第61話『RUN・RUN・DASH!!』

 明らかに場違いな勧誘の言葉に、否定を繰り返していたシャロの唇からは『……え?』と、何度目になるかわからない1文字が落とされた。


「ヌシらにはそれなりの待遇をすると約束しよう。青髪のオナゴに関しては扱いが難しいところじゃが、役立つようなら殺しはしない。わらわの部下になれば、その凍結しているジュリオットとやらの解放もしてやろう」


 ――うっ、と言葉に詰まるシャロに、意地悪にも選択を委ねるイツメ。


 恐らく断れば即殺の勧誘だろうが、シャロに引き受ける気はさらさらない。しかし、ジュリオットを元に戻す方法がわからないのも確かで、彼女らに頼らなければ最悪の場合は一生凍結から戻らない可能性だってあった。


 きっと、その可能性が足を止めさせているのだ。断る気しかないというのに、断りの言葉が口から出てこないのは、その可能性のせい。――けれど、


「つまりそれは、ヌシらの親玉……【フィオネ=プレアヴィール】を裏切れということじゃな」


 イツメがそう言い方を変えた途端、シャロは目の色を変えた。


「そんなの……出来るわけ、ないでしょ!!」


「……ふん。つまらんな。ではヌシも同様に殺すか、それとも……」


 イツメは自身の喉元の影に手を差し込み、影をシャロの足元の影と繋ぐとそこから手を生やした。そしてシャロの足首を掴むと、鬼族特有のパワーでぐいと引っ張って片足を沈めさせる。それに気づき、抜け出そうとするもイツメの手から逃れられず、脳が真っ白に染められていく。しかし、


「――逃げろっ、シャロ!!」


 全身から捻り出したような兄の声を聞いて、ハッと目が覚めた。次の瞬間、ジャックが震わせながら室内に向けた指先から微量の電流が放出され、


「っ、ジャック、リップハート……!!」


 微弱だが痛みが存在する電流が炸裂し、全身に纏わりつかれたイツメは、忌々しそうにジャックを睨みつける。だがその間にもシャロが混乱を見事に露わにしながら、ミレーユを抱えた逃走を試みており、


「くっ……邪魔じゃ、失せろ駄犬!」


 全身の痺れに耐えながらイツメが手をかざせば、ジャックとマオラオの身体が影に飲み込まれてどこかに消え、その場には氷漬けになったジュリオットのみが残される。同時、ジャックが居なくなったことにより空間を支配していた微弱な電流が消失するが、


「っ、くそ、わらわとしたことが。今の電流で、スロット台が全部やられたか……これは大損害じゃなあ、オーナー・ハクラウルよ」


 はっ、と力なく笑って、床にひっくり返っていた白髪の男に目をやれば、ハクラウルと呼ばれた彼はゆらりと立ち上がる。当然彼も電流の攻撃を受けているが、何ともないように体勢を立て直し、


「――そうか、その気なら良いよ、良いさ、受けてたとう。シャロ=リップハートは、僕が捕まえる。僕の居場所を荒らした罰さ、少女といえど容赦はしない。僕の持つ呪いの限りを使って殺してやる……世界最高の呪術師に喧嘩を売ったこと、後悔させてやる……!」


 ふひひ、と不気味に笑って瞳孔をガン開きにした彼――ハクラウルは、長髪を指できながらよろよろと歩いて、カジノエリアを退室した。


 その背中を見送ったイツメは、未だに痙攣する指先を無視して立ち上がると、電流で気絶しているドアマン役の白装束2人を『起きろ、駄犬』と蹴り起こし、


「……っふ。臆病な癖をして、傷つけられると我を忘れる戦闘狂。あやつの相手はわらわでも厳しいというのに。あれの本能まで叩き起こしてしまったのは、失敗じゃったなぁ、ジャック=リップハート」


 既に飲み込み、この場から消え去っているジャックへ嘲笑を送る。しかし、


《――大変です、イツメ様!!》


 突然、ブラウスの襟に挟んでいた無線機から声が飛んできて、愉悦的な気分が一瞬で削がれた。イツメはそれに不快感を覚えつつも、恐らく捨て駒程度の身分でしかない白装束からのものであろう通信を受け取り、


「なんじゃ、騒がしい。もっと声を落とさんか」


《し、失礼しました。ですが、その……結界が外側から突破され、この会場が包囲されていて……ぐわあっ!?》


 音割れして傍聴者の鼓膜をつん裂きかけるほどの悲鳴。その直後、宮殿中が地震にでも遭ったように大きく揺れる。だが、名も知らぬ末端の白装束の安否を気にする思考回路など、彼女は当然持ち合わせておらず、


「なに、結界が突破された、じゃと……。しかも外から……!?」


《は……はい、数百名の軍勢で、現在『グラン・ノアール』の本宮殿が集中砲撃を受けており……我々で対抗しておりますが、圧倒的に人数が足りず……》


「っ……! そんな事はどうでもよい、馬鹿者! 肝心なのは『そやつらが誰なのか』じゃ! 一体……どこの誰から攻撃を受けている!?」


《そ、それがっ……あっ》


 白装束の声が遠ざかり、風の過ぎ去る音が入ってガザガザとしたノイズ音が耳を裂く。無線機を誰かに奪われたのか。その不快な音にイツメは下唇をやんわりと噛めば次の瞬間、別の声が彼女の鼓膜を叩いた。



《――ご機嫌よう。犯人はアタシ、フィオネ=プレアヴィールよ》





 その一言だけ耳に通されて、イツメは床に無線機を叩きつけると鬼族の脚力で一撃にして踏み潰す。何故だ。何故あの男に仲間の居場所がバレているのだ。会場に張った呪いつきの結界は、能力も電波もあらゆるものを阻害するはず。


 では、何故。――イツメは頭に爪を立てると、がりがりと引っ掻いて後ろ髪を荒らした。するとそこへ、タイミングが良いのか悪いのか、1人の男が現れて、


「あは、イツメちゃんご乱心だね」


「……バーシー。わらわは今、大層機嫌が悪い。その身体を分断されたくなければ今すぐに目の前から消え去ることじゃ」


 呑気にも煙草をふかしながらやってきた男・バーシーに鋭い視線を送りつければ、不機嫌なイツメの様子に彼は『やっぱりか』とでも言いたげな顔をしながら、先のジャックの攻撃で故障したルーレット台に寄りかかり、


「うん、逃げたいのは山々なんだけど……神様からお達しがあったから、伝言」


「……あの男から?」


 ちらりと脳内で薄い金髪がよぎり、頭を掻きむしる手を止めたイツメは形を変えて聞き返す。2人の考えている人物は一致していた。呼び名を変えたとしても、彼らの中で該当するのは1人だけなのだ。


「あぁ。向こうも今の状況は把握してるみたい。『回収した戦争屋を例の場所へ移せ』だとさ。殺せ殺せって言ってたのに、気が変わったらしい」


「例の場所……か。しかし、わらわの能力とて海は越えられん。船を呼ぼうにも多少の時間が……」


「それも織り込み済みだよ。数日前フィオネがオルレアス王国を発った時点で、オルレアスの監視担当天使がそれを本部に伝えてる。もうすぐ、ここから1番近い海岸に船がつけられるから、そこまでは急いでイツメちゃんの力で運ぼう」


「……」


 静かに、穏やかに、諭すように話すバーシーが気に食わず、つい無言で睨みつけるイツメ。彼女は175センチある自分より地味に背の高い糸目の彼を見上げると、思いっきり長い前髪を掴んでやって、


「ヌシ、本当にヌシか? 愚かで間抜けで遊び人でビビりで、オナゴを片っ端から抱いて放置するクズで、ひょろがりで根性なしでろくに体力もない、ゴミ溜めの擬人化のようないつものヌシと同一の人間か?」


「いっ、だだだだだだ!? ちょっと、頑張って有能な右腕感出してたんだから乗ってくれたって良いんじゃない!? まって本気で髪抜けるよ!?」


「ハッ、冷静に考えたらヌシは伝言役に過ぎず、本当に優秀なのはあの総統サマの方じゃないか。それでよう有能な右腕などとほざけたのう。いいか、ヌシはわらわの下じゃ。踏みつけになっている方がお似合いじゃろ」


「うぁーん、我々の界隈ではご褒美ですけども!! っていうか、今どこに回収した戦争屋集めてんの!?」


「宮殿の旧地下納骨堂じゃ」


「TI・KA・NO・U・KO・TSU・DO!?」


 あまりに趣味の悪いセンスに薄い目をぎょっと見開いて、流れるような発音で驚愕を1文字ずつ口外するバーシー。するとイツメは男勝りに鼻を鳴らし、肩までで切り揃えた美しい黒髪を払って、


「あそこは明かりがない。故に闇しか存在しない。つまり、わらわの専売特許じゃろ?」


「いやまぁそうじゃけど……あっ、びっくりしすぎて口調が移っ」


 映っちゃったじゃん。と言い切る前に、語尾に被せるようにして外からの砲撃音が鳴り響き、宮殿全体が揺れる。それで思わずイツメが手前によろけたところを、煙草を口から外して遠ざけたバーシーが胸で受け止めて、


「おっと、間一髪だねぇ、イツメちゃんっ」


「……わらわは礼など言わん性分じゃぞ、わかっておるか?」


「んふ、ボクは君に弱い男だからね。わかっててなお愛してるし、助けたいんだよ。それに、イツメちゃんのお胸の感触で十分お礼にブゴァッ!!」


 ここぞとばかりにサワサワと、いやらしい手つきでブラウスの上から胸を撫でてくるヒョロ男にパンチを見舞うイツメ。そして吹き飛び、陸に揚げられた魚のように痙攣している彼を無視すると、


「とにかく、この宮殿も崩れるのは時間の問題のようじゃし……仕方があるまい、奴らの身体はわらわが運ぼう。しかし向こうへ到着すれば、ロイデンハーツ担当支部のわらわ達はお役御免じゃあないかの?」


「ん……その辺は、問題ないよ……」


 紺色の髪の奥に覗くこめかみから血をだらだら流しながら、それでもなおタフに起き上がってくるバーシー。


「先方には話をつけてあるし、なんなら向こうの1人が今日顔を出しにきてるからね。受け渡しはスムーズになるはずだよ」


「向こうの1人……というと、あのふわふわのろのろ喋るあやつか」


「ん、そうそう。ちょーっと抜け目が多くて不安な子だけど、やるときゃやるから任せよう。じゃ、イツメちゃんは戦争屋を海岸の移送船に運搬。ボクは……ハクラウルを止めてくるよ。あのままじゃこの場で殺しかねないからね」


 そう言って彼は、未だに摘んでいた煙草を冷気に染まった手で握り潰して、へらへらと笑ってカジノエリアの大扉に手をかけようとする。


 しかしその背中を見送っていたイツメは、『待て』と強めの語気を含んだ言葉で彼を止める。そして片方の手首を引っ掴んだ彼女は、自分より些かひょろっと背の高いバーシーを振り向かせると、


「……え」


 ――冷たくて白い頬に、触れるだけのキスをしてやった。


「え、いつめ、ちゃ、今……」


 唖然として、唇が触れた方の頬をそっとなぞるバーシー。すると、彼を動揺させている本人であるイツメは、その反応を楽しむように唇の端を引くと、


「礼は言わんと言ったが、せんとは言っておらん。なに、これは主人が所有物に送っただけにすぎん。自惚れるでないぞ。さぁ、早くアレを止めてこい」


「え、あぇ……う、うん!」


 壊れたように首を縦に振ると、バーシーは黒の革靴で床を叩く速度をいつもよりも速くして、いそいそとイツメの視界から姿を消す。そして豪奢の概念が集結したカジノエリアを退室し、宮殿の廊下に戻ってくると、


「びっ、くりしたぁぁぁ……」


 百戦錬磨のプレイボーイはこの日初めて、生娘きむすめのように朱を頬に差し、よろよろと力なくしゃがみ込んだ。





 ――黒い、黒い世界。光が立ち入ることを許されない闇一面の世界。


 どこを見渡しても黒だらけ。背中に硬い感触があり、それは自分の中にある知識の辞書を引けば『石造りの床』という答えが出る。


 ホコリの匂いがつんと鼻を刺す。冷たく、ただしどんよりと沈んだこの空気に、長居をすれば冗談抜きで病気になってしまいそうな気がした。そして、すぐ傍からは死の気配がする。それも一方からではない、全方位からだ。


 その理由が、ここが地下納骨堂であるからということには当然気づかない。


 一切の明かりが許されていないこの空間では、ここがどこであるかを認識することも出来ないのだ。


 それでも、真横にはまだ生きている人間の身体があるとわかった。熱を帯びた人肌があったのだ。そこで不躾にも顔に触れさせてもらい、その人間の状態を確かめれば、相手は眠っているのか『んん……』と小さく唸る。


 ――それが、かつての相棒を連想させる酷似した声で、


「あ……じゃ、っく……」


 脳裏に浮かんだ彼の名前を呼べば、それを打ち消そうとするかのように闇から手が伸びて、再び自分は、ギルは影の世界に取り込まれた。



 ――それから、どれくらいの時が経ったのだろうか。



 体感は10分から30分。気づけばギルは、どこか冷たい部屋の中で倒れていて、


「……ぁ……?」


 目が覚めた。どうやら自分としたことが眠ってしまっていたらしい。


 指を動かしてその感覚を確かめ、鉄の匂いに鼻を鳴らし、目を動かして居場所の把握に勤しむ。そしてギルが五感のほとんどを駆使して状況整理に努めた結果、自分が居たのは――鉄格子の中、だった。


「いや、鉄格子の中だったじゃねえよ!?」


 飛び起きれば視界に光が入って目が眩む。


 しかし、光があれば環境の把握の精度はぐんと上がる。結果判明したのは、どうやら自分は牢屋に居たわけではなく、どこか明るい部屋の中にある、ライオンを閉じ込めておくような檻の中に入れられていたようだということ。


 更に状況整理を進めると、ここは何かの船の一室であることがわかった。


 檻の周囲には貨物が置かれ、果物や洋服を詰めた色んな箱が壁際に寄せられている。貨物船だろうか。いや、貨物船だったらギルがこんな趣味の悪い檻の中に入れられている意味がわからないのだが。


「……あぁ、起きたんですかぁ〜? ギル=クライン」


 ――と、ふと、檻の上からふわふわとした声がした。


 それに『は?』と明らかに機嫌の悪い反応を返せば、ギルが閉じ込められている檻の上に座っていたのであろう、ふわふわ声の持ち主は『よっと』なんて一息を入れながらそこから飛び降りて、


「ようこそぉ、移送船の中へ。檻の中の心地はどうです〜?」


 こちらを向いてしゃがみ込み、あぐらをかいて座るギルと対面して微笑んだ。


 その声の持ち主の正体は、白い装束を纏った少年――いや青年……? だった。これまたふわふわの淡い水色をした髪が覗き、なんだこの雲みたいな男は、とギルはあからさまに対話を拒絶する。しかし、


「移送船……? どういうことだ、ふわふわ野郎」


 青年の言葉の一部を拾って問えば、ふわふわ野郎はゲージの中の飼い犬を見るような生緩い目でこちらを見て、


「ふわふわ野郎じゃないですよぉ、チャーリー君です〜。檻の中で眠る心地はどうでしたぁ? 良い夢は見れま……」


「それはどうでも良いから、移送船ってなんだよ!!」


 割と本気で声を荒げれば、ふわふわ野郎は本気で驚いたのか身体を一瞬びくりと震わせていたが、それを誤魔化すように口元を片手で軽く覆って、


「あぁ怖い、なんて怖い。可愛い可愛いおれに牙を剥くなんて。こぉーんな怖くて恐ろしいもの、この世から追放して正解ですね〜!」


「……あ?」


 凶悪面を更にしかめて唸れば、その反対にふわふわというオノマトペを体現したような青年は、檸檬色の大きな瞳を輝かせ、


「この船がどこへ行くか? 答えはそう。『ヴァスティハス収容監獄』ですっ」


「……は?」


「そしておれは、貴方がた戦争屋を担当する死刑執行人――。死刑執行の2ヶ月後まで、仲良くしてくださいね、ギルさんっ?」


 ふわふわ野郎ことチャーリーは、花を咲かせるようにぱぁっと両手を顔の横で広げて微笑む。そして、邂逅かいこうわずか数分で、ギルを混乱と絶望の海に叩き落とした。

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