第36話 作戦実行

正午十二時

 フィリピン軍を無事誘導できている事を確認した私とポールは、マラテの隠れ家を出発した。

 この日作戦に関わるチームは、私とポールを除き、変電所へ向かうニチーム、キャンプで合流する三チーム、そして特殊部隊を誘導するチームと外部サポートチームである。

 外部サポートは我々の作戦動向を全体的にモニターし、不測の事態に対応するチームだ。ダークブルーを奪還してから撤収する際の補助も、このチームが担当だ。

 作戦メンバー全員は、無線で繋がっている。

 行動開始前に各自持つ時計の秒針も、無線を使い合わせた。これで、離れたメンバーとの足並みも揃う。

 全てのメンバーが、二時に向けて始動した。

 

 私とポールが隠れ家から表に出ると、太陽はほぼ真上にいて、強い日差しがアスファルトを焼いていた。

 自分の影が、身体の真下から余り伸びていない。つまり、太陽の傾きが小さいという事だ。影の短さを認識しただけで、体感温度が増加してしまう。

 当然ながら、車の中はサウナさながらとなっていた。エアコンが効くまで窓を全開にして、直ぐに車を出す。

 道をよく知るポールが、運転担当だ。この隠れ家からキャンプへ向かうのは、私とポールの二人だけとなる。


 車は直ぐに鉄道の高架下へ到達、私たちはそこを左折し、鉄道に沿ってエドサ方面へと向かった。

 鉄道があるせいで、歩道に多くの人を見掛ける。狭い車道には、車もそこそこ多い。やや渋滞気味だ。

 所々、炎天下の道端に露天商を見掛けた。商売には、随分年端のいかない子供も混じっている。学校に行かず、食い扶持を稼ぐために厳しい環境で働いているようだ。

 大統領は、こんな現実を把握しているのだろうかと、ふいにそんな事が頭をよぎる。

 無事に帰還できたら、大統領にこの問題を進言しなければと柄にもなく思ってから、そんな事を考えている自分を戒めた。普段意識しない事をもっともらしく考えるのは、現実逃避の兆候だからだ。今は、これから実行する作戦に集中しなければならない。

 いざ決行となり、私は失敗を恐れているのだろうか。自分の事が、自分で分からない事に気付く。


十二時ニ六分

 オスメニアハイウェイを南下し、スカイウェイに乗る手前でエドサ通りに合流。車道の交通量が、激的に増えた。

 エドサ通りの交通量はデータを見て知っていたが、実際にその中へ入ってみると凄まじい。一日の車両通行想定が道路設計時二十五万台に対し、実態は四十万台を超えている。

 この渋滞は、起こるべくして起こっているという事だ。

 渋滞を考慮し、そこからキャンプアギナルドまで四十五分を見込んでいる。キャンプは、その場所から北東へ約十キロ進んだ地点だ。

 作戦に参加する別部隊に、今のところ予定通りだと無線で伝える。他のチームにも、遅れや異常事態は発生していないようだ。

 キャンプのゲートを通るため、各自に軍事物資を供給する業者の偽身分証を用意している。ゲートで一応止められるが、身分証を提示し行き先を本部と告げれば、特に怪しまれず通してもらえるのだ。既に二度、試し済みだった。

 つまりゲートは、行き先の部署へ確認を取るわけでもなく、それほどきついセキュリティではないという事だ。

 左手にマカティの高層ビル群を眺めながら進み、気付けばパシッグ川の橋を渡っていた。

 随分早いと思ったが、目的地まで元々大した距離ではない。通行止めのような事態にならなければ、時間の余裕は充分あった。

 川を渡る手前で左に折れると、かつて発電所のあったロックウェルパワープラントモールにたどり着く。行った事はないが、立派なモールになったようだ。

 パシッグ川を渡り五分も走ると、今度は右手にオルティガスの街が見えてくる。

 マニラもこうして見ると、れっきとした大都会だ。

 しかし、一旦街の細かな道路へ侵入すると、途端に貧困的世界が目に飛び込んでくる。それらと高層ビルディングや巨大モールとの対比から、その立派な街は一体誰の物なのだろうと、不思議な感情が込み上げてくる。グレースも、そんな混沌とする街で育ったのだ。

 この都会には、庶民にとっての理不尽が溢れ返っているのだろうという想像が、ふいに脳裏をかすめる。そんな事も、一度大統領と話してみたいものだ。

 そして、また余計な事を考えている自分に気付く。

 隠れ家を出発して、一時間が経過していた。


一時〇八分

 オルティガスを過ぎて間もなく、我々はエドサ通りを右折し、いよいよキャンプアギナルドのゲートに到着した。

 変電所チームより、少し前にターゲットへ到着したとの連絡があり、軍の部隊をマニラから遠ざけるために動いているチームからは、フィリピン軍特殊部隊がイモスを通過し、ダスマリナスへ向かっているとの報告が上がっている。

 今のところ、全てがこちらの思惑通りだ。

 作戦開始まで、まだ時間がある。しかし、集中力を高めるための時間も必要だ。私たちは、予定の二時を待つ事にした。

 ダークブルー研究所を急襲するチーム十名は、四台の車に分乗している。歩哨に怪しまれないよう、それぞれの車は侵入ゲートを変え、持っている偽身分証の所属会社もばらばらにした。

 キャンプを出る際はセキュリティがあまいため、侵入で使用した車は全てキャンプへ置き去りにし、大型のワンボックスカー一台を使用する。この車も、後で跡形もなく爆破される運命だ。


一時二十三分

 四台全ての車が、無事キャンプアギナルドの敷地内へ侵入成功。

 キャンプは、多くの樹木で覆われている。偵察時には邪魔だったそれらが、今は我々に味方してくれるような安心感をもたらしている。

 ゲート三からキャンプ内部に入った私たちは、入場してから間もなくの、キャンティーン前に広がる駐車場へ車を停めた。そこが、キャンプ内での集合場所だ。

 キャンティーンの隣に娯楽施設があるせいで、駐車場に三十台程度の車が停車している。おかげで私たちの車がそこへ四台紛れても、全く目立たない。

「一時五十分までに、全員配置についてくれ。送電ケーブルの切断は時間きっかりに頼む。何か質問は?」

 各所から、ナッシングの返事が返った。あとは首尾よく、計画を実行するのみとなる。

 つかの間たばこに火をつけ、助手席のシートにもたれかかった。もう後には引けない。果たしてグレースとの約束を、守れるのだろうか。

 いや、勝利の女神は、弱気という僅かな隙間から逃げていく。成功を疑ってはならないのだ。

 これは外人部隊へ入隊した頃の部隊隊長が、口癖のように部下へ掛けていた言葉だ。それ以来、作戦遂行時の私は、いつでも自分に必ず上手くいくと言い聞かせるようになった。

『窮地に立たされた時には、身体が覚えた訓練の成果が物を言う。厳しい訓練を積んだお前たちは、いざとなれば身体が勝手に動くんだ。だから心配するな。余計な事を考えず、目の前の事に集中しろ。集中できれば必ず成功する』

 彼の訓示は、全くその通りだった。おかげで私は、幾度となく銃弾の下をくぐり抜けながら、未だこうして世間に生き恥をさらしている。

 目を閉じて、かつての上長の言葉を反芻しながら、気を集中した。

 運転席のポールもまた、ハンドルに額を付け沈黙していた。

 この男の事だから、作戦の詳細は全て頭に入力済みだろう。今回はお互い、一番得意な狙撃の腕を使う事はないが、彼も過酷な格闘訓練で生き残った人間だ。何をやらせても、腕は一流だろう。今更彼に、確認や念押しすることは何もない。

 車内が静まり返る。カラスの鳴き声が、車外から微かに聞こえている。

 この基地はまだ、至って平和だ。今日の相手は停電になってさえ、異常事態を疑わないだろう。基地のセキュリティ具合を見れば、その軍の体質が分かるというものだ。兵隊各自に、普段から危険を察知する訓練を徹底できていなければ、戦時下でない軍隊は平和ぼけする。いっそこのまま、最後までぼけていて欲しいものだ。


一時四十分

 私とポールは、車を降りてダークブルー研究所へと歩き出した。

 駐車場からキャンティーンの方へと進み、キャンティーンには入らず、建物の横を通る細い道からその後ろ側へと回る。

 先程駐車場へ入るために通った道はキャンプ内の主要道路であるため、車両の交通量は一時間に二十台程だが、その細い道は一日で二台から、多い時で三台。各所の車や人の量、更に軍隊のジープやトラックの行き来については、衛星画像から統計を取って調べている。

 周囲に異常はない。閑散としていた。

 研究所襲撃チームのメンバーにそれを伝え、順次警戒しながら、私たちに続くよう指示を出した。

 ターゲットとなる建屋は、キャンティーンから南へ百メートル離れた場所にある。

 キャンプ内の建物は、ほとんど敷地の仕切りがオープンになっているが、その建屋は四方が塀で囲まれていた。そういった施設は、キャンプ内に数えるほどしかない。よって、最初から目星を付けやすかった。

 私とポールは、背中にナップサックを背負っている。服装は冴えないブルーの作業着だ。誰かに見られたとしても、ガスや電気、あるいは空調設備の点検作業員だと思わせる格好だ。

 その姿の印象に反するように、二人のナップザックの中味は、不穏な臭いの漂う危険物だらけとなっている。勿論拳銃と予備のマガジンは用意した。かさばるライフルやマシンガンは持参しないが、帰還時に使用する車両に、それらは積み込み済みである。

 それ以外は手榴弾やC4爆弾等の爆薬類、催涙弾、ガスマスク、電気ショック銃に極小径の麻酔針、ロープ、ケーブルタイト、ガス充填式吹き矢等々。

 麻酔針は径が極小のため、それが首筋に刺さっても、蚊に刺された程度にしか感じないものだ。それでも針の先端には、濃縮した猛獣用の麻酔薬が塗られているため、身体のどこかに入れば一分以内に意識を失う。

 いよいよダークブルー研究所の裏手に到着、建屋を囲む塀の高さは、およそニ・五メートルとまあまあ高い。塀のトップに、幸い鉄縄文はなかった。

 敷地内には樹齢五十年は超えていそうな大きな木が、八〜十メートルの間隔を置いて植えられている。おかげでそこは、鬱蒼うっそうとした印象だ。

 波打ちトタンの壁を持ち、一見倉庫のような寸胴で背の高い建物が、緑の中で無機質な姿を晒している。どこにも窓は見当たらず、全く味気ない建物だが、付き焼き場的な雰囲気が逆に秘密めいていた。


一時四十八分

 走り込んでくるポールの足を私の繋いだ両手で押し上げ、ポールが塀の淵を掴む。一旦壁にぶら下がった彼はするすると塀の上部に這い上がり、塀の内側へと消えた。見かけによらず、随分軽い身のこなしだ。

 直ぐに一本のロープが、塀の内側からこちらへ投げられる。私はそれに掴まり、無事塀の内側へ侵入。

 湿った土の匂いを感じながら、他のグループの状況を確認する。

「こちらは敷地内に潜入した。他の首尾はどうだ?」

『パンダカン変電所、配置に付きました』

『ヒルクレスト変電所、準備完了』

「潜入チームはどうだ?」

『通信ケーブル前に到達』

『潜入チーム、塀の陰で待機中』

「分かった、予定通り、二時丁度に送電ケーブルを切断。通信ケーブルは、停電後五秒待ってから切断。ゲート前の歩哨は、停電と同時に片付けてくれ」

 コピーという、四つの返事が順繰りに返る。

 私とポールは足音を殺し、研究所建屋の正面側へと移動。建屋の陰からそろりと入口を探ると、アサルトライフルを持つ、迷彩服姿の二人の歩哨が立っていた。

 建物内部に本当に人がいるのだろうかという風情と銃を持つ歩哨の取り合わせを見て、自分がこれからやろうとしている事が現実味を帯びる。

 かつて機密作戦遂行に明け暮れていた頃の感覚が、ようやく自分の中でよみがえったという感じだ。

 私たちはハンドサインで、私とポールがそれぞれどちらの歩哨を仕留めるか決めた。

 ただし、拳銃は使わない。できる限り相手を殺さないというのが、今回の作戦の前提だ。

 できれば電気ショック銃を使用したいが、相手が遠すぎる。植木等がないため、相手に気付かれずに間合いを詰めるのは不可能だ。

 私は腕時計を見た。時刻は一時五十四分。間もなく電力送電が止まる。


一時五十五分

 ポールと私は、ナップサックから吹き矢を取り出した。原始的な武器ではあるが、目立つ音を出さずに攻撃を加えるには便利である。しかもこの吹き矢には圧縮ガスが充填されているため、高速の矢を遠くまで放つ事ができる。

 歩哨をめがけて打ち込むのは、麻酔針だ。これを上手く首筋に刺せば、相手は一分と持たない。

 建物の角から腹ばいになり、反射ミラーで狙いを定める。ポールは私の背中に横たわった。

 スタンバイとなってから、私は指でカウントダウンを取った。カウントスリーの後に、私とポールがスイッチを押す。

 カチッという小さな音を立て、麻酔針が放たれた。

 ポールの狙った相手は、蚊に刺されたと思ったのだろう、素早く右手で首筋を叩く。しかしワタシの狙った相手はノーリアクションだ。どうやら私は外してしまったらしい。

 ポールが私を指さし、別の手を口に当てて笑いを堪える仕草を見せる。お前が俺の上に乗っているせいだろうと、私は心の中で抗議した。

 相手にはまだ気付かれていない。

 私は気を取り直し、新しい麻酔針を再度吹き矢にセットした。

 今度も慎重に狙いを定める。

 そしてスイッチを押した。

 プランジャーの動く音に続き、相手が首筋に手を当てる。今度は命中したようだ。

 その直後、ポールが狙った歩哨が突然地面に倒れる。相棒が驚き、声を掛けて倒れた歩哨を揺すった。そして彼も直に倒れた。

 私たちは倒れた二人を引きずり、植え込みの中へ隠す。時計を見ると、一時五十九分だった。


二時〇〇分五秒

 この時間、各方面の業務連絡が集中した。集中するのは予め分かっていた事で、報告順を変電所、通信ケーブル、表の歩哨と予め決めていた。

 メンバー全員が、同じ無線を聞いている。こうして決めた事の進捗と結果を共有すれば、不測の事態発生時の対応も素早くできるというものだ。

 決められた通り、各所の報告が上がった。

『パンダカン、作業終了。ケーブルの切断を確認』

『ヒルクレストも終了。一帯の送電が途絶えました』

「グッドジョブ。そっちは速やかに撤収してくれ」

 二つのコピーという返事。

 このやり取りの間、鉄門扉の外側が一瞬騒がしくなり、直ぐにその音が消えた。

『通信ライン、切断完了』

「直ぐにこちらへ合流してくれ」

『表の歩哨が片付きました』

「直ぐに門を開ける」

 私の返事が終わる前に、ポールが内側から掛かっている大きな鉄門扉のロックを外している。

 ニメートルの観音開きになっている鉄門扉が開いた。外側の歩哨に対応した六人が、眠る二人の歩哨を素早く内側へ運ぶ。そして門扉が再び閉じられた。

 ポールが眠る歩哨の一人を植え込みの中へ隠すよう、指示を出す。

 間もなく通信ケーブル切断チームの二人が、我々に合流した。

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