第28話『嫉妬と憎悪とエロガキ』

 ――17歳の少女・セレーネにとって、【ペレット=イェットマン】という男の存在は幼少期から自分の光であり続けた。


 大声で罵倒され、非難され、殴られ踏まれて蹴られ、人間扱いはおろか生物としてもろくに扱われなかった過去。それを共に乗り越えて、何も出来ない自分の行く道を照らしてくれたのが、ペレットであった。


 自分達を苦しめる場所から解放された時、セレーネは『救われた』と思った。


 これで自由に生きれる。あの屑という言葉を煮詰めたような奴らの為ではなく、自分と、そして彼の為に命を死ぬまで使って良いのだと。


 灼熱の炎が藍色の夜を殺した日、初めて自由を知ったセレーネは静かに笑みをたたえた。


 その後『天国の番人ヘヴンズゲート』なんて宗教集団に匿われてしまったのは誤算だったが、成果を上げ続けてさえいれば苦しいことは何もないし、今では気のおけない友人だっているし、あの場所を手放す気はもうさらさらない。


 これからはきっと、信者達の崇める『唯一神ゆいいつしん』に毎日祈りを捧げて。時折は〈天国を現世に実現する〉その為に、悪い大人達に手をかけて殺して。


 そんな日々を送りながら、ゆっくりと、ゆっくりと、一緒に生き残れたペレットと愛情を育んでいくのだと、そう思っていた。思っていたのに。





 緑髪を乱雑に結んだパーカー姿の青年と、丸い紅色の瞳が目を引く、民族衣装を纏った背の低い少年。彼ら2人の姿を目にした瞬間、セレーネの心中に湧いたのは黒い憎悪と、荒れ狂う波のような嫉妬心であった。


 ――いいや、これでもまだマシな方であった。


 もしこれで、大鎌使いのまでもが現れていたら、きっと憎悪だの嫉妬だのにかまけている暇はなかっただろう。――そうだ、あの少女は?


「……あの子は。あの、シャロとかいうガキは。連れていないのかしら」


 翡翠色の瞳で鋭く睨みつけ、そう淡々と尋ねるセレーネの姿を前に、ギルとマオラオは思わず言葉を詰めた。


 彼女が鞭と短機関銃で武装している一方で、見るに堪えない満身創痍の状態であること。彼女が辛うじて原型の残った、アンラヴェル宮殿専用の給仕服を着ていること。そして彼女が何故か今、シャロについて尋ねたこと。


 それらの情報が2人の脳内で疑問を呼んで回り、口を動かさんとしていた意思に蓋をしたのだ。


「――聞いているのだけれど。早く答えなさい」


 無言の2人に苛立ったように顔をしかめ、2度目にセレーネがかけた言葉。それを乗せた美しい声が鼓膜を叩き、彼らの意識を呼び戻す。そしてマオラオが何か言いかけたのを、ギルはそれよりも先に声を出す事で止めた。


「俺さぁ、自分が女王サマか何かだと思って横柄な態度とるヤツってさ、あんま要らねえんだよ。なんせテメーが今言ったソイツがそういうヤローだからな。もうちょいキャラ変えてから来いよ、二番煎じ」


「……その余裕ぶりからして、生きてはいるか、居場所を知らないようね。私としては死んでいてくれた方が、幾分か気が楽なのだけれど」


 溜息を吐いて、横髪を肩の後ろへ払うセレーネ。彼女の最後の発言に、喋ろうか迷っていたマオラオがつい触発されて、


「……ハァ!? シャロが死んだ方がええってどういうことやねん! あんさん、何かアイツと関係あるんか!?」


「おいおい、好きな奴を罵倒されたからって声を荒げることはねーぜ? 恨み嫉みが渦を巻くのが俺らの世界、喧嘩に口論は日常必需品だ。ちぃっとその辺の知識足りてねーな、これ終わったら現場増やせよマオラオ」


 喧嘩慣れはしといた方が良いぜ、とアドバイスだけして顎を摘み、ゆっくりじっくりとセレーネの全身を鑑賞し始めるギル。渇いた血のような色が上下左右に動いて、彼は何かの専門家ぶって意味ありげな溜息を溢す。


「D……いや、Eだな。しかもこれから更に成長するタイプのE」


「きっ……っっしょォォォオオオオ!! 死んどけ不死身ィ!! というかオレお前の隣におるのめちゃくちゃ恥ずかしい! どないする? 死んどく? 1回地獄した逝っとく?? 今なら首抜いたるぞ??」


「るっせーなおっぱいは世界を救うんだよ。そんで99%の男のロマンなんだよ。まじ味わう時に味わっとかねえと、男として死んじまうんだ」


「ゔッッッわ、根本的なとこが腐っとる。嫌や……オレこんなヤツの仲間ですとか言いたない……」


 あまりに不埒な発言を繰り返すギルの有り様に、青白い色を額に浮かべてドン引きするマオラオ。小柄な彼はそそそ……とギルとの間に距離を取り、死ねと言わんばかりに立てた親指を下へ向けると、


「お前それ以上はあかんからな。ええか、いくらお前の顔が良かろうと、女の子にそないなこと言うたらあかん。許されると思うな。……それに、簡単に女の子が入れられるわけないやろ!! あほかぁ!?」


「ちょっ、おま、童貞の癖に偉そうだなァおい!? お前も男ならわかるだろ、殺すのぜってー勿体ねえじゃん、こいつのプロポーショォォォオオオン!!」


 間髪を入れずにビシッと少女に向かって指を差すと、自然とマオラオの紅い瞳がそちらへと向く。直後、小さな身体が氷のように硬直。彼は迷ったような困ったような顔をしてから、しばらくの沈黙を経て、ぽぽぽっと頬を赤く染めた。


 その期待通りの純粋な反応にギルが『けけけッ』と笑うと、セレーネは反対に青ざめて1歩引き下がる。


「信じないわ……貴方達みたいな低俗な人間が、ペレット君の仲間だなんて。ほんっと最低ね男って」


「そうツンツンすんなって、可愛くねーな。――で、それはそうと、どういう了見だ。ペレット『君』ってなんだよ、お前アイツと知り合いなのか?」


 そうギルが尋ねると、金髪のメイド少女は三つ編みを揺らし、細い腰に片手を添えて堂々と立った。


 ――ちら、と視線を大聖堂の方へと向ける。角度的にギルらからは見えないそこでは依然、疲弊しきったペレットが瀕死で這いつくばっていた。血反吐を口からだらだらと垂らしながら、這って動こうとしている。


 ペレット、彼の特殊能力は『空間操作』という神がかったものである分、反動が身体に来るまでの速さも、その反動の大きさもその辺のしょぼい能力とは段違いなのだ。故に昔はしょっちゅうああなって、毎度セレーネが看護していた。


 昔と変わらず苦しみながらも動こうとする、その無様な姿がなんだか可愛らしく見えて、セレーネは心の中で微笑みをたたえる。


「知り合いも何も、将来を誓い合った仲よ。酸いも甘いも一緒に噛み分けてきた仲間。なんて言っても、今の彼には信じてもらえないと思うけれど」


 ――せめて、せめて指にさえ触れさせてくれれば。彼には自分のことを思い出してもらえるだろうし、彼も自分を愛してくれるはずなのに。


 歯痒い思いをしながら静かに奥歯を擦り合わせると、セレーネはつんとした澄まし顔で、細くて白くて艶かしい手をふらりと上げて、ギルを真っ直ぐに指差した。


「【ギル=クライン】。貴方は強い。今の私では敵わない。だから今回は引かせてもらうけれど、彼のことはいずれ返してもらうから。――絶対に」


 彼女は決意を固めた表情でそう宣言すると、すぐにきびすを返して走り出した。もう大聖堂の中のペレットには目をやらず、ただギル達から距離を取ることだけを目的に、ドーナツ状の廊下を走って渡る。


「ッ、おい、待て!! マオラオ、追うぞ!!」


「えっ、あ、ああ!」


 遠ざかるセレーネの背中を追って、一斉に駆け出すギルとマオラオ。片や出会えば死ぬ殺人鬼、片や巨漢の首をぶち抜いた異常な体力を持つ少年――当然、セレーネが普通の少女であるならば、それほど時間は経たずに追いつくはずであった。


 しかし、逃走する彼女の足は全速力の2人より少しだけ速く、近づきに行ったはずなのにずっと遠くなっていく。そしてついには、


「――!? 止まれッ、道を戻れ!! あの金髪女、天井に粘着式の爆弾をつけて行きやがった!!」


「ハァーーーッ!?」


 慌てて踏みとどまって足の向きを捻って変更し、来た道を戻ると、彼らの鼓膜を打つ爆発の轟音が連続で続く。結果、爆発の火が壁や床のカーペットに引火し、度重なる衝撃に耐えきれなかった天井が崩壊して落ちてきた。


「うわッッ!?」


 割れて抜け落ちた天井が床を叩いた瞬間、その振動によりギルとマオラオは同時に進行方向へ倒れ込む。どちらも受け身こそ取れたものの、後ろから飛んでくる熱風が背面を炙り、


「えっ……」


 振り返れば、そこにあったのは見事な有様だ。そこら中に炎が広がって気温が一気に上がっているし、廊下は瓦礫だらけで足場が悪い。灰色ずんだ煙はぶち抜けた天井から本殿の2階へと侵入しており、微量だがこちらまで流れてくる。


 ギルならばともかく、マオラオが通るにはあまりにも難易度が高すぎるアスレチックゾーンが出来上がっていた。


「くそ、厄介な事してくれやがったなあのアマ……! おいマオラオ、今アイツがどこに居るかわかるか?」


「それが、全然わからへん……! あのスピードならまだ本殿の中におるはずやけど、全く持って映らへんねん!!」


 そう困惑に満ちた声をマオラオがあげれば、そこへ語尾に被せるようにして無線機のノイズ音が彼の鼓膜を貫く。それで何事かと耳元を押さえれば、ガザガザとした音の後に通信が綺麗に繋がって、


「は、はい、こちらマオラオですけども」


《――あ、マオラオ、くん……。――ペレット、っス》


「え? ペレット? お前ほんまに……え、ほんまに今のペレット!?」


 ペレットにしてはやけに枯れた声が無線の向こうで発され、動揺に動揺を重ねるマオラオ。落ち着いて聞けば辛うじてペレットだとわかるが、焦り過ぎて最初は誰の声だか全くわからなかった。


「え……」


 慌てて鼻息を静めたマオラオは、ギルの驚愕の視線を横から受けつつ、悪寒に指先を震わせながら口を開く。


「ちょ……ちょい待てお前。な……なんでそんなに声がらがらなん……?」


《ゔあ、あ。血を、吐いて、止まんなくて。……喋るの、だるいんで、助けて、欲しいん、スけど》


「血ィ!? 吐き続けてるって……今どこにおんねん、接敵しとるんか!?」


「はぁ、血ぃ吐いてんのコイツ!?」


《……敵は、居ません。マオラオくん、達が、逃がし、たんで……大聖堂の方、見れば、俺が、見えるはず、っス……つか、うるさ……ギルさ、部屋で、待つように……言ったはず、なん、ですけ……》


 と、そこで彼のがらがら声は途切れて、何か重いものをおえっと吐き出すような苦しげな声に変わった。今もまだ血を吐いているようだ。


「わかった、大聖堂な。今、すぐに――」


 『――すぐに行くから』、と、返事をしようとしていたその時。

 シャロが居るはずの上階から、爆発するような鳴動が一帯に響き渡った。

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