第35話 作戦決行判断

「変電所の詳しい図面が手に入らない。流石にガードが固いようです」

 ダークブルー奪還決行日が一週間後と迫った日、マラテの隠れ家でポールが困り果てた顔を作った。

「マニラの都市機能に関わる施設だ。簡単にいかない事は想定済みだ」

 ポールは狐につままれた顔を作った途端、私に迫るように一歩近付いた。

「何か妙案でも?」

「妙案ではないが、そうなら破壊を二次側に絞る事は止め、一次側も含めてケーブルを切断するしかない。ある程度予想は付くが、アジアのこうした設備は送電線が複雑に入り乱れているケースも多い。入出力の絶対的な区別が付かないなら仕方ないだろう」

 変電所には、より高圧な一次側(入力側)と降圧した二次側(出力側)の太いケーブルが三本一組、入出力合わせて合計六本あるのが普通だ。もし変圧器が配電先に合わせ二系統、あるいは三系統あれば、二次側ケーブルは六本、あるいは九本となる。その場合、それぞれ系統毎に遮断器や避雷器、変圧器があるため、見た目には何系統の送電先があるのか分かりやすい。

 また、高圧送電線には裸硬銅線が使われるが、変電施設へ引き込まれる際は絶縁皮膜に覆われた線が使われる。

 つまり変電設備に引き込まれたかなめの線は、見た目で識別しやすい物になっているはずだ。これらの設備は屋外にあり、外から観察すればおよそ電気の流れが分かる。

 かつて特殊な任務を遂行してきた私たちには、送電を止め相手の持つ設備を無力化させなければならない経験も少なからずあった。よって私やポール、そして彼の部下たちにも、ある程度の予備知識がある。

「変電所の写真を、できるだけ多く集めてくれないか。それで破壊するケーブル箇所を具体的に検討しよう。どうしても分からなければ、仕方ない」

 最悪のシナリオは、変電所の大半の設備を爆薬で破壊する事だった。実はこの方が我々にとっては簡単だが、設備に手を出せば復興に時間がかかる。停電エリアに住む多くの住民に、多大な迷惑がかかる事を私は避けたいと思っていた。長期間の停電になれば、住人にとってのストレスは大きい。何の罪もない一般市民を大勢巻き込む事は、なるべくしたくなかった。

 考えるべき事は山程あった。事前準備、機材調達と点検、ケーブルの切断方法、ダークブルー研究所への侵入方法、侵入後のダークブルー捜索方法、そして脱出方法、フィリピン国外への逃亡計画。更には大統領の開放タイミングや作戦決行時間、そして決行最終判断の条件。決行条件は、天候やダークブルー警備状況、軍の動き等になるだろう。

 そうした細かい内容を計画に織り込みながら、私とポールは作戦会議を重ねた。

 決行日が迫るに連れ私の中では、ある種の高揚感が高まっていた。それは恐れや不安とは全くかけ離れた、子供が遠足を待ちわびるような、興奮を伴う感情だった。

 失敗したら、どれ程酷い目に遭うか分からない状況で、私は成功する事しか考えていなかったのかもしれない。

 通常、この手の作戦には万が一を考え、多くのバックアッププランを用意するが、私はそれも多くは考えなかった。信頼のおけるポールのサポートを受けられるせいかもしれないが、おそらくそれだけではない。

 私は久しぶりの大きな仕事に、取りかれていたのだ。頭の中は作戦の事で一杯になり、そもそもこの仕事が、グレースの依頼に紐付いている事も忘れていた。

 警察退官後、探偵仕事は飯が食える程度に上手くやってきた。しかも十年だ。

 気付いたら浮気調査に明け暮れていた。最初の一年は他人事情への覗き見根性を触発され刺激的だったが、そんなものは長続きしなかった。後は可もなく不可もない、平和過ぎる年月だった。

 そんな生活に、不満はないはずだった。寝食に困ることはなく、気が向けば外で酒も飲める。特段のストレスも感じず、普通のサラリーマンよりずっと気楽な道を歩んでいると思っていたし、実際そうだったのだろう。

 決して悪くはなかった。所詮は短い人生、我慢や苦労ばかりしていても仕方がない。

 しかし、悪くはないが、自分にとってそれでいいかと言えば分からない。こういった世界に身を投じてみれば、我を忘れて夢中になっている自分に気付いてしまうからだ。

 いくらリスクが大きくても、やり甲斐はある。いや、リスクがあるからこそのやり甲斐なのだろう。それは、自己満足や自己顕示欲を満たすためだけの行為かもしれないが、私自身はそんなことを意識しているわけではなかった。血のたぎる行動に、生きている実感を感じているに過ぎないのだ。


 私は作戦の細部を練り上げた。

 パンダカン変電所、ヒルクレスト変電所は無人の設備だ。どちらの設備も、普通の街の中にある。人里離れた野原にポツンとあるのではない。

 そしてヒルクレストは背の高い金属製の壁に覆われ、路上から中を見通す事はできなかった。加えて周囲を不審者が歩いていても目立たないが、変電所に何かを細工するには人の目が多過ぎる。

 そうした変電所を、どのように偵察し処理するかが一つの課題であった。

 課題、難題は、それだけではない。一番の問題は、ダークブルーの保管状態がどうなっているかだ。金庫に格納されているのであれば、それを破らなければならない。どんなタイプのロックが掛かっているのかも分からず、肝心のダークブルーへのアクセスに、一番の不安を残していた。

 私は作戦決行まで三日を残す段階で、その問題の解決策に集中していた。

 更にフィリピンの特殊精鋭部隊をマニラ郊外へ釘付けにするため、私は大統領捜索に行き詰まっているフィリピン政府へ、大統領の画像と共にメッセージを送った。

 今度は情報のリークではなく、明白な要求だ。宛先は、大統領代行の個人メールアドレスとし、インターネットへの公開はしなかった。

『フィリピン政府幹部諸君、我々は大変退屈している。余りに長期間に渡る放置のため、毎日交わす大統領との会話にも話題を欠く始末だ。これ程時間を掛けても我々に辿り着けないならば、お前たちは余程無能なのだろう。

 さて、このまま待っていても埒が明かない。そこで我々はお前たちに、一つの取り引きを持ち掛ける事にした。

 我々は、大統領を米ドル百ミリオン(百億円)と交換してやる事にする。直ぐに米ドル紙幣でキャッシュを用意しろ。

 交換場所はカビテとするが、詳細は随時連絡する。金と大統領の交換日は三日後を予定している。

 金額、期日についての交渉は、一切受け付けない。もしこの提案を無視したら、大統領はマニラ湾にしかばねさらす事になる。その事を忘れるな。

 フィリピン政府が要求に応じる場合、我々はこの取り引き内容を、一切口外しない』

 これでフィリピン政府は、要求に応じる振りをしながら、陰で軍の特殊部隊を動かす。勿論身代金など用意しない。これは、個人の身代金目当て誘拐事件とは違うのだ。大統領奪還と犯人確保に全力を上げ、万が一大統領が死亡に至っても、政府はそういった類いの脅迫に屈する事はできないとして、胸を張り記者会見をするだけのことである。

 しかし、指を咥えて見ているだけの結果が、大統領死亡と犯行グループ逃亡になれば、政府の無能ぶりが際立つだけだ。つまりフィリピン政府は軍と警察を総動員し、大統領奪還と犯行グループ逮捕を目指す。奇しくも彼らにとって、ようやく我々との接点が見えたのだ。彼らがこのチャンスを逃すわけがない。

 そして、大統領の生還と犯人逮捕あるいは壊滅という二つの手柄、もしくは最低でもどちらか一つの実績を作らなければ、彼らは政治家生命を絶たれるところまで追い込まれる。

 つまり私たちがダークブルーを取りにいく間、一流の戦闘員やスパイナーは、この数日間、ほとんどがカビテへ釘付けとなる。


 作戦決行当日、嵐の場合は延期と決めていたが、その日は朝から晴天だった。フィリピンの天候は変わりやすいが、台風が来ているわけではない。突然の雨になったとしても短時間で上がるだろう。

 ダークブルー研究所への侵入は午後二時と決めた。その時間に、ケソンの大部分が停電となる。

 変電所のケーブル切断には、遠隔起爆装置の付くC4を使用する。前夜、ドローンに運ばせたそれを、マグネットで送電ケーブル上に直接貼り付けた。高圧による電磁波障害対策として、送電の交流電圧波形にシンクロさせるよう遠隔送信側の電波を細工した。起爆信号が正しく作動するかどうかは、テスト用のLED点灯で確認済みだ。

 ヒルクレスト変電所の場合、幸い道路を挟んだ向かい側に高層の団地があった。私たちは二日前から、夜になると団地の屋上に上がり変電所の中を偵察していた。そして同じ場所からドローンを操作し、ケーブルに爆弾を取り付けた。パンダカン側も、同様にドローンを使った。これで設備を破壊することなく送電を止める事ができ、変電所の被害を最小限に抑え込む事ができる。

 決行に平日の昼時間を選んだのは、施設内に従業員がいる必要があったためだ。ダークブルーが金庫に入っていれば、その扉を研究者に開けさせれば良い。もし研究中であれば、ダークブルーは何かの装置に設置されている。

 当日早朝、フィリピン政府に、大統領と現金交換取り引き場所を連絡した。

 通告した最初の場所はアラバン、時刻は午前十時。スカイウェイのアラバン出口が、指定場所だ。スカイウェイとは、ルソン島の南北主要高速道路を接続するために建設された、マニラ首都圏を南北に走る高架高速道である。

 私たちは隠れ家で、フィリピン軍の動きを、衛星映像を通しモニターしていた。

 予想通り警察と軍は、分散してスカイウェイを南下した。軍のトラックを、最低十台は捉える事ができた。カビテ全域に散りばめるよう、各地に別部隊を大勢待機させている事も分かっている。準備万端整え、我々を制圧しようという事だ。

 後はポールの部下に、彼らをラスピニャス、イモス、ダスマリナスと引きずり回してもらう。目的地に到着後、次の場所を指定するという事を繰り返し、主要部隊をマニラから遠ざかる山の方へと導いていくのだ。彼らは要求が変だと疑っても、先ずは従うより他ない。おそらく彼らに、我々の本当の目的を察知する余裕はないはずだ。一度実戦を交え、しかも大統領が実際に捕らえられているのだから。

 マニラの守護神が不在の中、我々は仕事を進める。しかし、特殊部隊がいなくなったとしても、私たちはいくつか起こる小競り合いを制する必要があった。警察もそれなりに集まってくるはずだ。最悪はキャンプ内、あるいはケソン市街地で銃撃戦となることも覚悟している。

 ダークブルー研究所への侵入は、総勢十名を予定していた。勿論十名の中に、私とポールが含まれている。

 作戦決行まで、残り二時間半と迫った。

 私は無線でニ十三名の関係者全員に、作戦決行の最終判断を伝えた。

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