夜店の糸売り (テーマ:祭り)

「ちょっと、そこの嬢ちゃん」

 呼び止められて振り向くと、汚れたツナギを着た工員風の男が髭面を歪めてニヤニヤと笑っていた。男の前には破れた筵が敷かれ、様々な糸が無造作に並べられている。右手はたこ焼き屋で、左手は綿菓子。その真ん中に陣取るこの男は糸を商っているのだろうか?

「珍しいか? まぁ無理ねぇわな、俺たち『糸売り』は滅多に店を出さねぇからなぁ。こいつは人形浄瑠璃で使う鯨の髭で作った糸。こっちは蟹の甲羅から作った糸で、医者が手術に使うヤツだ。他にも色々あるが……今、嬢ちゃんに必要なのは多分こいつだな」

 男はポケットをゴソゴソと探って、小さな糸巻きを取り出した。

「この糸はスゲェぞ。人間ってのは勝手気ままに生きてるようで、実はみ~んなこの糸で操られてるんだぜ。誰に、だって? へへ、そいつは企業秘密ってヤツだ。ほら、嬢ちゃんだって」

 男に指し示されて初めて、自分の体から何本かの糸が出ていることに気付いた。その先端は夜空へと、その真ん中に浮かぶ銀盤のような満月へと消えている。男がそっと手を伸ばして私と月を結ぶ糸に触れると「ぷつん」とだらしない音が聞こえてきた。バラバラに千切れた糸がはらり、はらりと私の顔に舞い降りてくる。

「こいつはいけねぇ。このヘタり具合じゃあ今日明日のうちに嬢ちゃん、アンタ死ぬよ」

 死ぬ? 死ぬって……予想外の宣言に呆気にとられ、立ち尽くす私の鼻先にずいと糸巻きが突きつけられた。

 「さて、ここからが商売だ。嬢ちゃん、その手のお小遣いで何を買う? リンゴ飴か? 綿菓子か? ……それとも、命かい?」

 幼いなりに、騙されまいと警戒はしていたがやはり死ぬのは怖い。真剣な男の眼差しに負けるように、私はついに手の中の500円玉を差し出してしまった。厳しい顔をしていた男が相好を崩し、黄色い歯を剥き出しにしてニカリと笑う。男は糸巻きから解いた糸の端を私の体に巻きつけ、残りを空へと放った。シュウルルと勢いよく舞い上がった糸が夜空を貫き、満月にガシリと絡みつく。

「これで大丈夫だ。いい買い物したな、嬢ちゃん」

 月の光を映す滝のようにキラキラと輝く糸に見とれていた私がそんな男の声にハッと我に返ると、どういうわけか目の前は糸売りなどではなく「スーパーボールすくい」だった。キツネに摘まれたような気分で探し回ってもあの男はどこにも見当たらず、ただ握り締めていた500円玉だけが姿を消していた。

 神社からの帰り、夜道で車に撥ねられた。3日ばかり生死の境を彷徨いながら、生還したのはほとんど奇跡だったらしい。

 長じてから、ようやくあの「白糸神社」のご利益が延命長寿だということを知った。二度と夜店の糸売りと出会うことはなかった。

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