番外編1 夫婦喧嘩で国が滅ぶとか笑えない

光のあるところには影がさす。

当事者からすると多くの犠牲があった。

役割者のために命を散らしたものが何人いただろう。

残された者の心の傷はきっと一生消えはしない。

それでも得られたものもあったわけでーーー世界初の始祖竜の加護継承に成功したグレイトブリテン王国。


黒竜の儀から一年が過ぎていた。

四月には国を挙げての結婚式が行われた。

ロイヤルウェディングには国中の人々が押し寄せた。

二人がお互いに飛竜の魔石を交換しあったときにはどよめきが上がったし、

二人が浮遊魔法で城の最上階から躍り出た時には悲鳴が上がった。

弾けるような心躍るような音楽が流れ、王族にありがちな堅苦しさのない楽しい式だった。

王都は人で埋め尽くされ、魔法使いたちはひっきりなしに自慢の魔法を飛ばしあった。

竜だったりワードウルフだったり…色とりどりの魔法で満ちた広場。

結婚式の後の宴では、戦場以外に滅多に顔見せしないジョシュアも(話しかけられるとボロが出るからなのだが)王宮広場に出てきていた。

ジョシュアはしっかりと妻を抱いていた。

始終離れない仲睦まじい国王夫妻に広間に集まった国民たちは、冷やかしやら、お祝いやらの混じった歓声を投げかけた。

ああ、そうだ、ジョシュアが国王になったことも付け加えなければいけない。

前国王陛下はさっさと最愛の妻と共に隠居したかったようだ。

黒竜の儀が終わるや否や戴冠式が行われた。

全く跡継ぎに指名しても不安のない、優秀な息子に恵まれて彼は幸せだろう。


結婚式が終わっても、広間から人は全く引かなかった。

むしろ宴目的で人が増えたかもしれない。

皆が浮かれていた。

宴の最中に空を飛ぶライラを見て、これほど嬉しいことはないと口々に言った。

それもそのはず。魔法使いも魔法が使えない白の人も皆が思っていたのだ。次はグレイトブリテンの番だと。

イタリア王国が地図から消えた日を忘れるものなどいないだろう。

黄竜の加護がなくなってから、迎えたミーティアウィーク。

一夜にして壊滅したイタリア王国の惨劇は記憶に新しい。

加護がなくなるとはどういうことを意味するのか皆がわかっていたのだ。


魔法使いたちは、黒竜の儀の後に生まれた子供たちの魔力を見て涙を流して喜んだ。

彼らは肌で感じ取ったのだ。魔力の多さが、黒竜の愛が再びグレイトブリテンへと注がれ始めたのを顕著に表していたから。

ちなみに、お祭りムードのグレイトブリテンでは、黒竜や…黒竜の、人間の名前である「ライラック」にちなんだ名前をつけるのが大人気である。

これからの世代ではライラックちゃんやドラゴンくんが多く存在することになるだろう。

当の本人はそれを聞いて顔をしかめていたものだが。


しかし、喜びも束の間。

五月になって黄色の魔素が徐々に顔を出し始め、夏の風が吹き始めたグレイトブリテンに異変が起き始めた。

国の要所を守っていた魔道具が次々に壊れ始めたのだ。

それも、黒魔法に通じている重要なものばかり、三日で二十個近くが故障した。

黒魔法を使った魔道具は、大抵が国の守りの要になっている。

平たくいうと、外敵から国民を守っているのだ。

その魔道具が壊れた。原因は不明。


国営ニュースでは連日魔物の森が活性化している様子が報じられた。

なぜかそこで、魔物たちを必死で説得している真っ白なワードスクウィールが話題になったりしたが…

ワードスクウィールの検討も虚しく、魔道具が壊れてから一週間で、ついに西の魔物の森から侵略が始まった。

魔物たちは魔力の餌ーーーつまり、魔石が多く存在し、高い魔力を持った人間がいる人里へと押し寄せてきたのだ。


五月七日の明朝。

国の北西地区に避難勧告が出された。

金品や衣服など、最低限の荷物を持って、被害が少ない地区へと逃げていく国民たち。

魔力プレートの停留所には行列ができたし、普段は滅多に利用されない自動車も借り出された。

青の制服を着た騎士団が国民の避難誘導にあたる中ーーーたまたま上を見上げていた青い帽子をかぶったフィメルが、あっと声をあげた。


「シャーマナイト陛下とエゲート殿下だよ!!これで一安心だ!!!」


フィメルの声を聞き、周囲の人々は一斉に空を見上げた。

なるほど、黒飛竜が二匹並んで空を通過していった。

背中に騎乗した人物も特徴的だった。

漆黒の髪はジョシュアにしかないものだったし、隣の人物の髪も濃紫色。

そもそも黒飛竜に乗れるものなど王族ぐらいだ。

そして黒に近い…尊い色を身に宿す存在など、ジョシュアとその実弟のエゲートくらいなのは周知の事実。


皆がプレートに乗るのも忘れて歓声を上げ始めた。

国王万歳!黒魔法万歳!


騒ぎ出した大人たちを見て、三歳くらいの子供が不思議そうに母親の手を引いた。

自分が潰されそうなくらい大きなリュックを持った母親は、にっこりと我が子に笑いかけた。


「もう大丈夫だよ。王様が魔獣をやっつけてくれる!」


ーーーそんな国民たちは、騎士たちが皆一様にしょっぱい顔になっていることに気がついていなかった。


一人の青年が、堪えきれなかったように言う。

真新しい白と青の制服がまだ浮いているような若い金髪の青年だ。


「でもこの騒ぎって、陛下の魔力荒れのせいじゃ…」


若い騎士の言葉は隣に立った壮年のマスキラによって無理やり中断された。

涙目で見上げてくる部下を肘で殴ったマスキラが睨みつける。


「余計なことを言うな。国民が怖がったらどうする。」


ーーー黒魔法を使う時に流れるバイオリンのような綺麗な音色に続き、どかーん!という炸裂音。

あたりは一瞬で静まり返った。あまりの魔法の威力に騎士たちはピンと姿勢を正した。

魔物を殲滅する…というよりは国を破滅させたいと言った方が正しそうな魔力の密度。

騎士たちは腰の剣に手をかけた。警戒を強める。国民を守るためだ。

警戒対象は…残念ながら魔物ではない。


思い出されるのはダルそうな顔をしたパーシヴァルの指示である。


「俺はこいつのお守りでついていくから…万が一の時はお前らが壁になれ。」


騎士たちは一様に不思議そうな顔になった。

パーシヴァルや…ましてやジョシュアが有象無象の魔物に遅れをとると思えなかったからだ。

そんな疑問を感じ取ったのだろう。パーシヴァルが嫌そうな顔になった後でーーーボソリと付け加えた。


「もちろん、ジョシュアの魔法から守るんだぞ?ーーーシールドは意味ねえから肉壁になるつもりでのぞめ。」


一気に顔色が悪くなった騎士たちを見て、パーシヴァルが苦笑いした。


「心配すんなって。俺が見張っておくし、シールドも貼るから。まあ、ほぼ起こんねえよ。」


綺麗に笑ったパーシヴァルを見て、騎士たちはほっと息を吐いた。

ちなみに史上最年少の騎士団長は不在である。

彼は重要任務のために他国にいるのだ。

今の騎士団長にその座を譲った、元騎士団長が部下を見渡した。


「エゲート様のおっしゃった通りだ!我々ができることは少ないが、国民を守るぞ!」


元騎士団長ーーー今の副団長の言葉に、多くの騎士がパーシヴァルを尊敬の目を向けた。

パーシヴァル本人は嫌そうな顔なのだが。

長年嫌われ者だった彼は今のこの純粋な好意の視線に慣れない様子。


パーシヴァルを「出来損ない」などと侮るものなどもういない。

黒竜の儀最大の立役者の一人であるのはもちろんーーー現国王夫妻から一番信頼されているのがパーシヴァルなのだ。

ジョシュアもライラも、二人して何かあったらパーシヴァルに相談に行く。

それを真似して皆がパーシヴァルに頼り始める。


嫌そうな顔をしながらも的確に対応してくれるパーシヴァルに…

皆が尊敬の目を向け始めるのに時間はかからなかった。

しかし、そんなパーシヴァルにもどうにもならないことはあるわけで。


パーシヴァルが赤の瞳を東に向けた。

それはちょうどプロイセンの方角だ。

黒竜が…ライラが家出した方向でもある。


パーシヴァルは疲れたように息を吐いた。


「まさかここまで大ごとになるとは…」




ーーーことの始まりは二週間ほど前に遡る。


一通の手紙が王宮に届いた。

それはお見合いのための釣書だった。

ジョシュアとライラを両脇に添えたパーシヴァル。

レイモンドから渡された深緑色のツルツルとした封筒を乱暴に開けた。

出てきたのは一枚の写真。

椅子に座ってカメラに笑いかけるアングル。

ドレスはフィメルらしく桜のような桃色だった。

金色のふわふわとした巻き毛。意志が強そうなアーモンド型の瞳。


綺麗なフィメルだった。

十人のマスキラに聞けば九人が結婚したいと答えるだろう。

しかし、自分自身が「十人のマスキラに聞けば十人が結婚したいと答える」パーシヴァルからすると…そのお眼鏡に叶うわけではなかった。

パーシヴァルがいつも通りレイモンドに向かって「断っておいて」と言う前にーーーひょいとジョシュアが釣書を取り上げた。

そして、瞬く間に赤魔法で墨にしてしまった。


周囲の人間が止める間もなかった。

ぽかんとしたライラとパーシヴァルに代わり、オズワルドが苦言を呈す。


「ジョシュア様ーーー釣書はいくら気に入らなくとも燃やさないでくださいと何度も申し上げていますよね?大体、決定権はご本人にもあるわけでーーー」


オズワルドのお小言にもーーージョシュアは全く動じていない。

パーシヴァルをひょいと抱き上げて、懐に抱え込んだ後で言うのだ。


「ーーー魔力の質が気に入らない。パーシヴァルにはもっといい相手がいる。」


この言葉を聞いた時。

低音でいい声だなとか。

写真越しで魔力の質がわかるってどういうことだとかーーーそういうことの前に、ライラの胸も針が刺さった。


ちくり。


ライラは思わず手を胸に当てた。

本人に心当たりはないらしい。

心底不思議そうに首など傾げている。


言い争いを始めたジョシュアとパーシヴァルをよそに、首を傾げているライラ。

その手が胸に当てられているのを見てーーー護衛として立っていたデニスがライラのそばに歩み寄った。


「ライラ様、どうされました?お加減が悪いですか?」


デニスは騎士団長になってから、こういう喋り方をするようになった。

国王夫人になったライラと騎士団の上に立つようになった己へのケジメらしい。

そんな少し遠くなってしまった友人を見ながらーーーライラは綺麗に笑った。


「なんでもないよ。大丈夫。」


ライラがそう言ったのを聞いてーーーデニスは顔をしかめた。

自分の主人は…大丈夫でない時ほど綺麗に笑いーーー周りを安心させようとするとよく知っていたから。


「今夜部屋行くぞ。」


デニスにこずかれ、ライラはげっという顔になった。

少し離れた王族二人には聞こえないほどの小さなため息。

そして苦笑い。


「デニスには敵わないなあ。」


ライラが肩にもたれかかってきたのを見てーーーデニスは予想以上にライラに余裕がなさそうなことを悟った。

そんな二人を、パーシヴァルが視界の端で見ていた。



月が空の真上に登る深夜。

二人きりにならないために、口の硬いことに定評のあるメイド長を部屋に待機させて、デニスはライラの部屋へと赴いた。


自分の名前が刻まれたライラの部屋の扉の魔法陣に手をかざしたところでーーーー後ろから肩を叩かれた。

デニスは自分が感知できないほどに気配を消してきた人物に向けて、即座に戦闘態勢。

魔力を充填。殺気を放った。

剣に手をかけたところでーーー相手を認識。ほっと肩を落とす。

光量の落とされた深夜の王宮に立っていたのはパーシヴァルだった。


驚かせないでくださいよと苦情を言おうとしたところでーーーパーシヴァルはさっさとライラの部屋に入ってしまっていた。

流石のマイペースぶり。

中からライラの驚いたような声が聞こえる。

黒竜の記憶が戻ってからもライラのパーシヴァル好きは変わっていない。

パーシヴァルもライラを本当の妹のように可愛がっていた。

パーシヴァル本人は認めないがーーー今日もライラが心配で様子を聞きにきたのだろう。


デニスはため息を吐いて、改めてライラの部屋の扉にデカデカと描かれた魔法陣に魔力を通した。

王宮中を探したって、これほどの魔法陣は見られない。

耐魔、耐呪…衝撃や熱への耐性もありそうだ。

他にミシェーラから脳筋と言われているデニスには理解できない古語のオンパレード。

まさにジョシュア渾身の魔法陣だった。


「こんなん描いて…ジョシュア様も不器用だよなあ。」


デニスは苦笑いしながら入室した。

扉を開けると、壁や天井だけでなく吊るされた照明や壺や時計につけられたたくさんの金色の魔石。

フェルが遺した魔石をライラは全て装飾品にした。

おかげでライラの趣味に反し、ライラの自室は非常に煌びやかなものになっていた。


デニスは金色の中で足を進めた。

さすがは正妃の部屋とでもいうべきか。

行っても行っても扉がある。

二つ過ぎたところでーーー目の前の耐魔の素材でできた扉が開いた。

使用人が手招きしてくれる。

ライラはそこにいるらしい。声も聞こえてきた。パーシヴァルと何やら言い争っている様子だ。

デニスは少し歩幅を広げた。

早足で扉を潜る。背丈が大きくなりすぎてしまって、王宮の扉を通る時は屈まなければいけない。

中腰になったデニスの目に飛び込んできたのは愛しい愛しい竜人の姿。


ライラ本人は奥の寝台の上にいた。黒いレースに囲まれて、口を尖らせていた。

そんなライラの頬をパーシヴァルが摘んでいる。

二人して寝そべっている。それも肩がつきそうなほどに近くで。

親しくない者が見たら誤解しそうな光景だった。


そんな二人の横にデニスは笑いながら歩いて行った。

ライラがデニスに笑いかける。

気を許した友人にしか見せない顔。

ふにゃりと緩んだ顔を見て、デニスが心底嬉しそうに笑った。


最奥の部屋は黒で統一されている。

魔石灯にまで黒魔石を使う徹底ぶりだ。


中には黒の魔素が満ちていた。

黒の魔素に見守られながら三人は話し始めた。


「ライラは昼間、悲しそうな顔してた。」


デニスの言葉は問いかけではない。断定だ。

ライラは困ったように笑った。

そんなライラをパーシヴァルがつつく。


「ほれ、はけ。なんでそんな顔してた。」


ライラは初め口を開かなかった。

ライラは極端なまでに他人に甘えたがらない性格だった。

…一人の時間が、ライラに「甘えないこと」を強いたというべきかもしれないが。



それでも二人が辛抱強く待っているとーーー観念したライラが口を開いた。

顔は笑っていた。

目は泣きそうだった。


「パーシヴァル様の釣書はジョシュア様が燃やすのにーーーわたしへの愛人申し込みは、ジョシュア様必ず持ってくるんだ。…なんて言えばいいんだろう。たった…それだけ。」


馬鹿みたいでしょと笑ったライラをデニスは抱きしめたかった。

パーシヴァルは遠慮なく抱きしめていた。彼は自由だ。


「ごめん。ーーー全く気づかなかった、馬鹿な兄でごめん。」


パーシヴァルに抱きしめられながらライラはいつも通り笑っていた。

デニスはそんなライラを見てーーーある決心をした。


世界で一番愛おしくて。

人に辛いという一言も言えない大事な人のために。


デニスは笑う。

その顔には少し意地悪な色がのっている。


「陛下に一番効くのはあの人だよなあ。」



翌朝。

ちょうどジョシュアは議会出席の日だった。

側近への言伝は…夜までジョシュアへと届かない。

全て理解した上で。

目覚めたライラのもとへ…デニスが何気なく告げる。


「シリルが『魔力不足で誰か来て』って言ってるんだけど、俺と一緒に行かない?」


ライラは初めしぶったがーーーデニスが驚くほどにあっさりとプロイセン行きを決めた。

彼女は自分でも気づかないうちに疲弊していたのだろう。


全てジョシュアに告げられずに行われた。

ジョシュアが気がついた時には、ライラはプロイセンへ行ってしまっていた。


夕食時、報告を受けたジョシュアは顔色一つ変えずに「そうか」と言った。

それを知ったパーシヴァルは地団駄を踏んだ。

「国を守っている魔道具が一つ壊れました」という知らせには舌打ちだけした。

すぐに復旧へと向かった。

ただの偶然だと思った。


オズワルドがパーシヴァルへ向けて「ジョシュア様が夜に何処かへ出かけている」という報告を受けても、パーシヴァルは「あんな奴のこと知らん」と言うだけだった。


皆にとって予想外だったのはーーー全てをさらけ出したライラとシリルの相性が良すぎたこと。

考えてもみて欲しい。

同じ地球の日本という星に生まれ。

同じ異世界に放り込まれ。

国は違えど、王族同士のいざこざに巻き込まれる。


アメリアイアハート魔法学園時代にあった腹の探り合いもなく。

ただ、二人は良き友人だった。

しかも、新たにシリルが国王となったプロイセンは荒れ放題。

赤竜の儀に向けた手伝いに奔走しているとーーーあっという間に月日が経った。

ライラが二月ほどプロイセンにいたある夜に、パッと黒魔法が弾け、パーシヴァルが現れた。


向かい合ってIGOをやっていたライラとシリルは驚いたようにパーシヴァルを見た。

パーシヴァルは疲れきった顔で二人を見比べてーーーライラを見て言った。


「ジョシュアはもう十分懲りたみたいだから、国へ戻ってきて。ーーー魔道具が壊れすぎた。」


パーシヴァルの言葉に首を傾げていたライラとシリル。

説明を受けーーーライラは顔色を変えた。シリルは腹を抱えて笑った。


「魔力注ぎすぎて、守りの魔道具壊すとか!初歩中の初歩じゃん!ジョシュアらしくなさすぎて笑う!」


ひいひい言っているシリルをライラが不思議そうに見ている。

そんなライラの手をパーシヴァルがとった。

ライラがパーシヴァルへと視線を向けた時ーーー思いがけず、真剣な色の赤と目が合った。


「黒竜さまーーー国へ戻ってください。」


パーシヴァルの懇願にーーーライラは眉をハの字にした。


「わたしは守護竜に相応しくない感情を抱いた。」


ライラの言葉にパーシヴァルは目をまたたいた。

そんなパーシヴァルの頬をライラの手が撫でた。

黒の魔素が揺れた。荒波のようにさざめきだった魔力が隠せない。

揺れる魔力は何よりもライラの心情を表していた。


「わたしはあなたに嫉妬した。ーーージョシュアさまの愛を欲しがった。…もう少し時間をください。」


ミーティアウィークまでに戻りますと言ったライラを見てーーーパーシヴァルがため息をついた。


「お前らって本当に不器用。ーーー夫婦で話し合った方がいいよ。次は本人を来させるから。」


パーシヴァルが手を振ると真っ黒な裂け目が現れた。

次元を切ってパーシヴァルが消えて行った。

ライラはその日もプロイセンに留まった。


パーシヴァルは何度かの移動を経て、グレイトブリテンへと帰国した。

そしてーーーなぜか、城のてっぺんに座っているジョシュアに気がついた。

パーシヴァルが恐る恐るジョシュアに近づいて行った。


「ーーーお前、こんなところで何してんの?」


パーシヴァルの問いに、ジョシュアはしばらく答えなかった。

否、答えられなかったのかもしれない。

しばらく黙ったままの兄をパーシヴァルは辛抱強く見守っていた。


やがて、夜の闇に消えそうなほど小さく…ジョシュアが呟いた。


「わたしは見捨てられたのだろうか。ーーー人間の心がわからないから、見捨てられたのだろうか。」 


ジョシュアの声があまりにも切なさを含んでいてーーーパーシヴァルは用意していた文句を全て捨ててしまった。

諦めたように息を吐く。

そして兄の頭を撫でた。

世界最強の魔法使いのくせに。不器用極まりない兄の頭を撫でた。


ジョシュアは一見変わらないように見えて…

ライラがいない数ヶ月で。

魔道具を何十個も壊した。

自室の家具を全部壊した。

ライラと夫婦になってからは欠かさずとっていた食事を一切取らなくなった。

空き時間は全て城の屋根に座っていた。

帰ってこない自分の伴侶を誰より早く見つけたいのだろう。


ジョシュアは転移魔法が使える。

それなのにプロイセンへは行かなかった。

シリルからは手紙も届いていた。

「お前の黒竜は俺がしばらく守ってやるよ」という親切いじわるも届いた。

ジョシュアは初めて自分の胸に黒い魔素が流れるのがわかった。

ドロドロとした感情を持て余しながら、親友への返事を書いた。

ありがとうの五文字を書くのに一週間かかった。

その返事を見て、ライラが帰るのを延期したのはもはや皮肉であろう。



ライラは家族の愛を知らずに育った。

ジョシュアに愛を与える自信がなかった。

ジョシュアは国民を愛することを強いられて育った。

一人に愛を注ぐ自分を受け入れられていなかった。


感情にあまりにも不器用な二人。

音をあげたのはパーシヴァルだった。


「俺がきっかけでグレイトブリテンが滅びたとか笑えない。」


魔道具が三十六個壊れ、ライラがいなくなって百五十日経った夜だった。

プロイセンの真っ赤に染まったシリルの自室で。

ライラの手を引いて涙を流したパーシヴァルを見てーーーライラは転移魔法を使っていた。


リン。

鈴の音がなる。

懐かしい黒魔法の魔素が頬を撫でた。

秋口なのに、なぜか以前よりもずっと黒魔法の魔素が多かった。

ライラが自室へ戻ると…転移魔法の音。程なくジョシュアが訪れた。

パーシヴァルが安心したように笑って出て行った。


ライラを視界に捉えた時。

ジョシュアは無言だった。

それでも迷いなくライラへと近づきーーー胸の中へと閉じ込めた。

ジョシュアは少し震えていた。

笑いながら背中を叩くライラ。


「しばらく留守にしました。」


ジョシュアはその言葉を聞いてーーー頬を叩かれたような気持ちになった。

自分にとって悠久に感じられた時間は。

文字通り数千年を生きるライラにとっては「しばらく」なのだ。


ーーーわたしは、ライラの記憶の本の一ページにしかすぎない。


今まで、ジョシュアは一人残されることになるライラのために少しでも知り合いを増やそうとしていた。

愛人を勧めていたのもそのためだ。


ジョシュアは息を吐いてーーーライラにとびっきりの口づけをプレゼントした。

彼女が大好きな黒魔法も添えて。

息が上がるほどの交わりの後で、トロンとゆるんだライラの顔を見てジョシュアはライラの濡れた唇に触れた。


「俺のことを…忘れないで欲しい。」


それは。

ジョシュアが初めて感じた欲だった。

ライラはキョトンとしていた。唇が吸い付きそうな程に桃色だった。


自分の唾液で唇を濡らしつつもーーーどこまでも無垢なライラを見て、ジョシュアは思った。

真っ白な頬を撫でつつーーー金色の瞳を覗き込む。


「俺の色に染まってよ。」


ライラは不思議そうにジョシュアを見返した。

ジョシュアはそんなライラを見てーーー意地悪く笑った。


ライラがあまりにも純粋なので、ジョシュアが一歩大人になった。

犠牲はあまりに大きかったけれど。


避難した国民の後処理に追われていたパーシヴァルとミシェーラはその年のボーナスが増えたとか増えないとか。




「なんでライラのことを迎えに行かなかったの。」


ライラが帰ってきて数日後だろうか。

パーシヴァルが問うた。

ジョシュアは応える。凪いだ顔で。


「かっこよく思われたいだろーーー家出くらい自由にさせてやりたい。」


血が滲むぐらい手を握りしめてもかっこつける兄を見てーーーパーシヴァルが声を上げて笑った。


「本当は初日に迎えに行きたかったくせに!」


「ーーー次は行くかもしれない。」

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