第5話 グレースの同行
刺し身で機嫌を取り戻したグレースは、フィリピンや妹の事を語り出した。
「私のホームタウンは、セブ島にある。セブはリゾートで有名でしょ? 家はリゾートから遠いけど」
私がフィリピンへ行く事を確実に決心したのは、彼女がセブ出身である事を知ってからである。私もセブの事は、良く知っていたのだ。
しかし私は、余計な口を挟まず、黙って彼女の言う事を聞いていた。
「私は自分のホームタウンが好き。いい所よ。綺麗な場所って意味じゃない。みんな貧乏だけど、親切で明るいってこと。いつも笑ってるところが日本人と違う。日本人は控え目だけど、フィリピン人は一杯笑うし、腹が立てば怒って悲しい時はたくさん泣く。人の目を気にしないの。自分は自分っていう考えある。だから気持ちが楽よ」
言われてみると、そうかもしれない。彼らに接している時は、いつの間にか自分も気持ちを開放している。それが癒やしや安らぎに繋がっているのかもしれない。
「あとは噂が好き。みんな貧乏で退屈だから仕方ない。特に誰かの失敗の話が好き。誰かが不幸になる事で、自分の幸せを確認する。私はそれ、嫌いよ。時々話が作られる。だんだん嘘になるの。私も多分、色々言われてる。日本で身体売って、お金ゲットしてるとか。そんな事をするくらいなら、お金要らないよね、貧乏でも、今のままが幸せだよねって、自分たちを慰めてる。それは少し悲しいね。フィリピンは好きだけど、いい事も一杯あるし、嫌な事も一杯。だから時々、フィリピンから逃げたくなる」
ここで話が途切れた。
彼女にしては珍しくたくさん話していたが、ここで思い詰めた表情を浮かべ、彼女は何かを考え込んだ。
気付いたら、グレースの前にある皿が空になっている。彼女はフィリピンの事を語りながら、先ほど届いたステーキも、全て平らげていた。
私が次の料理を頼もうかと言いかけたところで、彼女はフィリピンの話を再開する。
「フィリピン人は、家族大切にする。遠い親戚でも繋がりが強い。妹に何かあったら、私凄く心痛い。いつも心配で眠れないよ。毎日何度も電話してるけど、全然繋がらない。ジェシカも私が心配してるの知ってる。私たち、いつも連絡取り合うよ。だから電話繋がらないのはおかしい。佐倉さん、ジェシカを助けられるか?」
彼女は私に、じっとりとしたすがる目を向けた。
それでも私は、期待に応える事はできない。
「状況が全く分からないんだ。約束はできない」
今は何も保証できない事くらい、グレースにも分かっているはずだ。
「嘘でも大丈夫って言ってくれたら、安心できるよ」
「悪いが、嘘は言えない」
彼女は「冷たい」と、拗ねるように言った。
私は構わず訊いた。
「妹に男はいなかったのか?」
「ボーイフレンドならいる。もう長い付き合い」
「その男と、連絡は取ったのか?」
「彼もいなくなった。彼の家族も心配してる」
そこへドアがノックされ、部屋へ小さな土鍋が二つ運ばれる。中居がテーブルの上で蓋を開けると、酒蒸しの芳醇な香りが漂った。
「甘鯛の吟醸蒸しでございます」
グレースが美味しそうと声を上げる。
私は男の話が気になっていた。中居がグレースと言葉を交わしている。
コース料理を頼んだのは失敗だったかもしれない。時折現れる中居のせいで、自分のペースが乱される。
中居が部屋を去ると、早速私は質問した。
「妹は、その男と一緒にどこかへ行ったという可能性はないのか?」
魚を
「それはないよ。私その男も良く知ってる。二人は結婚したくて、ずっとお金貯めてた。それをやめて消えるはずない。それにもしそうなら、妹やその彼は、私の電話に出る」
「自信はあるか?」
グレースはむきになったように、きっぱり「あるよ」と答えた。
どうやら二人が駆け落ちしたという線はなさそうだ。
私はフィリピンへ行くのを、五日後と決めた。やり掛けの仕事を片付け渡航の準備も考慮すれば、そのくらいになる。
そこでグレースが、意外な事を言った。
「私も一緒に行くから、フィリピンでのガイドは心配ない」
「行くって、金はどうするんだ」
「店の女に借りる。もうオーケーもらった」
彼女は観光旅行にでも行くように、嬉しそうに言う。
私は思案した。彼女が一緒であれば、調査は手っ取り早い。しかし危険な相手がいるなら、彼女を守る負担が増える。
つまり彼女は、足手まといにもなるわけだ。私の腕も、随分錆びついている。
私は仕事として、この依頼を引き受ける。そうなら、一人でマフィアのような組織を相手にする事も、考えておかなければならない。
そうなれば、それはもう戦争だ。そこへ彼女が同伴し、果たして大丈夫だろうか。
日本であれこれ考えても、上手く想像できなかった。それに駄目だと言っても、彼女はついてくるだろう。
私は自分のプランに、彼女のセキュリティー項目も追加しなければならなくなった。
それに別の心配もある。妹がいなくなって二週間なら、彼女はもう、フィリピンにはいないかもしれない。既に消されていたり、海外のどこかへ売り飛ばされている可能性があるのだ。
私がかつて見たフィリピンは、そういう国だった。
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