第10話 偵察開始

 私たちは手始めに、以前エリックの自宅が見通せた場所へ行ってみた。十年前、私が怒りに任せてエリックに夜襲をかけた際、ジェイソンが狙撃を実行した鉄塔だ。

 その辺りは山の裾野にあたり、周囲一帯が、ゆるやかな傾斜になっている。

 鬱蒼うっそうとしたジャングルを切り開くように、一つの集落があった。それは、森をT字型にくり抜いたように存在する。

 集落の中には、ブロックを積み上げた壁にブリキの屋根を持つ、小さな家が点在している。

 屋根は緑に塗装されたものもあるが、ほとんどは一面が赤茶に錆び、少し遠くから見ると、茶色の塗装が施されているように見える。

 戸数は全てを合わせ、せいぜい百程度だろう。寂れた集落だが、セブシティーの中心部から車でニ十分程度しか離れていない。しかし、その集落の中へ立ってみると、随分な僻地へきちへ来たような孤立感にとらわれる。

 かつてレイチェルを連れてエリック邸から逃げ出した時、秘密の通路はジャングルの中へ出た。

 彼女へ肩を貸し、木々の間をかいくぐるように荒れた傾斜を闇雲に歩くと、偶然鉄塔の足元を通り、その集落へ出た。

 鉄塔と集落の端まで、約ニ百メートルの距離がある。勿論車で入る道はない。

 エリック邸は鉄塔の更に山側へあるが、エリック邸へ向かう道は、集落の南側を巻くように繋がっている。

 つまり、鉄塔とエリック邸の間にはジャングルがあり、鉄塔の足元からは、エリック邸を見通すことはできない。


 時間が早朝七時ということもあるが、勿論そんな場所を訪れる人間は自分たちだけだ。

 集落西端の道路沿いに車を停め、弾の入った拳銃と双眼鏡、登山道具を持参し、鉄塔まで歩く。

 グレースには拳銃の他に、アーミーナイフを一本持たせた。

 一旦森に入ると、周りは木々に囲まれ、頭上も枝葉で覆われているため薄暗い。

 斜めに入る朝の陽がいくつかの筋となり、森の中へ射し込んでいた。

 亜熱帯林だけに、強い湿気が身体にまとわりつく。

 少し前まで聞こえていた野鳥の声が、人の気配で鳴りを潜めた。残っている鳴き声は、やや離れた場所から森の中へ響き渡っているものだけだった。

 私とグレースは鉄塔の足元へたどり着くと、二人で上を見上げた。

 高圧線ではないため、地上から直ぐの所へ、垂直の梯子はしごが付いている。

 鉄塔の半分から上は、周囲の木々の高さを越えて、森から飛び出す格好だ。

 私は持参したザイル(登山用ロープ)を三十メートル離れた木に結び、もう一方を持ち鉄塔を登った。

 エリックの家を上手く見通すには、地上から十五メートルの高さまで登らなければならない。そこでザイルの端を鉄塔に結び付ける。たるみが出ないよう、小さなレバーの付いた機械でザイルへ張力をかける。これでザイルには、約ニ五度の傾斜が付いた。

 それが、不測の事態が発生した場合の逃げ道になる。鉄塔と木の間に渡したザイルへ、カラビナ(金属の環)を使い身に着けたスワミベルトを引っ掛ければ、鉄塔の上から滑り降りることが可能となる。着地点を鉄塔からもう少し遠ざけておきたいが、そうなると傾斜が緩すぎて、滑り降りる際に速度が出ない。

 一先ずこれで、万が一鉄塔の上にいる間に下を押さえられても、逃げ場を確保できる。

 逃げ道を整えてから、私はもう一本のザイルを鉄塔に結び、それを下へ垂らした。

 グレースの命綱である。

 それを彼女が自分のスワミベルトにカラビナで繋ぎ、こちらは彼女が登るのに合わせ、鉄塔へニ重に巻き付けたザイルを引いていけば、彼女が梯子から足を踏み外しても、地面への落下を防ぐことができる。

 そうやって登ってきたグレースは、息が上がっていた。しかし、普通の女はこんな高所へ出ると色々わめいて足もすくむものだが、グレースは真剣な顔付きで、一心不乱に自分の場所へたどり着いた。

 私は彼女のきりりとした顔を見る度に、この鉄のような意思や一筋な面を感じ、この女を怖いと思うのだ。

 何が怖いのか、言葉で説明するのは難しいが、おそらくこちらが下手を打てばたちどころに追い詰められてしまうような、彼女の持つ素朴さや純真さ、あるいは直裁さを、私は恐れている。

 そのせいで私は、嫌だった妹の捜索に付き合わされ、来る予定など全くなかったセブへ実際に来ている。そして、因縁の鉄塔へ登っているのだ。

 一体何の因果だと嘆きたくもなるが、気付けばそうなっている。

 肝心のエリック邸は、そこからきちんと見えていた。肉眼では家が見える程度だが、双眼鏡を使えば、詳しい様子が分かる。

 鉄塔へ結び付けたザイルに輪を作り、自分と彼女のスワミベルトを、命綱用とは別のカラビナで、ザイルに固定した。

 ザイルの強度を信用し前傾姿勢を取れば、それで両手がフリーになる。

 私は、グレースに双眼鏡を渡して言った。

「あそこに見える白い洋館が、エリックの家だ。手下が見張っているところをみると、奴はまだあそこに住んでいるらしい」

 グレースは双眼鏡を無言で覗き込む。

 一旦見始めると、彼女は少しずつ場所をずらし、随分じっくりと奴のアジトを観察した。

「佐倉さん、あなたが前に閉じ込められた部屋がどれか、分かるか?」

 闇雲に見るのではなく、監禁部屋らしい部屋を集中的に観察したいということだ。

「その部屋は、小さな窓に鉄格子がはまっていた。しかし、こちら側から見える部屋は、全て立派な窓が付いている。おそらく俺が監禁された部屋は、山側にあるんだ。見晴らしのいいこちら側の部屋は、主な住人が使っているのだろう」

 グレースはようやく双眼鏡から目を離した。

「だったら、向こう側から見張れない? もしかしたら、ジェシカが見つかるかもしれない」

 確かにジェシカを探るのであれば、その方がいい。しかしこの屋敷は、山の裾野の傾斜上にある。

 下側から見る場合は、こうして高所から目線を合わせることができるが、上側から見るとなれば、至近距離から覗かない限り目線を合わせることができず、上手く内部を探れない。五百メートルも離れてしまえば、相当斜め上から見ることになるだろう。しかもそのケースでは、ジャングルの木々がまともに障害物となる。

 改めて、屋敷背後の地形を観察してみた。後ろにもジャングルが広がり、傾斜はせいぜい数度だ。急激に立ち上がっているわけではない。

 頭の中に三角形を描いて計算してみる。傾斜を五度とした場合、屋敷からの距離と高さのギャップは、ほんの百メートル離れただけで九メートルにもなる。

 これが下側に発生する段差ならば工夫のしようもあるが、上側へ発生する段差を縮めるには、地面を削るしかない。

 しかし、グレースを連れてあの家に近付くのは危険だ。

 鉄塔からは、家のすぐ裏側がどうなっているのかよく分からない。

 監禁された時に窓を通して見た景色を思い出してみたが、ただのジャングルが広がっていたように思える。

 それがかなり鬱蒼うっそうとしていたら、あるいはもっと近付けるかもしれないが、もしセキュリティー用のカメラやセンサー類が仕込まれていたら終わりだ。

 いずれにしても、今はどうなっているのか、実際に調べてみる必要がある。

「午前中は、ここからあの屋敷の様子を確認する。エリックが住んでいるかどうか、そして何人の人間が控えているかだ。午後は裏手に回り、どこまで家に近付けるかを確認しよう」

 エリックの家を見てしまったグレースは、それでも気がっているようだ。見張るなどと悠長な事は止めて、今すぐあの屋敷に忍びこもうと言い出しかねない気配がある。

「まあ、慌てるな。俺たちに何かあれば、お前の妹を救出する人間は、それこそ誰もいなくなる」

 今慌てて動けば、数時間後には、鎖で天井から吊るされているかもしれない。そうなってしまえば、妹の所在を確かめ、必要ならば救い出すという目的を果たせない事になる。

 グレースに身内としての焦りがあることは理解するが、どうしても譲れない事もある。

 私はそうした決意を込めて、グレースを見返した。

 彼女は「分かった」と言い、再び双眼鏡で、エリック邸を観察し出した。

 ザイルに身体を預けた状態で、素人がよくこれだけ集中できるものだと感心するくらい、彼女は無言でエリック邸を見続けた。

 お陰で私は、暇を持て余す。双眼鏡を二つ用意すべきだったと後悔し始めているところへ、グレースが「あっ」と叫んだ。

「真ん中の部屋に、人が現れた。今窓辺にいる」

 私は彼女の差出した双眼鏡で、エリック邸の二階中央を見た。白いガウンを着た男が見える。

 レースのカーテンに遮られ、今一つ顔がはっきりしない。ほんの少しでも窓の外を覗き込んでくれと念じると、彼は本当にカーテンと窓を開けた。

 それはエリックではなかった。窓枠と頭の隙間を考えると身長はそれなりにあるが、彼は身体付きの華奢な、まだ若い少年のようだ。私の勘が何かを訴える。

 もしや……。

 彼はおそらくロメルだ。背は随分伸びたが、顔にはあの幼児だった彼の面影が残っている。

 私はグレースに、双眼鏡を返した。

「彼がエリックの息子のロメルだ。顔をよく覚えておけ」

 それで彼女は、ロメルの姿を食い入るように見ていた。自分が高所でザイル一本に支えられていることなど、とうに忘れてしまった様に集中している。

「他にも誰かが現れたら、また教えてくれ。敵の戦力も知りたい。どこへ何人の見張りがいるのか、把握しておく必要がある。一つ一つ丁寧に見て、記憶しておくんだ」

 普段の私は、そうした事を人任せにしない。他人に自分の命を委ねるのはまっぴらだ。

 しかし私は、彼女の真剣な態度に、もう少し任せてみようかという気になった。

「観察するのは一箇所に集中するな。時々全体を見て、何か変化がないか、そして、誰かがこちらを見ていないかを確認しろ」

 向こうからも鉄塔が見えるはずで、そこへ人間が登っている事を気付かれる可能性もある。一応向こう側で誰かが鉄塔を見ても、せいぜい頭一つ分しか見えない高さで観測しているつもりだが、気付かれないとも限らない。

 グレースは返事をしなかったが、私の言葉は聞こえているようだ。それから彼女は、私の言い付け通りたまに双眼鏡を左右動かしていた。

 その間私は、鉄塔近辺に異変がないかを確認していた。特に突然鳥が飛び立ったりすれば、その辺りのジャングルを凝視した。

 逃げ道を作ったとはいえ、やはりこの状態で包囲されれば危機には違いないからだ。もう少し仲間がいれば、地上へも見張りを立てられるのだが、こればかりは仕方ない。それが鉄塔へ登ることの、最大のリスクだった。

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