第68話『知識狂いの王子サマ』

 ――かつて、ジャックを傭兵団に引き入れた熊みたいなおっさんはこう言った。


《ジャック、信用ならねー奴と出会った時にゃあ、そいつを内側に取り込め。大抵の奴ぁ『関わってられるか』って突き放すのがほとんどだがな、信用ならねー奴こそ近くで見つめるべきなんだ。そいつの考え・好み・性癖、あと性癖とか性癖とか性癖。とにかくなんでも良いから知れ。そいつが1番効率が良い。》


 親しくなければ当然見えるのは上辺だけ。中身まで知りたいなら打ち解けろ、というのがおっさんの考えであり、ジャックも含めて傭兵団のメンバーによく言い聞かせていた話でもあった。


 もっともジャックの場合は、『お前の場合は途中からガチの付き合いだと錯覚しそうだけどな』と付け足されるのが毎度のことであったのだが、そんなところまでジャックはいちいち覚えていない。


 だから、今こんな突飛な行動に出たのはおっさんのせいだった。


「……友達?」


 褐色肌の青年は呆然とワードを繰り返した後、にんまりと唇で弧を描き、


「ブッッ……アーーッハッハッハッハッハァ!! あはは、あは、にっ……兄ちゃんおもろいなぁ!? ええで、なろうや友達!!」


「ほ……ホントっすか?? あ、オレはジャックって言います! アバさん!」


「そうかぁ、ジャックっちゅーんやな! しぃっかし、アバさんなんて呼ばれたん初めてや、実家やと大抵堅苦しい呼び名ばっかりやったからなぁ……」


 『わし、それ好き』と茶目っ気たっぷりに笑うアバシィナ。屈託のない笑みについ呑まれそうになりながらも、ジャックは懐疑の意識を保って笑みをたたえ、友好の証に固く握手。すると、


「でもあれや、敬語なんて抜いてええで、わしちょいごついからよう勘違いされんねんけど、こんでも22やねん。あんさんらとそない変わらんやろ?」


「あー、オレが19で、こっちの弟のシャロが16歳っす。あ、じゃあ敬語抜きますか?」


「おお、そうしてくれ。あと、その……嬢ちゃん、シャロって言うんか? も、敬語とか使わんでええからな。わし堅苦しいの嫌いなんよ」


 顔の前でひらひら〜っと仰ぐように手を振って、無礼講スタイルを積極的に示していくアバシィナ。その態度に違和を覚えつつも、アバシィナのペースに呑まれたジャックは特に気に留めない。


 傭兵のおっさんの予想通り、友達として振る舞って相手の胸の内を探るはずが、ジャック側が本気で友達と誤認してしまっていた。


 ――と、


「ところでシャロちゃん、あんさんアレやな、呪いかかっとぉで」


「……え?」


 突然謎の発言をして、シャロを混乱させるアバシィナ。しかし彼の目つきは真剣で、その透き通った水色の双眸でシャロの心臓部辺りを見据えており、


「相当古いのが1つと、最近が1つか……最近のは解かれた跡があるけど、取り除くんが下手くそやな。いやぁ、あんさんも訳ありみたいやねえ。お陰で糸が絡まりすぎて、これじゃあ心身に支障きたすで。わしが解呪しよか?」


「古いの……? 古いのって、何?」


 最近ハクラウルに『五感を奪う』という呪いをかけられた覚えはあるが、それ以前に呪いにかけられた覚えはない。ただしアバシィナの真面目度合いからして、嘘を吐いているようでもなさそうなので、呪術に全く知識のないシャロにとっては困惑するしかない言われようである。


「あれや、あれ……うん、10年くらい前……? とにかくかなーり前にかけられとるで。恨み買うてたんか知らんけど……知らんの? ジブン」


「あぇ、全然知らないんだケド。え、アバさん解呪してくれるの??」


「おん、ええで。わしゃあこれでも呪術の研究してウン十年やねん、こんなんやったらちょちょいのちょいや。待ったれよ、最近解呪された方も糸くずみたいな微量な呪いが残っとるから、わしが全部除いて……」


 と、アバシィナがシャロの肩に手を伸ばしたその時。


「――囚人番号、『52007』番』


「……お?」


 低く凛とした女性らしき声がかけられて、ぴくりと震えてから挙動を止めたアバシィナは声の発生源の方を振り向く。するとそこには、深緑色の軍服のような制服をシワ1つなく着こなした、長い赤髪の女性が居た。


 軍帽のようなものを目深に被っており、目元がはっきりとは認識できない。しかしキュッと引き結ばれた唇、緩みのない頬、そして彼女から放たれたのであろう声からして、穏やかな人物ではないことは確かであり、


「52007番。お前の『サード』行きが先ほど上層部で急遽決定した。これより直ちに帰還し、自分の牢を掃除して『ヨハン監獄長』の指示に従え」


「……え? サードって……」


 いつぞやにチャーリーから聞かされた単語に、思わず復唱をするジャック。一方でシャロは呆然としており、目の前の急な事態についていけない様子だ。


 ――囚人収監エリアの最高部・エリア『サード』。


 諸事情により処刑することが出来ない囚人を収監する特殊エリアであり、身体改造を行われ、不死身に近しい身体にされたとある能力者により『亜空間』が中で形作られている異次元のエリアらしいが――。


「あれ、もう? まだ先やなかったっけ」


「急遽――と、私は今説明したはずだ。時間を無駄にするな、52007番。いいか、理解したか、理解したな? お前が只今行う反応において『理解』以外は許されないと理解しろ。さもなくば、泥水でお前の耳を洗ってやる」


「んぁ、めっちゃ怒っとーやんけ……! すまんなシャロちゃん、わしもう帰らなあかんみたいやわ。くそー、これから解呪しようって状況やってんぞ、姉さんもほんまにタイミングの悪い女やのぉ……!」


 自分を軍帽の下から睨みつける看守の女性を前に、怯むことなく友好的に歩み寄るアバシィナ。そして彼は手にしていた草刈り鎌を女看守に手渡すと、


「わぁっとるわぁっとる、そない睨まんでもええやんけ。……ほな、次外で会った時はよろしく頼むな」


「……え? あ、ウン。なんかよくわかんないケド……じゃあね、アバさん」


「……ま、またなーアバさん」


 女看守の瞳の温度により、ここでのアバシィナへの引き留めは自殺行為。それを理解した兄弟は、アバシィナに合わせてにこやかな笑みで彼を見送る。


 しかし――これは一体、何がどうなっているのだろうか。


 突然『サード』行きを告げた冷淡な看守にのこのこと着いていくアバシィナを、ジャックは警戒たっぷりの視線で注視する。


 この僅かな時間で、発生した混乱が2つ。


 その内の1つが、先程まで和気藹々と喋っていた青年が『サード』に収監される極悪人であったこと。その内のもう1つが、『サード』行きに値するアバシィナが平気で裏庭に放されていたことだ。


「……ねえ、ジャック兄ぃ」


「……ん?」


 ふと、遠ざかっていくアバシィナと女看守の背中を見送っていたシャロに名前を呼ばれ、珍しく事を熟考していたジャックは目を瞬かせる。すると、シャロは数歩引き下がってジャックの袖を掴み、


「――あの人、『次外で会った時』って言ったよね……?」


「……は? え? どういう事?」


 永遠の終身刑を下される極悪人が『次外で会ったら』と。


 しかも兄弟が『サード』送りになる可能性を考えてのことではなく、『外で』とサードの外を想定して言ったのだ。つまり、彼はこれから自分も外に出る機会があると考えているわけで、


「あの人……もしかして『サード』から出ようとしてない……?」





 裏庭と監獄を繋いだ出入り口から通路を進んでいくと、ある場所から辺りの景観は、古代都市を彷彿とさせる収監エリア『ファースト』へ一気に変わる。


 その石造りの都市を進んでいくと、時折聞こえるのがやつれた囚人の呻き声。悪霊の怨念を帯びた声とも聞き分けがつかない枯れた音は、全てアバシィナの先で人情味のない冷たい足音を奏でながら進む、赤髪の女看守へのプレゼントだ。


 鉄格子の隙間から痩せ細った腕を伸ばしてくる囚人。それを気に留めずに淀んだ空気を肩で切る女看守。温度差がまるでコントのようだとアバシィナは周囲を見回し、『みんな元気にやっとるようやねぇ!』と感心。


「しっかし、みーんなごぼうみたいな腕になっちゃって、看守の姉さんは可哀想やと思わんのー? ごぼうくん達もなんやわーわー言うとるで、わしには何言うてるか全然わからへんけど。あれがごぼう君達の公用語なんかね?」


 ろくに形を成していない発声に耳を澄まし、耳コピでなんとなくインプットした発音をそのままわーぎゃーと返して対話を試みるアバシィナ。


 しかし長いこと閉じ込められて腐敗した彼らの脳みそは、看守の人間しかターゲットに組み込めないのか面白い反応は見せてくれない。あまりにつまらないので悲しみに暮れた後、『にしてもあれや』と褐色肌の彼は気持ちを切り替えて、


「このごぼうくん達に比べると、さっきの兄弟はまだまだ元気やったなあ! 最近来たばっかりの『にゅうびい』かぁ? いや〜若いモンはええね! 喋っとるだけでわしも50くらいは若くなった気ィするわ」


「――そうか、お前は確か今年で……」


「あ、そないなことは言わんでええねん、わしの乙女心が壊れてまうから」


 褐色肌の男はけらけらと笑うが、それに相対して看守の瞳の温度はどんどんと下がっていく。その雰囲気の変動で、看守が何を考えているか悟ってしまったのだろう。アバシィナはへらりと緩い笑みを浮かべて、


「そない警戒せんでも、わしゃあ姉さんに呪いなんかかけんよ」


「……そういう問題ではない」


 本気でわかっていないのか、はたまたはあえて話題を逸らしたのか。


 考えの知れない囚人を憎しげにひと睨みした後、看守の女性は手錠つきの鎖を引いて牢屋までの道を先導。気が急いているのか、手錠に繋がれているアバシィナに優しくない歩速をしていた。が、


「――禁術・若返りの呪い」


「……!!」


 へらへら笑っていたアバシィナの頬が、ぴく、と動かされる。そして中途半端な笑みを作ったまま凝固して、


「それを乱用したことが、お前の罪状であったな」


「……姉さん、なんやエラい含んだ言い方しはるけど、別にわしは後悔なんぞしとらんよ?」


 恐ろしい事に触れているような、緊迫をまとった声に言葉を乗せる彼女に、歩幅をどうにか合わせているアバシィナは目を細め、歯を薄く見せて笑った。


「看守の姉さん、ええか。この世において最も価値のあるモンは『知識』や。知識を得続ける為にあン呪術を使うんはしょーないことやで。もっとも、わしは今でも正しいことやと思っとる」


「――!!」


「『知識』……っちゅう財産は、どこまでもどこまでも、ずぅっと半永久や。良くも悪くも半永久的。金や宝石と違って勝手に盗まれることはあらへんけど、老いては忘れるだけやからな。やから今までの記憶を保つ為には、若くあり続ける必要があるのは姉さんにもわかるやろ?」


 ごく当たり前の、当然であることを語るような声音で、アバシィナは先を行く自分より幾らか小さな背中に問いかける。


 その、背中のしゃんと伸びた彼女が問いに答えてくれることはないが、息を呑んだことから看守がアバシィナの言葉を受け止めていることは確かだ。満足げなアバシィナは、澄んだ青の瞳でちらりと囚人の方を見て、


「むしろわしゃあ、犠牲になった国民は誇りを持ってもらいたいと思っとる。いずれわしの研究は世界をひっくり返すからな。それに、こないな場所に流されたんも好機や。ヴァスティハス収容監獄――なんやら、色々と噂には聞いとるよ?」


「……噂、か。所詮、囚人が作った根拠のない作り話だろうに」


「あは、せやな。けどな姉さん、わしの国じゃあ『風ありての砂嵐』ゆう言い回しがあってな。風がなきゃ砂嵐は起きんねん。……悪いけど、ヴァスティハスもヘヴンズゲートも、あんさんらはまとめて全部利用させてもらうで、わしゃあ」


「……勝手にほざいていろ。付き合いきれん」


 アバシィナが熱量たっぷりに語った意思をすげなく払い、到着したアバシィナの牢屋の格子扉の錠に鍵を差し込む女看守。開くのを待っている間、ふと、来た道と逆の方向から数人分の足音が聞こえて来て、


「――お疲れ様です〜、マルトリッド看守〜」


「……【チャールズ=クロムウェル】か」


 解錠を中断して女看守――マルトリッドが振り向いた先に居たのは、白い装束を纏った青年と、その後ろで手錠に繋がれている殺人鬼ヅラとチビだった。彼らの姿を見るなり、マルトリッドは切れ長の目を更に細め、


「ファーストネームで呼ぶなと何度も言っているはずだが、チャールズ」


「やぁん、おれこそ『チャーリー』って呼ぶようにしょっちゅうお願いしてるじゃないですか〜、お互い様ですよぉ。……それより、そちらの囚人は〜?」


「例の王子だ。『サード』送りの処分がつい先程決定したので、牢屋を手ずから掃除させる」


「例の……あぁ、イレギュラー扱いされてた方ですねぇ。――しかし、出自が出自でしょうに、掃除を一任してしまっても良いんでしょうかぁ……?」


 アバシィナの体躯を天辺から下まで見やり、ツナギ姿でもうっすらと滲み出る高貴な風格にふと、浮かび上がった心配を小声に乗せるチャーリー。すると話題の当人はからからと笑い、


「なんや心配せんでも、こない小さい部屋の掃除やったらわしにも出来るで」


「どうだかぁ……? じゃあ、お時間の妨げになるのも嫌なので、この辺で失礼しますね〜」


「あぁ、また」


 短いやりとりだけ交わして各々の仕事に意識を戻した両者は、それぞれが握る鎖を引っ張って行くべきところへ囚人を先導する。


 しかし両者が引く囚人同士――つまりギルとマオラオの2人と、アバシィナがすれ違うその一瞬、死んだ色をしている方の赤眼が褐色肌に視線を寄越す。その視線を即座に青色で返したアバシィナは、遠ざかっていく緑髪の囚人の背を横目に見送りながら、にぃと唇で弧を描いた。



「――なぁんや、上物が入っとーやないかい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る