第70話『難しいことを考える時間』

 ひとまず手当を終えたマオラオは、チャーリーからの説明を受けつつ牢屋に帰還した。


 その道中、チャーリーから聞いたのは以下の2つだ。


 1つ目、あの軍服男は本名を公開しておらず、『六熾天使』といういわゆる幹部のメンバーだけが『アド』と親しみを込めて渾名で呼んでいること。


 2つ目、『六熾天使』は現在世界中に分布して活動をしており、マオラオが知っているのは【イツメ=カンナギ】のみ。ちなみにまだ会ってはいないが、ここの監獄長だという変態男も『六熾天使』と呼ばれているらしい。


 つまりここの監獄長は、イツメ並みの強さを誇っているということ。


 マオラオはイツメの戦いぶりを実際には見ていないが、あのギルを捕まえたのが彼女の功績だという話は後から白装束に聞かされていたので、少なくともギル以上の戦力を持っていると仮定しなければならない。


 しかしそれに関して1つ懸念しておきたいのが、


「あの人、確実に鬼族よなぁ……?」


「イツメさんのことですかぁ? そうですけどぉ……」


「せやんな、やっぱりそうやんな」


 カジノ『グラン・ノアール』の入場前、出会い頭にイツメがミレーユの首筋を舐めたあの時から、マオラオは密かに確信していた。


 というのも、鬼族は基本的に他族と同じように豚肉や鶏肉、はたまたは魚や野菜等を食して生活しているのだが、それよりも遥か前の鬼族は『食人鬼』と呼ばれ、獲物の首筋を舐めてマーキングをしておく習性があったと言われているのだ。


 だから、その話を元々知っていたマオラオは、その時から彼女が鬼族であると睨んでおり、『この人に近づいたらあかん』とこっそり距離を取っていたのだ。


「……なぁ、人間の肉って美味いんかな」


「何を貴方は言ってるんですかぁ……??」


 チャーリーから奇異の目を向けられるようになりつつ、マオラオは無事牢屋へと帰還。専用の牢屋である10012番の牢屋の鍵開けを待っていたその時、彼は不意に収監されている人数が多いことに気づき、


「……ん!? 待って、どういうことや!? な……なんで、いつの間に!? いつの間にシャロが来たんや!?」


 大声を張り上げると、『ソイツ』はこちらを向いてぱっと笑顔の花を咲かせた。


「んぁ、マオじゃーん! うい〜」


 『えっ、えっ?』と壊れたように繰り返しているマオラオをさておき、10011番の鉄格子を挟んで悠々と手を振りかけてくる混乱の元凶――シャロ。


 彼があまりにもへらへらとしているので、思考の停滞時間から覚めたマオラオはつい『ハァー!?』とキレながら鉄格子に掴みかかり、


「おま、お前なぁ……! おま、おま……エッ、身体は!? 気分は悪ないの、大丈夫なん? あんさん変な我慢癖あるしそうやなくても自分の異変に気づかんとこあるから、きちんとそういうんは自覚してやな……」


「いや、めっちゃ兄ぃみたいな心配の仕方するじゃん……だァいじょぶだ〜ぁって、ちょーっと身体がだるいくらいでほとんど平気〜」


 親しげに手を振られ、余裕そうな笑みを向けられて、つい『ウ……』と言葉に詰まるマオラオ。シャロは本人が大丈夫と言っても大丈夫じゃない場合がほとんどなのだが、かと言ってこれ以上うるさく言うのも嫌だった。


 最近、なんだか小言を言う度に、自分が年寄り臭い気がしてならないのだ。

 だから口をきゅっと固く結び、舌に乗せかかっていた言葉を『……そうか』とたった一言に変換して、戦争屋の年寄りポジションイメージの払拭に努める。


 年寄り担当はジュリオットだけで十分だ。そう自分に言い聞かせていると、


「はーい、貴方のおうちはこっちですよぉっと」


 解錠したチャーリーに首根っこを引っ掴まれ、マオラオはズルズルと10012番の牢屋にまで連れて行かれた。しかし今度は、


「……ん!? ん!? 見間違い……やないやんな!? え、なんで隣の牢屋にフラムがおんねや!?」


「あぁ〜……えっと」


 周りも憚らずに殺人的な叫声を上げるマオラオの手前、空色の頭をした犬耳の青年が目を逸らす。いや、フラムなのか? 見間違いでなければ、あのフラムで合っていると思うのだが。あまりに場違いで自信がなくなってきた。


「……フラム、やんな?」


「……はい」


 犬耳を垂れさせながら、肯定するフラム。相当後ろめたいのだろう、いつもはバタバタしているはずの尻尾までだらんと垂れ下がっていた。


 そんな彼が着ているのはマオラオ達と同じ囚人服、橙色が眩しい作業着だ。つまりフラムも囚人として収監されたということであり、


「なんでや、あんさんは拠点におったやろ!?」


「まぁまぁ落ち着けマオラオ、とりあえずお前もこっち入れよ。俺らもこれからコイツに聞き出すところだったからよォ」


 動転するマオラオの気を鎮めてやるのは、10013番に居るすっかり牢屋慣れしたような態度のギルだ。彼の言葉でひとまず黙ったマオラオは、チャーリーに格子扉を開けられて静かに収監される。


「おれも話聞いときますか〜?」


「いやなんでお前が……や、この場合お前って居た方が良いのか? うーん……とりあえず呼んだら出てこれるところに居ろ、なんか聞くかもしんねーから」


「なぁんて酷い扱いなんでしょう」


 空色の髪の青年はその場でしゃがみ込み、縮こまり、床に同じ文字を指でぐりぐりと書き続ける。実際聞くことがあるかもわからないのに残ってくれる辺り、頼られたい欲求のようなものが彼の中にあるのだろうか。


 これで煽り癖さえなければ可愛いのにと血色の瞳で眺めつつ、ギルは物事を整理しようと頭を回し、


「まず、フラム以外のことに関して、全員で認識のすり合わせはやっとくかァ」


「そうだねぇ、お互い結構バラバラに動いてたもんね」


 ギルの提案にシャロの共感を得て、彼らはカジノでの立ち回りから現在までの出来事について各視点を説明する。最中、特に長くなったのがシャロの話で、


「兄ぃとマオと、ミレーユちゃんがまとめて体力持ってかれて、名前を偽ってたウチだけが逃げたんだよ。なんだケド、ミレーユちゃんを抱えて走ってたら目が見えなくなったり、音が聞こえなくなったりして……」


「あぁ、それが『五感を奪う呪い』って奴なんやな。そんで、呪いが多重にかかって精神がイカれたんやって、移送船で白装束から話を聞いとるんやけど」


「あっ、そうなんだよ、でね! アバさん……アバシィナって金髪の男の人が、シャロちゃんにかかった呪いを全部解いてくれるって言ってくれたんだけど、」


「そいつってもしかしてアレじゃね? 褐色肌の奴か?」


 シャロの話を元に最近の出来事を追憶し、いつぞやにすれ違った快活そうな青年の姿を脳裏に浮かべるギル。


 あの時、刑務作業中にマオラオが怪我をしてしまったため先にギルだけ収監されていたのだが、牢屋までの道中ですれ違った、赤髪の女看守に連れられた褐色肌の男がやけにギルをじろじろと見ていたのだ。


 それに重ねて珍しい肌色をしていたことや、気になるワードを使ってチャーリーが彼の話をしていたので、割と鮮烈に記憶に残っていたのだが、


「ん、よく知ってんね? そうそう、でも『サード』送りとか言われてて。いや、それはともかく置いといて、そうだよ、ウチが五感を奪われた後のことを知りたいんだケド……誰か知ってる人居ないの?」


「んや、でも確かウサ子……ミレーユは戦争屋お前らの仲間に回収された、みたいな説明を受けた気がすんぜー? 船の中で起きた時に。あとー、あの氷漬けの奴。なんだっけ、そうかジュリオットか、アレも回収されたって」


「おい、待てジュリさん氷漬けは初めて聞いたんだが?? いやでも待て、氷漬けはかなり面白いけど、そうなるとペレットはどうやって脱出したわけ?」


「えーっとなんだっけ、アイツはミレーユちゃんと再会した時に聞いた気が……アッそうだ、『影の中に消えた』みたいな説明された気がする」


「影の中に消えたって、アレじゃねーかよ『白黒女』! ってことはあのアマの手元にあるってことか? そしたら……」


 ギルは更に追憶し、イツメと交戦していた時のことを思い出す。

 あの時、突然『空間操作』で動きを止められたような感覚が一瞬あったのだ。


 あの時はまさかと思ったが、イツメの手元にペレットが居るならあの場で『空間操作』が使われた可能性も――いや、そうなると何故、ペレットがギルの邪魔をする必要がある? もしや唆されて手のひらを返した?


 否、ペレットがそう簡単に裏切るはずもない。確かに自らの保身を優先して権力者に付き従い、主人を取っ替え引っ替えするようなところがあるが、それは日常における茶番でのみの行動のはず。いや、そうであって欲しいが――。


「うーん……?」


 誰もが知らぬペレットの行方について、全員で終わらぬ思考を巡らせていたその時。ふと、今まで黙り込んでいたフラムが、力のない声で呟いた。


「ペレットさんは生きてますよ。それに、普通に動いていました」


「んぇ? なんて?」


 10014番から1番遠い位置に居る10010番のジャックが、微かに耳に触れた声に聞き返す。するとフラムは寝台に乗ったのか軋むような音を立て、牢屋を隔てている壁の上側の金網から顔を見せて、


「ペレットさんは、僕のところに来ていました」


「……どういうこと? ペレットが拠点に1回帰ったの?」


「よくわからないんですけど……フィオネさんが皆さんを迎えに発たれてから何日か経過した日、屋敷が襲撃を受けたんです。なんですけど、その前にペレットさんに会っていて……白い、衣装? を着ていました」


「……!?」


 フラムの衝撃の告白に、ギル・シャロ・マオラオの3名が驚愕をそれぞれ表情に見せる。もっとも、お互いの顔が見える状況ではないのだが、一気に周囲の気が張り詰めたことから、仲間が同様の反応をしたことを互いに理解していた。


 ただ1人、ペレットのことを知らないジャックだけは微妙な反応を見せており、


「つまりそれって、お前らの仲間がヘヴンズゲートに寝返ったってコト?」


「……ほんまに包み隠さんで言うやんけ」


 ジャックが言葉にしたことでその可能性がより鋭く皆の胸に突き刺さり、マオラオが複雑な心境から声を捻り出して苦笑い。


 ――ペレットが、寝返った?


 その短い言葉は、思いのほか殺傷力を誇っていた。故に、組織の中でも特に彼と交流のあった――悪ガキ、と1つの言葉でペレットと一緒に括られていた3名は黙り込むしかない。


 フラムの証言が直接ペレットの裏切り説に通じている訳ではないが、戦争屋の拠点を襲撃したグループの中に彼が混じっていて、その彼が白装束を纏っていたのだとすれば、思い当たるのはジャックが口頭で明文化したような可能性だけ。


 声を出すのも困難になるような衝撃のあと、各員にふつふつと湧き上がるのは『だとしたら一体、何故』という疑問だ。何故裏切ったのかというのもそうだが、何故あのタイミングで――という引っ掛かりが胸中に残っているのである。


 だが、


「……あ」


 ジャックでさえも空気を察して重苦しい雰囲気に拍車をかけていた最中、ギルは枯れた低い声で呟きを唇から落とす。


 彼が思い返していたのは、またもやイツメとの交戦中のことだ。彼女からは沢山のことをまとめて言われたので未だ情報に整理がついていないのだが、確かに彼女はギルが身動きを制限されたあの瞬間、嗜虐的な笑みを含んでこう告げたのだ。



《あの娘は……セレーネはそれに従ってドゥラマに遠征、記憶を盗んだ後はアンラヴェルにてメイドのフリをしつつ、ジャックの記憶を保持していた。――【ペレット=イェットマン】の記憶と合わせてな》



 イツメ曰く、記憶をセレーネに盗まれたことでギルを忘れてしまったジャック。しかしシャロがセレーネを殺したことで保持していた記憶がジャックに帰り、こうしてギルのことを知っているジャックに戻っている。


 が、セレーネが死んでジャックに記憶が戻ると同時、奪われていた何かしらの記憶がペレットに戻っていたのだとすれば――。


「裏切りじゃなくて、そもそもアイツ、あっちの人間だったんじゃねーの」


「……どういうことです? ギルさん」


 フラムが金網に張り付いたまま、説明を要求。他のメンバーからも解説を求められた気がしたので、ギルはイツメの発言に関してを簡単に説明した。自分でも動揺しすぎて、何を言っているのかわからなかったが。


「――から、向こうに居た頃の記憶を返されて、戻ったんじゃないかって」


「じゃあ、アンラヴェルでその……セレーネって女の人が言うとった『酸いも甘いも噛み分けてきた仲間』っちゅうんはほんまのことやったんか……?」


「の、可能性が高いな」


 つまり、最初からペレットは戦争屋にスパイをしに来ていたのだ。そもそも彼が戦争屋の仲間であると思っていたこと自体が、勘違いだったのである。


「でも、スパイするのにそれまでの記憶を取り除いたら意味なくない? 本来の目的も忘れちゃうわけでしょ?」


「そう思ったんだがな。そういやこっちには『絶対審判』っつースパイには厄介な能力を持ってるむっつり眼鏡が居んだろ? 多分、それだ。そこの目を掻い潜る為に記憶を抜かれたんだ。だから……」


 と、少し間を置いて考え抜いてから、『あ、いや違うな』とギルは考えを改め、


「スパイっつう言い方は語弊があったな。多分泳がせるだけ泳がせて、時が来たら記憶を戻すつもりだったんだ。無垢で無知な状態からスタートさせて、運良く仲間に迎えられれば、自然とコッチの機密情報に触れられるって考えたんだろうな」


 もっとも肝心のペレットにスパイの自覚がないので、相当な時間がかかる見通しだったのだろうが。しかしそこまで手間暇かけて潜入をさせるとは、ヘヴンズゲートは戦争屋に対してどのように思っていたのだろうか。


 普通に直接潰しに来ない辺り、それほど厄介だと思われている気はしない。ジュリオットの目を掻い潜るためとはいえスパイ役の記憶も預かる辺り、割と余裕というか愉悦的な意思も感じる。


 というか、ペレットがうちに来たのは大体2年前くらいのはずだが、その頃から向こうは一方的に『戦争屋インフェルノ』を知っていたのか――?


 と、複雑怪奇な思考を広げていると、マオラオが難しげに『うーん』と唸り、


「でも、そんなに機密情報ってあるかぁ? 確かに遠征の大事な情報なんかはペレットにも共有してきたやろうけど、それって全部過去の話になっとるし……」


「そーっこなんだよなぁ……なぁチャーリー、お前はなんか知らねーの?」


 思考がどん詰まりし、ついにチャーリーを呼び寄せるギル。すると未だに床に文字を描いていたチャーリーは、檸檬色の瞳を輝かせた顔を上げ、しかし慌てて自分の立場を思い出したように真剣な表情になり、


「おれは幹部じゃないので、組織の考えはあまり知りませんけどぉ……」


 ――でも、と間延びした口調を一旦区切り、


「神様は慎重なお方です。賭けにはあまり出られない。ですから、ペレットくんにスパイ活動をさせればきちんと利益が得られると、確信した上で送り出されているはずです。……故に、貴方達は確実に、重要な情報を盗まれている」


「おーん。随分とストーキングがベテランな神様だァ」


 趣味わる、と心の中で呟いて、ギルは簡易ベッドに寝転がる。


 ペレットの真意も、ヘヴンズゲートの目的も、今の自分達には到底見当がつかないので、今日の難しいことを考える時間はここでお開きとなった。

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