財布 (テーマ:修学旅行)
修学旅行には嫌な思い出がある。小学生の頃、京都に泊まった時の事だ。朝起きて、顔を洗うためにバッグから洗面用具を取り出そうとして財布が無くなっていることに気付いた。就寝前にバッグの内ポケットに入っていたことをしっかりと確認したはずなので、それが無くなっているということは同室のクラスメイトの誰かが盗ったということに他ならない。お気に入りの財布を失ったことよりも、信じていたクラスメイトの裏切りが衝撃でもあり、悲しくもあった。部屋は大騒ぎになり、それだけはやめて欲しかった容赦のない犯人探しが行われたにも関わらず、財布は見つからなかった。土産は教師からお金を借りて買うことができたが、互いに不信感を抱いたままの旅行が楽しかったはずはない。しかも、私達は卒業までの残された期間を、疑心暗鬼という名の亀裂を抱いたまま過ごさざるを得なかったのだ。
あれから三十年。信じられない事だが、修学旅行から帰ってきた娘が複雑な表情で差し出した物は間違いなく、あの時失ったはずの財布だった。中を見ると数枚の千円札(もちろんあの時代の、懐かしい旧札だ)が折りたたまれて入っている。どう考えても小学生の娘が持っているはずのないものだ。
「……どうして、これ……いったい、どこにあったの?」
声を震わせる私の様子に首を傾げながら娘が語るところによると、修学旅行最後の夜、枕元にセーラー服を着た見知らぬ少女が座っている夢を見たそうだ。色白の頬に、しっかりと涙の跡を残した少女は古ぼけた財布を娘の手に握らせ「これ……マキちゃんに……ごめんなさい、って……」という消え入りそうな声を残して、闇に紛れるようにスゥッと姿を消した。短いが強烈な印象を残す夢だったらしい。しかも、目覚めてみると何故か夢で見たのと同じ財布を握っていた。え!夢じゃなかったの?お金も入っているようだし、ここは先生に預けた方がよさそうだけど……。娘は考え込んだ。この財布を「マキちゃん」に渡すべきなのだろうか?でも「マキちゃん」なんて知り合いは……いる、一人だけごく身近にいる!普段は名前で呼ぶことがないのですぐには気付かなかったが、お母さんの名前は「真紀恵」だ!……それで、とりあえず財布を持って帰ってきたのだという。
調べてみたら、やはり娘の宿泊先は私が泊まったのと同じ宿だった。夢に出てきた少女の特徴を訊いてみようかとも思ったが、やめておいた。誰が犯人だったかなんて、今となってはどうでもいいことだ。きっと彼女もこの三十年間を後悔の念に苛まれながら生きてきたのだろう。私に財布を返すことで彼女の重荷が少しでも取り払われ、あの時に生まれた亀裂が少しでも埋まるのなら、もうそれで充分なのだろうと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます