記憶駅
しらうお
第1章 第1話 なくした記憶
――第1章 ミウラナナコの場合――
ああ、そうか。死んだのか。
見覚えのない光景を目の前にしてミウラナナコはそう理解した。
辺りは一面、狂い咲く彼岸花に囲まれている。まるで血液を大量に吸い取ったかのようなその鮮やかな赤色は、ナナコの心に大きな感心と少しの恐怖を与えた。
はて、でもどうして自分は死んだのか。
ナナコは考えた。
死んだ時のことを全く覚えていない。
事故死?殺された?それとも自殺か?……病気を患っていた記憶はないが。
いくら思い出そうとしてもぽっかりと穴が開いていてそこから記憶が漏れ出ているような、深い深い霧に阻まれているような。そんな感覚が邪魔をしている。
「とりあえず、どうしよう」
ぽつりと言葉に出してみても、特に何をすればいいのかわからない。
このままここで途方に暮れているしかないのか。
ふと、下を向く。
ナナコは自分の下半身を見て、自分がスーツを着ていることに気が付いた。3cmくらいのヒールも履いている。
ナナコが立っている場所はレンガのような素材で出来たタイルが敷き詰められた道で、つま先ほんの数cm先から彼岸花が咲き乱れている。
だがなぜか、彼岸花の花畑には足を踏み入れてはいけないような気がした。
もう二度と戻ってこれないどころか、何か良くないことが起こると思った。
ナナコは唸る。
「スーツを着てるってことは、仕事をしている途中で死んだのかしら」
生前働いていたような記憶はぼんやりとある。
しかし、どんな会社でどんな上司や同僚と共に働いていたのか、細かいことまでは何も覚えていなかった。
ナナコは再び唸る。
そうして、数秒顔をしかめた後、周囲を見渡した。
ナナコの左右には、同じようにレンガ調のタイルが敷き詰められた道が広がっていた。
左右差はなくどっちに向かえばいいのかもよくわからない。
道に迷ったという割には一本道すぎるような気もするが、道に迷ったような気分であった。
『あれ?あなた、こんな所で何をしているんです?』
突如鼓膜を付け抜け脳内に声が響く。
驚きのあまり声がした方を振り向くと、そこには一人の少女が不思議そうな顔をして立っていた。
幼さが残るその顔から、大体高校生くらいであろう。
肩ほどまでのミディアムヘアーは一本一本が細く柔く、そよ風に揺れ複数の房に分かれ風を受けている。
紺色を基調とした駅員のような恰好をしているが、ボトムスはプリーツタイプのミニスカートで太ももまでの靴下に膝下のブーツ、そして頭頂部が大きく膨らんだつば付きの帽子を被っていた。
ところどころに金色の装飾が施された制服は彼女の琥珀のような双眸と同じように光に煌めき映えていた。
『もしもし?あなた、大丈夫ですか?』
「えっ、あ、はい…」
コスプレか何かの類だと最初ナナコは思っていた。
そのあまりの完成度に呆けていると、少女は再びナナコに声をかける。
その声に我を取り戻したナナコは間抜けな返事をして少女に向き直った。
『迷ったんですか?もうすぐ列車が出発しますよ。…ところでちゃんと手続きは取ってます?一応没年齢とお名前をお願いします』
「えっ、ちょっと待ってよ…。電車ってなんのこと…」
少し厚めのファイルを開きながら少女はナナコを見つめる。しかし続けざまに質問されたことにナナコは狼狽え、思わず後ずさった。
その時ナナコは自分の視界の端に妙なものが映っていることに気が付く。
振り向くとそこには、いつの間にか全く知らない駅がまるで最初からそこにあったかのようにそびえたっていた。
駅にはまた、全く気付かないうちに列車が止まっていた。
金網とホームを挟み、ナナコが立っている位置から車内はかなり見にくかったが、人影がちらほらと確認できた。
「いつの間に…」
音が全くしていなかった。
列車独特の機械音、ブレーキの音、ホームに響くアナウンス音、人々の話声や足音などナナコが目視するまで存在を認識しなかったその駅や列車に、ナナコは心なしか恐怖を覚える。
そんなナナコを見て少女は何かを悟ったように持っていたファイルをパタンと閉じて口を開いた。
『あなたもしかして、ロスメモですか?』
「え、な、なに?」
聞きなれない言葉におどおどとした態度で聞き返すと、少女は小さく息を吐きながら腕を組んだ。
先程からほぼ無表情のままの少女だが、仕草や態度から面倒に思っていることをナナコは肌で感じる。
自分が今置かれている状況も何も理解できていないのに、親切じゃないなぁと少女に対して小さな不信感が芽生えた。
『ロストメモリー。生前の記憶をどこかに失くしてしまったままここに来てしまった人たちの総称です。その様子だと全部失くした訳じゃなさそうですが』
眉をひそめるナナコを上から下まで観察し少女は言い放つ。
その時ふと少女が"生前"という言葉を使ったことに気が付く。そしてそれと同時にナナコは自分が死んだことに確信を得た。
すとんと腑に落ちたような感覚を覚えながらナナコは更に考える。
ならばここは黄泉の国か。いや、でもまだ天国行きか地獄行きかわからない。ナナコは首を捻る。
その時、再びその双眸が駅を捉えたことでふと思い出す。前にオカルト好きの友達が話していた。
時折、何かの間違いでこの世に存在しない駅に迷い込んでしまう人がいることを。ここから駅名までは確認ができないが、その駅には名前があった。そう、あれは確か―――
「きさらぎ駅…」
ぴくり。と少女が眉を動かす。そして睨みつけるような鋭い視線でナナコを捉えた。
どことなく怒りを潜めたその瞳に圧倒され、ナナコの体が思わず強張る。
しかし、少女の琥珀色の瞳はナナコを捉えて離さず、ナナコもまた金縛りにあったかのように少女から目を離せずにいた。
数秒が数十分にも感じられた。そうしてこう着状態が続いた後、口火を切ったのは少女だった。
『あんな駅と一緒にしないでくれます?』
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