第29話『機械じかけの天使』

 その頃、神子【ノエル=アンラヴェル】は中央エリア本殿2階、ドーナツ状の廊下にて白い装束の女に狙われていた。


 ――狙われていたのだが、未だに女装中のシャロによって守られていた。現在の状況を説明すると、ノエルがみっともない体勢でひっくり返っていて、それを白装束の女が狙っていて、その間にシャロが入って大鎌を構えている状態だ。


「……ひッ」


 緊迫した空間の中、情けないノエルの声が漏れる。しかしその場の空気は一切緩まない。目の前のシャロと白装束は互いを見つめ合い、牽制をし合っていた。


「……む」


 不機嫌そうに声を溢す白装束。――彼女は、文字通り1ミリの狂いもないほど端正な顔を持った、美しい女性であった。


 もはや生気さえ感じさせないほどの白い肌に、長い睫毛。瞼の奥から時折姿を覗かせる燃えるような赤の瞳は鮮麗という他なく、サイドテールは薄い桃色に艶々と輝いている。まさに神に作られし美貌、どんな芸術家も彼女の前では筆を折らざるを得ない、そんな人外級の容姿を誇っていた。


 ローブのような白装束の中に隠れた身体までは言及できないが、さぞかしスタイルも良いだろう。


 と、頭部でわかる情報だけで、その肢体のクオリティが想像できる。


「……貴様は」


 いっそ人工的な印象を与える、形の良い薄桃色の唇が動かされて、白装束から言葉が滑らかに放たれる。


「戦争屋『インフェルノ』のやからだな。性別は男、現在16歳で血液型はアルファ。身長157センチ、体重52キロで……」


「えっ、えっ、なにどしたの急に。ちょっと、赤裸々にシャロちゃんのプロフィール語るのやめてくれない? あとアンタ、ウチの性別は女の子!! このカワイイご尊顔を見ればわかんでしょ見れば――」


「そして、元名門リップハート家の次男……で、間違いはないな?」


 赤い瞳の女がそう問いかけると、彼女の発言に突っ込んでいたシャロがふと、顔を硬く強張らせて口の動きを止めた。


 彼の目が静かに細められ、鋭くなった琥珀色の視線が真っ直ぐに、白装束の女の両眼を刺す。ただでさえ剣呑な雰囲気がもっと引き締まり、ただの傍観者と化していたノエルは息が詰まるような思いだった。


「……はっ」


 目を細めたまま、シャロが軽く笑う。直後、握られていた大鎌が彼の手中でひゅんと回され、瞬きを1度する合間に刃先が女の首元へ差し向けられた。


「……気色悪ぃなお前。なに、一目見ただけで全部わかるわけ?」


「いかにも。私は限りなく全知全能な人間として作られたアンドロイド……あぁ、この言葉は今の時代には存在しないんだったか?」


「はぁ? アン……何言ってんの」


「貴様のわかりやすいよう言葉を崩すと、そうだな。喋る機械人形――『ベータ・トゥエンティーエイト』。通称【ベルテア】だからな」


「……ベータ。つまりお前、試作品なんだ。試作品って名前凄く面白いね」


 はっ、と渇いたようにシャロが笑う。

 すると意思を汲み取ってわざとなのか、それとも単純に気づいていないのか。喋る機械人形と自称した女――ベルテアは瞑目し、『うむ』と言葉を返した。


 その清々しい態度にシャロは、腹の奥が炙られ、煮えくり返るような気持ちを喉の奥に閉じ込めて、満面の笑顔でラッピング。


 それは、彼には中々ないタイプの怒りの感情であった。


 ペレットに腹を立てる時とも、ギルにからかわれた時とも、マオラオに地雷を踏まれてしまった時とも違う。腹の奥底から黒い何かが湧き出て、自分の血液と心を侵食して体内を巡っているような錯覚を得る怒りである。


 どくどくと心臓が脈を打ち、血液を全身に送り出す。いつもよりも自分の生気を身近に感じるこの感覚――つい、喉が熱くなる。焼かれるように熱くなる。まるで溶けるまで焼いた鉄を飲み込んだようだ。


 その熱を今すぐ、言葉の鈍器に変えて吐きつけたくなるのを我慢して、


「可愛いと思う、ベータ版。ってことは、正式版も居るってこと? つまり、既に誰かの下位互換とか劣化版ってことだよね。良いね。人の過去を勝手に詮索するクソ野郎にはお似合いだよ」


「そうか、ありがとう。ところで貴様はどうするんだ? 神子ノエルを」


 ベルテアの燃えるような赤い視線が、障壁になっているシャロの身体を通してノエルへと向けられる。灰髪の彼女は話題を振られてヒッと情けない声をあげると、尻餅をついたまま、ズリッと肉付きの足りない尻を引いて退がった。


「――今。ここで神子を受け渡しさえすれば」


「は?」


「そうすれば、貴様ら戦争屋のことは見逃してやっても良い」


 低く、優美な声が淡色を乗せて、唇から溢される。その淡々とした事務的な声音が提供する案に、シャロは無言で顔をしかめた。


「まぁ、他の奴らが今生きているかは知れないがな。貴様はどうする? 賢明な判断が出来るものと見込んで、貴様に聞くが」


「お生憎様。ウチ、頭は良いけど我慢は出来ないの。散々好き勝手言ったくせに逃げようってテメーを相手に、『見逃す』って選択肢はねーんだよ」


 ベルテアの首に触れるか触れないか、微妙な距離で大鎌を固定して柄を固く握り締め続けるシャロ。彼はその鋭い切れ味を持つ刃に劣らない、鋭利な光を両眼に乗せて、眼前の白装束を睨みつけていた。


 すると、桃髪の彼女は哀しそうに目を伏せた。その後純白の羽織を内から払い、片腕を中から出すと、女性らしい手を静かにシャロへと差し出して、


「そうか、残念だな。優秀な猿だと思っていたのに。……それでは仕方ない。シャロ=リップハート、貴様はここで死に絶えろ」


 ――伸ばされたのは、まるで、握手を求めるような手つきだった。


 だが、それが攻撃前のモーションだと本能で理解すると、シャロは噛み砕く勢いで歯を食い縛って半歩下がり、


「神子サマ、悪いケド……」


「えっ、あっ、ウェッ!?」


「一旦逃げるよ!! でも降参じゃないかんね!!」


 驚いて声をあげる本人の意思も構わずに、背後でへたり込んでいたノエルをすぐさま抱え、自分に言い聞かせるように声をあげながら廊下を走り抜けた。


 あの女はまずい、確実にまずい。


 約、3年。片手で足りる年数という、短期間ながらもそれなりに場数を踏んできたシャロの、戦争屋としての勘が彼にそう告げていた。あれは、今のシャロが単身で相手をしていい人間――もとい機械人形ではない。


 しかし、だからと言って見逃すわけではない。シャロの情報を、闇に葬ったはずの情報までもを知っているあの女を、見逃して良いはずがないのだ。


「ちっ……!」


 十分な距離をとってからブレーキをかけて立ち止まると、シャロは大鎌を持ったままの手で無線機に触れようとし、


「――えっ」


 光の塊のようなものが真横を通り過ぎて、壁にぶつかった瞬間。その光弾が壁に丸い焼き穴をつけたのを目にして、喉をひゅっと鳴らした。


 振り返るとそこには、桃髪を横に結ったあの女が居た。燃えるような赤い眼で、こちらを見ていた。――手首のとれて、中が空洞になっている片腕を、まるで銃器を扱うような手つきで支えながら。


「その、腕……!」


 シャロが頬を引きつらせ、目を見張って唇を震わせると、手首を失った彼女は無言で腕の先をシャロへ向ける。


 すると、キュィィィイイィィィン……という耳鳴りのような音がし始めた。


 見れば、空洞になっていた場所に赤い光が凝縮して、目玉と同じくらいのサイズの球状を為していた。言い換えるならレーザー、エネルギー弾。そんな言葉が代名詞になるだろうか。もっとも、どれもシャロには未知の言葉だが。


「最後にもう1度だけ問うぞ、シャロ=リップハート。神子ノエルを渡せば貴様を殺しはしない。仲間もだ。さぁ、どうする」


 試すような口調と表情で、再び同じ質問を繰り返すベルテア。


 彼女の赤い瞳は、片腕に抱えられたノエルの灰色の瞳を映してから、それを抱えるシャロの琥珀色の瞳を映す。


「……っ!」


 こちらの武器は大鎌、しかも神子ノエルを抱えているというハンデつき。対してベルテアの武器は、身体に内臓した未知の銃器。


 壁をぶち抜くような威力があって、撃ち抜いた場所を焼き焦がすというこれまた未知の弾丸を撃つ。恐らくあの光の弾丸は、普通の弾丸と違って大鎌の刃の硬さを利用して弾き返すことも出来ない。逆に、刃が溶けてしまうだろう。


 この条件で普通に考えれば、圧倒的にこちらの不利だ。


 それが、シャロ対ベルテアでの戦闘の条件なら。――しかし、


「あは、元から戦力差なんてわかってんだよ。ウチがお前より弱いこともわかってんの。でも降参はしない。負けは認めないし、この子を渡したりもしない」


 挑戦的な笑みを含んでシャロが出した、ベルテアの問いへの答え。その無謀な解答に、ベルテアは『わけがわからない』と綺麗な形をした眉をひそめた。


「……わかっているなら。なにゆえ、自分が生き残れる道を選ぼうとしない?」


「そりゃー簡単な話。負けを認めたら、本当に何もかも負けちゃうじゃん。だからずっと足掻くんだよ、そしたら最後の最後まで『負けてない』から」


「……訳がわからない。実際、私を倒せなければお前は死ぬのだぞ」


「いやぁ、それが死なないんだよね。知ってる? 下僕の力も主人の力って。ここにはお前よりずっと強い奴が居んの」


 ――ベルテアの反対方向を向き、『強いって認めるのは癪だケド、』とつけ加えてから、シャロは傲岸不遜に人差し指を突きつける。


「ウチはただ、ソイツの居る場所までの案内役。お前はそれを追うだけ。その機械で出来た脳ならわかるよね? あんだーすたん?」


「案内、役……私よりも強い……もしや、【ペレット=イェットマン】のことか」


「おー、苗字までよーくわかってんじゃん。別にウチ、『お前を見逃さない』って言っただけで、自分で倒すとは言ってないしぃ? 結果的にお前が倒せれば、シャロちゃんの勝ちみたいなもんだしぃ?」


 傲慢で捻くれた自尊心を言語化して並べる彼に、絶望しているノエルを細腕で脇下に抱えながら、きゃるん、と片目を瞑って可愛さをアピールするシャロ。その一方でベルテアは、未だ不可解を拭えずといった面持ちであり、


「それは実質、貴様が私に負けを認めたということではないのか。支離滅裂にも程があるぞ、シャロ=リップハート……!」


「あ・の・ねぇ!! ぜんっぜん、負けてないから! テキザイテキショって言葉があるでしょ!? ウチとお前じゃ相性悪いんだから、お前を倒せる人間に任せた方が、殺り方としては賢明!! わかる!? そんじゃあね!!」


 いつぞやに殺人鬼がほざいた言葉を自分なりに上書きすると、困惑しているベルテアを放って、シャロは脱兎の如くその場から走り出した。


 下階へ降りる階段はすぐそこだ。

 そこから降りれば、誰かしら仲間に落ち会えるだろう。


 出来れば遠距離タイプで背後も取れるペレットが良いのだが、居なければ次点で絶対死なないギル。正直マオラオは強さはそれなりでも、近距離戦を得意とするのでベルテア相手に優位が取れるかは定かではない――。


 そうベルテアと遠征組の面々との相性を分析していると、背後でまたキュイィィィィンと耳鳴りに似た音が聞こえた。


 階段まで走りながら少しだけ後ろに視線を流すと、案の定ベルテアが腕をこちらに構えている。腕の空洞には、さっきよりもずっと大きな光の塊。


 それを見て息を飲んだ瞬間、大きな反動をつけて、光の塊がこちらへ一直線にすっ飛んできた。


「……っ!」


 シャロは階段を降りる1段目を踏み、大鎌を1階へ向けて放り投げると、空いた腕と元々抱えていた腕でノエルの身体を抱き締めて、下階へと身を投げる。


 すると弾道から標的を失った光弾は、壁に向かって突き進み、衝突。着地地点より閃光が走り抜けた直後、赤橙の炎熱が弾けて空間を呑み干し、


「えっ、えっ、わッ……!」


「いッ……」


 地震のような揺らぎに体勢を崩した後、身を焦がす灼熱を帯びた爆風に吹き飛ばされて、シャロとノエルの身体は勢いよく下階まで転がった。


 くるくると、目まぐるしく変わる視界。ただし固く抱擁されたノエルが体感していたのは、真っ暗な世界と、横への回転運動と、シャロから香る微かな甘い匂いであった。少々血の匂いもする。一方で抱擁の外側に居るシャロの身には、階段の1段1段の角が背中に刺さってかなりの負担が負わされていた。


 しかし、あの光を放つ銃弾にぶつかって爆散するよりはずっとマシだろう。そう考えていれば、下の階に到着した際に腰の辺りがぐぎぃと悲鳴をあげて、


「ぎッッッ……あ、キミ、大丈夫っー!?」


 回転が止まった際にノエルを下に敷いてしまい、激痛で死亡した腰を無理やり上げるシャロ。するとノエルはノエルでかなりの被害を被っており、背中を強襲する痛みに歯を食い縛りながら震えるように頷いた。


「だい、じょうぶ、です……あと……ノエル、です……」


「おーけーポエム!!」


 シャロはノエルの上から立ち退くと、先に下階へ投げ飛ばした大鎌を拾い上げながら、耳の奥の超小型無線機を中指で叩く。


「全員まじ救助要請! 出来れば相性的にはクソガキが良い!! 本殿1階の階段周辺に急いで来て、助けて!!」


《…………――あ? 今――――いる――お前――――》


「くっそ、ノイズがうるさくて全然聞き取れない! ……! ポエム!!」


 階段を降りるベルテアの姿を確認すると、シャロはズキズキ痛む身体を無視してノエルを抱え上げ、1階の廊下をひたすら突っ走る。


「あの……っ、シャロさん、ボク歩けますから、離してください! 貴方だって満身創痍でしょう!?」


「ハァーン? まだまだ動けるってこのくらいの怪我! シャロちゃんの底力を舐めないでよね!」


「……あっ、シャロさん後ろ!」


 ノエルが声をあげた直後、ひゅんと風の鳴る音がしてエネルギー弾が腰の横を通り抜けた。そして床へ着弾、空間を走り抜ける閃光を認識したその次には、何がどう起きたのか、熱に炙られながら後ろへ大きく吹き飛ばされた。


 更に刹那、爆発した場所の真上の天井が抜けて落下し、


「うわっ!」


 シャロ達2人が声をあげて尻をついた瞬間、抜けた天井が床面を叩き、粉々に割れて粉塵を飛ばした。顔面を強襲する尖った粒の群れ。慌てて目を瞑れど、針のように次々と欠片が瞼を刺す。


「いっ……!」


 迂闊に目が開けられない。しかし足音はすぐそこへ迫ってきているし、あの耳鳴りのような音もする。――対処のしようがない。


「くっ、そ……!」


 無力感に苛まれ、歯痒い思いをしたままシャロは自分の死を予感する。そして、キュインというエネルギー弾が撃ち放たれる音がして、最後に文句でも言ってから死のうかとペレットの事を考えていた、その時。


 世の人間の中でもトップクラスに不快な声が、がらがらと喉を荒らしながら、言葉をその空間に吐き出した。



「――呼び、ましたか、クソ先輩、オエッ」

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