第30話『死の淵からから呼び覚ます声』

 この世でトップクラスに不快な声と、何かが吐き出され、どろっとした液体が床を叩くような気持ち悪い音が聞こえて、シャロは粉塵の中で振り向いた。


 細かい塵が目を刺してくる。痛みで涙が膜を張り、半目になりながらもシャロは声の発生源に視線を向けて、


「――!?」


 そこにあった惨状に、シャロは頭を混乱させた。


「ちょっと、まって、なんで……」


 声を震わせるシャロの手前、そこに居た少年は吐血する。床を這いながら、体内から上がってきた血の塊をまとめて溢す。苦しそうに喉を詰まらせて、それを吐き出して、ひゅうと隙間風のような弱々しい呼吸をする。その繰り返し。


 びちゃ、びちゃびちゃと、1度溢せば止めどなく。その様子から、少年が無理に無理を重ねている状態であることは一目瞭然であった。


 しかし、彼は身体を横にしようとはしない。ただ、赤子が酔ったようにふらふらと、ふらふらと、気合だけで意識を保って這い続けていた。


 その『動くだけの死体』のような姿は、シャロの認識上の彼にはとても似合ったものではない。常に無傷で優秀で、淡々とこなしている嫌味な彼には。腹を立てながらも、縁遠いのだとどこかで思っていたものだった。


「ウチ……そんなになってまで、助けて欲しかったわけじゃ……」


「……ゔるざい、っずねえ……! はやいどご、やっでぐれまぜん……?」


 口を乱雑に拭い、視点の合わない紫の両眼でどうにかシャロを捉え、自分の意識が事切れる前にと指示を出す少年――ペレット。


 彼のこめかみや目の下は、汗でびっしょりと濡らされている。口の周りは吐血で真っ赤、息が入らないのか全身を使ってようやっと呼吸をしており、当然、普段の涼しげな面影は1ミリも残っていない。


 吐きながら這ってきたのか手も給仕服も血塗ちまみれで、正直何故まだ死んでいないのかわからないといった凄惨具合――。


「……なんで」


 シャロは俯き、目元に影を落とす。震える口を無理やり結ぶ。それから、吹き飛ばされた時に痛めたのだろうか。上手く動かない足を引きずり、床を這い、大鎌の柄を掴んだ。どうにかまだ、刃は壊れていないようだ。


「……」


 ――息を吸って、振り返る。するとそこには『空間操作』で身体を固定されたベルテアが。彼女は端正な眉をひそめて、こちらの様子を伺っていた。ペレットの意識が持つ限り、彼女はそこから動くことが出来ないのだ。


「ふぅぅ……」


 琥珀の少年は息を吐き、立ち上がり、大鎌の柄に小指から人差し指まで当てて、最後に親指を添える。――ぐっ、と握り締める。


 そして見据える。ベルテアの瞳を見据える。シャロの琥珀色の瞳とベルテアの赤色の瞳が見つめ合って、空中で視線を絡めた。向こうは動かない。ただ全ての動きを止められて、意識を保ったままこちらを見続けていた。


 ――と、思えば、


「……愛されているな」


 やはり制御は不完全であったのか、形の良い唇が動かされる。


 瞬きがされ、吐息がされ、機械人間には全く意味がないのであろう〈人間を模倣した動き〉がされて、そこにはリアリティに忠実な『人間』が立っていた。


「よほどの愛情がなければ、ここまで命を削ることもない。貴様はその少年に、大事にされているのだな。到底――私には届かない感情だ」


 身体の動きを固められたままベルテアは、炎熱の色を灯した、しかし機械的に冷たい瞳を瞼の奥に押し込める。


 生命なき彼女が偲んでいるのは、一体どのような記憶――もとい、記録なのか。あくまで今日出会ったばかりの関係で、かつどこまでも無機物に過ぎない彼女から、それを推し量ることはシャロには出来ない。


 だから、


「ごめんね、長話は出来ないから黙ってね」


 シャロは冷酷な目をして手短に告げる。

 そして、腰を思いっきりよじり、捻りを解放すると同時に大鎌を振るった。


 ――ひゅん、と。弧を描いて空を裂き、風を鳴らし、ベルテアのなまめかしい首へ鉛色の刃が入り込む。刹那、金属と金属のぶつかる甲高い音。それと共に白肌が割れて、生まれた割れ目へこれ好機にと刃をねじ込むように通した。


 力任せが幸いしたのか、思いのほか刃は通った。シャロは無理やり切り込んで、血管のように首筋に通されていた『線』を破壊する。これより先は固くて切り込めないと判断した頃には、ベルテアの瞳は光を失っていた。


 シャロがそっと近づいて、食い込んだ大鎌の刃をどうにか首から外してやると、ベルテアの身体は地面に突っ伏す。それを見て、静かに安堵。


 しかし、空間と一緒に固定されていたベルテアが倒れたということは、ペレットの余力が切れたということでもあり、


「あ、ペレット……」


 彼の名前を口にしながら、シャロが振り向いた瞬間。四つん這いをしていたペレットはゆっくりと瞼を下ろし、床に吸い込まれるように倒れ込んだ。





 シャロが確かにベルテアを破壊したのを見届けた瞬間、視界が暗転した。


 自分はまともに見たことはないが、舞台が終わったときにステージの照明がパッと消えて、会場が全て暗闇に包まれる感じ。あんな気分だった。


 暗転した直後、それまで自分の中にあった苦しみは消えた。

 身体がイカれ過ぎて、痛みを感じる神経が麻痺してしまっていたのだろう。


 それから自分が自分であるという認識が、だんだんと何かに吸い込まれるように消えていって、つい眠たくなって、睡魔に身を任せた。


 ――だが、途中から真っ暗で静かな世界がやけにうるさくなった。


 何も聞こえなくなっていた耳の傍で、高くて、騒がしくて、聞き慣れていた声が何度も自分を呼んでいた。煽りたくなる声だった。偉そうで若干腹も立つ。


 それで文句を言ってやろうと目を覚ました時、まずペレットが視界に受け入れたのは見知らぬ天井であった。シミのない白い天井だ。背中で感じる心地からして、どうやら自分は仰向けで寝台に寝かされているようだった。


 うっすらと開けた目を左右にやり、ここがどこなのかを朧げな意識で把握しようと努めるペレット。


 右にはベッド、左にもベッド。どちらの寝台にも傷だらけで、もはや死んでいそうな人間が横たわっていた。両方、血濡れて赤くなった騎士制服を着ている。


 ――あぁ、この2人は聖騎士か。聖騎士が隣に居るということは、ここはアンラヴェル宮殿かどこかの医務室だろうか。そう思ってふと見れば、自分の腕にも何か処置がされていることに彼は気づいた。


 それは、輸血用のカテーテルだった。輸血パックと通じた細い管の先の、小さな針が腕にぶっ刺さっているのである。


 なるほど、自分は出血多量で死にかけていて、その為にこんな処置がされているのか。――こちらへ流し込まれている血は、一体誰の血なのだろうか。


 そんなことを考えていると、体内の血の量が回復しているからだろうか、だんだんと視界がクリアになってきた。それで、白衣を着てカルテのようなものを片腕に抱えた女性が、こちらを見ていることに気がついた。


「お目覚めですか? どこか、身体に違和感はありますか? 吐き気や頭痛などはしますか?」


 こちらが起きたとわかった途端にやってくる、質問の強襲。意識が朦朧としている負傷者に対してのモノとは思えない量だ。


 それに口は――口は動かせるが、何故だか不思議と声が出ない。何かで蓋をされているようだ。声が出せなくなるほど疲れているのか。


 思っていたより重症そうで、今後の生活に不安を抱えつつ、喋れないことをアピールするためパクパクと口を開けたり閉じたりを繰り返す。すると女医師(?)もそれを悟ったのか、何かカルテのようなものに簡単に書き込んで、


「その今輸血している血、先程面会に来てずっとペレットさんに話しかけられていた、シャロさんという方が提供してくださったモノなんですよ」


 と、自分に向かって話した。


 ――シャロ。シャロ。あぁ、あのシャロか。


 傲慢で強欲で自分勝手で、いつも暴走していて、迷惑ごとを呼ぶことばかりは一流のトラブルメーカーなあの人。ペレットのことを嫌悪していて、話しかけるだけで嫌そうな顔をするあの人。


 『先輩』の癖に自分よりも遥かに戦場の経験が少なくて、それなのに変に殺人は手慣れていて、それでもたまに見せる姿はあどけない少女そのもので――あの人が自分に献血しただなんて、まさか。


「ペレットさん、採血したら結構稀な血だったみたいで……適合する方がもしかしたら居ないかも、と思っていたんですが」


 ――自分の血液型。あぁそうだ、アルファ型のプラスタイプか。そういえば希少だった気がするが、なんと、シャロと同じ血液だったのか。珍しいと言われている癖をして、こんな身近で仲間が居たとは驚きだ。


 とはいえ、あの人が一体何の為に? ただ純粋に、ペレットを生かそうとして献血したのか?


 否、彼にとっては自分など、死んでしまった方が都合が良いはずだ。ならばあの人もやはり、ペレットを大事な戦力として見ているのか。確かに『空間操作』は、上手く扱えさえすれば一騎当千の能力だが――。


 いや、あの人に限ってそんな、頭を回すようなことはしないだろう。単に、不義理な真似をしたくないだけか。


 今回の遠征でペレットは、シャロのことを数回救っている。


 渡航船から落下した時と、首を絞められていた時と、ベルテアに殺されかけていた時。流石にそう何度も助けられては、嫌いなペレット相手でも恩を無視できなかったのだろう。それで、彼なりに義理を返そうとした結果がこれか。


 ――納得した瞬間、また眠気が自分を呼んだ。


 十分寝たはずなのだが、酷使した身体にはまだ寝足りなかったのであろうか。

 ペレットはそんなことを考えて、再び気を失うように眠りについた。





 次にペレットが意識を取り戻したのは、ペレットが1度目に起きてから、5、6時間くらいが経った夕方のことであった。


 その時には先程とは違い、自分の腹の上に誰かが乗っていて、顔を自分の耳元に寄せていた。そして大きく息を吸い込んで、そいつは声を発した。


「起きろこのクソガキィィィィィイイイイイイ!! シャロちゃんの貴重な目覚ましボイスを無駄にしやがって、これで25回目だぞぉぉぉおおおお!!」


「なっ、あッ、イッ」


 大声が突然頭に響き、無理やり意識を覚醒させられるペレット。彼は耳鳴りの始まった自身の頭を抱え込むも、片手を無理やり拾い上げられ、蓋のなくなってしまった耳の上から追加で、


「シャロちゃんが起きろって言ったら、3秒以内に起きろよ馬鹿ァーーッ!!」


 と、第2撃目が落とされる。これまた負傷者に容赦のない攻撃だ。ペレットは流石に文句を言ってやろうと目を開けると、


「じぃーっ……」


「ヒッ……」


 目の前で琥珀色の両眼がこちらを睨んでいて、思わず変な声が出た。


 と、同時に、医務室らしきこの部屋の引き戸がガラリと開いて、廊下から2人の男が入ってくる。男達の正体はギルとマオラオだ。彼らはいつの間にか女物の給仕服から普段着に着替えており、


「あぁ、やっとペレット起きたのか……って、先に行ったと思ったらどういう状況だぁ? シャロ。それはなんだ、夜這いか何かか??」


「夜這いィ〜? んッなんウチがコイツにするわけないでしょ!! あんまりに起きないから乗っかって叫んだだけ! 変なこと言わないでよね!」


 ふんっと鼻で息を吐いてから、ペレットに理不尽なデコピンをお見舞いしてやるシャロ。彼はベッドから降りてパンプスを履き直すと、いつの間にか無人になっていた隣のベッドにどかっと座り、不慣れながらに脚を組んだ。


 彼もまた着替えていたようで、見慣れたデニムのオーバーオールに華奢な身を包んでいる。


 ――平然と、当たり前のように着衣している彼らだが、私服は荷物とまとめて宿屋に預けていたはずだ。いつの間に返してもらっていたのだろうか。


 というか、


「あれ、もしかして、俺だけに……?」


 ――気づけば、左右どちらのベッドも無人だった。更に横奥のベッドも、更に更に横奥のベッドも無人であり、ペレットはどれほどの時間が経ったのだと窓の外の夕焼けを見やる。すると、


「あァ、ここは重傷者が集まる部屋だったらしくてなァ。お前以外は全員瀕死だったんだが、お前が今目を覚ますまでに皆逝っちまったらしい。シャロの献血がなけりゃお前も同様に死んでたってよ」


「……献血」


 ギルの言葉にそうだ、と思い出してシャロの方を見ると、シャロは慌てたように腕の一部を隠した。献血の痕でも出来ているのだろうか。別に知っているのだから隠さなくても良いのに、とペレットは思うのだが、


「あげてない。いーっさいあげてない。ウチの血はウチのもの」


 そう意地を張って主張をし、つんとそっぽを向くシャロに、これはどうしようもないとペレットは察する。


「……はぁ。なんも知りませんけど、ありがとうございます」


「や、だからウチはなんも……」


「なんとなくお礼が言いたくなったので、感謝をしておきますね。あ、俺にも感謝とかしてくれて良いんスよ? ほら、なんか感謝したいことありません?」


 ペレットは拒否反応を覚悟の上で、にやりと口角を引いた。するとシャロは予想通り、言葉に詰まって口を結ぶ。その可愛らしい造りをした顔にはしわが刻み込まれ、大いに嫌悪しているのが目に見えてわかった。


 ――が、しかし。彼もお礼はしなければと思ったのだろうか。物凄く困った顔をすると、肩や指先をかたかたと震わせて、拒絶反応を示しながら小さな声で、


「う、あ……アリガト……」


 と、一言だけシャロは呟いた。


 それに対して、今まで一切喋らずに同伴していたマオラオが複雑そうな表情を浮かべたのだが、それに気づいたのはギルのみであった。


「……あー、そんで、ペレット。何か聞きたいことはあるか?」


 わざとらしいタイミングでそう聞いて、明らかな話題転換を仕掛けるギル。すると何も気づいていないペレットは、『うーん……』と少々思考する。


「聞きたいこと……まず、俺が倒れてから、何があってこうなったのか……っスね。平然とギルさん達がここに出入りしている理由も知りたいっス」


「あぁ〜、そいつァ教皇の口から直接聞いてもらわねえとな。俺らじゃ上手く纏めらんねえから、別のことにしてくれね?」


「は? ……いつの間にアンラヴェル教皇と懇意になったんです?」


 唐突に出てきた突っ込みどころに容赦なくペレットが触れると、ギルは広い肩を竦めて『いやー』などと変に改まってみせ、


「まぁ、それは多分明日にはわかる。今日はお前は1日中ここな。飯は俺らが外から持ってきて、一緒に食べてやらァ。なんか被害凄すぎて若干俺らも向こうから放置されてるし、ある程度は自由に動けるはずだぜ」


「はぁ……? 俺の知らない間に一体何が……」


 何がなんだかわからないが、ひとまず安堵の時間は手に入れられたのだろう。しばらくここで身体を癒して良いというのなら、ありがたく寝させてもらうか。


 などと思って油断して3度寝を決め込んだら、次夜中に起きた時に顔面に落書きがされていた。絶対にギルのことは信じないと決めた日であった。

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