第1章 第2話 記憶駅
ピリッと静電気のように空気が震えたのをナナコは肌で感じた。
紛れもなく、目の前に佇む少女は自分の放った一言で不快な思いをしている。
しかし理由がわからない。
きさらぎ駅と言っただけなのに。
理不尽に向けられる怒りに、ナナコもまた沸々と怒りが沸き上がってきた。
思えば最初からそうだ。
ここがどこなのかの説明もせずに、不躾に質問攻めをしてきたと思ったら人をロスメモとかよくわからない呼称で呼んで。なんなんだ一体。
とめどなく負の感情が溢れ出してくるナナコを前に、少女は続けて言い放つ。
『あそこは現世の人を無理やり異界へと連れ込む場所。正式な手続きも踏まずに亡者の数を増やすんですよ。亡者になるんだったらまだいいけど、彷徨える魂になってしまったら本当に大変なんですから』
ブツブツと何か良くわからないことを言う少女。
そんな少女にナナコもカチンと来て、声を張り上げ少女に向かって言い放つ。
「じゃ、じゃあ何よ!ここはどこだって言うのよ!いきなり訳わからない所にいて、私だって何がなんだか……!説明し、て下さいよ!」
しなさいよ!と見知らぬ人に言い放つことはできなかった。
――あぁ、もう!私っていつも大事なところで!
強気に出られない自分を責めながらも、自分の感情をぶつけたことで心なしかナナコにスッキリとした感情と余裕が生まれる。
そんなナナコを見つめながら少女はナナコの突然の叫びに驚くこともなく、凛とした態度を貫いていた。
『…ここは記憶駅。あの世とこの世を繋ぐ駅であり死者の記憶を回収する場所です』
「記憶の、回収…?」
少女の予想だにしなかった言葉にナナコの眉根が歪む。
しかし、ナナコの心情など露知らず、少女は更に続ける。
『人は、天国と地獄どちらに行くのかを決める裁判の時、生前の記憶を有している必要があります。生前の記憶がない者は死者の門をくぐることが出来ず"彷徨える魂"となってしまうからです。…なぜ死んだのかわからないものは死者の門をくぐった際、死んだことが理解できていない者になってしまう。死者が彷徨える魂とならないよう食い止める最後の砦。それがこの記憶駅です。』
「彷徨える魂…」
『いかにも。そのため、あなたにも今すぐに記憶を回収しに行ってもらいます』
「ちょ、ちょっと待ってよ。今すぐにって…」
『あなたの今の状態は魂が剥き出しになっているようなものです。その形を長く留めておくことはできません』
突拍子もない話によくわからない言葉たち。
死者の門、彷徨える魂、記憶駅は最後の砦…。
到底理解が及ぶはずもなかった。
混乱する頭でナナコは必死に状況を飲み込もうとするもそんなにすんなりと出来るはずもなく。先の見えない不安だけが虚しくナナコを襲うだけだった。
だが、少女はそんなナナコにも手加減はしなかった。
『早くしてください。いつからここにいるのか分からないので、いつまでその姿でいられるのかもわからないんです。彷徨える魂になってしまったら、永遠に生まれ変わることもできないんですよ』
「そ、そんなこと言われてもどうやって思い出せば…!」
『1番線から現世行きの電車に乗ってもらいます。これから向かう現世にもうあなたの生はありませんが、死んだその日の行動を振り返ってもらいます。あぁ、もちろん私も同行するのでご安心を』
「いやいやいや、そんなこと言ったって!」
自分の意思をよそにどんどんと進んでいく事態にナナコは混乱を極める。
しかし少女は話も聞かずにぐいぐいとナナコの背中を押してホームへと強引に導いた。
数分後、無理やりホームに連れてこられたナナコは半ば息が上がっている。
と、ナナコは視線を前に向けた。線路を挟んだ一つ向こうのホームでは、先程見ていた列車が丁度発車するところであった。
馴染みのある音と共に扉が閉まりゆっくりと列車が動き出す。
しかし、アナウンス等はなく、人の声が駅に響くことはなかった。
そうして列車が去った向かい側のホームにナナコは看板を見つける。
よく駅にある看板で、たった今電車が過ぎ去った右方向を"死者の門"、左側を"現世"としており、真ん中…つまり今いる場所は"記憶駅"と書かれている。
――大がかりなドッキリとかじゃないよね…。
ナナコは不謹慎ながらもそう思ったが、自分の隣で列車を待つ少女を横目に見てみても至って真剣で嘘をついているようには思えない。
「あ、あの」
『はい。なんでしょう』
少女は前を向いたまま答えた。
ナナコには聞きたいことがいっぱいあった。
とりあえず、良くわからないけれど自分は記憶を取り戻すために現世に戻らなければいけないらしい。
それはなんとなく理解が出来ていた。これも良くわからないけれど、自分が死んでいることはわかっていた。
だけど、この場所についてやあの世について、わからないことだらけで頭がパンクしそうであった。
「あなた、名前はなんて言うんですか?」
自分でも思いがけない言葉だった。
本当は現世に行った時、自分はどういう立ち位置なのかとか、生前に関わっていた人たちは今どうしているのかとか、そういうことが効きたかったのだが。
それは少女にとっても予想していなかったようでこちらを見て少し驚いた表情を浮かべている。
『イノリです。イノリ』
「あ、あの、私っ……」
『存じてます。ミウラナナコさん』
イノリ、とそう名乗った少女はナナコの自己紹介を遮る。
しかし、今まで業務的な会話しかしてもらえなかったナナコにとって名前を名乗ってくれたことはとても喜ばしく自己紹介をさせてもらえなかった事は特に気にも留めなかった。
その瞬間、ブレーキ音を響かせながら列車が到着する。
相変わらずアナウンスはなかった。
扉が目の前で開くと、少女はナナコに目も暮れず躊躇なく列車内へと足を進めた。
そんな少女を見てナナコもまた、不安そうな表情を浮かべたまま少女の後を追い列車に乗り込んだ。
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