第67話『――本当に、ごめんなさい』

 2話連続投稿の2話目です。




――――――――――



 投獄2日目、死刑まで残り59日となる日の朝。


 その日は昨日の悪天候が嘘のように晴れており、秋晴れという言葉が相応しい気持ちの良い気候をしていた。


 朝食は西食せいしょくとやらで、『ハクマイ』と『わかめと豆腐のミソシル』と『焼き鮭』のセット。これがまた絶妙な組み合わせで、囚人組の彼らは西の食事の凄さを自らの舌をもって思い知らされていた。


 そして今日は朝から刑務作業が開始。妙なことに今回はチーム分けがなされ、昼食作りをギルとマオラオ、裏庭の草刈り担当がジャックという振り分けになり、


「ネェ! なんでオレ1人だけなの!?」


 牢屋からただ1人出されるや否やチャーリーの胸ぐらを掴み上げれば、それを振り払われつつ『だって昨日、厨房爆発させたの貴方じゃないですか〜』と説得力のある説明をされ、仕方なくジャックは裏庭への案内に追従。


 ジャックが主犯だったとはいえギルのせいでもあるのだから、ギルも一緒に連れてきてくれれば良いのに、と内心ゴネていれば、既に数名の囚人が草刈りに励んでいる裏庭へと到着しており、


「じゃあ、こちらの鎌とゴミ袋と軍手をどうぞ〜」


「へーい、アリガト」


 ジャックは手渡された軍手を装着すると、草刈り用の鎌と袋を受け取って適当な場所でしゃがみ込む。


 こうした作業に縁がなくやり方はわからないのだが、鎌を渡されたということは根元から刈り取れということだろう。ならば自分にも出来そうだ、とめぼしい雑草を引っ張りながら、もう片方の手で鎌を横から叩きつける。


「……」


 ――おかしい、切れない。


 いや、切れることには切れるのだが、掴んだ草の束のうちのほんの少ししか切れなかった。何故だ、思いっきり叩きつけたはずなのに。


 雑草と鎌を見つめて、ジャックは数秒間にらめっこ。そのとき不意に、真後ろで雑草をザッと踏む足音がして、


「……兄ぃ?」


「はい兄ぃです……ん!? シャロ!?」


 背中にかけられた声を愛弟あいていのそれと捉え、ジャックは光の速さで上半身を大きく捻って振り返る。すると、やはり視界に映ったのは自分と酷似した、しかし自分より遥かに線の細い弟・シャロの姿だった。


 親バカならぬ兄バカのフィルターを差し引いても愛らしい顔立ちだが、しかし今日は最後に見た時よりも顔に覇気がなく、疲労が滲み出ているような気がする。


 格好は最後に見たよそ行きのドレスから一変して、ジャックと同じオレンジ色の囚人服を着用している。どうやら身長が150センチ台の彼は女性用を選んだらしく、だぼだぼのマオラオとは違って丈も裾もジャストフィットしていた。


 本気で折ろうと思えば手折れてしまいそうな首についた、無骨で不似合いな鉛色の首輪が酷く憎々しいがそれよりも、


「……まっ、おま、シャロ……大丈夫なのか、身体は!!」


 鎌も雑草も全て捨て、シャロの腰に抱きつくジャック。その勢いで一瞬後ろによろけたシャロは、体勢を崩す寸前で支えとなる足を出してどうにかキープし、己の腹の辺りに寄せられた最愛の兄の頭をそっと撫でた。


「大丈夫、多分。……あとね、雑草はこうやって刈るんだよ、兄ぃ」


 シャロはジャックの暑苦しい抱擁から抜け出すと、兄が苦戦していた雑草の束の前にしゃがみ込んで、投げ捨てられていた鎌を手にする。そして素手のままで雑草を持つと、鎌の刃を根元につけて、


「……お」


 手前に引かれた瞬間、ジャックはその鮮やかさに思わず声をあげた。あんなに苦戦していた雑草が、まるで自ら刈られることを望んだように簡単に切れたのだ。


「すっげぇぇぇえええ!! やーっぱシャロ、天才だナァ!? 超すげぇ、エッ、オレにも教えて教えて!!」


 お世辞ではなく、元々抱える感情がいちいち大きいのでオーバーなリアクションで我が弟を褒め称えるジャック。するとシャロは緩く微笑んで、握っていた鎌をジャックに返し、


「兄ぃ、なんでもね。刈る時はちょっとだけ手前に引くんだよ、そうすると綺麗に切れるからさ」


「オッケー、じゃあオレもやってみる……っと、なぁ、その前に1個」


「うん?」


「シャロはどうしてここに居んだ? 道具一式はもらってねーみてぇだし、草刈りを命令されてるって感じにゃあ見えねーんだケド……」


 もしかするとチャーリーが特別優しかっただけで、普通は草刈りの刑務作業に道具なんて渡されないのだろうか? と思考を巡らせるジャック。しかしシンキング開始から僅かのタイミングで、シャロが首を振ってその回路を停止させ、


「あの……ジャック兄ぃと会わせてくれるって聞いて、それで来たの」


「ん? 誰が? チャーリーって野郎が言ったのか? オレ限定ってこたぁ、オレじゃなきゃいけない理由があるってことか……?」


 そうなると、ジャックのみが違う作業場に移された理由もはっきりする。


 ギルやマオラオには内密で、ジャックだけに会わせる理由。それがなんなのかまでは思いつかないが、回復して目覚めたのであろうシャロをいの1番にこうして会わせるということは、それなりに深い意味があるのだろう。


 と、ジャックは思考していたのだが、


「――あ、いや、シャロがなんか頼ろうとしてくれてんなら、オレはすっげぇー嬉しいぜ!? おう、どんどん頼れ、なんだっけ、泥舟? 多分そうだよな、ウン、泥舟に乗ったつもりで頼ってくれ、超大型客船『ドロブネ』だから」


 兄の反応を『面倒臭がっていそう』と勘違いしたのか、申し訳なさそうな顔をしているシャロに気づいて、ジャックは動揺のあまりさりげなく弟を沈める宣言。


 ただしそれに本人は気づくことなく、シャロをいかにして元気づけようかと必死になるばかりで、


「そ、そうだ、何話す? エッ好きな子のタイプ? えっとね、オレはあの、やっぱ笑うとめちゃくちゃ可愛い子かなぁ〜〜!! なんでも好きだけど、っぱ髪が短いの好き。あっでも長い子は長い子で……」


「――ジャック兄ぃ」


 饒舌に語る兄の顔を覗き込み、琥珀色の双眸を持った少年は静かに兄の名前を呼ぶ。すると我に返ったジャックは、自分の寸前の醜態を思い出しては顔を赤らめ、


「ごめん、オレ、兄貴なのに。何喋ったら良いか全然わかんなくて……」


「……うん。ウチもさ、一緒に居れなかった時間が多くて、何喋ったら良いかわかんないんだケド……それでも1個言いたいことがあってさ」


 しゃがみ込んだまま、ジャックの肩に手を置くシャロ。彼の視線はどこか浮いたジャックに反して、真剣そのものであった。それで浮いた気持ちも引っ込めて、ジャックは弟の口から落とされる言葉を固唾を呑んで待ち構える。


 ――が、


「ジャック兄ぃに、家出させちゃったこととか。ウチを助けるお金を作る為に、行かなくても良かった戦場に行かせちゃったこととか。ごめんね、全部、ごめん。本当に……ごめんなさい……」


 唇を震わせるシャロから真摯に伝えられるのは、予想もしていなかった謝罪の言葉達だった。ジャックはつい頼みごとをされるものだと思っていたから、拍子抜けしてつい何度か瞬きをする。


 だがシャロはそんな間抜けな兄の顔を見ることなく、ただ必死にしがみつくようにジャックの肩に手をかけながら俯いた。表情はわからないが、その震える声や今にも泣いてしまいそうな声音からして、笑顔でないことだけは確かだ。


 ジャックは弟の顔をこちらに向かせるべきか少々迷って、しかしすぐさま決意を固めるとシャロを丸ごと抱き締めて、


「別にオレさぁ、シャロを助けたくて、早くあの……『ママ』のところから逃してやりたくて、勝手に家を出たんだ。お前が気負う必要なんざ全くねーし、お前が今生きてるってだけで全部報われた気分」


 だからさ、と挟みつつシャロの背中を何度か優しく叩くと、


「こんなトコ早く抜け出しちまおう、せっかくまた会えたんだ、オレはまだお前と一緒に生きたいよ。もう、『ママ』はこの世界には居ないんだろ? 誰にも邪魔されずに、2人で思いっきり楽しもーぜ」


「……うん。ありがとう」


 容姿のよく似た兄弟は笑い合い、しばしの抱擁を経てようやく離れる。


 ジャックはその功績に気づいてはいなかったが、シャロは、自身の中に燻っていた黒い感情が一斉に消えゆくのを体感していた。





「――んでさ、聞きてーこととか色々あんだケド」


 道具の全てをシャロに譲渡して、素手で引っこ抜くスタイルにシフトチェンジしたジャックが、草を抜きながらふと溢した。


 それに振り返ったシャロが『なーに?』と問い返せば、ジャックは数秒唸って言葉を数少ない語彙の中から選び抜いて、


「シャロは、戦争屋って場所に居たいと思うのか?」


「……え?」


「ほら、今までは頼れる人も居なかっただろーし、戦わざるを得なかったのかもしれねーケド、オレと会えた今は傭兵団と再会さえ出来れば、こっちで暮らすって手もあるしよォ。まぁ、その『傭兵団と再会』が何よりの難関なんだケド」


 ――シャロが戦場に行く必要はねーんじゃねえカナって。


 あえて受け答えしやすいよう軽い口調で提案をしているが、シャロに安全な暮らしをさせたいと考えるジャックの目は本気である。シャロはその声音から真剣に心配をされていることを察し、どう返そうか悩んだ後に小さく笑って、


「うーん……ジャック兄ぃの気持ちはすっごい嬉しいんだけど、ウチもウチでやりたいことがあってさ。だから、心配しないで?」


「やりたいこと? ……それは、戦争屋じゃなきゃ出来ねーことなのか?」


「うん、多分。これを成し遂げるには、少なくともフィオネの力が……って、兄ぃはフィオネのことわかんないか。えっとね、ウチ――女の子になりたいんだ」


「おぉ、良いじゃ……ん!?」


 一瞬普通に賛同しかけて、改めて文を咀嚼し直して絶叫。すれば、シャロは軍手を装着した手で耳を塞いでぎゅっと瞑目しており、


「兄ぃ、うるさい」


「あ、ごめ……女の子になりたいって、つまり……ドウイウコト!?」


 ジャックは弟の発言の意味をよく考察した上で、知識が足りず答えが空欄であったことを表明する。と、それを予めわかっていたかのような表情で『えっとね』と兄にもわかるようにシャロは言葉を厳選し、


「身体の形を、変える。思いっきり。女の子になる上で邪魔なものをなくして、必要なものを入れて、完璧に女の子になるの」


「邪魔なものって、それってちん」


「おーっと手が滑ったぁ!!」


 ジャックの顔面を横から殴り払い、吹き飛ばすシャロ。明らかに手が滑ったどころではない威力を見せつけ、5メートルほど離れた場所でジャックは痙攣。その足をずるずると引きずって元の作業場に戻すと、シャロは草刈りを再開して、


「まぁ、つまりそういうことだよね」


「……あ、お、おぉ。良いと思うぜ、オレはシャロの意思を何よりも優先するからな。別に、そんくらい自由にやったって良いと思う、うん、オレは」


 ――ただ、と言いそうになって、ジャックは力強く歯を食い縛る。


 ジャックは元々あらゆることにおいて思考が柔軟だ。偏見というものを基本持たず、自分は考えたこともなかったシャロの夢もおかしいとは思わないし、きちんと応援してあげたいと思う。


 と、いっても実際は物事の本質をよくわかっておらず、とにかく悪い気はしないから受け入れている――という状態に近いのだが。


 しかし、弟が命を賭けてまで叶えようとしている願いを、それを成就できるかもしれないのが兄である自分ではなく――どこぞの誰とも知らない男であることだけは、どうにも納得がいかなかった。


 と、胸中を曇らせていれば、


「――なぁ、そこの若いの。これってどないすれば切れるかわかるか……?」


「え?」


 知らない男性の声に兄弟揃って声のした方を振り向けば、そこに居たのはオレンジ色の囚人服を着た褐色肌の青年だった。


 短く切り揃えられたブロンドヘアが朝の太陽に燦然と輝き、その存在感を主張している。手には草刈り用の鎌を手にしているが、使い勝手がわからないのか相当危険な持ち方をしていた。


 ――あぁ、ジャックと同じような手合いか。


 理解したシャロが、その青年に刈り方を教えようと立ち上がるが、


「待て、シャロ。名前と素性がわかんねーと、教えるってこたぁ出来ねーナ」


 弟の細腕を掴んで引き留め、自分も先程刈り方を知ったばかりなのにやたらと偉そうな口を聞くジャック。しかし褐色肌の青年は、『あぁ! すまんすまん』と大きく口を開けて笑いながら頭をガリガリと掻き、


「わしゃあ、【アバシィナ】言うもんやねん。いろいろあって随分前から投獄されとったんやけど、『いれぎゅらあ』扱いで中々判決してもらえんでなぁ!」


「お、おぉ……?」


「長いこと刑務作業しとったんやけど、こないな場所に回されたん初めてやねん。そんで、わしは草なんて1本もあらへん場所に住んどったから、『刈る』っちゅうんがようわからんくてなぁ!」


 わはは、と楽しそうに笑う青年――アバシィナ。彼を前にリップハート兄弟は呆然とした後、彼の姿体をよく観察する。


 身長は成人男性の平均より若干上をいくくらいか。175センチのジャックよりも些か高く、真っ直ぐな立ち姿や丈夫そうな肩幅から推察するに、それなりに鍛え上げられていることがわかる。褐色肌である辺り、北東の出身ではなさそうだ。


 しかし、


「……コイツ」


 ジャックは口の中で呟いて、静かに瞳の温度を下げる。シャロにもアバシィナ本人にも悟られぬよう、気を払いながら褐色の彼の裏を読み取ろうとする。


 ――フレンドリーで随分と軽快な感じのするアバシィナだが、彼の目は死地を何度も見てきた歴戦兵と同じ目をしていた。ジャックも、ドゥラマ王国兵団や傭兵団に居た頃に何度かそういう目の者に出会っている。故に、彼がただのフランクな青年ではないことを理解していた。


 ただし戦歴の短いシャロには、その微かな違和感が掴めなかったのだろう。腕を掴まれたままの少年は、自らの行動を制限する兄を不思議そうに見やった後、


「……マオと似たような喋り方するなぁ、このヒト……ん、草がないところに住んでたって言いました?」


「お? おぉ、大南大陸ってわかるか? 嬢ちゃん。砂ばっかりある退屈なところでなぁ、年中ずーーーっと暑いねん。……あ、オレ上手く喋れとる? こン監獄は北東の出身者がエッラい多くて、南西語じゃ通じひん奴ばっかやから北東語をどーにか喋っとるつもりなんやけど、滑稽やったら笑ってくれな」


 得体の知れない褐色男と、普通に会話をしてしまうシャロ。実際、アバシィナの方にはシャロをどうこうするつもりはなさそうだが、それはそれとして弟から目を離すわけにもいかない。


 ジャックはゆっくりと弟の腕を解放すると、『お、なんやなんや?』と目をパチクリするアバシィナに、威圧感を与えるよう大きな一歩で歩み寄り、


「……お」


「お?」


 何か面白いことの始まりを察知した人間のように、期待に溢れた眼を向けてくるアバシィナ。それを受けてジャックはひとつ息を飲み、


「――オレと、友達になってください」


 覚悟を決めて、確かな決意を胸に彼は告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る