第07話『紅一点とは空虚な幻想』

 一方その頃、ギルは1人の青年を前に耳を塞いでいた。


「えええぇぇぇェェェェェエエエエッ!? ちょっとギルさんっ!!」


「うるせぇぇぇ!! 音量を下げろォォォ!! んっの馬鹿ワン公!!」


 ギルと廊下で向かい合い、一緒になって大声を上げる人物の名は【フラム】。

 柔らかな空色の髪と海色の瞳を持ち、ごく平均的な体型を水色のサスペンダーに包んだ可愛らしい顔立ちの青年だ。


 訳あって苗字のない彼は、この世界の三大種族『人族・獣人族・鬼族』の中の獣人族という種族で、最も割合の多い〈犬〉の血を継ぐ半獣人――なのだが。

 種族柄なのか、相手を悶えさせるほどの大声を無意識で発する癖があり、


「僕は馬鹿ワンコじゃありませぇぇぇぇぇぇん!!!!」


「痛い痛い耳が壊れる!! 耳が死ぬ!! がぁぁぁぁぁぁ!!」


「……えっ? あっ、すみません」


 ギルの訴えにピクッと犬耳を立て、申し訳なさそうな顔で縮こまるフラム。

 しかし彼はハッとして、『じゃなくて!』とすぐにまた大声を上げ、


「身体もろくに拭かないで、廊下に出ないでください!」


「いや、怒るのはわかるんだけど聞いてくれよ。俺ぜってぇ脱衣所に持ってきたはずなのに、替えのパンツがなくなってたんだぜ? おかしいよな?」


「知りませんよ! じゃあ、これに着替えたらどうですか!」


 言いながら、片手に抱えていた洗濯物の山に手を突っ込むフラム。彼は少しの間その中でもぞもぞと手を動かすと、パンツを1枚引っ張り出し、ギルの顔面にクリティカルヒットさせた。


「ぶへっ。おい、なんで今顔面に……てか待て、これジュリさんのじゃね?」


「僕は、今からこれを干しに行くので失礼します。あ、それと『反省会をするから朝食に遅れないように』とあの人が仰ってましたよ」


「あ? 反省会? 昨日のウェーデン襲撃のか。で、これジュリ……」


「はい、貴方にはしっかり伝えました。逃げないでくださいね!」


 一字一句はきはきと発音して吐き捨て、廊下を力強く歩いていくフラム。次第に遠くなっていく背中を見送り、ギルは投げられたパンツを摘みながら、


「なあこれジュリさんのじゃねぇぇぇぇぇぇええええええええ!?」


 肺をフル活用し、フラムに負けない声量で叫ぶ。だが、種族がら人族よりも耳が良いはずの彼は、何故か聞く耳を持ってくれなかった。どういうことだろうか。

 まさか、ジュリオットの私物説のあるパンツをギルに穿けというのか。


「いや、流石にそれはきついだろ……」


 呟き、とりあえずパンツをその辺に投げ捨てる。そして素知らぬ顔でこの場から退散し――ようとして、同時、フラムがくるりと振り向いた。


「あ、床の水はご自分で拭いてくださいね!」


「……くっそォ!!」


 本気で悔しがるギル。フラムの目から逃れられなかった彼は、仕方なく近くの物置部屋へ行って、雑巾をとって戻ってくる。そうしてしばらくの間、半裸のままで床の水を拭いていると、そこへ紫色のパーカーを着た少年が通りかかった。


「あ、ギルさん。おはようございます。ほぼ全裸で何やってるんスか?」


「おいー見りゃあわかんだろ、掃除だよ掃除ー」


 ギルは通りかかった人物を声で判別し、目もくれずに床を拭き続ける。

 対して少年は、恥じらいもせず肌を晒し続ける男を忌避の目で見下ろしながら、


「へえ。あぁ、そういやギルさんに用があるって女の子がさっき来ましたよ」


「ほーん……って、」


 適当に相槌を返しかけたギルは、間を置いてから静かに手を止め、首がとれそうなほど勢いよく少年の方を――ペレットの方を振り返る。


「ハァ!? どこの誰だよ!? てかまだ居んのその女!?」


「あぁ、一応お帰り願ったんスけど。結構カワイイ子でしたよ? ギルさん、女の子なんかいつ引っかけたんです?」


 日焼けのない白い首を傾げて、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるペレット。どうイジりに使ってやろうかと思案する、悪い奴の笑い方をしている。

 なんか異様に腹立つな――と思いながらも、ギルはゆっくりと首を振り、


「……いや、女を引っかけた覚えなんかねーよ。この屋敷知ってるってこたァー近くの港町の奴か? けど、お前も知っての通りここ1ヶ月はウェーデンに居たし、仲良い女がいた覚えもねェんだけど」


「それじゃあ、ずっと前からの一目惚れ引きずってんじゃないスか?」


「一目惚れェ? ……いやだ〜〜〜うぜ〜〜〜!!」


 渋い顔をして思い出すのは、王都へ遊びに行ったいつかの日のこと。

 あの日はただ仲間と観光をしに行ったはずが、たまたまギルと同じ空間に居合わせた女から『一目惚れです! 付き合ってください!』と告白をされたのだ。


 いわゆる、逆ナンという奴である。当然告白は断ったが、あまりにしつこくて疲れた覚えがある。元々ギルにはトラウマがあり、女性との交流は真面目に好きではなかったのだが、やはり女は信用ならないと確信した日であった。


「いや、ギルさんが知らないだけで、近隣の町にはそういう子かなり居ますよ? なんならギルさんの任務中、3通くらいラブレター預かってますし俺。ま、途中で預かるの面倒臭くなって、全部燃やしちゃったんスけど」


「いやいやいや、そいつら俺の本業ちゃんとわかってんだろうな……?」


 屋敷を拠点にして付近を庇護下――またの名を縄張りにするにおいて、近隣には自分達の正体と事情を明かしているので、その女達にもギルの本性は知られているはずなのだが……こうも気に入られると、その辺の事情が怪しく思われる。


「ま、ギルさん顔だけは良いっスから……にしても、おかしいっスよね」


「え、何が? つか今、俺のこと顔だけって」


「ラブレターっスよ。ギルさんに来て、俺には1通も来ないなんて」


「は〜意ッ外!! お前ってラブレター欲しいとか思うの!?」


 驚きに目を丸めるギル。ペレットは、戦争屋のメンバーの中でも特にそういったことに興味がないタイプの人間だと思っていたので、かなり意外であった。


 しかし、黒髪の少年は『ハッ』と鼻で笑い、


「馬鹿にしないでくださいよ、俺だって一応男なんスよ? 1通くらいは欲しいに決まってるでしょう。だってほら、ラブレターなんて男が男にとれるマウントの代表的な概念じゃないっスか。絶対あった方が楽しいでしょう、俺が」


「――」


 涼しげな顔をしてそう溢し、『あっ、それじゃまた』と片手を上げてその場から立ち去っていくペレット。一瞬、ギルはツッコミ待ちかと思ったが、普通に彼の背中が視界から消えていったので、ボケではなく『本心』であると確信した。


「ハ〜ッ、ラブレターでマウント、ねえ!」


 堂々と明かされた爽やかな悪意に愕然としつつ、ギルは呆れたようにげんなりと目を細めて1人呟く。


「結構前から知ってはいたが、アイツやっぱ性格悪ィな……他人を嘲笑う為に生きてるっつッても過言じゃねェだろ、あのクソガキ……」





 そんなこんなで時は進み、時刻は朝8時こと朝食の時間を迎えた。今まで各々の時間を過ごしていたメンバー達はそれぞれ食堂に集合し、もちろんギルもそれに漏れることなく出席していた――


 はずなのだが、


「あーちくしょ、んッで忘れたんだ俺……!」


 自分の記憶力を責めつつ、慌てて廊下を駆け抜けるギル。彼は先程フラムに吐き捨てられた言伝を床掃除中に忘れ、ついさっき思い出したのである。


 普段ならば時間きっかりに食堂に居なくても良いのだが、今日は違う。任務をこなした次の日に毎回恒例の『反省会』が開かれるのだ。彼は風を切るように走って食堂の前に辿り着くと、そのままドアノブを捻って駆け込んで、


「せ、セーフ『遅刻ですけど!?』


 飛び込んできたギルの姿に、まず誰よりも先に声を上げたのは、先程ギルの顔にパンツをぶん投げてきた犬耳の青年・フラムだった。


 きっと、本日の朝食なのだろう。湯気を立てるシチュー入りの鍋を持って、隣のキッチンに戻ろうとしていた彼は、犬耳を立てて何か言いたげにギルを注視する。

 しかし、とある人物に気を遣ってか、それ以上の言葉は発さず、


「ギル貴方、ちゃんとフラムに伝えさせたはずよね……?」


 その代わり、当の気遣われた人物が静かに問いを発した。


「ひっ……」


 短く悲鳴を上げるギル。あのギルをも声をかけるだけで怯えさせたのは、食卓の誕生日席に長い脚を組んで座り、不穏なオーラを纏った美丈夫だった。

 名前を【フィオネ】という、この反省会の主催者その人である。


 その人物を短めに紹介するなら、この組織のリーダー的存在で、歴史と政治学に精通している切れ者であり、好きな女性の部位は脚。(特にふくらはぎ。)

 ミルクティー色の髪をハーフアップにし、切れ長の目に紫紺の瞳を宿した『インフェルノ』唯一の美女だ――と、言いたいところなのだが。


 残念ながら紅一点とは空虚な幻想、顔面美女でもしっかりとした男であった。


 それを証明するのが、女性とは少し離れたその身体つきだ。


 高い身長と薄くも硬い胸板、プラス包容力のありそうな広い肩幅が、顔面の美女っぷりを帳消しにしているのである。とはいえ全体的に細身なので、そこそこ離れたところから見てしまえば、外見は美女と言っても差し支えないだろう。


「全く。時間は厳守なさい、ギル」


「……ウィーッス」


「ほら、席について。反省会を始めるわ」


 呆れ顔のフィオネに促され、ギルはそそくさと自分の席に腰を下ろす。これで戦争屋メンバー全員が揃ってもなお空席がちらほら見えるが、特に誰も気にすることなく反省会が始まった。


「まず〈昨日の強襲について〉よ。ジュリオット、全体の振り返りを」


「はい、了解しました」


 命じられたジュリオットが頷き、抱えていたノートの内容を読み上げる。


 その内容の、最初の方を要約すると――まず、昨晩の強襲は『ウェーデン王国が殺戮兵器の製作を開始している』という情報を、情報収集能力に長けるフィオネが入手したのが始まりだった。


 その『殺戮兵器』というのは彼曰く、推定100年くらい前のウェーデン王国で当時の技術者たちが計画していたと言われる『自動式戦闘人形』で、本来は国家の武力を高める為に考案されたものなのだそう。


 しかし自分たちで作っておきながら、『殺戮兵器』のあまりの恐ろしさに技術者たちが自ら設計図を破棄しようとした、という逸話もある代物らしく。


 放っておけばウェーデン王国の戦力が飛躍的に上昇し、世界の均衡が崩れて厄介なことになる上、今後彼らが戦争屋に敵対する勢力として現れた際、面倒なことになりそうだったので、今回強襲と奪取を決行したのであった。

 (なので、製作関係者の殺害はほぼおまけのようなものである。)


 ちなみに、国王の居なくなったウェーデン王国へのフォローは、現在裏で着々と進んでいるので心配はなしだ。


「まぁ、このシャロちゃんが潜伏して、情報収集に貢献したわけですわ」


 へへん、と主張の激しいドヤ顔を浮かべるシャロ。


 実際、今回の任務における彼の貢献度は凄かったらしい。

 ただ面白いのが、『それ』が本人の尽力に基づいたものではなく、度重なった彼の幸運によるものだということなのだが。

 

「えぇ、よくやりました。それと数日で所持金を使い切った、ギルさんも」


「い……言い方に悪意あり過ぎんだろ、おい。最終的にどうにかなったんだから、んな掘り返さなくてもいいじゃねェか」


 遠回しに毒突くようなジュリオットの言い方に、軽く眉をひそめるギル。


 『数日で所持金を使い切った』――というのも、潜伏当初。ギルとシャロはそれぞれ20万ペスカ(=20万円)ずつ持たされ、別行動をしていたのである。


 その20万はいわゆる活動資金で、最初の数日はそれでやりくりをし、有益な情報を収集しつつ、財布がすっからかんになる前に就職する必要があったのだが。

 あろうことかギルは、任務開始から3日目に金を使い切ってしまったのである。


 しかも、その出費の7割が食費という体たらく。

 この時点で既にどうかしているのに、そんな暴挙を冒しておきながら、未だに悪く言われる心当たりがないような彼の素振りには、流石に正気が疑われた。


「2人の活躍もあって、王族の内部事情から城の構造まで、想定以上の情報を得ることが出来ました。ここまでが強襲当日に至るまでの内容です」


 ジュリオットは紙面に骨張った長い指を滑らせて、ノートのページを捲った。

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