第33話 伏線

 大統領を拉致した後、私たちはアジトに身を潜め、静かに時が経つのを待った。

 私の計画では、大統領が部屋で大人しくしていればそれで良かった。彼を連れ出し自分たちの盾にするとか、あるいはフィリピン軍の目の前で彼に拳銃を突き付けるつもりはない。

 そして大統領もこちらの意図を理解するように、一切のじたばたを見せず、まるで休暇を楽しむかのごとく部屋で静かに過ごした。

 情報統制が敷かれているのか、彼が消えてから最初の二日間は、大統領の拉致に関する報道が何もなかった。

 しかし三日目、大統領が行方不明というニュースが、遂にテレビで流れ始めた。流石に政府は、隠し切れなかったようだ。最悪の事態を考慮すれば、一時的に大統領権限を副大統領へ移管し、事件を公にするしかなかったのだろう。

 最初の一報で、フィリピン中が大騒ぎになった。

 もっとも、一般庶民の間で起きている騒ぎは、単なる興味本位に過ぎなかった。大統領はマフィアを中心とする麻薬密売組織にさらわれ、既に殺されているという適当な話題が、まるで真実であるかのように断定的な言い回しで交わされていた。

 彼は大統領就任前から麻薬撲滅を誓い、警察による密売人銃殺を黙認しながら、強硬手段で多くの人間を殺したのだ。よって、かねてから麻薬組織に大きな恨みを買っていたという主張が、ワイドショーで主流を占めていた。

 警察、軍、大統領警護隊が組織を総動員し、面目躍如のために奔走している様子も、テレビ画面を通して伝えられた。

 これらのニュースが世界を駆け巡れば、私はブライアン将軍が即座に電話を寄こすだろうと予想していたが、フランス政府や軍は、不思議なくらい沈黙を保っていた。

 フィリピン警察は、世間の噂に同調するように、マフィアへの監視や捜査を強化しているようだ。フィリピン軍は警察捜査を補助するように特殊部隊を派遣し、マフィアの隠れ家へ突入し銃撃戦を展開していた。そんな現場映像が、ニュースを通して一般市民の中に流れていた。

 刻々と繰り返される報道は、真実を知っている私としては何とも笑い草であるが、私は騒ぎがもっと大きくなるのをじっくり待った。

 軍や警察と麻薬密売組織の衝突は、日に日に激しさを増していった。大統領の、抵抗したら銃殺も辞さないという言葉が独り歩きし、それを明言した本人不在が、どうにも歯止めの効かない状況を作っているようだ。

 末端組織に対しては警察力で充分対応できていたが、加えて軍隊が繰り出せば、流石のマフィアも劣勢となる。

 五日も経過すると、マフィア側はあっという間に追い詰められた。何せ警察や軍の主目的は、大統領の捜索と奪還である。一旦ターゲットを絞った軍がなりふり構わず突進したのだから、拳銃やマシンガン程度の銃器で、マフィアが軍隊にかなうわけがない。

 そんなタイミングで、私たちはいよいよ動き出した。

 フィリピン政府に、マフィアがカビテのある街に集結し、工場跡地を拠点に反撃を企んでいるという偽情報をリークしたのだ。しかも、そこに大統領が捕らえられていると吹き込んだ。

 そして、噂で流した場所にポールの部下を二十名配置し、目立つように自動小銃を持たせて見張りをさせた。同時に私とポールもカビテへ移動し、フィリピン軍を待ち受けた。

 フィリピン軍は、必ず動くはずだった。実態を調査した警察から、銃を持つギャングが多数いたと報告が上がるからだ。

 私たちは衛星映像で、フィリピン軍の動きを注意深く見守った。

 彼らは大統領が見つからず、苛立っている。よって情報に多少の怪しさがあっても、大統領救出の可能性があれば、とにかく特殊部隊を送り込むはずだった。

 情報リークの三日後、マニラのアーミーベースから五台のトラックが出発し、カビテ方面へ向かっている事が確認された。いよいよ軍が動き出したのだ。一台に十名の兵士が乗り込んだとして、総勢五十名の小隊である。

 戦車や装甲車の出動はない。相手は自動小銃にせいぜい手榴弾やガス弾程度の武器を持つ陸戦兵士で、私たちにゲリラ戦を仕掛けるつもりのようだ。

 フィリピン軍出動の情報を得て、見張り役を演じていたポールの部下全員をその場から撤退させた。敵の偵察隊の目をかわすため、撤退は地下に掘ったトンネルから行っている。

 工場跡地に誰も出入りしないのだから、相手はこちらが、廃工場の中に立て籠もっていると信じているだろう。

 私とポールは、現場から七百メートル離れたマンションの屋上に待機し、軍の到着を待った。ポールと私は、工場跡地を囲むように、別々のビルで待機している。

 午後ニ時、フィリピン軍のトラックが、工場跡地からニ百メートル離れた林の陰に辿り着いた。

 無線から、早速ポールの声が届く。

『敵が来ましたね』

「先ずは偵察するはずだ。動きが出るまで、三十分は待つ必要がある」

『そうですね。それにしても暑い』

 確かにその日は晴天で、太陽が灼熱の光線を地上へ降り注いでいた。

 私の目の前で、PGMヘカートⅡが重厚なボディーをさらしている。フランスの会社で設計及び製造され、フランス軍が採用している狙撃銃の一つだ。射程距離が二キロ以上に及び、一・八キロ以上離れた場所からの射撃を前提に設計されたものだ。照準器として、十倍の望遠能力を持つScrome LTE J10 F1が装着されている。ポールが気を利かせ、かつての私が愛用した、使い慣れている銃を用意してくれたのだ。そのポールも、別の場所で同じ銃を構えている。

 私とポールの脇には、それぞれ双眼鏡を持つ爆破係と三脚付き望遠ビデオカメラを持つ撮影係が控えていた。

 改めてスコープで、工場周辺の乾いたグランドを見ると、遠隔起爆装置の付いたC4爆弾を埋めた場所に、紙で作った小さなマーカーが見える。一片が三センチの、目立たないものだ。

 他に、もっと大きなインパクトを発揮するロケットランチャー隊も、地上に控えている。

 そんなトラップだらけの場所に、フィリピン軍が入り込もうとしていた。

 一通り双眼鏡で廃工場とその周辺を確認したフィリピン軍が、いよいよ動き出す。

 先ずは十五人の特殊部隊が、トラックの陰から出てきた。彼らが辺りを警戒しながら、見通しの良い更地を姿勢を低くして進む。

 トラックの横に、十名の兵士が地面に腹ばいとなり、銃を構えて並んだ。前を行く部隊が銃撃された場合、彼らが援護射撃をするのだろう。

 先頭部隊が廃工場を囲む塀に到達すると、第二陣がトラックの陰から出て、廃工場へ歩み寄った。

 暫く様子を見ていると、トラックに二名の監視兵を残し、全員が工場を囲む塀に辿り着く。

 小隊長と思われる男が、隊員にハンドサインを示した。最初に動いた十五名が、今度は廃工場の内部へ侵入するようだ。敷地内に放置された車の陰に身を隠しながら、彼らが慎重に工場建屋へと近付く。

 実は建屋の中にも、C4爆弾トラップを仕込んでいた。これも遠隔で起爆できる。ただし建物の中は兵隊の居場所が分からないため、仕掛けた場所は殆どが天井だ。つまり、敵兵をできるだけ殺さない作戦なのだ。

 相手を本気で全滅させるつもりならば、建物の主要な柱に爆薬を仕掛け、一斉に爆発させてビルを倒壊させる方が手っ取り早い。

 先陣がいよいよ建物に入った。残りのメンバーは先発隊の報告を待ちながら、外で待機している。

 私は無線を通し、ゴーサインを出した。

「ショータイムを始めるぞ。ビルの中を爆破」

 無線機から、『コピー』という言葉が返った。コピーとは、あなたの言ったことを理解(複写)したという意味で使われる。

 廃工場の各所から、一斉に閃光が飛び出した。コンマ何秒の遅れで、爆破音が響く。ビルのいくつもの窓から、直ぐに噴煙が吹き出し始めた。ビルの内部に入った部隊が、すぐさま外へ飛び出して来るはずだ。

 塀の陰で待機していた部隊が、一層身を低くして様子を伺っている。

 私は塀の脇でかがんだ兵隊らの太腿を狙い、引き金を引いた。腕に反動が伝わり、一人の兵隊が地面に崩れ落ちる。無事、大腿に命中だ。致命傷となる頭やボディーは狙わない。

 撃たれた方は、途端に慌てる。フィリピン軍が、何処かに狙撃手がいると気付いたのだ。

 彼らが我々の場所をじっくり確認する暇を与えないよう、私は直ぐに、第二の指令を出した。

「トラックを破壊しろ。端の方から潰せ」

『コピー』

 指令と同時に、塀の傍らにいる別の兵士を狙撃する。それも太腿に命中。ポールも確実に、兵士の足を撃ち抜いていく。

 それを見届けるのと同時に、空気を割くシュルシュルというロケット弾の音が聞こえた。その後に、五台並んで停車している端のトラック一台が、轟音と共に派手に吹き飛んだ。驚いた監視兵が、慌てて廃工場の反対側へと逃げ出す。

 すぐさまニ発目のロケット弾が、燃え上がるトラックの隣のトラックに炸裂した。幌が付いているせいで、トラックを包む炎に勢いがある。激しい黒煙が、空に勢い良く立ち昇った。それまで閑散とし殺伐とする空き地は、一瞬で壮絶な戦場と化す。

 廃工場の中からは、先程廃工場の内部に入った部隊が飛び出してくる。

 私とポールは、その小隊も狙撃した。足を撃たれた兵士が倒れる。

「地中の爆弾を派手に起爆しろ」

『コピー』

 廃工場前の空き地や、先程特殊部隊が警戒しながら歩いた敷地の数カ所で、激しい爆発が起こる。これで小隊は、狙撃と爆弾、そしてロケット弾に阻まれ、一歩も動けない状態に陥いった。

 一切の避難場所を失った彼らは、自暴自棄になったように、その場にうずくまった。一応銃は構えているものの、何をどうすれば良いか皆目検討付かない状態で、視線を様々な場所へ彷徨わせるだけとなっている。

 その間、全てのトラックが、爆破、炎上した。

 その様子を見届け、私は最後の指令を出した。

「撤収する。各自所定の場所へ移動しろ。地面に埋めた爆弾を、絶えず起爆しながら進め」

 複数の『コピー』という返事が、私の無線機を鳴らす。

 敵の小隊が孤立状態で動けない中、私たちはばらばらに散らばった。そして一時間後、十名の作戦遂行者全員が、無事に近隣へ確保した隠れ家へ集まった。

 おそらく隊員たちは、その日の戦闘の意味を理解できていないだろう。相手兵士を殺さない前提で攻撃を仕掛け、中途半端に戦闘を終わらせ撤収したのだから。

 私は、私とポールを除く八名の戦闘員にねぎらいの言葉をかけ、一旦小隊を解散した。

 メンバーは普段着に着替え、各自カビテやラグナに用意した臨時の棲家に戻る。非常線が張られるはずなので、全ての武器は、その隠れ家の地面を掘って作った仮の倉庫へ収めた。ほとぼりが冷めたら、車で回収するつもりだ。

 私とポールも、数日様子を見てからマラテの隠れ家へ戻る。

 隊員たちが散った後の一軒家は、閑散とした。

 玄関から一歩外へ出ると、広い草原が遥か遠くまで続いている。私はそこに小さなテーブルと木製の安い椅子を並べた。

 ポールがコーヒーを淹れてくれる。

 二人で椅子に腰掛け、自然の匂いをたっぷり吸い込んだ風に当たった。先程までの戦闘が、嘘のような長閑さだ。陽が傾き始め、景色の色が幾分濃くなっている。

 私はポールへ言った。

「三時間後に、勝利宣言を出そう」

 ポールが頷く。

 時間を置くのは、こちらのいるエリアを特定されないためだった。

 フィリピン軍は、私たちが戦場のすぐ近くでこうしてのんびりしているなど、まるで想像できないだろう。何処かへ隠れるため、必死に現場から遠ざかっていると思うに違いない。無線連絡を受けた本部や警察が、慌ててカビテから伸びる主要道路に検問を設けたはずだ。その想像に真実味を持たせるため、戦場からの移動時間を置いて、勝利宣言を出すという事だ。

 コーヒータイムを満喫後、私はポールと一緒に、三日分の食材買い出しに出掛けた。トライシケルで三十分も走った大型ショッピングモールで、少し贅沢な肉や魚、チーズ、パン、フルーツや野菜、ワインやビール等を買い込んだのだ。その日の夕食に、二人で勝利祝賀会を催すつもりの買い物だった。

 暫くは暇になる予定という事もあったが、油断すれば死が待っているのだから、生きているうちはできるだけ贅沢をしておこうという気分もあった。

 本物の野戦であれば、食事は缶詰め等の軍隊食となる。そんな経験を多く持つ私たちには、分厚いステーキ肉にワインやチーズまである食事は極めて贅沢で、勝利を祝うに相応しい料理であった。

 買い物を終えて棲家に戻った私は、早速勝利宣言に取り掛かった。

 フィリピン軍との戦闘で、圧倒的優位に闘った記録映像を、インターネット上へ放出するのだ。

 狙撃に倒れる兵士、ビルの破壊、ロケットランチャー炸裂によるトラック炎上、途方に暮れるフィリピン軍。

 自分たちが凄まじく強力に見えるよう編集を施し、軍を遥かに上回るこちらの能力を見せつけてから、画面にテロップでVictory(勝利)と入れる。

 実際は、軍が相手をなめて油断しただけの事だ。彼らが本気になれば、少数部隊のこちらが簡単にひねられてしまうのだが、フィリピン軍を含めた閲覧者に、錯覚をもたらす印象操作だ。

 そして同じくテロップで、メッセージを入れた。

「麻薬撲滅を掲げた無差別殺人を、即刻中止せよ。我々は今回の行動で、できる限り軍人を殺さないよう留意した。しかし、次も紳士になるかは分からない。フィリピン軍の非力さは大統領を盾にするまでもなかったが、次は彼を危険に晒す。この意味を、良く理解されたし」

 挑発の文言を含んだメッセージは、フィリピン軍に最大限の屈辱をもたらすに違いない。

 そしてこの画像は、大きく話題を呼ぶだろう。ニュースでも、大々的に取り上げられるはずだ。

 これを観たフィリピン政府や軍、警察、一般市民、マフィアや闇組織は、何を思うだろう。

 赤子同然に捻られたフィリピン政府や軍の面目は丸潰れとなり、一般市民は興味津々に画像へ食い付く。そして闇組織の連中は、心強い味方が現れたと歓喜するはずだ。

 フィリピン軍は、敵が単なるチンピラ集団とは違い、本格的な兵器を扱う強力なテロ集団である事を、改めて認識するだろう。そして私たちが闇組織を束ねるために声明を出せば、下火になったマフィアたちが息を吹き返す可能性も出てくる。

 これでフィリピン軍の意識は、新たに登場したテロ組織へ向けられる事になる。しかも、大統領拉致を明確に示唆する文言まで入れたのだ。

 フィリピン政府や軍は、間違いなく頭を抱える事になる。相手に、これが陽動作戦だと気付く余裕はないはずだ。

 私は編集画像をアフリカのサーバー経由でインターネット上に放出し、その後はポールと二人で祝杯を上げた。

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