第9話 リベンジ
「奴らは俺が軍隊上がりであることを知らないから、油断したんだ。俺は奴らがいなくなってから、自分で手錠を外して自由になった」
「手錠なんて、どうやって外すの? しかも吊るされていたのに?」
「逆上がりの要領で、怪我のない足を鎖に巻き付け、逆さ吊り状態になる。そうすれば手は動かせる。それで関節を外し、手錠をすり抜ける。身体のあちこちが痛くて、大変だったがな」
グレースは私を、まるでスパイみたいだと言った。しかし命が掛かれば、人間誰でも必死になる。
部屋も廊下も全てコンクリートがむき出しで、湿度が異常に高い。つんと鼻をつく臭いが充満していた。
いつも拷問で使う部屋なのだろう。血や死体や薬品の臭いが、壁に染み付いてる。
ドアの鍵は、針金二本でどうにかなった。廊下には見張りもいない。
私は何か武器になる物を探しながら、薄暗い廊下を注意深く進んだ。
そのうち、誰かのうめき声が聞こえた。私は一つ一つのドアに耳を当てて、その声のする部屋を探り当てた。
声の聞こえる部屋に、鍵は掛かっていなかった。
様子を探りながらゆっくりドアを開けて、私は自分の目を疑った。
部屋の中には、血だらけになったレイチェルが吊るされていたからだ。
彼女の頬には、縦にナイフでえぐられた、深い傷があった。彼女も俺と同じように、拷問を受けたようだ。
私は彼女を下ろし意識を確かめると、彼女は目を開けて、苦しそうに言った。
早くここから逃げて、と。
そんな目に遭い、自分が虫の息だというのに、彼女はまだ他人の事を心配している。
それから彼女は、嗚咽を漏らして暫く泣いた。
私は無性に腹が立った。
奴を生かしておけないと思ったが、自分の身体もぼろぼろだから、とにかくレイチェルを連れてそこから逃げるのが先決だった。
復習はそれからでも遅くない。奴らに気付かれる前に、どうにか屋敷を抜け出さなければならないのだ。
彼女に肩を貸して、廊下へ出る。
頭をフル回転させ、連れてこられた時の状況を思い出そうとしたが、何も分からなかった。
半ば途方に暮れた時、レイチェルが、その屋敷に外へ逃げるための通路がある事を教えてくれた。
非常用で、そんな抜け道を作っていたのだろう。
そこへ通じる入口は、部屋の扉で偽装され、普通の部屋と見分けが付かないようになっていた。
私たちはどうにかそこから外へ出て、その後ジェイソンに助けを求めたのだ。
私は一旦ここで、話を止めた。長く話したせいで喉が乾いたからだ。
「それで二人は、助かったのね?」
それまで息を飲んで私の話を聞いていたグレースが、ほっとしたように言った。
私は冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを一口飲んで、彼女へ教えてやった。
「レイチェルは、ジェイソンの車の中で死んだよ」
グレースは顔面を硬直させ、言葉を失った。部屋の静けさが、一瞬で度を深める。
私は構わず、話を続けた。
私は彼女の世話になった事を、つくづく後悔した。そして、エリックを許せないと思った。
復讐しなければ、気が収まらない。
その後はジェイソンに
いや、リハビリなどという生易しいものではない。軍隊のトレーニング以上の、過酷な訓練だ。
私は突然、復讐という、強烈な生きる目的を持ったのだ。
奴らにやられた肋骨が繋がるまで、二ヶ月も掛かった。
私はそれから、戦闘の準備を始めた。
銃とアーミーナイフを集め、手製の手榴弾まで作った。武器はいくらあっても良かった。エリックの屋敷へ、一人で奇襲をかけるつもりだったからだ。
ジェイソンには、五百メートル離れた鉄塔の上に待機してもらい、ライフルで援護射撃をしてもらうことにした。それなりの銃と弾薬があれば、私たちにとって五百メートルは、目を閉じても当たる距離だ。
そしていよいよ決行日、私は夜中に秘密の通路を逆に
騒ぎを起こす前、通路に爆薬を仕込んだ。
爆薬の仕込みが終わると、私は見張りの一人の口をふさぎ、ナイフでそいつの手首を斬りつけた。
手首というのは、大量の血が出るからみんな慌てる。それでそいつを縛り上げ、エリックの部屋がどこかを白状させた。いつまでも白を切ると、身体中の血が抜けて命を落とすぞと脅かす、昔ながらのやり方だ。
予想通り、エリックの部屋は正面玄関上の、建物で真ん中の部屋だった。
しかし、その部屋は左右から手下に守られているため厄介だった。
余計な手間を省いてエリックの部屋へ忍び込もうとしたが、部屋の前にも見張りがいた。
私は正面突破を諦め、屋根から彼の部屋のベランダへ降りる作戦に切り替えたが、ベランダから部屋の中を覗くと、そこには手下がいるだけだった。
私はジェイソンに、そこにいる手下の始末を電話で頼んだ。それはまだ、屋敷内に銃声を響かせたくなかったからだ。
窓を叩き、ベランダに出てきた手下が、先ずジェイソンの狙撃に倒れた。不審に思った別の男は、ベランダに出たところを私がナイフで仕留めた。
残る一人は部屋の中で、携帯をいじっていた。その男は、ベランダから奇襲などあるはずがないと思い込んでいる。
私は床を這って近付き、背後から男の口を塞ぎ、喉元にナイフを突き付けた。これで大抵の奴は静かになる。
エリックが何処にいるかと訊いたら、そいつはクローゼットを指差した。
私はそいつの首をナイフで切りつけ、部屋の扉へ爆弾を仕掛けた。誰かがドアを開けて紐が引かれたら、安全ピンが抜けて爆発する。
クローゼットの扉を開けると、その先に下へ降りる短い階段があり、廊下の先には再び短い上り階段が現れた。それで私は、それが隠し廊下だと理解した。
階段を上った行き止まりのドアには、ロックが掛かっていた。しかも、鍵穴のある原始的な物ではない。電子ロックだ。
流石にそれはお手上げで、私は爆薬でそのドアを吹き飛ばした。
少しして、後方からも爆発音がした。爆発音に気付いた手下が、部屋へ入ったという事だ。ジェイソンが部屋を狙撃し、そいつらを足止めしてくれた。
私が煙の立ち込める部屋に這って入ると、エリックは、闇雲に銃を乱射した。
私は物陰で彼の弾切れを待ち、ようやく銃の乱射が収まったところで、拳銃を構えてエリックの前に立った。
エリックは私を見て、驚いた顔をしていた。
お前は一体何者なんだと、上ずった声を出す。
流石の大ボスも、戦闘モードの私に驚いたという事だ。
私は彼に、レイチェルが死んだ事を告げ、お前だけは許さないと引き金を引く指に力を入れた。そこで、エリックは泣きを入れ出す。
以前の事は悪かったと謝り、自分が死んだらロメルは両親を失い不憫だ、命だけは助けてくれと言った。
一瞬、ロメルの顔が頭の中へ浮かんだ。こんな男でも、そいつはロメルの父親なのだと思った。
だから私は、エリックの両膝へ、一発ずつ銃弾を打ち込んでやった。
これは相当に痛いし、暫くは立てない。
床の上でもんどり打つ彼に、私は銃口を突き付け、他の出口を教えろと迫った。来た道を引返せば、奴の手下がたんまりいる。
エリックは、地下へ抜ける秘密の通路を、簡単に白状した。私は、通路へ仕掛けた爆薬の時限装置を入れながら、外へ逃げ出した。
おそらく、追手がその地下道へ向かっただろうが、私が外へ出た頃に、仕掛けた爆弾が次々爆発し、轟音を響かせ出口から大量の煙が吹き出した。
こうして私は、エリックに復讐を果たしたのだ。
エリックは歩く際、未だに足を引きずっているらしい。だから彼は、決して私を忘れないし、一生私を恨んで生きるだろう。
つまり、私が奴に捕まれば、間違いなく酷い方法で、殺されるという事だ。
私の長い回想は、それで全てだった。
再び部屋に、深い静けさが戻る。グレースは、言葉を発することができなくなっていた。
私は再び、ミネラルウォーターをグラスに注いで、それを口元へ運ぶ。そこでグレースが、蚊の泣くような声を出した。
「私にも水をちょうだい」
私はまだプラスチックの袋に包まれた新しいグラスを手に取り、水を注いで彼女へ手渡す。
グレースはそれを、一気に飲み干して言った。
「今の話、本当なの?」
彼女は息を飲んで、私を見る。
「本当だ。お前が足を突っ込もうとしているのは、そんな恐ろしい世界だ。どうだ、怖気づいたか?」
グレースは、まだ口の中に水が残っていたかのように、音を鳴らしてつばを飲み込む。
私は彼女の手から空になったグラスを取り、それをカウンターの上へ戻した。
彼女は無言で、そんな私の動きを目で追っている。
「拳銃を用意したのも、その撃ち方を教えたのも、遊びじゃない。これは、殺るか殺られるかの真剣勝負になる。俺は最初から覚悟を決めて引き受けているが、お前が止めたいなら今のうちだ」
彼女の漆黒の瞳が揺れていた。しかし、そこに力強さはまだ残っている。
「怖いよ。怖いけど、ジェシカを助けるまでは止められない。私が止めないと言ったら、あなたは続けると言った。それはまだ、変わらないか?」
やはりこの女は芯が強い。ここで簡単にぶれるようなら、最初から止めた方がいいのだ。それにここまで来て止めると言われても、正直困る。
「俺は変わらない。明日から忙しくなるから、今日はもう寝るぞ」
私はベッドに入り、部屋の明かりを落とした。
もはや殺人的とも言える静けさが、闇と一体になり、私たちに覆い被さった。
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