雪のバレンタイン (テーマ:雪)

 その日は朝から雪だった。二月十四日、この国のどれほどの男性が期待と不安を抱きながら朝を迎えているのだろうか。

 若い頃の私もそうだった。通学路のどこかに私を待っている女性徒はいないか、学校の下駄箱にリボンで飾られた小箱が入っていないか……朝から晩までドキドキしながら一日を過ごしたものだ。今になって考えると当時の自分の幼さに失笑を禁じえないが、今も昔も若いというのはそういうことなのだろう。

 高校生の頃、同じクラスに坂下優希という女生徒がいた。四分の一だか八分の一だかロシア人の血が入っていた彼女は、当時としては珍しくスラリとした体型と真っ白な肌、茶色がかったロングヘアーの持ち主だった。その整った顔立ちが子供の頃に流行った「宇宙戦艦ヤマト」のヒロイン、「森雪」にどことなく似ているということで、クラスメイトからは「雪ちゃん」と呼ばれていた。

 その年のバレンタイン・デー、通学途中の私を呼び止めたのがその雪ちゃんだった。短い挨拶の後、彼女はその白い頬をほんのりと紅く染めながら、私に向かっておずおずと綺麗にラッピングされた箱を差し出した。予想外の展開に頭が真っ白になったが、それでも反射的に箱を受け取ってしまった私の顔を一瞬だけ見つめてから、彼女は雪道を走り去っていった。たっぷり五分は呆然とした後、ようやく事態を理解した私は人目を憚らず、力いっぱいガッツポーズを決めたものだ。

 この上なく幸せな一日を過ごしていそいそと家に帰った私は、自室にこもって箱に掛けられたリボンを解いた。チョコが溶けていないか心配していたのだがなんと、意外なことに中身はチョコなどではなかったのだ。ハート型に固められた白くて冷たい……これは、氷? まさか、あのストーブの暖気に満ちた教室で全く溶けていないなんて。正体の分からないものを口にするのは少し躊躇われたが、思い切って一口食べてみるとほんのりと甘いそれが口の中で溶けていく。表面はサクッ、中身はフワッとした不思議な食感は氷というより、雪だ。思いのほか美味で気付けば瞬く間に完食してしまっていたのだが、その製法は全くの謎だ。溶けない氷などが存在するはずはなく、いくら考えてもどうやって雪ちゃんがこれを作ったのかは解らなかった。

 どういう事情があったのか、翌日から学校へ姿を現さなくなった雪ちゃんはそのままどこかへと転校してしまった。結局製法を聞くどころか、二度と顔を合わすことすらできなかったのだ。

 三十年も前の奇妙な話だ。今となってはあれが本当にあったことだったのかさえ疑問に思える。だがもこの時期になって雪が降り積もると、私は今でもあの懐かしい道を歩いてみるのだ。もう一度彼女と出会えるかもしれない……そんな淡い期待を胸に抱きながら。

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