第3話
ポリーがはいはいを始め、やがて掴まり立ちをし、さらによちよち歩くようになると、家族みんなが片時も気を抜けないどたばたが巻き起こった。ちょっと目を離すと、家のあちこちを動き回っては、いろいろなものを口に入れてしまうから。
こうして動き回っている間じゅうずっと、ポリーは何だかよくわからない言葉をしきりにしゃべっていた。まるで宇宙語のような、だけど、感情豊かな言葉たち。意味は分からないけれど、何を伝えようとしているのか、どんな気持ちでいるのかはよくわかった。
「嬉しいねえ、おねえちゃん」
「おいしいねえ、おねえちゃん」
「あれなんだろうねえ、おねえちゃん?」
私が最初にしゃべった“人間語”は、『おかあさん』だったらしい。実際には、『おああたん』とか、そんな感じだったそうだけど。だからお父さんは、今度こそ自分が一番に呼ばれるんだ! と大はりきりで、まだまだ“宇宙語” がやっとの妹を捕まえては、自分を指さして、
「お・と・う・さ・ん、ほら、ポリー、言ってごらん? おとうさん!」
と、繰り返していた。わかっているのかいないのか、そのたびにポリーは、おあおおあと意味をなさない言葉を大まじめに“復唱”していたんだけれど。お母さんは、笑いながら見ていた。私も笑って眺めながら、影ではこっそり、ポリーに向かって
「お・ね・え・ちゃ・ん。ほら、ね、ポリー、おねえちゃん、だよ!」
と繰り返していた。だって、私だって一番に呼ばれたかったから。
***
ここだけの話だけど、妹が最初に言った“人間語”は、私を呼ぶ言葉だった。あの子がもうすぐ1歳半になろうという午後、お父さんもお母さんも出かけていて留守の、二人きりの時間。ポリーは不意に『ええたん!』と言いながら私に抱き着いてきたのだった。
『ええたん』。これって絶対、お姉ちゃんってことよね!
だけど、そんなことは知らないお父さんは、その日お母さんと帰宅して、
「おおうたん、ああたん!」
と迎えられて有頂天になった。
「おい、聞いたか? 今、お父さんって言ったぞ? お母さん、とも言ったけど、お父さんが先だ、俺が最初に呼ばれた!」
本当は『お姉ちゃん』が最初だって言っても、とても聞き入れられそうになかったから、私はそっと溜息を吐いて、一番の栄光を密かに胸に納めておくことにした。お父さんったら、子どもみたいなんだから。
その日、2人が行っていたのは病院で、お母さんが少し具合が悪かったからお医者様に診てもらったんだよ、とお父さんは言った。お母さんは、心配する私に『だいじょうぶよ』と微笑んで言ったけれど、その顔は少し苦しそうに見えた。
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