水に消える (テーマ:雨)

「俺、斉藤のヤツに会ったんだよ」

 ある雨の夜、久し振りに再会したかつての同僚、高橋がポツリと呟いた。斉藤とは2年程前、車だけを残して不可解な失踪を遂げた、元同僚であるタクシー運転手の名だ。今では行方不明者としてその捜索は警察に委ねられているが、いまだその行方は杳として知れないままである。

「そういえばあいつがいなくなった日もこんな雨だったよな……あの日、斉藤は駅で若い女を乗せたそうだ。妙に顔色が悪いのが気になるが、客は客だ。言われるままに郊外の住宅地……あぁ、俺があいつの車を見つけたあの場所だ……へと向かった斉藤が目的の住宅地に入ったので、『お客さん、次の角はどちら?』とルームミラーを覗き込んだら、そこに女の姿が映って無くて……」

 続く高橋の話に、思わずラーメンを噴き出しそうになった。

「おいおい、ちょっと待てよ! で、『シートが濡れていました』ってか? やめてくれよ、今時そんな手垢にまみれた怪談噺じゃ幼稚園児も怖がらねぇぞ。そりゃあ、シートは濡れてたさ、それは俺も見た。だからどうだって言うんだ? それに、斉藤が座ってたはずの運転席のシートまでが濡れてたのはどういうわけだよ?」

 俺の言葉に、高橋は無言のまま俯いて丼を見つめている。

「何が幽霊だよ。くだらねぇ」

 ラーメンを食い終えた俺は、ポケットから煙草とライターを取り出した。

「……幽霊じゃ、ないとしたら?」

「はぁ?」

「水と化して消えるもの……そういうのが人間の中に混ざっているとしたら……斉藤も……」

 ブツブツ呟く高橋の戯言を無視して、俺は煙草に火を点けた。

「おう、そういやお前、斉藤の事件の後すぐに仕事を辞めたんだっけな。何か事情でも……」

 強引に話題を切り替えながら振り返ると、そこには誰もいなかった。ヤツがいたはずのカウンターテーブルには、全く手の付けられていない、冷めたラーメンだけが鎮座している。

「おい……嘘だろ……?」

 背中を冷たい汗が流れていく。俺が目を離した数秒の間に、僅かな気配も物音もさせないまま高橋は消えてしまっていた。馬鹿な、それじゃまるで……思わず立ち上がり、キョロキョロと店内を見回す俺の足元で、ピシャリと何かが跳ねる。

 水だった。高橋の消えた座席がぐっしょりと濡れていて、床へと滴り落ちた水が私の靴に飛沫を飛ばしていたのだ。

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