色なし魔法士は今日もごきげん

橘中の楽

お願いします。

『本因坊秀策の日記より』


ーーーなんて美しい生き物なのだろうと思いました。


御城碁の帰り道。

秀策は江戸城の本丸御殿から師への報告のために土埃の上がる城下町をせっせと歩いておりました。


「碁打ちは親の死に目に会えない」などと言いますが、今回のお勤めは五日続いておりました。秀策の連勝の知らせを受け取っているだろう本家に早く帰りたい秀策は一心不乱に道を進んでいましたがーーーそんな彼の前を数え歳五歳ほどの幼子が掛けて行きました。親の姿は見えません。


優しい性根の秀策です。

人攫いにあっては大変と思いすぐにその童を追いかけました。

しかし。

童は掛けるのが早く、秀策の呼ぶ声に応えず、どんどん裏に地へと入っていってしまうのです。


秀策は普段から碁ばかり打っていますので、すぐに息が上がってしまいます。


「はあはあ、待っておくれよ…。」


とうとう耐えきれず、立ち止まった秀策。


ふらりと立ちくらみがしました。


いつも通りやり過ごそうと目を閉じーーー5つ数えて目を開けました。


するとそこは活気づいた江戸の街並みではなく、色とりどりの光で溢れた不思議な世界が広がっていたのです。

秀策はぽかんと口を開けました。

ガシャリと大きな音をたて、商売道具の碁盤と碁石の入った風呂敷が落ちました。


彼は碁打ちとして感情が昂っても冷静であることに長けておりました。

相手に不勢を気取られるわけにはいかんからです。

でも、そんな冷静沈着と評判の秀策でもこの時ばかりは開いた口が塞がらなかったのです。命の次に大切にしている盤石が落ちても気がつかないほどに動揺しておりました。

それもそのはず、彼の目の前には巨大な真っ黒な竜がいましたから。


見上げても枝の先が見えないほどの大きい木。

その巨木に巻きついて木の根をバリバリとかじっている竜。


秀策は碁ばかり打っていましたので、中国の伝承や西洋の物語はおろか、日本の怪談にさえあまり詳しくはありません。


だからでしょうか?

彼は口をパカリと開けたままーーーただただ見惚れていたそうです。


「なんて美しい生き物なんだろうと思いました。私はあなたのことを一生見ていられると思います。」


後に秀策はこう語っております。

その言葉の通りーーー秀策は死への恐怖などを忘れただただその大きな黒竜を見上げていたそうです。


全身を真っ黒な鱗で覆われたその竜は、秀策が知る中で一番大きな建物である本丸御殿よりも大きかったとか。

全身を覆う黒の鱗は太陽光を反射するとうっすらと青みがかっているのが分かります。

長い尾は美しくも力強い流線形を描き、背中に生えた翼は鮮やかな紫色がありました。

大きく開けられた口からはずらりと並んだ鋭い牙がのぞいており、丸腰で華奢な秀策などあっという間に食いちぎられてしまうでしょう。


「綺麗だなあ。」


初めて自分の心の動きを言葉にできた時ーーー黒竜が、木の根をかじるのをやめ秀策の方を振り返りました。


「◾️◾️◾️◾️◾️」


黒竜が何かを言いました。

はい、言ったそうです。

秀策はそう書き残しております。

とはいえ、彼にはその時は黒竜の言いたいことがわからなかったそうで。


ずるずると地を這って竜が近づいてきても、ずっとその場に立っていたそうです。

心は高揚しておりました。

体は震えていました。死への恐怖から。


黒竜がパカリと口を開け、真っ赤な口に並んだ真っ白な牙がよく見えたそうです。


その時、何故か秀策の頭に浮かんだのは「碁打ちは親の死に目に会えない」という笑い話。


「私は死ぬんだと思いました。ーーーだからせめて、私の宝物を美しい竜に献上せねばと思ったのです。」


食べられそうになりながら、秀策ははっと我に帰りました。

そして、慌てたように地面に落ちていた風呂敷を広げ始めました。


黒竜の方もーーー実は彼には知性がありましたので、このか弱い侵入者が突然始めた不思議な動きに興味が湧いたそうです。

がちりと音を立てて口を閉じました。

真っ青な瞳が秀策を見下ろします。


秀策は震える手でなんとか風呂敷を開けーーー黒石にするか白石にするか一瞬迷い、すぐに瑪瑙で作られた艶々と光る黒石を一つ手に持ちました。

碁石を取るときに人差し指と中指に挟んでしまうのは碁打ちの職業病と言ってもいいかもしれません。


そのまま秀策は、まるで碁盤の上に石を並べるかのようにーーー間近まで近づいていた黒竜の鼻先に「ぱちり」と音をたてて石を置きました。


「これは私の命の次くらいには大切にしている碁石という物です。腕のいい職人が作ってくれましたので、艶々で綺麗でしょう?美しい君にあげます。」


秀策はそう言ってにっこりと笑ったそうです。

黒竜は初めて見た人間の笑顔というものに固まったそうです。


こうして人間が生まれる遥か昔の氷の国で、一体の竜と異世界の碁打ちが出会いました。

彼らがきっかけとなって生まれた国は争いを繰り返しながらも千年経った現代まで続きーーーグレイトブリテンという名前で、五大魔法大国の一柱としてその名を轟かせております。





白亜の王宮の前の広間には、喪に服すための黒い衣装を身につけた人々が、列をなしていた。

すすり泣く声が聞こえる。

亡くなった王妃は、第二王妃でありながら、その美しさと魔力の多さから正妃以上に、国民から愛されていた。

吐き出す息が白くなり、寒さが肌を突き刺すような冬の朝ーーー悲しみの色に染まる人々の心に反し、空は青く澄み渡っていた。


竜の骨で作られたレンガは太陽の光に当たるとキラキラと輝く。

そんな光り輝く、いかにも特別な感じのする王宮がライラは大好きだった。

神様が作った宝物なのではないかと幼い頃のライラは本気で思っていた。


だからその日、晴れているのに光っていない王宮を見て、ライラは首を傾げた。

まるで、泣いているかのようにーーー王宮の真上だけ、真っ黒い雲がかかっていた。


「パパ、今日はどうしておーきゅー光ってないの?黒い布とモヤモヤがいっぱい。」


「家で説明しただろう?ライラにはまだわからないかな。ーーー王妃様がなくなったんだ。」


「なくなった?」


「黒竜様の元に帰られたんだよ。もう会えないんだ。」


「会えないーーーじゃあ悲しいね?」


「そう、悲しいんだ。」


いろいろなことに、なぜなぜと言ってくるようになったライラを抱えたまま、真面目な顔で父親であるレイがうなずいた。

その横で、母親であるエイミーが、まるで自分の一部が失われてしまったかのような表情を浮かべ、王宮を見つめている。


「シャーマナイト様、大丈夫かしら。塞ぎ込んでいらっしゃるって聞いたけど。」


暗い顔をするエイミーを、レイが慰めている。


「大丈夫さ、聡い方だ。立ち直ってくださるよ、我々国民のために。」


「聡い方だからこそ、心配なんじゃない。学校にも行かれてないって。」


「ママも悲しいの?よしよししてあげようか?」


「ーーーありがとうライラ。でも、悲しいのはママじゃないのよ。」


「そーなの?」


「そうよーーー王宮の上の黒い雲はね、シャーマナイト殿下が作ったものなのよ。国葬の日は曇りが望ましいとされてるから。ーーーまだ10歳とは思えない魔力量ね。」


「しゃーまないと?」


「こらこら、呼び捨てはダメだ。シャーマナイト様は黒竜さまに最も愛されていると言われてるんだ。ーーーライラ、黒竜さまはわかるよね?」


「わかるよ!悪いことしたら黒竜さまがきて、ライラを連れて行っちゃうんでしょう?」


「そうだ、よく覚えてたな。ジョシュア様は、その黒竜さまの加護を1000年で一番強く受けた方なんだ。だから、呼び捨てしちゃダメだ。」


「んー?パパの言ってることよくわかんない。」


真面目な顔をして、三歳児に話しかける夫をみてーーーエイミーがクスリと笑った。


「ライラにわかるわけないじゃない。ーーーでも、ライラ、ジョシュア様、さまをつけなきゃダメなのよ。それだけわかればいいわ。」


「ジョシュアさま?」


「そうそう、この国で唯一の漆黒の髪と瞳を持つ方だ。ライラもいつかお見かけするんじゃないかな?」


「しっこく?」


「黒竜さまと同じ色だよ。ーーー黒くって、キラキラしてて、すごく綺麗なんだ。」


「黒竜さまライラ好きだよ!」


「そうか!パパも大好きだ!」



この時のライラはまだ知らない。

何も持たないライラが、この国を揺るがす出来事に巻き込まれていくことを。

たくさんのものを失いーーーそして同じくらい大切なものを手に入れる。


この話は、黒竜と王族に魅せられたライラが、愛を見つける物語。



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