第二章

明るいうちからやめろ!

ビィブリュセル神とかメタボとか色々あって、すっかり…ってほどでもないけれど自分の婚約式のことを忘れていたよ。


朝、起き抜けにメイドのララから


「今日、仕上がってきますね。楽しみですね~」


と言われて、何が?と聞いて怒られて気が付いたのだ。


ヤバい…何がって、メタボ皇子のこと笑っていられないからだ。確実に一人暮らししている時より太った…横っ腹がプニュとしている…指で贅肉を摘まめるぞっこらぁ?!


「給仕の仕事しているほうが確実に体を動かしてたわ…こりゃヒーラスメイ殿下を嘲笑えない事態じゃないか…」


これはメタボには負けていられない!


「エイリン!私ダイエットするから!」


私はテーブルの上に焼き菓子が乗った皿を置こうとしていたエイリンに向かって叫んだ。


エイリンはキョトンとした顔を私に向けた。


「ダイエット…ですか?」


「あ~それヒーラスメイ殿下に仰ってた、運動のことですよね?」


同じくお茶の準備をしていたララが、笑顔で私とエイリンを交互に見た。そのララの言葉でエイリンも気が付いたみたいで、ああ~と声をあげた。


「水の中を歩かれますぅ?」


「いや、それはかなりのおデブに有効な運動らしいけど、式まで時間も無いし私は筋トレにしておくわ」


「キントレ?」


私はララとエイリンに説明しながら、女性用のトラウザーズに着替えてお行儀が悪いけど、絨毯の上にバスタオルを引いて室内で腹筋と背筋をして見せた。


「これで胴回りを引き締めるのよ!ふんっふんっ!」


ついでに柔軟体操もして見せた。たった一週間で痩せるかよ!と言われそうだけど、気分だけでも所謂、ブライダルダイエット?に励んだということにしておきたい。


「ふんっ!ふんっ!……今日はこのくらいにしておいてやるかぁ!」


…定番の捨て台詞を吐いて腹筋三十回、背筋三十回で終わらせた……え?それだけ?と言わないで下さい。私の最高記録です…はい。


「痩せる前に筋を痛めそうだよ…」


ベッドの上に移動して寝転がりながら既に弱音を吐いているが、とてもじゃないが一週間も持ちそうにない。いつも三日坊主の私が言うのだから間違い無い…


「クリュシナーラは剣技も凄いとお聞きしたのですが…運動は苦手ですか~?」


横で不思議そうに見ていたララにそう聞かれてネタ晴らしをした。


「剣を使う時は…体に魔術補助を最大限かけて無理矢理体を動かしていたのよ…女子の私が男性並みには動けないしね。その怠けがここにきて私を苦しめる…」


「つまりは運動不足ということですね?」


エイリンさんの言う通り!アイタタ…背中痛い…


そうこうやっているうちにドレス工房の方が来て、婚約式の時のドレスを見せてもらった。


ドレスの裾から深海のブルーのような色から浅瀬の海の色に変わるようなグラデーションのレースがふんだんに使われた贅沢なドレスだ。細かなレース地に同色の小さな宝石が埋め込まれている。


「色合いがとても綺麗だわ…」


「殿下の髪の色から瞳の色までドレスに全て入ってますね!愛がぎっしり…」


ララの言い方!


「そういえば…殿下、肌の露出を極力抑えるようにって…意匠の打ち合わせでさかんに仰っておられましたね…これはこれは…隠されているからこそ、余計にそそられる…オホホ」


エイリンがおっさんみたいなエロ発言してるよ!


取り敢えず、今日は婚約式の打ち合わせがあるので忙しい。身支度を整えると、会議室に向かった。


前世で結婚していたことはないが、前世の友人や母、姉…に結婚式の前準備、終わった後などの話を聞いていたので…式は時間との勝負だ!段取りが全てだ!打ち合わせは入念に!…兎に角疲れるので、倒れないように気を付けろという話も聞いたことがあった。


とくにこの世界では私は王太子妃になる。一般人の挙式なんてものとは比べ物にならないくらいの失敗は許されない大舞台……緊張する。


会議室に入ると、ベイルガード殿下は先に来ていた。殿下の他に侍従長とメイド長とメイド長補佐のお姉様の姿もある。皆、良い笑顔だ。


「ドレス、見たかい?」


「はい、素敵でした。殿下もご覧になられます?」


ベイルガード殿下もニヨニヨとしている。鼻の下が伸びている…珍しい。


「いや、当日の楽しみに取っておくよ…」


あれ~そうなの?殿下って結構ロマンチストだね~


さて、気持ちを切り替えて婚約式の打ち合わせだ。当日は参列者(陛下や主要貴族、神殿の神官等…)の見守る中、後から会場に入場して神官長と陛下の御前で一礼、そして神官長の前で婚約誓約書にサイン…そして国王陛下からお言葉、神殿の神官長からお祝いの言葉…その後、会場退場。場所を移して大広間にて、お披露目…会食の流れだ。


貴族位じゃない方は神殿の神官立ち合いの元、婚約誓約書や婚姻誓約書に両名が署名をして、誓約書を役所に提出する仕組みだ。しかし貴族位…特に高位貴族位はこうやって直々に神官長にお願いして、式を開催するのが習わしらしい。


逆に婚約式、婚姻式も出来ない貴族位は「あらぁお金が無いのね~」と思われるとかで、親や親戚一同が意地でも開催するらしい。悪しき慣習だね…どこの世界でも見栄とプライドか…


「婚約誓約書に署名する際に、陛下と神官長の前に移動する時は殿下と歩く速度を合わせて下さいませ」


婚約式の段取りを説明するメイド長の言葉に頷いて、メモを取る。続けて侍従長が話し出した。


「そのまま陛下の御前で膝をついてお言葉を頂いてから一度立ち上がって二歩下がって下さいませ、ここでも足並みを揃えて下さいませ」


足並み…これはイカンね。私はベイルガード殿下の服の袖を引っ張った。


「ベイルガード殿下…」


「どうした?」


私はベイルガード殿下の耳元に顔を寄せた。


「後で足並みを合わせる練習を一緒にしてもらえる?」


ベイルガード殿下はそれはそれは蕩けるような笑みを浮かべて、私の手を取った。


「仰せのままに…」


ソッと私の手の甲の口づけを落として微笑むもうすぐ旦那様…


「ぎゃおぅ!」


「きゃああ!」


「すてきぃぃぃぃ!」


私の変な咆哮?はメイド長とメイド長補佐のお姉様の叫び声で上手い具合に掻き消された。


「おおっ!殿下、クリュシナーラ様との先程のアレを儀式中に入れますか?」


こらっ!侍従長のおっさんっ何をワクワクしているんだ!直前に余計な演出はご法度…


「いいなそれっ!参列者の女性達には受けるかな?」


「絶対入れて下さいな!いいですよね?メイド長?」


「素敵っ素敵っ!勿論ですわっ殿下!」


メイド長…興奮し過ぎ…


後でワクワクする侍従長のおっさんに聞いた所、婚約誓約書にサインをしたら後は何をしてもいいんだって。神官長にも聞いてみると公開プロポーズをする方もいるとか…度胸あるわぁ…婚約婚姻の場だけど、もし断られたらどうするんだろうね?


取り敢えず当日の段取りとスケジュールを聞いて、打ち合わせは終了した。そしてベイルガード殿下はこの後、私の式場内を歩く練習に付き合ってくれるようだ。


因みに練習場は、本番と同じ大広間だ。


「実際に扉からどれぐらいの歩数で、神官長と父上の立たれている檀上に着くかは歩いてみないと分からないだろ?」


「本当ね、そうだわ」


ベイルガード殿下は婚約式当日まで緊急の案件以外の公務や軍の仕事は極力休みにしているらしい。今日は、忙しくないので私の気の済むまで予行練習に付き合ってくれるらしい。


ベイルガード殿下とふたり、大広間の扉の前に立った。


「では、扉を開けますね」


殿下付きの近衛のお兄様達が大扉を開け放った。一応、来賓の貴族位の方々が居るつもりで胸を張り、笑顔を作って歩き出した。


「はい、一歩…二歩…あまり急ぎ過ぎるな。室内の来賓の方々の方は見なくていい。速度がバラバラだ!口には出さずに数を数えろ!」


ちょっと待て?ベイルガード殿下が歩きながら檄を飛ばしてくる。これは…訓練なのか?ベイルガード殿下の何かのスイッチが入ったのか?


「少し止まれ、クリュシナーラ…少し一人で歩いてみろ」


「えぇ…」


完全に指導教官モードに入ったみたいだ。チラリと私付きの近衛のバンクレ卿とリテンジャー卿を見ると、苦笑しながら頷いている。


こうなることは予想していたようだ。室内にいる近衛の他のお兄様達も皆、苦笑している…


取り敢えず、殿下に言われた通りに扉の前から当日臨時の祭壇が設置される位置に向かって真っすぐ歩き出した。


「駄目だっ!」


「えっ!?」


早ッ!まだ三歩くらいしか歩いてないよ!


「重心が右に傾いている。だから体がふらついて歩く速度が一定しないんだな」


ちょっ…ちょーい!骨格の歪み?まで駄目だしされるのかぁ?!殿下は普通にモデル体型だし、普段から体幹鍛えてるから背筋も伸びてらっしゃるでしょうよ!確かにそんな殿下の横でヒョコヒョコ背中の曲がった女が歩いていたら目立つでしょうけど…


「だって踵の高い履物で歩くの慣れていないもの…」


ちょっと言い訳させてもらうと…踵の高い履物なんて舞踏会以外では殆ど履いていなかった。しかもここ半年はペタンコ靴か、ちょい踵ありのパンプスばかりだ。


ベイルガード殿下はチラリと私の足元を見ると溜め息をついた。


「練習不足だな…確かに女性は歩きにくい履物で移動は大変だと思うが…」


「すみません、仰る通りで…練習不足です」


「今日から本番と同じ高さの履物で過ごすようにね」


「…っぐ…!」


文句を言おうとして指導教官ベイルガード殿下を見上げると、有無を言わさない笑顔を見せていた。


「はい……頑張ります」


笑顔が怖くて渋々頷いた。


その後、テンポをとりながら歩く練習を夕方までさせられた。殿下はマジ鬼教官だった…



……


たった一日、歩行練習をしただけで、私は筋肉痛でヘロヘロだった。


「足痛い…」


「薬湿布を貼りますか?」


夕食前にベッドに寝そべっているとララに聞かれたので、お願いした。自分の治療魔法もかけて痛みは無くなっていたが、元異世界人としては視覚的に『湿布を貼って治っている!』という安心感が欲しかった。


「これ…一週間も持つかな…」


「高い履物は慣れたら歩けるようになれますから~」


ララは貰って来てくれた、薬湿布を脹脛に貼ってくれた。くぅ~しみる!


それから毎日、鬼教官のしごき…もとい、ベイルガード殿下の熱血ご指導を受けていよいよ明日は婚約式…の日になった。


「殿下っご指導ご鞭撻の甲斐あって、私一人で立てるもん!になりました」


今日は、婚約式と同じ条件下でリハーサルを行うことになったので、私は当日と同じハイヒールを履いて参加した。ドレスは普段着だけどね…


「なんだか分からないけど、体のふらつきもなくなったね」


というベイルガード殿下の嬉しいお墨付きを頂いて、リハーサルが開始された。このリハーサルは私とベイルガード殿下の為だけのものではない。当日と同じ時間通りに動かして、この式に参加する使用人や陛下…神官長も当日の立ち位置や動線の確認などを行うのだ。


「では予行をおこないます!使用人の方々は準備が終わりました方から来賓の席で貴族位の立ち位置に起立を願います」


侍従長が司会進行らしい。当日の貴族の皆様の場所に、今日は代理で使用人達が立っている中を私とベイルガード殿下が入場する段取りだ。


「行くぞ、クリュシナーラ」


「はい」


殿下の声を合図に歩調を合わせ心の中でカウントを取り、大広間に入った。


いちに、いちに…よしっ同じタイミングで陛下の前に立てた。神官長に一礼して陛下に一礼をする。


「よし、今日は祝辞はしないぞ、明日宜しくな」


陛下はそう言って笑っている。思わず陛下に笑顔を返した。そして次は神官長だ。陛下が下がられて、神官長が檀上に上がられた。


「ビィブリュセル神の神石がこれになります。明日はここに手を置いて私の祝詞の後に、永久に共に…と仰って下さい。今日は石に手を置いて下さい。その後に婚約誓約書に署名をお願いします」


神官長が両手で掲げ持ったのは、紫色の台座の上にチーーンと鎮座している拳くらいの石だった。


これが、ビィブリュセル神の石か!へぇ~淡ーーく虹色に輝いていて…見た目は綺麗なんですが…その石に触るの?


私が躊躇していたらベイルガード殿下が


「私の置いた手の上に手を重ねればいい…」


と、囁いてくれた。おお~それでもいいの?


私は、石に手を置いたベイルガード殿下の手の上に自分の手を置いた。


その時……石から嫌な気配がした。当たり前だが神力だと思うが…おかしい?


「……!」


「きゃっ…」


石から眩しい光が放たれた。思わず目を瞑って屈んだ。その私の体をベイルガード殿下が庇ってくれた。


「何…なんなのぉ…」


「石から神力が漏れてますぞっ!」


神官長の叫び声に私は顔を上げた。神官長と数人の神官、そして国王陛下が石を見詰めている。


「神官長?!メイドの方々が倒れられて…」


その時、来賓席辺りから悲鳴が上がって慌ててそちらを向くと、メイドの方や侍従…ほとんどが床に倒れている。倒れずに立っているのは…国王陛下付きのメイドのお姉様一人と…リテンジャー卿と近衛の騎士団長だけだった。


どういうことだ?


ビィブリュセル神の神石は私の目には見えないが神力を垂れ流しているらしい。神官長と神官達は石を遠巻きにして視ているが、神力が石から流れて出ている以外は特におかしなことはないらしい。


「今も流れているのか?」


国王陛下が神官長に聞くと、神官長と神官数名は真っ青な顔で頷いている。


その時……地を這うような声が聞こえてきた。


『ユキ……ユキ……我が伴侶よ……』


「…っ!」


で、でたーーーー?!石の中から声が聞こえてません?


思わずベイルガード殿下に抱き付いた。殿下は抱き返してくれる。


真っ昼間からホラーはやめてよ!!

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