第37話 撤収

二時〇一分

 非常用発電機の動く音が聞こえ出した。ディーゼルエンジン式だろう。聞こえてくる音は、モーターボートエンジンと同質のものだ。

 この建物は今、非常用電源で電力が賄われている。つまり目論見通り、一帯が停電になったという事だ。

 いよいよ建屋の内部へ侵入となる。

 研究所の守備は普段、総勢十名。よって建物内に銃を持つ兵士が、まだ六人はいるはずだ。

 兵士が玄関に配置されているとしたら、入口の扉を開けた直後に攻撃される。そこは眠っている歩哨に活躍してもらうしかない。

 ポールの部下が二人がかりで、眠る兵士をドアの前に立たせた。

 私はドアノブに手を掛ける。レバー式のドアノブをゆっくり下げると、どうやらロックが掛かっているようだ。

 ドアの脇にカメラ付きインターフォンがあるのは、中からドア前の人間を確認し、内側からロックを外すルールになっているのだろう。

 インターフォンのボタンを押し、歩哨をやや横向きにカメラの前へ立たせると、中からロックの外れる音が響く。

 私はゆっくりドアを押した。

 三メートル先の、天井まで繋がる壁が視界に入る。正直これは、想定外だった。研究室まで、まだ関所があるようだ。

 入口の前に、一名のアサルトライフルを持つ兵士がいた。私の脇で表の歩哨が立っていれば、彼は私を確認済みの人間だと思うだろう。いや、インターフォンで一度確認しているため、彼は完全に油断している。

 その隙をつき、私は電気ショックワイヤーを彼に撃ち込んだ。私の持つ銃と正面に立つ兵隊が、一本のワイヤーで繋がる。途端、彼は身体の自由を奪われた。

 同時にドアの下部からポールが上半身を素早く内側へ出し、左奥に控えていた別の兵隊をサイレンサー付きの銃で撃ち抜く。兵隊がもう一人いる事に気付いた私が、後ろに控えたポールにハンドサインを送ったのだ。

 腕を撃たれた兵士に、ポールが拳銃を向けて近付いた。

「銃を床に置け」

 しかし言われた兵士は、ポールの言葉に從う事を躊躇ためらった。反撃の機会を伺っているように見える。

 ポールは素早く腰から電気ショック銃を抜き、その兵士を躊躇ちゅうちょなく撃った。こちらが迷えば、敵につけ込まれるのが落ちなのだ。よってポールの判断は正しい。普通なら、銃弾で即死させるケースだ。まだ温情ある対応と言えた。他に漏れずその兵士も身体を痙攣させ、床の上で白目をむく。

 人間の身体は、脳から送られる微小電気信号によって活動が支えられている。そこに外部から強烈な電気ショックを与えれば、脳の指令が筋肉に届かず、身体が言う事をきかなくなる。これは強靭な身体や精神で克服できる問題ではない。

 電気ショックを受けた人間は、銃を撃つ事は勿論、声を出す事さえできなくなる。彼らは床の上で、びくびくと身体を震わせるのみだ。

 通電を止めても、しばらく身体は動かない。

 例の麻酔針を彼らの首筋へ刺し、これでまた、ニ人の兵士が片付いた。


二時〇六分

 そろそろセキュリティセンターは、ダークブルー研究所の信号が届かない事を不審に思い始めているだろう。システムの再起動に二分かかるとし、彼らはそれを、二度は試し終えたはずだ。既にこちら側へ、自家発電で電力が回復しているかの問い合わせが入っているかもしれない。

 そしてらちが明かなければ、メインテナンス要員をこの建物に寄越す。

 敵の兵士は六人片付いている。その奥に侵入するメンバーは、八人でも充分だ。

 ここでポールの部下二人を、外の見張り役として入口前に残す事にした。

 私は次のドアに手を掛けてみるが、予想通りドアノブが動かない。中からロックが掛かっている。

 扉の横にカメラ付きのインターフォンがあるから、最初の扉と同じだろう。インターフォンカメラで顔を確認し、内側からロックが外されるようだ。

 原始的な仕組みだが、これは有効だ。こちらも丁寧にやっていたら、とにかく時間が掛かる。

 ダークブルー到達予定は、二時十分。これがぎりぎりのタイミングだ。それ以上遅れると、撤収時、敵に包囲される危険が増える。

 私は思案して、そこから先は強行突破でいくと決めた。

「セットC4」

 この指示で、ポールの部下が粘土のような爆弾を、ドアノブの周りへ貼り付ける。ドアはそれほど頑丈に見えない。おそらくノブの部分を吹き飛ばせば、ドアは簡単に開くだろう。

「次もドアがあれば、C4で破壊してくれ。改めて命令を待つ必要はない」

「イエッサー」

 C4をセットしている人間が、手を止めずに返事をした。

「全員、ガスマスクを付けろ」

 私は、ガスマスク装着を指示した。ドアをぶち抜いたら、催涙弾を投入するためだ。

「起爆準備完了」

 全員がドアから離れる。

 激しい爆発が起き、ドアノブが完全に吹き飛んだ。これで敵は、自分たちが攻撃されている事に気付く。

 間髪入れず、私は部屋の内部へ催涙弾を転がした。円筒形の小さな塊が、催涙ガスを吐き出す。ポールと彼の部下も、追加の催涙弾を向こう側へ投げ入れた。

 部屋の中に、たちまちガスが充満する。視界がきかない上、アイガードがなければ目を開けていられない。

 部屋の中から、銃声が響く。敵が反撃を開始した。ダークブルーをどこかへ隠される前に、素早くここを突破しなければならない。

 今度は閃光弾を投げ入れ、爆発音と光で相手が怯んだ隙に、私とポールが壁の向こう側へ飛び込んだ。

 相手は催涙ガスで視界を奪われている。この状況なら普通は後退するが、敵兵は再び闇雲に、ドア側へ乱射し始めた。

 そこにいた敵兵は二人。銃を撃っているおかげで、視界がきかない中でも相手の居場所が分かりやすい。

 私とポールは、電気ショック銃で敵兵の身体にワイヤーを撃ち込んだ。それが命中、相手の銃声がぴたりと鳴り止む。

 すかさず彼らに、麻酔針を打った。これでまた、二人の士兵が片付く。

 手が込んだ事に、先には更に壁とドアがあるようだ。ここまでくると、煩わしいの一語に尽きる。

 時計を見ると、時刻は二時〇八分。敵の出方をゆっくり観察する時間はない。

「壁ごと爆破しろ」

 ガスが充満する中、四人がかりで壁にC4が取り付けられる。

 十秒で設置完了。無線で起爆準備完了が報告された。

「五秒後に起爆」

 全員が一旦前室に退避する。麻酔で眠る敵兵も、引きずって前室へ避難させた。

 直ぐに激しい爆音が発生し、衝撃で天井の破片がぱらぱらと降ってくる。今度の爆発は、最初よりも規模が大きい。この建屋が崩れ落ちないか、心配になるほどだった。

 再び閃光弾を投げ入れ、爆音の直後に左右に別れて突入。敵兵は反撃を諦めたのか、今度は撃ってこなかった。

 床上に壊れた壁とガラスの残骸が散らばり、歩く度にじゃりじゃりと音が出る。国をあげての研究所は、既に無惨な姿へと変わった。

 部屋の中へ侵入しても、今度は敵の反撃がなかった。辺りは至って静かだ。

 フィリピン兵士は、攻め込んだ相手の使用する武器を知り、敵が素人ではない事を察知したのかもしれない。彼らは逃げ出したか、あるいは慎重にこちらの出方を伺っているようだ。

 壁が壊れ部屋が広くなったせいで、随分視界が回復した。奥の方から、人の咳き込む音が聞こえている。

 もし兵士が残っていれば、本部へ襲撃の様子が無線連絡されているかもしれない。もしそうなら、応援部隊に現場急行命令が出されているはずだ。

 キャンプに特殊部隊が残っていれば、間違いなくそれがやってくる。何れにしてもそうなれば、相手は十分以内にこの場所へ到着すると考えるべきだろう。

 焦る気持ちを抑え、私たちは左右二チームに別れ、縦に並んで慎重に奥の方へと歩を進めた。


 壊れた壁の内側は、一つの大きな部屋になっていた。パーテーションで区切られたデスクが、間隔を取って並んでいる。ようやく彼らのワーキングエリアに到達できたという事だ。

 しかし一見、もぬけの殻状態だ。従業員は奥の方へ避難し、息を殺して物陰に潜んでいるのだろう。

 更に奥の方に、壁で仕切られた部屋が見えた。半分上はガラス張りで、内部が見えている。部屋の中には、様々な測定器やロボットアームのような機械が並んでいた。

 おそらくそれが実験室だろうが、部屋の中に人影はない。

 私が実験室を覗き込んでいる時に、突然背後で銃声が響いた。振り返ると、銃を構えたポールが、机の陰から姿を現した敵兵に向いていた。

 次の瞬間、敵兵は銃を構えたまま後ろに倒れ込む。ポールの引き金の方が、不意打ちしようとした相手より早かったようだ。

 敵兵は肩を撃ち抜かれていたが、おそらく致命傷にはなるまい。彼は直ぐに取り押さえられ、ケーブルタイトで動けなくなる。

 まだ他の兵士が、どこかへ隠れているはずだ。


二時〇九分

 私は防毒マスクを外し、意を決して叫んだ。

 まだ部屋の中に、催涙ガスが浮遊している。目と喉に、僅かな刺激を感じた。

「無駄な抵抗はするな。残っている兵は少ないはずだ。お前たちに勝ち目はない。武器を捨てて出てこい。危害は加えない。約束する」

 静寂の中で、残兵が出てくるのを待つ。

 十秒ほどで、机の陰から迷彩服姿の兵士が一人、恐る恐る立ち上がった。彼は両手を上げ、降伏の意思表示をしている。

 ポールの部下三人が、相変わらず周囲を警戒しながら、その兵士に近付いた。

「前に出て、床に伏せろ」

 残兵は柔順だった。彼は言われた通り手を頭の後ろへ置いて、ゆっくり膝まづいて床へ伏せた。

 彼はケーブルタイトで両手を後手に縛られる。

「さあ、他にもいるだろう。大人しく出てくれば、危害を加えない」

 数秒後、机の下から、白衣姿の年配男が立ち上がった。それに続き、白衣姿の若い男が二人、事務員姿の若い女性二人が、我々の前に姿を現した。

 投降した残兵を問い詰めたポールが言った。

「兵士は彼が最後だ。従業員は全部で五名。本部には無線連絡を入れたと言っている」

 つまり、これで全員を制圧できた事になるが、じきに応援部隊がやってくるという事だ。

 私はポールに、プランBと告げる。彼は無言で頷き、インカムに「プランBを発動」と叫んだ。

 手を上げて並んでいる研究者の一人に、私は言った。年配の、最初に立ち上がった男だ。

「ジョン・ポール博士ですね」

 彼は自分の名前を言われ、顔に動揺の色を浮かべて固まった。こちらは関係者の顔と名前、住所や家族構成まで全て調べ尽くしている。

「教授、私たちはあなたの家族の事まで、全て調べ尽くしている。私の狙いはダークブルーだ。それを渡してもらいたい。卑怯な手は嫌いだが、もしだめならあなたとあなたの家族に危害が及ぶ。おそらく大統領と共に、みんなまとめてマニラ湾に沈んでもらう事になるだろう。ダークブルーさえ渡してもらえれば、我々は大人しく退散するし、大統領も無傷で開放だ。もう時間がない。直ぐに決断してもらいたい。返事はどちらでも構わない。あんたの結論を尊重する」

 彼は無言で立ち尽くした。家族の件に触れた時には、一瞬目を見開き動揺するのがありありと伺えた。

「一分だけ待つ。一分で回答がなければ断りの意思表示と判断し、あなたには我々に付き合ってもらう」

 ジョン・ポールは、悲痛の表情を顔に浮かべ、こちらをじっと見返す。おそらく私の提案について思案しているのだろう。単なる脅し文句だが、家族の事に言及された事が、彼にいっそうの恐怖を与えているはずだ。

 長い一分だった。時刻は二時十ニ分になった。既に計画に対し遅れを取っている。

 私は身体に汗が滲むのを感じながら、教授の返事を待った。

 しかし彼はこの一分間、無言を貫いた。

 私は落胆する気持ちを抑え、メンバーにダークブルーを諦めると宣言するしかなかった。ここで無理をすれば、メンバー全員が無駄に命を落としかねない。

「教授を連れて、ここを撤収する。彼の手にケーブルタイトを付けろ。車両班、車を回してくれ」

 ポールの部下二人が教授に詰め寄り、彼の腕を取る。ケーブルタイトで、彼の腕を縛り上げるのだ。

 その時それまで毅然としていた教授が、「待ってくれ、ダークブルーを渡す」と言った。

 その声に震えが混ざっていたが、それは我々に怯えているというより、強盗に屈服しなければならない悔しさが滲み出た結果のように思えた。

 彼は意外に、芯のある学者なのかもしれない。

「待つのはせいぜい一分だ。一分以内に用意できるか」

 彼は頷き、「ダークブルーは実験室にある」と言った。

「分かった。直ぐに用意してもらおう」

 教授は実験室へと歩き出し、私がそれに続く。

 彼は実験室中央に置かれた大型機械の前に立った。彼の前に、モニターとキーボードがある。

 教授はモニターを見ながら、キーボードを叩き出した。モニター上に小さな文字の羅列が流れ、パスワードが要求される。

 教授が文字を入力する度に、モニターに米マークが並んだ。

 一瞬手を止めた教授は、観念したようにリターンキーを押す。

 直後、機械が動き出した。見えている金属テーブルの中央カバーがスライドし、下からアルミ製の箱が持ち上がる。アルミケースは一辺が五十センチもある、頑丈な物だ。箱を構成する板の厚さは、五センチもありそうだ。

 教授がキーボードでもう一つのパスワードを入力すると、アルミケースの横壁がスライドし、ケースの内部があらわになる。

 中には中央に台座が収まり、その上に青いガラスの小さなキューブが乗っていた。確かに、前に見せてもらったダークブルーと同じ物だ。

 教授がダークブルーを手に取り、こちらに差し出す。私はそれを、空中にかざして眺めてみた。もっとも、そうしたところでそれが本物か偽物かの判別は、私にはつかないのだが。そして用意していた宝石袋にダークブルーを収める。

「確かに受け取った」

 彼は怪訝な顔をした。

「本物かどうか、分かるのかね」

「ああ、もう一つを持っているんでね。これはそれと全く同じだ」

 その言葉に、教授は目を見開いた。

 彼は私の言う意味を、理解したのだろう。ダークブルーは二つ揃わなければ意味がない事を、教授は知っているのだ。つまり、二個揃えた私は究極のレーザー兵器を実現できるという事を、彼は理解した。教授は、それが何を意味するかにまで、考えが及んだという顔をしている。


二時十三分

 予定を三分オーバーしている。この三分は、致命傷になる可能性があった。逃走ルートを変更したプランBが、功を奏してくれる事を祈る。

 私はインカムに言った。

「ダークブルーを受け取った。全員撤収」

 私は実験室を出て、ポールたちと研究所入口に走り出した。シンガリは従業員たちに拳銃を向け、一応威嚇している。

「表の様子はどうだ?」

『まだ何も異常はありません』

 どうやら応援部隊がやってくるより先に、車へ乗り込めそうだ。

 入口へ戻ると、鉄門扉は既に開けられ、白のミニバスが到着している。車の全ての窓には、フロントガラスを含めて濃いスモークが施され、外から内部が全く見えないようになっていた。注文通りだ。

 私たちは急いで乗り込み、直ぐに車を発進させた。

 車を出すのとほぼ同時に、道路の先から、白いワンボックスカーが徒党を組んでやってくるのが見えた。フィリピン軍の応援部隊が、ようやく到着したのだ。時間が掛かったところをみると、全ての特殊部隊は出払っているのだろう。

 通常の特殊部隊は、急な出動命令へ迅速に対応するため、昼夜を問わず頻繁に出動訓練を行っている。寝ている時でも不意打ちの出動命令が出され、出撃体制が整うまでの様子をチェックされるのだ。

 それくらいの訓練は、通常部隊でも実施しているが、特殊部隊の訓練の厳しさは、それと比較にならないほど緻密で過酷だ。

 敵の応援部隊と鼻先を突き合わせるところで、私たちは細い道に右折した。

 それは、最初から決めていた逃走ルートだった。そこを右折できなかった場合、その場で銃撃戦を始めなければならず、僅差で右折できた事は幸運だった。

 先に右折した事で、こちらが逃げる格好になる。

 予想通り、大多数の敵部隊はこちらを追い掛けてきた。そして行く先には、非常線をはられるだろう。機関銃を搭載したジープも待機するはずだ。

 私たちは、ゲート三を目指す振りをした。私がキャンプへ入ったゲートだ。

 しかし、途中で進路をキャンプ裏手方向へ急変させた。これで敵が無線連絡をしていたとしても、先回りしようとした部隊はよくて我々と並走する事になる。

 裏手にはキャンプの出入り口がないため、先は行き止まりだ。つまり相手にとって、元々そちらを押さえる必要はなかったのだ。

 しかしキャンプ裏手にゲートはないが、なければ作ればいい。鉄縄文の付いた壁を破壊すれば、臨時のゲートが出来上がる。我々のサポートチームが、既に壁へ爆薬を仕掛けていた。

 壁の先は、一般道になっている。その壁が、前方百メートル先に見え始めた。

 我々の車は速度を落とさず、灰色の壁に突進した。壁まであとニ十メートルというところで、仕掛けた爆薬の起爆スイッチを押す。

 前方に激しい爆発と炎が上がり、コンクリートの壁がきれいに吹き飛んだ。

 我々は、ぽっかり穴の開いた箇所から悠々と一般道に入り、右折してから再び速度を上げる。

 後ろから、相変わらず敵部隊が追い掛けてきた。

 こちらは機関銃を持ち出し、追ってくる車に威嚇射撃をする。こちらに強力な武器がある事を、相手に知らせるためである。

 反対車線の遥か遠くに、複数の青色緊急灯を付けた車が向かってくるのが見えた。

 キャンプを囲む道路を反対周りで別部隊を寄越し、挟み撃ちにしようということだ。

 そうなる前に、こちらは左折する。これで追加の応援部隊も、我々を追い掛ける形になった。こうして追手が増えていく。

 我々は左折、右折を繰り返し、再びキャンプを取り囲む大通りに出た。ただし今度は、最初に逃げた方向と逆に進路を取る。

 フィリピン軍は、その先にも追加の応援部隊を手配するだろう。我々を追い駆けながら、今頃無線で必死に連絡を取り合っているはずだ。

 予想通り、前方に道をブロックする形で停車する、軍のジープが三台現れた。右折で逃げる道もない。これで私たちは、敵に囲まれた格好となる。

 我々は前にも後ろにも進めない状況で、道路の真ん中に停車した。

 悪あがきで、前方と後方に機関銃で乱射する。道路に薬莢やっきょうがばらばらと落ちていった。

 機関銃と銃弾は、ロシアからアフガニスタンに流れた物だ。そこからフランスの関与を知られる心配はない。私たちは存分に撃ち続けた。

 狙いは相手車両のラジエーター辺りだ。兵隊には弾が当たらないよう気を付けている。

 相手はこちらの乱射に、足止めされた。いや、こちらの弾切れを待っているのだろう。

 その間、私はミニバスの床をスライドさせた。床が開き、下の道路へ繋がるように改造している。

 床を開けると、下にマンホールが見えた。正確には、マンホールの真上に車を停車させたのだ。

「これから、マンホール内に移動する」

 私の連絡で、マンホールの蓋が下から持ち上げられ、横にずれた。

 蓋を開けたのは、先程からマンホール内で待機していた、サポートチームのメンバーである。

 車からマンホールの中へロープをたらし、メンバーが穴の中へと次々滑り降りた。外部からその様子が見えないよう、車は道路すれすれまで覆われるエアロパーツを装着している。

 全員が下へ降りたところで、最後のメンバーがロープを下へ落とし、マンホールの中から蓋を閉じた。

 車は既に無人である。

 機関銃が鳴り止んだところで、フィリピン軍は様子を見ながら、ミニバスへの距離をじわじわと詰めるだろう。

 こちらは下水道を十メートル移動し、車に仕掛けた爆弾の起爆スイッチを押した。下水道の中に、低くて重い爆発音が反響する。地鳴りのような音だった。

 多めのC4を使用し、車にはガソリンを詰めたタンクまで乗せていた。爆発と炎上は、結構派手だったはずだ。消防車が到着し車の炎上を消火するまで、最低でも三十分は掛かる。

 フィリピン軍は、包囲されて身動きの取れなくなった私たちが自爆したと思い、立ち昇る炎を呆然と眺めるだろう。

 これは、キャンプの下や付近にトンネルを掘るのが難しくても、既にあるトンネルを利用して姿をくらまそうという作戦だった。

 幸い最近のマニラには、日本のODA予算で下水道網が整備されつつある。ケソンは早い段階で、下水が整備されたエリアだ。

 フィリピン軍が車の消火を待つ間、私たちは下水道を東へ移動した。

 途中南北を走る本管を横切り、更に東へ進むと、その下水道はマリキナ川に出る。そこまでの所要時間は、およそ十五分だった。ミニバスは、まだ炎上中のはずである。

 私たちはそこで表に出て、着替えを済ませてからサントランでLRT電車に乗る。私の場合、電車を一度乗り換えるだけで、隠れ家の最寄り駅にたどり着ける。

 いくつかの隠れ家の場所を決める際、鉄道があり駅が近いという事が、重要なポイントであった。


 各メンバーは、下水道を出てからばらばらに散った。サントランの駅で偶然顔を合わせた者もいたが、散ったあとは完全に他人を装うという申し合わせ通り、お互い目配せ一つしなかった。

 仮に誰かが途中で検挙されても、本人は黙秘を貫き、他のメンバーは誰も助けないというのが暗黙のルールである。検挙されるのが、この私であってもだ。

 私は途中でコーヒーショップに立ち寄り、夕方の六時に隠れ家へ戻った。

 ポケットには貴重なダークブルーを携えていたが、私は隠れ家に戻ってさえ、それを一度もポケットから出さなかった。目標は達成したが、不思議と手放しで喜ぶ気分になれなかったからだ。

 理由は分かっている。

 私はその理由に対しどう決着を付けるべきか、それを思案していた。

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