火術 (テーマ:火)

 祖母から聞いた話である。話の都合上、多少汚い描写が含まれていることをまずはご容赦戴きたい。

 かつて、祖母は占領時代の満州に住んでいた。かの地で役人をしていた祖父は麻雀を好み、夜になると近所の中国人を招いてひと勝負、ということがよくあったらしい。なんでも気がつくと屋敷には見知らぬ中国人が幾日も寝泊りしていたということがよくあったというから、祖父はかなりフランクな性格であったのかもしれない。私が物心つく前に他界していなければ色々と面白い話が聞けたかもしれないと思うと、返す返すも残念ではある。

 

 ある冬の朝、用を足そうと便所に入った祖母は溜息をついて、傍らに常備してあるハンマーを手に取った。

 何しろ満州の冬は寒い。どのくらい寒いかというと、用を足している最中の排泄物が凍結していくほどなのだそうだ。もちろん汲み取り式の便槽に落ちた排泄物も瞬く間に凍結し、すぐに氷柱と化して便器から顔を出してくる。つまり祖母が手に取ったのは。用を足す前にそれを砕いておくためのハンマーなのだ。しかし、何しろ凍結した物が物であるだけに、砕いた破片が衣服や顔に飛んでくるとそれが溶けた時に全身から漂う異臭は半端なものではない。当然ながら、できれば避けたい作業であったそうだ。

 仕方なく覚悟を決めた祖母がハンマーを振り上げた時、ふらりと現れた中国人が後ろからそれを制した。見ると、何日か前から家に居座っている口の利けない中年男だった。男は身振りでハンマーを置くように指示すると、何を思ったのか便器の上で両手を擦り合わせ始めた。すりすり、すりすり……そのうちに男の手からポロポロと落ち始めた物を目の当たりにして、祖母は思わず声を失った。

 火の粉だった。便器の中に、男の手の間から際限なく火の粉が舞い落ちていくのだ。それは便器から顔を出している氷柱を瞬く間に溶かしていった。シュウシュウという音と共に水蒸気が沸きあがると、加熱された糞便が凄まじい臭いを放ち始める。そんな中で、祖母は催していた便意すら忘れて男の行為を呆然と眺めていたそうだ。

 数日後、現れた時と同じように男はふらりと姿を消したのだが、屋敷に逗留している間にその手から生み出す火の粉で焚き火や風呂の焚きつけまでもやって見せたらしい。祖母が見せてもらった手には何の変哲もなく、タネがあるようにも思えなかったそうだ。ちなみに、家へ連れ込んだ祖父自身も男の素性は知らなかったらしい。


 思えば身なりは汚かったが、どこか気品のある顔立ちをしていたような気がする、と後に述懐した祖母は「やっぱり、あっちには変わった事をする人がいるもんやねぇ」と、笑みを浮かべた。

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