磔の恋人

柊 冬木

磔の恋人

 恋人が殺された。

 逆十字に磔られ、切断された頭部が足裏の上に置かれていた。激しく争ったのだろう。今まで嗅いだことのない異臭が漂う部屋の中は荒れに荒れ、壁には 裏切り者 異教徒 悪魔の手先 などの罵詈雑言ばりぞうごんがぎっしりと書かれていた。

きっとこれも彼の血で書いたのだろう。私は泣き叫びもせず、彼の首を手に取り、血を拭い、目を閉じてやり、最後にそっとキスをした。鉄の味がした。

 松明の明かりがぼやけ、奴らの声が木霊しているのが聞こえるから、もう近くまで来ているのだろう。すぐそばに短剣が落ちていたので、柄を握ってみたが、すぐにそれを手放した。 彼は苦痛の中で死んでいった。ならば、私もそうなろう。彼一人だけを苦しみの中に置いてはいかない。

 それから直ぐに、奴らが雪崩れ込んできた。

 

「我らが父よ 今日の糧に感謝します」 

「我らが母よ 今日の慈しみに感謝します」

「我らの魂 主の御心のままに」

 祈りを終えて身支度をしていると、後ろから声をかけられた。

「先生。まだ残ってたのか」

 振り返ると彼が立っていた。

「今日は私が清掃当番だったからね。今さっき終わったところだよ」

 毎週日曜日はここ大聖堂で感謝の儀式を行う。それほど大それた儀式ではないが、一つ一つの儀式道具が大きく、それらの収納室までも少し距離があるため一人では時間が掛かる。

「ここは広いからな。さあ帰ろう、送りますよ」   

 聞き心地の良い声でそういって、彼は私の分の荷物も抱え上げた。

「ありがとう いつも悪いね」

「いえいえ、一応先生ですから」

 彼は私たちが所属している教会の見習い神父だ。今からちょうど一年ほど前に教会の門を叩いてきて、それ以来私が彼の教育担当をしている。と言っても、私より歳は少し上なので、話し方がぎこちないのはそのせいである。  

           そして、私たちは恋人同士だ。        

「・・・今夜も寄ってくよね」

「ん〜、宿舎の点呼も近いから今日はやめとくよ」

 そっか と言い、落ち込む私の顔を見て彼はニヤリと笑った。

「でも喉が乾いてて、このままだと部屋まで歩けなさそうだ」

「それならちょうどいい。変わった味の茶葉を買ったんだ」 

 彼は それは楽しみだ というように眉を上下させる。

 家に着くなり、私は茶の準備を、彼はいつものカウチに腰をかけ、またいつもの台詞を口にした。

「はぁ〜、早く俺もこんな家に住みてえぁ」

「次の試験に合格すれば、その心配もなくなる。今度こそは大丈夫だよ」

 教会では神父になれば一人一軒の家が与えられるが、見習いの間は教会の宿舎に入る。以前は私もそこに居たが、規律が厳しく、部屋も四人部屋でプライバシーはないに等しい場所だ。

「簡単に言ってくれるな。その言葉を信じて次でもう三度目だ。ったく、あんな難解極まりない内容とても人の子じゃ解けやしない。お宅賄賂でも払ったんじゃないのか?」

「失礼だな。きちんと勉強して、努力したよ。君に足りないのは忍耐力だね」 

 手厳しいねえ と呟きながらカップに手を伸ばす。毎度のことながら思うが、彼は味わうということを知らないらしい。香りも楽しむこともなく一気に飲み干してしまった。呆れた顔をしていたのだろうか、彼は私を見るなり なんだよ と問い、私は 別に と答えた。すると今度は彼がムッとした顔で近ずいてきては、私の手を押しのけて強引にキスをした。

「何か言いたげだけどね先生、その前にさっさと済ましちまおうぜ。もう時間が近い」 そう言って彼はキスをしたまま服を脱ぎ始めた。ここに来る前は北の方で兵役に就いていたらしい。そのたくましい両腕で私の髪を撫で、頬をさすった。私はただそのまま、彼の吐息に耳を傾け、汗で少し湿った背中の上を指でなぞりながら身を委ねた。私にとってこの行為は少し痛みも伴ったが、それが彼によるものだと思うと、その痛みすらも心地よく感じられるのだ。何より、この瞬間だけは、師弟関係を捨て去って対等になれる。そしてこの時だけは私を名前で呼んでくれる。それが何より嬉しかった。  私はその痛みが、好きだった。 

 この密会も、もう何度目だろうか。忘れてしまっているが、そう多くはないはずだ。ことの始まりは恐らく半年と少し前の頃だろう。思えばこの頃、すでにもう彼に思いを寄せてしまっていたのだろうと思う。出会った頃から妙に意識してしまっていたし、二人で会う時なども、真っ直ぐ目を見ることも出来ず、肩や手が触れるとすぐに鼓動が早まった。ある日、授業の終わり側に目に埃が入った時に彼が手拭いを差し出してくれたのだが、誤ってそれをそのまま持って帰ってしまったのだ。また次の授業の時にでも返すことはできたが、あえて翌日の授業で終業後に家まで取りに来るようにと伝えた。そうすれば少しでも長く一緒にいられると思ったのだ。もちろん最初彼は渋った顔をした。というのも、寄宿生は正当な理由がない限り夜間の外出を禁止されているので、終業後、私の家から宿舎まで往復すると、よほど急いでも寸前で門限を過ぎてしまうのだ。それを察して、宿舎には私から急を要すると連絡してあるので安心するように と伝えると、ほっと胸を撫で下ろし了承してくれた。私も自分の胸を撫でた。もちろん頭の中で。 

 帰り道、彼と一緒に帰路につけるのが嬉しくて、少し遠周りの道を選んだのだが、それが災いて蝋燭が溶け切ってしまった。会話に夢中で気がつかなかったが、辺りはすっかり夜の暗闇に染まっていた。内心焦っていたが、とりあえず場を和ませようと もうすぐ着くから と嘘をついた。本当はこの暗がりを灯りなしで歩くと、少なく見積もってもあと三十分はかかる。遠回りを後悔し、心で自分を責めていると、彼は笑い混じりに一言 大丈夫 と言い、笑顔で私の左手を握り引っ張ってくれた。この暗闇で表情の確認など出来たものではないが、彼の姿だけははっきりと、そして輝いて見えた気がする。そしてそれから十歩、あるいは二十歩かそれ以上足を進めたところで私は溜め込んでいた何かを抑えきれなくなり、ついにそれを彼に打ち明けてしまった。彼は数秒黙り込んだ。この数秒は、私にとってすでに数秒ではなく数分に感じられたが、彼はそのまま何も言わず勢いよく私を抱きしめキスをした。暗くてよく見えなかったのだろう。初めは場所を外したが、二回目で彼の温かい唇と舌触りを感じられた。決して許されないことと解っていながら、彼を抱きしめる腕を力を、私は緩めることができなかった。その後、お互い無言のまま一時間程歩いて無事家に着き、私達はその日の夜を共にした。 

 それからというもの、今日のような月末の儀式や、授業の日などに人目を盗んではこうして密かに体を交えている。

 彼は帰り際、すでに冷め切ったポットの茶をもう一口飲んだ。

「そういえばこの紅茶、いつものより苦いな。砂糖入ってないのか?」

「砂糖を入れないお茶だよ。そもそも砂糖は直接ポットには入れない。カップに注いでから、好みの量をいれるんだ」

「わかったわかった。で、なんて名前の茶なんだ?」

「名前は、えっと・・読めないけど東の国のものだよ。この間、街へ降りたときに市場で買ったんだ」

 ふーん と言いながら彼は身支度を進めた。

「でもやっぱり俺はいつもの方が好きだな」

「ふふ、わかった。次はいつものを入れるよ。君の好きなお菓子と一緒に」

 彼はまた、笑って眉を動かした。

「それでは、また明日」

「うん、またね。気をつけて」

 そして、扉を開ける前にもう一度キスをしてこの日は別れた。 また明日 彼の背中を見送り、扉を閉めた後、私はもう一度そう呟いてからこの幸せな日々を噛みしめた。


 しかし、そんな日々も長くは続かなかった。ある日、もいつものように合間を縫ってキスをしていると、私に急用を伝えにきた他の神父に現場を見られてしまったのだ。その時は必死に冷静を装って事故だなんだと言い訳を並べてその場を納めることができたが、直に上へ報告されるだろう。何故ならその神父の眼といったら、なんとも酷いものだったからだ。私達は口にこそ出さなかったが、心の中で覚悟を決めていた。

  逃げよう と彼が呟いたのは帰路の途中だった。このまま二人で遠くへ逃げようと。もちろん断る理由などなかった。彼の存在はすでに私の全てになっていたし、幼い頃から捧げているこの信仰も、彼のためなら捨てることができた。しかし、この提案は現実的ではない。すぐに事は明るみになる。そうなれば教会は捜索隊を遣すだろう。このままあてもなく逃げ回っても見つかることが目に見えている。だから、 先に家から金など必要なものを持ってから、港に行こう と提案した。あそこは教会の息がかかってないから、金さえ払えば船に乗れる。今ならまだ検問も張ってないだろうから、急げば山を降りられるはずだ。  今度は私が彼の手を引いた。

 家に着き、すぐ戻るから と彼を外に待たせ、一人中へ入っていった。灯りもつけずに荷造りを始めようとしたところで、ある異変に気付いた。 

        そういえば、

そのことに気づいた瞬間、物凄い力で腕を掴まれた。聞こえたのは 捕らえたぞ と野太く叫ぶ声が響くのが最後、私は頭を耳から床に叩きつけられたからか、甲高い耳鳴りに襲われ周囲の音を拾うことができなかった。それから直ぐに、異変に気付いた彼が、今まで見たことのない鬼のような形相をして飛び込んできて、私を捕らえている男を蹴飛ばした。声は聞こえなかったが、男と掴み合いながら、私の方に顔を向け必死に、 逃げろ と叫んでいることが唇の動きで読めた。私は少し躊躇おうとしたが、それより先に本能が体を動かし、気づけばすでに走りだしていた。あてもなく、ただただ奴らに見つからないように走り続けた。胆が絡んでいた喉はすっかり乾き切って呼吸をするたびに喉の奥が痛んだ。そうして無我夢中で走り続けていたその時、足場を見失い小さな崖に転がり落ちてしまった。立ち上がろうとするが、弾みで足に怪我を負ったのだろうか、上手くいかない。とにかく走らなければと思ったが、どのくらい走り続けてたのだろうか、体は疲労の限界で頭もろくに回らない。

 私は、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 

「ったく、毎度思うが血迷ったもんだよな。でもまあこんな辺鄙な山奥で生活してりゃ間違いの一つは起こるわな」

「でもよ、へへ、こんな女々しい面したやつなら、俺も早まっちまうかもしれねえなあ ひゃひひ」

「そりゃ へっへそりゃお前、あんな豚が酒樽を着たようなカミさん持ってりゃそうなるわな。がっへへへ」

 男達の高笑いで気がついた。揺れているから荷車か何かに乗っているのだろうか。目眩がしてすごく気分が悪い。体をよじってみると脹脛ふくらはぎに尖った木の破片が刺さっていた。手は後ろにされて縛られている。恐らく眠っている間に捜索隊に見つかってしまったのだろう。最悪だ。そう思っているとまた話し声が聞こえた。

「ひっひ。しっかし奴さん、どうなっちまったんだろうな」

「ああ、あのでかい赤髪か。今頃はもう死んでるだろうな。ここの連中、神だかなんだかを謳ってる割にどんなむごいことでも平気な顔してやっちまうからな。胸糞悪いぜ。ま、その変わり羽振りはいいから、俺ら雇われ兵隊にとっちゃいい飯の種だがよ。んへへ」

 それを聞いて、私の背中に悪寒が走った。彼らの言う 赤髪 とはきっと彼のことだ。そして聞き間違いでなければ、彼はもう殺されているのだというのだ。

 彼が殺された? 嘘だ。そんなの信じられない信じたくない。

 その瞬間、私を精神を繋ぎ止めていたものが外れた。恐ろしい程力が湧くのを感じた私は、縛られた手を血で滑らせて引き抜き、脚に刺さる木片を抜いて手綱を握っている男の首に突き刺した。そして吹き出る返り血で視界を失った隣の男の首に手綱を巻き付け、力一杯縄を食い込ませた。激しくのたうち回る体を押さえつけ、動かなくなったのを確認してから、死体を蹴落とし、興奮した馬を落ち着かせて進んでいた道を逆に全力で走らせた。

 嘘だ 絶対嘘だ そんなことはない 彼なら平気だ 体軀もあるし、あんな小太りの奴らに負けるわけない きっと今頃どこかで身を隠しているだろう。もしかしたらまだ家の近くにいるのかもしれない。だから迎えに行って、一緒にこの馬車で港まで行くんだ。大丈夫、きっと大丈夫絶対大丈夫。 

 不安で破裂しそうな心を、必死で押さえつけた。そして、風で涙が乾き切った頃に家に着き、明かりがついていることも気にかけず、扉を開けた。

 そして、私は彼を見た。 



「それで、いつからなんだ?」

 沈黙

「契約したんだろう。いつなんだ?」

 沈黙

「目撃者もいるんだぞ。告発も多数ある。ボルドー・ギディと口づけをしていたんだろ。それだけでは留まらず、急を要すると言って夜な夜な自分の家に連れ込んでいた。そうだろ?奴と契約したのか?それともお前がそそのかしたのか?どうなんだ?」

 沈黙

「何故ずっと黙っているんだ?声が出ないのか?貴様は神父なのだろう。ならここにある聖書を口にだして読んでみたまえ」

 沈黙

「何故読まない?何故手に取らないんだ?触れないからなのか?そうなのか?」

 沈黙

 溜息

「聖書を読まない触れない質疑にも応答しない。皆よ!この者は、神に仕える身でありながら、その誓いを踏みにじり邪悪なものと契約を結んだ汚らわしい異端者だ!我々は!今こそ!正義の鉄槌を下すべきではないだろうか!!」

 歓声

 賛同

 罵声

「静粛に。静粛に」

 打音

 沈黙

「審議の結果、アーロン・ベルセルスキーを魔女の手先と見なし、火刑に処すことをここに命ずる」 

 判決を下したのは私が幼い頃から目をかけてくれていた司教様だった。私にとって第二の父親だった人も、こうなった今、一罪人とそれを裁くものに過ぎなかった。父は、一度も目を合わせてはくれなかった。

 

 群衆の投げる石に打たれながら、私は磔られた。

 足下の薪に火が放たれ、瞬く間に灼熱の炎が衣服を灰にし、肌を焼いていった。

         これで彼は、許してくれるだろうか

 立ち込める黒煙に呼吸を阻まれていくなか、私は空を見上げた。 

 

  

 

 ああ、 ああ神よ

 何故ですか 

 何故彼を奪ったのですか

 何故彼らに殺させたのですか

 何故私を見捨てられたのですか

 私はただそばにいたかっただけなのに

 ただ、愛したかっただけなのに    

 神よ 私は本当に、罪人なのでしょうか

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