを受けて、シャロは口角を吊り上げ満面の笑みを浮かべる。


 ――馬鹿が。誰が、お前の願いなど聞いてやるものか。


「絶対に、助けるから」


「……」


 それは、シャロが選んだ最大の仕返しであった。


 少年のただ1つの願いすら聞き入れず、言葉の鎖で締め上げて、少年の立場をより窮屈なものとする。それこそが日々の恨みの清算であり、呪いよりも苦く強く束縛するある種の――愛情、とは気持ちが悪くて言えないが。


 ――少年の演技は、完璧に等しかった。ミリ単位まで計算された笑みは無色透明で機械的に端正。生命としての熱すら瞳に宿らせず、生き人形と呼ぶに相応しく、普通であれば彼の計算が狂うことはなかった。


 ただし、


「それじゃあ、またね・・・


 掴んでいた手首からそっと手を離し、悪戯な笑みを含んだまま、シャロは身を翻して他の仲間達の場所へと戻る。その小さな背中を、初めてここで哀しげな色を浮かべて、少年が静かに睨みつけていたことには気づかない。


 そう、世界で最もペレットを嫌っている彼に、計算通りの対応を要求したことこそが少年の――ペレット=イェットマンの最大の間違いであった。





 身を翻して作業部屋に戻っていくシャロの背を視線で追って、姿が見えなくなると静かに瞼で視線を切って振り返る。


 するとそこには、いつの間にやら男が立っていた。


「……アドさん」


 なんと言えば良いか分からず、そう彼の名前を口にすると、緩い金髪の男はペレットの心境など見透かしたかのように微笑んだ。ただしそこに安心感を与えるような温度はない。彼はむしろ、この状況を面白がっているようだった。


「――堕とされたか?」


「まさか」


 震わせるほどの威圧感を含んだ低い声がゆったりと問い、ペレットは再び透明な微笑を作り直して答える。


「あの人は、ボクの願いを聞き入れてはくれませんでした。酷い人です」


「拒絶されることが望みだったと?」


「……そうですね。あそこで罵言雑言を吐き散らかしてくれたら、ボクはこんな想いをせずに済んだ。それをわかっててああ言うんですから。だから、ボクはあの人が苦手で大嫌いなんです」


 静かに溜息を溢したペレットは、そのまま瞑目して自らを暗闇に閉じ込める。


 どれほど緻密な計算の上で働いて、絶対に間違わぬように、1歩の足取りにも気を払うくらいの繊細な注意を払って行動しても、彼が介入するだけでめちゃくちゃにされる。それを悪びれもしないのだから、ペレットは余計に彼が嫌いだった。


 愚直で自分勝手で強欲で傲岸不遜で、後先など考えず猪みたいに走る人。いつも警戒して人の顔色を伺って、無欲で誰かに指示を貰うことでしかろくに動けない自分とは反対で、傲慢なところだけが何故か似ていて。


 唯一似た点がよりによってそれなのだから、当然噛み合うこともないし反りは当然合わない。だから嫌だった。本当に『苦手』だった。


 けれどヘヴンズゲートの記憶がなかったあの時は、捨てられない為に、戦争屋の仲間でいる為に、全員から構ってもらえる必要があって。だから煽って、うざったく絡んで、馬鹿みたいに何度もピンチに陥るあの人を馬鹿みたいに何度も助けて。


 そうじゃないと捨てられるから。捨てられたくなくて、消えた記憶のぶん心を埋めてくれるあの場所を手放したくなくて。


 だから、苦手なあの人にも積極的に絡んだ。あの人との関係が、自分が『戦争屋のペレット』であろうとした何よりの証拠だった。


 だから記憶が戻った今、『天国の番人ヘヴンズゲートのペレット』という生き方を得た今、あの人から拒絶されることで本当に『戦争屋のペレット』は死ねるはずだったのに。


「ボクが殺しきれなかったボクを、あの人なら殺してくれると思ってたんですけどね」


「ほう。君の計算が、狂ったのか」


 ――目を開けた途端、眼前の男は顎に指を添え、好奇の色を純血が如き双眸に乗せていた。知性的な顔つきと重厚感ある軍服の格好が相まって、その知識欲に満ちた男の姿は見る者を惹きつけ、自身を一枚の芸術品へと昇華する。


 いっそ魔性と疑えるようなこの引力こそが、彼を『神様』たらしめている元凶なのだろう。思わず吸い込まれかけ、しかし舌を強めに噛んで目を覚まし、


「ええ、彼は相当異質です。何故あぁもおかしいのか、知りません?」


「いや、知らないな。生憎と私が観測しているのは『ギル』と『ジュリオット』、そして『フィオネ』だけだ。それ以外の構成員に関しては、今挙げた3名に比べてしまうとね……興味が薄いんだよ」


 もっとも、と金髪の美丈夫は腕を組み、


「『シャルル』に関しては、丁度今ヨハンが調べ物をしているらしいが」


「ヨハン……あぁ、あの男優気取りの気持ち悪い監獄長ですか」


 突然出された変態の名前にそこで初めて顔をしかめれば、相対して優雅な手つきで口元を隠したアドは『はっ』と笑い、


「散々な言われようだが、そうだソイツだ。気になるならそちらに聞けば何か情報は得れるかもしれないな。まぁ、そうでなくてもアイツは色んなことを知ってる。話題には飽くことはないから、1度ヤツと会話を試みるのも良い」


「……ありがとうございます。今度にでも。――しかし、こんなところで貴方が足を止めていて良いんです? 【神様】って暇じゃないと思うんですけど」


 皮肉と嫌味をたっぷりと告げる、2年の間ですっかり癖になってしまったいつもの姿勢で構えるペレット。しかしアドは否定することなく、ただ堂々と頷いてその姿勢を足から崩してやり、


「あァ、その通りだ。単純に話し相手を探していたんだよ。神様ってのは存外に暇なものでね、ただ私の仕事はやるべきことをやるべき人間に教えることくらいさ。それで神様だなんて過大評価がついているんだから、いやあ照れる照れる」


 声音とリアクションはわざとらしく、しかし照れたように緩い笑みを浮かべるその最中で、生きた血の色をした瞳は面白そうに嗤っていた。


 彼は本当に、指示を出すだけの自らを勝手に『神様』と崇める信者達が、不思議で面白くて仕方がないのだ。もっとも今ではそれも受け入れて、神様たる自覚を持っている様子が微かに見られるが。


「……やるべきことを、やるべき人間に。それはどういう根拠から割り振っているんです?」


「まァ、あれだね、私もこう見えて長い長い悠久の時を生きている。だから失敗ばかりだった、青かった頃の経験を活かしてね。似たような状況に陥った場合、誰が何をやれば上手くいくかを考えるんだ。そうすれば自ずと正解に辿り着く」


「……アンラヴェルでの神子の誘拐は、失敗したようですけども」


 そう冷えた目をして、重箱の隅をつつくような真似をすれば、アドは『あぁー痛い痛い』と困ったような笑みを浮かべながら視線を逸らし、


「そうだとも、君たちのおかげでどうにも、今回は上手くいってないんだよ。君らはあれだ、私の経験からすると相当おかしい。法則通りに動かないというのは――いや、そもそも法則がないというのは実に困ったもんだ。……ただし、」


 ゆったりと、柔らかく生えた薄金髪に手を差し込んで整える。その髪が廊下の照明に煌めき、アドの存在感をより強調させ、


「何度でも、取り返しはきちんとつくよ。約束しよう」

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