第一章 アメリアイアハート魔法学園
1の一 何も持っていない
ロンドンの郊外にあるアメリアイアハート魔法学園の入学式。
周りは魔獣のはびこる深い森で囲まれており、専用の移動手段を持つ学園関係者でなければ近づくことさえ難しい。
将来国を担っていくであろう、魔力の才能にあふれた若者たちが乳白石で作られた、大講堂に集められていた。
魔道具により時折吹き込む風で、学園指定の黒いローブがはためく。
新入生はまだ膝よりも長いようなローブを身につけており、どこか後ろ姿が初々しい。
「今日から君らは魔法学園の生徒だ!持っていまれた才能を生かしなさい。人の役に立ちなさい。ーーー魔力を持つものはそれができる。精進しなさい。しかし、忘れてはいけない、思春期には多くの誘惑があるだろう。色欲、怠惰、貪色ーーーー」
学園長の挨拶が行われる中ーーー
新入生たちは口を開けてぽかんとしている。
それは、イアハートと名乗った学園長が、まるで少年のようだったからだ。
高いソプラノの声が講堂内に響き渡る。
在校生はそんな新入生の反応を見て、何やらうなずいている。以前の自分たちを思い返しているのかもしれない。
これは、毎年恒例の学園長なりの新入生の歓迎方法なのだ。
七百年ほど前の異様なまでに生に固執した狂王が開発させたと言い伝えが残されている…現存する魔法の中で最高難度の「若返りの魔法」をただ入学式の挨拶で新入生を驚かせるためだけに使う。
実際の学園長の年齢は五十歳そこそこ。
入学式の後で新入生たちは学園長の真の姿を見て再度驚くことになる、これがアメリアイアハート魔法学園のお約束なのだ。
今は少年の姿だが…イアハート学園長は、魔法学園の長に相応しくどこか人を従わせるような雰囲気を併せ持っていた。
お茶目な一面を持つ学園長。
しかし、見るものが見れば、学園長の実力は一目瞭然だった。
背中まで伸ばされた濃紫の髪は学園長の魔力量の豊富さを物語る。
そして、先ほど壇上を移動した際には一切の物音がしない。
グレイトブリテン最高の魔法使いと名高い、エセルバート=イアハート。
王家からの信頼も厚く、世界で最も有名な魔法使いの一人ともいえるのが「あれ」なのか…?
そんな存在自体が衝撃的な学園長に、新入生が呆気に取られているとーーー
少年のような学園長は、生徒に向かって挨拶を済ませーーーすぐに壇上から消えた。
開始5分、それが学園長の滞在時間だった。
教師陣は慣れたものなのだろう。
ざわつく新入生を無視し、淡々と式典を進行していく。
◯
「あの髪色見た?色なしがいるぞ」
「あの噂本当だったのか。」
壇上では学園生活における注意事項が説明されているのだが…入学式に飽きてきた生徒たちの注目は、一人の新入生に集められていた。
その新入生---ライラック=ガブモンドは、自分に向けられる視線には気づいているだろうに、特に反応を返すこともなく壇上を見つめていた。
というのも、ライラは入学試験の時からこんな調子だったので注目されることに慣れてきていたのだった。
---動物園のパンダってこんな気持ちだったのかなあ。
ひそひそと聞こえる自分の名前、そしてチラチラと向けられる視線…よい気持ちはしない。しないのだが…
ーーーまあ、12歳ってこんなもんだよねえ。
ライラは普通の子供と異なる記憶、もっと具体的に言うと「前世の記憶」というものがあり、成人して社会で働いた記憶があった。
精神年齢が大人なせいか、周りの同級生たちが多少騒いでいても、でんと構えることができるだけの余裕があったのだ。
しかし、合格通知を見て以来、周囲の大人にさんざん言われたことが再び頭をよぎる。
ーーーアメリアイアハート魔法学園は差別意識が強いのにライラちゃん大丈夫なの?
ーーー色なしのライラが行くと絶対苦労するから、魔法学園じゃなくて普通の学園にした方がいい。
それでもライラは、この魔法学園に入学を決めた。
幸い、保護者である祖母は魔法学園に行くこと自体には反対しなかったので、手続きなどはスムーズに行うことができた。
10歳の時に見た黒い竜の美しさに魅せられて、周囲の反対を振り切って入学した魔法学園だったのだが…
「---失敗だったかなあ。」
はあ。と急に独り言を述べ大きなため息をついたせいで、周囲の生徒が驚いたように、ライラの方を振り返る。
ライラはその生徒たちを一瞥し…やはり興味がわかなかったのか、再び壇上の教員に目を向ける。これだけ新入生が聞いていないのはわかっているだろうに、118あるらしい規則を一つずつ解説し続けている。
普通要点だけを述べそうなものだが---誰も聞いていなさ過ぎて可哀そうになったため、ライラは話を聞いてあげようと思っていた。
とはいえ、学則など聞いていて楽しい物でもなく、自然と思考は雲のようにふわふわとよそへ流れていく。
噂される原因となっている自分の容姿についてだとか。
ライラの髪は白銀、そして瞳の色は薄い金色---魔法属性の色が容姿に現れる魔法使いの間では、「色なし」と呼ばれる存在だった。
周囲の生徒は赤や青といった鮮やかな色彩の頭ばかりだ。目の色は見えないが、きっと同じく三大属性---赤、青、黄の瞳をしているのだろう。
ライラが前世の記憶を思い出したのは、10歳の時だった。ライラの暮らすグレイトブリテン王国の建国1000周年祭。
両親に連れられ、広場で見た黒魔法…
良く晴れた昼過ぎに、音楽がぴたりとやみ、突如まるでそこだけ切り取られたかのように明かりが消え、幻想的な光景が次々に映し出された。
石造りの王城の周りから、突如飛び出す色とりどりの光。そして空には黄金に輝く光のカーテン。
国の象徴である黒竜ーーーあとから黒竜ではなく飛竜だと知ったがーーーとにかく、竜にまたがり次々と奇跡としかいえないような光景を作り出していく王族の姿を見ながら、こんな考えが浮かんだのだ。
---まるで映画のワンシーンみたい。
建国祭の光景がトリガーとなったのだろう。
ライラの頭の中に、ずっと記憶の奥に押し込められていた蓋が開いたかのように、前世の記憶があふれ出てきた。
異世界で生きた一人分の記憶は、10歳の子供の頭では処理しきれなかったらしい。そこからスコーンと意識が抜け、生まれて初めて失神して両親の度肝を抜いたのだとか。
幸い、二人は生まれて初めてみた王族の黒魔法に感極まったと思ってくれたようだが。
少し竜が好きすぎる子供だったライラ。
しかし建国祭の後、両親が仕事中の事故で亡くなり---ライラの穏やかな日々は一変した。
前世の記憶について悠長に考えている時間などなかったのだ。
若くして亡くなったライラの両親は、魔物ハンターという危険職についていた。
幼い子供を残していくなんてひどい、あんな野蛮な仕事につくからだ、と親戚からは言われた。
2年たった今だから当時の自分の状況を振り返ることができる。
あのときは、確かな愛情を持ってライラを育ててくれた両親がもうこの世にいないという事実がまだ受け入れられていなかった。
ついでに言うと、「異世界の記憶」についても全く受け入れられてはいなかった。
周りの環境は急速に変わっていくが、ライラの時間は自分が両親の訃報の知らせの手紙を読んだ瞬間で止まっていたのだ。
成人した記憶があったせいか、ライラはどこか冷静に自分の状況を分析してもいた。
働かない思考の中で、自分の将来はろくなものにはならないだろうと、漠然と思った。
親戚はいたものの、遠縁のものばかり。唯一父方の祖母だけは存命だったが、ライラを引き取ることには難色を示していた。
そして、どうやらライラの両親は親戚の中で浮いていたようだ。
同情と哀れみの目を向けられた弔いの場で、他人事のように、そうライラは分析していた。
ーーーそして、預けられた祖母の家で、周囲の自分を見る目のおかしさに気づいたのだっけ。
「色なし」について知ったのもこのころだったか。
「親切な」大人たちは、両親のようになる必要はない、魔法なんて関わらないでも生きていける、そういって両親を亡くしたライラに同情してきた。
愛想笑いを浮かべる大人たちの瞳に嘲笑の影が潜んでいるのに気づかないとでも思ったのだろうか。
優秀な魔法使いを多く輩出してきたガブモンド家で、ライラに属性魔法の適性がないことは有名なことだったらしい。
ーーー両親は、幼い私を親戚と関わらせないことで悪意から守ってくれていたんだよなぁ。
両親の愛情に気づきーーーそして、その二人はもう自分を守ってはくれないのだと、いやでも自覚せざるを得なかった。
だが、悲しみに暮れていられるほどライラの周囲は優しくなかった。
十歳にして、自分で立ち上がり、前を向くしかなかったのだ。
ーーー成人した記憶があったのは幸いだったなあ。「十歳のライラ」では変わっていく周りに対応できなかったと思うし。
しかし、前を向いたからと言って、祖母をはじめとする周囲の大人はライラに優しくなるわけでもない。
祖母の家から学校に通いつつ、ライラは途方に暮れていた。
ライラの周りの子供の常識は、12歳で初等部を卒業した後は中等部に進学するか、親の職業をそのまま継ぐというものだったのだ。
両親と死別、親戚もあてにならないライラには絶望的な状況だった…そんなライラの焦る気持ちとは裏腹に、淡々と日々は過ぎていく。
そして初等部を卒業する12歳の春、中等部にむけた進路決定のための魔力検査が行われた。
魔力のあるものは魔法学校への入学が奨励されているためだ。
「ライラは…一応やっておくか?」
教師の気遣うような声に、ライラは頷いた。
恐らく模範的な教員だった彼はうちの家系の事情も察したうえで、検査なしでの一般学校への入学を勧めたかったのだと思う。
でも、ライラは魔法学園に行きたいと考えるようになっていた。
前世の記憶を整理し、将来の道について調べたライラはある結論に達していたのだ。
ーーー魔法で食っていくしかないじゃん。
そしてもう一つ、ライラにはある目標があった。
今は力が弱まり眠りについていると言われている黒竜を助けることだ。
色なしのライラがこの目標を語ると、周囲の大人は生温かい目を向けてきた。
初等部の同級生は夢みがちなやつとして揃ってライラを馬鹿にした。
親戚に魔法使いがいるという同じクラスの子供は「黒竜さまに会えるのは王族だけだぞ?」という冷静な意見もくれた。
しかしライラは本気だった。
両親が健在だった頃は、ここまでの情熱はライラにはなかった。
しかし、一瞬で大切なものを失う怖さを知ってしまったライラは、普通だとか常識だとかーーー周囲の人間がとても大切にしていることを放り投げてしまった。
親戚の大人たちからも担任の教師からも「その夢はおかしい」と遠回しに言われたが、ライラは「自分は黒竜さまを助けるのだ」の一点張り。
容姿、魔力、環境ーーーすべてにおいて特に恵まれた点もなかったごく普通の子供であるライラだが、黒竜のことが絡むと全く譲らないのだった。
はじめに、前世の職業の知識が黒竜の救出に生かせないか考えたのだが…早々にこの案は却下していた。
前世のライラは接着剤の開発をやっていたようだ。
魔法で動くこの世界で、前世の科学技術の集大成であった接着剤の知識が役に立つか?
…おそらく役に立たない。というか組織で働いていたライラ一人にできることなどあまりにも限られている。
機械がない、材料がない、取引先がいない、そんな状況で何ができるだろうか?
この世界は魔力によってある程度の生活水準が整えられていたのだ。
実際に、接着剤と同じような商品を購入したこともある。
接着剤は図鑑で何かの植物でできていると見た。ライラの知らない名前だった。
パン屋でも技術屋でもせめて何かの専門職なら知識が役に立ったかもしれないのに!とサラリーマンだった前世の自分を恨んだが…今更言ったところでどうなるわけでもない。
ライラが魔力に固執したのはもっと現実的な理由もあった。
将来の進路についてである。
いや、もちろん「黒竜救済」を仕事にしたかったのだが、それだけで飯が食えるほど現実が甘くないこともライラはよくわかっていた。
伊達に成人した記憶があるわけではない。現実的な思考回路も持ち合わせていた。
前世の知識に頼ることを早々に諦めたライラは、方向転換して親の推薦がなくてもつける職について調べ上げた。
そして、達した結論が「魔力があれば最低限生活はできる」というものだった。
もし、魔力がなく、親の保護も受けられないとーーー下手したら、あの親戚たちの下働きのようなことをするしかないかもしれない。
それくらい、この世界の職業というものは血縁関係が力を持つようだった。
普通だったら、ここで絶望するだろう。
ライラは違ったが。
魔力がある確率がゼロだと言われた訳ではない。ライラは生まれ持ったおおらかさか、なぜか「魔力はなんとかなるよね」と思っていた。
親戚全員魔力があって、ライラにだけ全くないなんておかしいという冷静な自己分析もあった。
ーーー周りから色なし色なし言われても、建国式典での黒魔法が忘れられなかったんだよなあ。空を舞う黒い竜の姿なんて、今でも夢に見ることあるし。
だから、色なしで魔法適性がないとわかっていても、一縷の望みにかけたのだ。
「じゃあ、一応やっておくか。この魔法陣に手をかざして…えっ!?」
魔力測定の魔道具は各属性の魔石が取り付けられていて、測定者の魔力量によって該当する魔石が光る仕組みだった。
そして、魔力無しだと思われていたライラの測定で魔石が光ったので教師は驚いたのだろう。
「これは…珍しいなあ。」
「…?先生、私魔力あるんでしょうか?」
「ああ。魔力はある、目盛りも振り切れてるし、総量もなかなか多い方なんじゃないか?ご両親の遺伝だな。ただ…赤と青の属性量が全く同じせいで、打ち消しあって発動できないみたいだ。」
教師の言葉に、一瞬期待していたライラの心は空気の抜けた風船のようにプシュッとしぼんだ。
び、微妙すぎる…。
詳しく聞いたところによると、ライラは「そこそこ」の量の火と水の魔法を持っているようなものらしい。
つまり、体内で消火されると。総量も、多い方だけど全くいないレベルではないと言われた。
ライラに魔力の才能はなかったらしい。
しばらく落ち込んでいたのだが、進路相談に乗ってくれた教師が、後悔するくらいなら魔法学園の試験を受けてみたらどうかと勧めてくれたのだ。
彼は良い教師だった。保護者の手助けがないライラのために資料集めもしてくれて---魔法学園に行くのは全体の一割に満たない人数なので、普通は教師が関わらないのだ。
魔力は遺伝しやすいため、だいたい決まった家庭から魔法学園に進学する。親がやった手順を子供が踏むだけなので教師が面倒を見る必要がない。ライラはかなり特殊な例と言えた。
ーーーその後、まさかの試験に合格し勧めた方の教師が焦って止めてきたものの本人が入学の意志を曲げず、保護者である祖母も逆に普通の学園に行かせるという発想がなかったのだろう。
あっさりと進学許可が出て、珍しい色なしの入学者が誕生した。
ちなみに、ライラのような色なしでの入学者は過去にもいたらしい。卒業できたものはほとんどいないようだが。
そんなことをつらつらと考えていると---いつの間にか入学式が終了していた。
授業は明日からとのことだったので、まだ名残惜しそうに会場に残り、談笑している新入生を尻目にライラはさっさと寮の自室に戻ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます