最後の鬼 (テーマ:鬼)

 戦後の復興期、東京には四人の「鬼」がいた。阿佐田哲也の「麻雀放浪記」の世界そのままに博徒が命を削って戦っていた時代、麻雀打ちの頂点に君臨した伝説の「雀鬼」たち……私はついにその最後の生き残りを見つけ出すことができた。群馬の片田舎、小さな居酒屋で焼酎をチビチビとやってる小柄な老人。彼が伝説の人物だとは俄かには信じられなかったが、彼の話には圧倒的なリアリティがあり、眼光には時折、当時を偲ばせる鋭さが窺われた。

 渋谷、新宿、池袋、そして巣鴨……それぞれのシマで無敗を誇っていた四人の中で最強なのは、一体誰だ? 当時の博徒の間ではそんな疑問がよく交わされていたそうだ。それは本人達にも興味深い事であったようだが、意外なことに実際に対戦する機会はなかなか来なかった。老人曰く「あの頃はただ稼ぐことしか考えてなかったからなぁ」ということらしい。考えてみれば当然だ。漫画や映画じゃあるまいし、生きるために博徒となった者同士が面子をかけて潰しあうなんて、実に馬鹿げている。

 だが、ついに機会はやってきた。博徒界の長老でもあった池袋の雀鬼が、引退試合の相手として四人を指名したのだ。最後にただ、純粋に麻雀を愉しみたいという老人の希望で、歴史的な一戦が現実のものとなった。

「稼ぐワケじゃねぇから、イカサマなしの平打ちでな……最初っから最後まで、全く気を抜けねぇ勝負だったぜ」

 激戦の末、勝ったのは……懐かしそうに遠くを見る老人は教えてくれなかった。ただ「俺は負けたよ……思い知らされたなぁ、奴らは『本物』で、俺はいきがってるだけの小僧だってことを。どいつもこいつも強かったなぁ」と語ってくれただけだ。

 そしてその伝説の一戦を機に、彼自身も引退した。一体どういう心境だったのかと訊ねる私に、老人はためらいがちに語ってくれた。

「なぁ、信じられるかい? 勝負の途中、妙な気配を感じてふっと顔を上げたらさぁ……壁に奴らの影がゆらゆら揺れているのよ。薄暗い、裸電球の下だったが、あれは見間違いじゃねぇ。妙にでっかく映った影はどうみても人間のもんじゃなかった。『あぁ、こいつらは勝負のために魂まで売っちまったんだなぁ』って思ったよ。奴らはもう、本物の鬼になっちまってたんだろうなぁ……」

 取材を終え、しばらく飲み交わしてから私達は別れた。素晴らしく濃密な時間だった。これならいい記事が書けるに違いない。

 別れ際、ふと足を止めた老人がぽつりと呟いた。

「なぁ、俺の影は人間の形してるかい?」

 一瞬、言葉に詰まった私の表情で全てを悟ったのか、老人は答えを聞かずに去っていった。雑踏に消え行くその背中に、重い孤独の影を背負ったまま…… 

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