第38話『逢魔時のドッペルゲンガー 前編』

 中央大陸から少し東に離れた島国、『ウェーデン王国』。


 大昔には科学の国として発展していたが、歴代の国王があまりにも早く逝去したり、大馬鹿が国を治めるようになったことで衰退し、貿易と漁業でギリギリ形を為していた一面煉瓦造りの王国。


 現在オルレアス王国が、『ウェーデンは我らの縄張りである』という認識を国民に刷り込む為、ウェーデンは今オルレアスから遣わされた兵士団と『処理班』によって全体を警備されていた。


 ――ペレットの特殊能力『空間操作』を使用して一斉にウェーデンへ飛べば、あの日襲った王城の正門前に到着した。


「……あっ」


 目の前の城門に背を預けるようにして立っていた人物を視認して、まずマオラオが声をあげる。続いてシャロが反応し、嬉しそうな声をあげると、腕を組んでいたその人物はこちらに気づいて姿勢を正した。


「あぁ、来たか、ジュリオット」


 七三分けにされた艶のある黒髪。知的さを感じる細眼鏡とダークスーツ。『仕事の出来る男』感をこれでもかと醸し出したその人物の名は、【ノートン】だ。


 フィオネと大体同い年の、形の綺麗な鍛え方をした長身の人物であり、要人を警護するSPのような印象を与える。ただし圧倒するような怖さはなく、表情は硬いものの親しみやすい。そんな彼こそがかの『処理班』のリーダーなのだが――。


「随分と絵面が騒がしいな、もう少し抑えて来ても良かったんじゃないのか?」


 ジュリオットが背後に引き連れた奴らを見て、彼は顔をしかめた。


 直後、その『引き連れた奴ら』の中から、シャロが弾丸のような速さでノートンに飛びつく。それを広い上半身で抱き止めると、黒髪の彼は溜息を吐いて、ゆっくりと少年を降ろしてやった。


「地味に身長伸びたんじゃないか、お前。ただ……筋肉のつき方が偏り過ぎてるな。鎌の素振りの練習ばかりしてただろ、そんなんだと足腰を壊すぞ」


「じゃあー、今度うちに来て稽古つけてよ、トン兄ぃ!!」


 ――トン兄ぃ。そう呼ばれた長身の彼は、肩を落として項垂れた。


 この男ノートンは、冷静沈着、鋼の意思持ち、常識人という明らかに悪ガキと相性の悪そうな人間の癖をして、実はやたらと悪ガキ組からの評判が良いのである。


 この慕われぶり故に『悪ガキ組の兄貴』としてフィオネに遊ばれることも多く、同時にまた『トン兄ぃ』『トン兄さん』と呼ばれることが多かった。現に、あのギルでさえも兄のように慕っており、


「おいシャロォ、あんま兄貴に迷惑かけんじゃねーって。んで、兄貴達は今何やってんだ?」


 地面に降ろされたシャロの頭に腕を置いて体重を預けると、ギルは自分より少し背の高いノートンを見上げてフランクな口調で尋ねた。


「ん、あぁ……今は死体を燃やす作業を終えて、城内の清掃をしてる。あと、回収した鉄鎧なんかを磨いてから集めさせているが……いや、そんな話はどうでも良いな。何より先に伝えておくべきことがあるんだ」


「伝えておくべきこと? そりゃまた気になる言い方すんじゃねーか」


 うざったそうな顔をしたシャロに腕を弾かれて、一瞬くらりとよろけるも滑らかな足捌きで体勢を直すギル。それをノートンは見やってから、


「あぁ、割と面倒そうな掘り出し物があってな。先日、こちらからフィオネに本を渡したのは知っているか? ジュリオット」


「ええ、『手記』ですよね。見たことのない文字で書かれていて、どこの大陸のどの国の、いつの言葉だかわからないと彼が悶えておりましたが……」


「なるほど、アイツにも読めなかったのか……それで、その『手記』が置かれていた部屋なんだが、『手記』以外にも妙なものが沢山あってな。それを今日は見てもらおうかと思ったんだ」


 お前らの興味を惹きそうなものもあってな、と溢しながら、視線をその場の全員へと分配するノートン。


「へぇ、それって俺の興味も惹けるものがあるわけ? なら、俺はついてくぜ? 処理班の連中の顔も見ておきてえしよォ」


「あぁ……ギルの興味を惹くものはかなり難しいな……。図鑑だったり、機械だったり、よくわからない鉱石ばかりだ。ただ、もうじき『中央大陸』の連中もここに来るそうだから、なるべく早めに見ていってくれると助かる」


「中央大陸の連中が? そりゃあどんな理由があっての話だよ」


 ギルがそう尋ねると、ノートンよりも先にジュリオットが言葉を受け取って、


「国王不在の今、付近の各国が自分の領土に加えようと睨みを利かせています。ですから、1番近隣である中央大陸の奴らも当然ここを狙うのでしょう」


「あぁ、その通りだ。俺ら『処理班』、もとい管轄元のオルレアスが事前にウェーデンの壊滅を、お前らから報告されていたから早めに陣取れたがな……奴らが視察に来たら、この城門を守りきれる気がしない」


 だから城内へ入られることを見据えて、欲しいものと貴重なものは全部盗っていってほしいのだと、ノートンは説明をした。


「っはー! 厄介なことになってやがんなァ!!」


「まぁ、1つの国が丸々入るなんてチャンスそうありませんからね。では、遠慮なく盗んでいきましょうか。その為にはペレット君の能力が必要ですし、荷物運びマオラオ君のパワーも必要です。まぁ、ギルさんとシャロさんは……居ないよりは楽でしょう」


「うーわ、ひっでえ」


「何その脇役みたいな言い方ァ!? ウチいつだって全てにおいて主役なんだけどォ!? シャロちゃんもトン兄ぃについてくに決まって……」


 と、むくれた彼が言いかけていると、ふとシャロの視界の端を何かが通った。


 そちらに気を奪われて彼が視線を向けると、その方向にあったのはなんてことのない煉瓦の路地。だが、路地の奥の方で燃えるような紅い夕陽が差しており、その光が上手く言葉に出来ない不思議な魅力を放っていた。


 その煉瓦路地が驚くほどに強く、シャロの意識を釘付けにして、


「……ごめん、ウチちょっと、あっち寄りたいかも」


「あっち? ……この時間帯に路地裏に行くのは、少々危険な気もしますが」


「だぁーッ!! 別にシャロちゃんそこまでひ弱じゃないもん!! 路地裏のチンピラ程度、たとえ5人がかりだろうと、ロケラン持ちだろうと、鎌を奪われて丸腰になろうとウチの圧勝だもんねー!!」


 そう腰に両手を添えたシャロが、仁王立ちしながらぷんすこと怒っていると、今まで静観していたノートンが『……なら』と声をあげ、


「なるべく早く戻ってこいよ? あと、非常事態には大声をあげること。あの辺なら近くに『処理班』の奴らも徘徊してるから、お前のことを知ってる奴が居れば加勢してくれるはずだ」


「んへ、トン兄ぃウチの心配してくれるなんて優しいなぁ〜!! わかった、ありがと。じゃあちょっとだけ行ってくるね!!」


 ノートンから言葉を貰って嬉しそうに笑うと、シャロは両手で握っていた大鎌を片手に持ち替えて、もう片手をひらひら振りながら煉瓦路地へ駆け出していった。





「おっかしいなぁ〜。絶対ここの路地で誰か通ったんだけど……」


 煉瓦路地の中に飛び込んで数十分。視界の端を通ったものの正体を知るため捜索を続けていたシャロは、疲労困憊のあまり路地の段差に座り込んでいた。


 どうやら探し回っている内に、どんどん王城からも離れてしまったらしい。路地の続くエリアに囚われ、帰ろうにも帰れずにシャロは溜息を吐く。


「ゔぁぁぁぁああああ〜〜!! 迷ったよお〜〜!!」


 接敵して時間を食うならともかく、道に迷ってしまったとはあまりに情けない。これでは皆の居るところに戻ったとしても、ギルとペレットに嘲笑われるのが見え見えである。


「『処理班がこの辺りを徘徊してる』ってトン兄ぃ言ってたけど、全然徘徊してないし……くっそ、このままじゃ餓死するぅぅ!! ぐぁーッ!!」


 路地の建物を登って屋根まで行けないか、とまで考えるが、この辺りの煉瓦の建物は全て3階建てなので、身体能力が一般人よりのシャロにはどう考えたって行くことが出来ない。


 せめて2階建てならなんとかなったかもしれないが、3階建ては正直きつい。これがマオラオなら悠々と壁を蹴り上がって登ることが出来たのだろうが――。


 などと考えていると、不意にどこかで銃声が鳴り響いた。それも連弾。


 どれだけ眠かろうと一瞬で目を覚ますようなその音を捉えたシャロは、目を輝かせて段差から立ち上がった。


 銃声がしたということは、音の発生源には人間が居るということだ。つまり自分を、この場から救い出してくれる人間が居るかもしれないということ。なんで銃を持っているのかはこの際どうでも良い。


 たとえ銃を持った奴がこちらに敵対する同業者だとしても、この手持ちの大鎌で適当に脅すまでだ。


「よっし、逃がさないかんな……」


 銃を撃った奴がその場からなるべく離れない内にと、シャロは嬉々として銃声のした方に向かう。しかし発生源と思わしき場所に辿り着いて、シャロが目にしたのは、彼の期待をある意味大きく裏返す人物の姿であった。


「えっ……?」


 その場所に辿り着いて最初に目にしたのは、黒スーツに身を包み、気絶したようにうつ伏せた2人の『処理班員』。


 それから銃を片手に握り、肩から下を褐色のローブで覆い尽くした、






 ギル=クラインの姿であった。






 ――否、ギルにしては少し痩せていた。元々悪い目つきは更に悪くなっていて、強面度が増している気がする。どれもシャロの錯覚である可能性もあるのだが、やはりよく見れば見るほど別人のような気もしていた。


「ギ、ル……?」


 ギル(仮名)の前に伏せた2人の処理班員と、彼の持つ小銃と、彼の顔へとゆっくり順番に視線を向けるシャロ。


 先程聞いた銃声が、脳内にこだまする。ギルがこの2人を撃ったのか? それならば何故だ。何故ギルが処理班員を撃つ必要があった? 思考が脳内を縦横無尽に走っては隅々まで埋め尽くし、シャロの中から余裕を奪った。


 処理班員の裏切り行為を目にしたのだろうか。だとしても、一応彼らは自分たち戦争屋の味方なのだ。ノートンに事を知らせる前に撃ち殺すのは、思い違いの可能性だって存在する危険な行いである。


 それくらいギルもわかっているはずだ。彼は馬鹿だが、野生的な賢さを持っているのだから。では余計に、何故。


「……」


 シャロが息を呑み、不安げな琥珀色の眼を向けると、ギルの黒ずんだ血のような瞳がこちらにも向けられた。――黒ずんだ、血? いいや、彼の瞳は緋色だ。暇な時こそ死んだ眼をしているが、それでもここまで暗い色は――。


「……!」


 目と目があって数瞬。褐色のローブを纏った彼が、シャロの姿を前にしてその目を見開いた。死んだ表情をしていた彼がそこで初めて、『驚き』という名の感情を露わにしたのだ。しかし、


「あの、ギル……?」


 シャロがもう1度話しかけた途端、ギルは持っていた小銃を即座に投げ捨てる。そして褐色のローブを翻してシャロの元へ一瞬で駆け寄り、


「……う」


 まるでドラマのワンシーンのように、躍動的にローブがひらめくその最中さなか。叫び声をあげようとしたシャロの身体を、彼はその両腕の中に入れて抱きすくめた。


「ぐぇ!?」


 人間特有の暖かみが、シャロの上半身を包む。大きくて丈夫なギルの身体は、まるで中身を守るようにシャロを覆っていて、けれど全身の骨に悲鳴をあげさせるほど固くきつく締め上げて、

 

「ちょちょちょちょい!? ギル!? ギルさん!? ギルさんやい!? 人気ひとけがないところだからって積極的過ぎないデスカ!? っていうかなんでこんなところにいんの、ウチを探しに来たの!? ねぇ、ねぇってば!! ……って、いだいいだいいだいッ!!」


 大暴れしようとするもきっちりと固く抱き締められたシャロは、ただ大声をあげて抵抗することしか出来ない。


 ――なんだ、これは一体どういう状況なのだ。目の前に居る人間は、ギルではないのか?


 もしやギルの皮を被った敵なのでは、と。新たな疑惑が浮上したシャロは、きしむ背中の痛みに耐えながら、ずっと握り締めていた大鎌を握り直す。


 相手がギルであるのなら、首を刈っても死なないはずだ。

 だが彼がギルでないのなら、再生することはないはず。それで相手がギルかどうかの判断が出来るだろう。


 問題は、これをいかにギルの首に向かって振るうのか――。


 などと思考していると、不意にギルが腕の力を緩めた。きつい抱擁状態から解放されたシャロは、自分よりもずっと高い彼を顔を見上げる。


 直近で交わる金と黒の視線。そう、真っ黒だ。彼特有の血を思わせる赤色ではない、全てを飲み込むような黒。


「――!!」


 シャロは一瞬で目の色を完全なる警戒へと変えると、出せる限りの力でギルの胸板を突き飛ばした。


 どん、という小さくも硬い音が響く。向こうが脱力していたおかげでするりと腕は解け、シャロはギルの内側から脱出した。それから即座に後ろへ跳ねて距離を取ると、片手の大鎌をふるんと回して風を鳴らし、両手持ちへと構え方を変える。


「アンタ、ギルじゃないよね!? 誰!? 何をしに来たの!?」


 距離を詰めさせないよう大鎌で牽制をしながらキリリと声をあげると、目の前のギル(?)は反対に無言を貫く。


 ただ無表情のようにも見えたが、僅かに強張った表情をしていた。だが、その顔も彼がローブのフードを頭に被ったことでほとんど見えなくなって、


「あっ、ちょっと、待って!!」


 突然ギルもどきは身を翻し逃走。褐色のローブがひらりと返されて、彼はあっという間にシャロから遠ざかっていく。


 それを反射的に追おうとすれば、邪魔するように耳に入ってきたのは、倒れていた処理班員2人がうめく声。その声に意識を一瞬向けて振り返った途端、ギルの姿をした『ヤツ』は煉瓦の壁を手慣れたように駆け上がって、


「ちょ、はぁ!?」


 手品か魔法か何かを見せられたような、あり得ない光景に絶叫。その間にもギルは一切こちらを振り向かずに屋根まで辿り着いて、画角的に下からはどうしても見えない場所へ消えていってしまう。


 ――シャロにはどうしたって追えない。走る速度なら辛うじて合わせられるかもしれないが、あんな3階建ての建物の壁を登るすべなど持っていない。そもそも登れたら、こんな長々と路地を迷わずに済んでいるのだ。


「……」


 夕暮れ時の冷たい風が吹いて、薄茶色の髪を静かに踊らせる。ただ無言で、彼の消えていった方向を見つめて、見つめ続けて。


「……シャロ、さん、ですか?」


 意識を取り戻した処理班員にそう背後から尋ねられるまで、シャロは視線を逸らすことが出来なかった。

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