第34話 挑発

 世間へ放出したビデオは、わずか一日で大きな話題を呼んだ。

 全てといって差支えないテレビや新聞等の報道機関が、野次馬の如く情報に群がった。それに多くの市民が釘付けになるという社会現象を呼び起こし、それが更に報道を加熱させるという循環が始まろうとしている。

 政府や軍の対策会議を覗き見る事はできないが、幹部らは頭から湯気を出し、会議室で怒声を張り上げていることだろう。

 大統領救出という最優先事項があるものの、軍にとっては自分たちの威厳を取り戻すことも重要になっている。

 それだけ彼らは追い込まれ、テロ組織への報復と大統領奪還は、全てのリソースを投入してでもやり遂げなければならない絶対的使命となった。

 私は慌てて次の行動を起こさず、数日様子を見ていたが、軽いジャブを打つ事だけは怠らなかった。時折インターネット上へ、メッセージを発信したのだ。

『お前たちの捜査は、今のところまるで見当違いだ。俺たちに辿り着くのを待っている』

『どうした? 大統領が苛立っているぞ。早く来い』

『待ちくたびた。大統領を殺して撤退するぞ』

 こうしたメッセージには、発信元が本物である証拠として、大統領本人の映像を付けた。勿論その映像は、部屋の様子が一切分からないよう細工しているし、音声は一切入れない。捜査のヒントを与えないよう、映像には細心の注意を払っている。

 放出するビデオは、いくらでも監視カメラから取って加工できた。二十四時間の監視映像で都合の良い部分を切り取り編集するのだから、彼が元気であるように見せたり、疲弊しているように見せるのは自在だった。

 監禁された大統領の映像は、報道機関や世間の大きな関心を呼んだ。大統領の生身の映像は、言葉によるメッセージより遥かにインパクトが大きい。時々こうした映像を世間に流す事で、市民の関心がこの件から離れる事を防ぐ事もできる。

 政府や軍には、非常に煩わしいやり口だろう。

 こうしてフィリピン政府と軍をらし、フィリピン軍ヘッドを疲弊させる。何も成果が上がらず時だけが過ぎれば、世間の注目を浴びる彼らに焦りが生じるのは必然だ。


 一方で私たちは、ダークブルーの正確な有り場所について、調査を継続していた。

 元々ブラフであったフィリピン大学の警備は、カビテの一戦以来解除された。軍のフォーカスがダークブルーかられ、大統領拉致絡みのテロ組織へ向いているあかしであった。教育の現場を軍が取り巻くという異常な事態は、大学としても避けたかったことだろう。

 ダークブルーはメトロマニラのケソンに位置する、AFP本部付近にある事は分かっている。

 AFP本部は、百八十ヘクタールの広大なキャンプアギナルドに収まっていた。

 このキャンプには、様々な機能が含まれている。

 例えば国防省、国家災害リスク管理委員会、フィリピン退役軍人局、国防専門学校、平和維持オペレーションセンター、人材採用センター等の、直接戦闘には関わらない役所的役割を担う部門だ。

 よって、キャンプは一つの街になっている。役所の他に、ゴルフ場やホテル、ショッピングセンター、学校、レストランがあり、キャンプ敷地内に入るのは難しくない。

 そこは一見普通の警備体制であったが、私たちはキャンプ内部の詳細に目を光らせていた。

 多くの建物が散見される中、入口に警備が付き、更に時々幹部や外部の人間が訪れる建屋。

 そうやって特定したいくつかの建物の内、学者が出入りする場所を突き止めるに至っていた。

 キャンプの中に興味を引く人間がいると、私たちはその人物をマークした。キャンプを出てから、その人物が向かう場所を衛星画像でトレースすれば、その人間の職場や住まいを知るのは簡単だ。そして、自宅、あるいは職場が分かれば、そこから人物の素性が分かる。

 ある建屋へ出入りしていたのは、フィリピンディリマン大学の物理学者であるジョンポール教授、デ・ラ・サール大学の同じく物理学者であるジャスティン教授の二人であった。この二人が週にニ〜三回程度、軍の施設に通っている。

 更に同じ建屋に、毎日朝から夕方まで、二人の教授の助手が通っていた。その建屋でダークブルーを調べているのは、間違いなさそうだ。

 この建屋は、入口が大きく分厚い鉄のゲートに遮られ、そこへの出入りは兵隊にしっかり監視されている。特殊な武器か薬品、あるいは重要機密がそこにある事は明白な状況だった。

 近場には、建屋の内部をじっくり観察できる高層ビルがない。偵察は衛星映像に頼る他なかったが、ダークブルーがそこにある事はほぼ確定と言ってよかった。

 そうであれば軍がテロ組織に気を取られている間に、その建物の真下までトンネルを繋げたいが、キャンプの敷地が広過ぎるために距離が長くなり、シールドマシンを用意しなければトンネル開通は不可能であった。

 他国で密かにシールドマシンを準備するのは、土台無理である。公に準備をするにも、フィリピンにそんな物はない。船便で輸入するのは時間がかかり過ぎる上、輸入許可を取るための偽装工作は、物が物だけに大掛かりとなる。

 キャンプ上空は航空禁止エリアとなり、ヘリコプターを一つ飛ばすだけで相手の低空レーダーに引っ掛かる。更に地上の条件を加味すると、パラシュートを含めた空からのアプローチは現実的ではない。

 地下や空が無理であれば地上から入り込むしかないが、敷地が狭い分、建物のセキュリティは充実しているはずだ。

 となれば、あまり気は進まないが、当初考えた電力送電を止める方法しかない。

 広範囲に送電を止めてしまう。狙いの建屋のみ送電を止めれば、私たちのターゲットがその場所だと相手に知れてしまうからだ。

 電気を遮断し、セキュリティ機能を麻痺させる。

 広範囲で停電を起こすためには、高圧送電ルートや、各変電所や配電所の送電範囲を調べる必要があった。

 それが、意外な所で手に入っていた。

 過去の度重なるマニラ大停電の再発防止対策において、日本のJICAが日本政府の下部組織としてその調査と援助をしていたのだ。

 その際、JICAが原因調査資料を残し、その中に当時のフィリピン電力事情、送電ルートやその後の送電ルート建設予定等を詳しく記している。それがインターネット上で手に入っていた。

 資料の内容は古いが、それを読めばフィリピンの送電概要を知る事ができる。その程度の手掛かりさえあれば、裏付け調査から必要な情報を深堀りする事は容易だった。

 資料によると、地方発電所からのマニラに対する送電は、一旦サンホセ一次変電所に入り変圧されるようだ。

 しかし現在は、停電対策としてトンド北側のナボタス火力発電所が稼働し、バタアンのソーラーファームや石炭火力発電、あるいはビールメーカーで有名なサンミゲルの参入で実現した発電所が、バタアン半島で稼働している。これらで発電された電力がマニラ湾沿いに送電され、マニラの電力安定に寄与しているようだ。

 バタアン半島には、意外にもアジアで最初に建設された原子力発電所がある。しかし折角完成したこの施設は、国際原子力機関IAEAの承認を取り一度臨界達成したものの、度重なるトラブルで経済性が疑問視され、運転停止状態となっていた。

 キャンプアギナルドへの電力は、キャンプの西側五キロに位置するパンダカン二次変電所、南側五キロのヒルクレスト二次変電所と、何れもメラルコ電力会社から送電されていた。この二つで、概ねケソンの三分のニ程度をまかなっているようだ。

 つまりキャンプ内の電力は、ニ系統送電によりトラブル発生時のリスクがヘッジされている。更に電力供給を受ける末端のビルディングには、緊急用自家発電装置が設置されているはずだ。

 それらの機能を全て同時に壊さなければ、セキュリティ機能を麻痺させる事はできない。

 いや、一先ず自家発電装置を無視しデータ送信ケーブルを切断するだけで、随分時間を稼ぐ事ができる。キャンプ内を一斉に停電させれば、セキュリティデータ監視センターが自家発電で稼働しデータが届かない事を認識しても、電力瞬断によるシステムトラブルと勘違いしてくれるからだ。直ちに緊急異常事態として扱われなければ、不具合調査や復旧を試みている間、こちらは仕事を進められる。

 私は、作戦を分刻みのタイムテーブルに落とし込んだ。広域にまたがる作戦では、最低十秒刻みの精度が要求される。各所の足並みが揃わなければ、作戦の成功率は極端に下がってしまうのだ。

 作戦詳細をポールに相談すると、彼は計画にじっくり目を通し、「いいと思いますよ」と言った。

「セキュリティデータラインのケーブル箇所を調べてみます。攻撃する変電所の送電切断は、他への影響を避けるため二次側に絞りましょう」

「そうしてもらうと助かる。社会的影響は、できるだけ小さくしたい」

 ポールは無言で頷き、早速部下を集めて協議を始めた。


 大統領を拉致して、既に二週間が経とうとしている。彼は相変わらず、毎日大人しく部屋で過ごしていた。じたばたすることなく、要求に応じてこちらが購入した書籍を彼は毎日黙々と読み、食事もきちんと摂っていた。

 騒いでみたところで、確かにどうにかなるものではない。できるだけ体力を温存し、精神を安定に保ちながら普段できない事に集中する。私が彼の立場であれば、同じように振る舞うだろう。囚われの身では、それが賢明な態度と言えた。

 しかし、行動範囲が狭い部屋の中だけとなれば、それが長く続くと精神的に疲弊する。私は時々、彼の話し相手になった。

 私はいつも上等なコーヒーを淹れて、大統領の監禁部屋へ持参した。流石に彼は、一流の物が分かるらしい。ある日彼が、コーヒーを口にした後、つぶやくように言った。

「こんなコーヒー豆をフィリピンで入手するのは、結構苦労するだろう」

 私は彼のそんな反応に感心して言った。

「ほう、これがどんな豆か、あんたには分かるのか?」

「うむ、上等なモカだな。酸味を抑えたやや深煎のモカ。フィリピンで手に入るまともな豆と言えば、コピ・ルアクくらいだと思っていたが、こんなにバランスのいいモカも入手可能なんだな」

 この言葉に、私は少々ギクリとした。これは、ジェイソンの店で仕入れていた豆で、マニラのあるコーヒーショップでしか扱っていないと聞いている。勿論輸入品だが、焙煎はマニラのショップで行っている代物だ。

 全てが終わったら、私たちは自分たちの痕跡をできるだけ残さず、フィリピンを後にしようと考えていた。しかし大統領解放後、コーヒーの購入ルートから私たちの素性の一端が知れてしまう可能性がある。

 正直私は、大統領の鋭い感性に驚きたじろいだ。しかし彼は、私の胸の内を読んだかのように笑いながら言った。

「心配しなくても、私はコーヒーの入手先など調べないさ。こうして危害も加えず優遇してもらえる恩は感じているつもりだ」

 彼は我々に、充分馴染んでいるような言い方だった。

「私の唯一の心配事は、家族が私の事を心配しているだろう事だよ。こうしてのんびりしているなど、彼女たちには想像すらできないだろうからな」

 それを言う彼の顔に、穏やかな笑みが浮かんでいる。それほど深刻な問題ではないという事だ。確かに少なくとも、取り返しの付かない状況ではない。

「それについては察するが、大統領の安否はベールに包んでおかないと意味がないんでね。申し訳ないが、もう少し我慢してもらうしかない」

「もう少しとは?」

「そうだな、後二週間以内にあんたを開放する予定だ」

 大統領は、意外そうな表情を顔に浮かべた。

「ほう、二週間以内に、ダークブルーを手に入れるという事か……」

「やってみなけりゃ、まだ分からんがな」

「いや、あんたならやるだろう。一仕事終えたら、今度はこちらが雇いたくなるくらい、あんたの腕は確かに思える」

 今度はこちらが笑う番となった。もはや、拉致被害者と加害者の会話ではない。

 かといって、大統領が私を舐めているとは思わなかった。彼を殺す必要があれば、私が迷わず大統領に手を掛ける事を、彼はよく理解しているはずなのだ。実際、今こうして彼を優遇しているのは、差し当たり彼を危険な目に遭わせたり殺す必要がないからだ。

「買いかぶりもいい加減にして欲しい。失敗と成功は、いつでも紙一重だ」

「その紙一重をいつでも制する事ができて、初めて本物と言われる。おそらくあんたは、本物のプロフェッショナルだ。私の人を見る目が鈍っていなければな」

 彼はソファーにゆったりと身体を預け、優雅にコーヒーカップを口に運ぶ。その落ち着きは、彼が食えない奴である事を物語っているように思えた。

「俺もあんたの目が本物である事を祈っているよ」

 今度は二人で同時に笑ったが、私は心の底から、本当にそうであって欲しいと願っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る