M.I.B〈メン・イン・ブックストア〉 (テーマ:本)

「あの、こんな本が落ちてたんですけど……」

 レジを担当していた僕に、なにやら戸惑ったような表情の女性客が1冊のハードカバーを差し出してきた。書店の床に本が落ちてたら棚に戻すだろ、フツー……などと思いながら受け取って表紙に目をやった瞬間、思わず凍りついた。出版社名も価格も表示されていない真っ黒な装丁に素っ気ない白字の明朝体で印刷された、タイトルか著者名か判別し難い人名に見覚えがあったのだ。『高橋明彦』……それは3ヶ月前、この書店から不可解にも姿を消してしまったバイト仲間と、全くの同姓同名だった。

 休憩時間に事務所で本を開いてみると、それは『高橋明彦』なる人物の、一人称で書かれた回想録のようだった。だが、それにしては無機質というか、まるで機械によって書かれた記録文書のような印象を受けるのは何故だろう? 少なくとも、過去を懐かしんで書かれた物ではなさそうだ。幼少時から、小学校、中学校……何一つ隠そうともしない赤裸々な記録は秘密を覗き見しているようで読むに耐えなかったので、一番気になっていた大学生になってからの記述だけに目を通すことにした。しばらく読み進んで……そこに予想した通りのものを見つけて思わず目を閉じた。登場人物の中に、紛れもない僕自身も含まれていたのだ。

『書店に、怪しい二人組が姿を現した。黒いスーツにソフト帽。サングラスで表情は全く分からない』

 ドキリとした。間違いない、これは高橋が失踪したあの日の記録だ。あの日、僕に店長への連絡を頼み、怪しい二人の様子を窺っていた高橋は防犯カメラの死角である書棚の陰に入ったところで姿を消してしまったのだ。いったい高橋に何が起きたのか……もしかしたらこの本で何か分かるかもしれない、という期待が高まった。

『……気がつけば実験室のベッドに寝かされていた。周りには見たことのない、奇妙な機械が並んでいる。サングラスに白衣という医師風の男に異様な色の液体を注射された後、無数のコードが接続された、銀色のヘルメットを被せられた。これで俺の記憶を抜き取るらしい。やめてくれと懇願したが聞き入れては貰えなかった。奴らは俺になりすますために、俺の記憶を必要としているのだ……』

 ……何なんだ、これまでの日常と異なる突拍子もないこの記述は。

 この本が、何者かが高橋を演じるためのテキストだという解釈はナンセンスに過ぎるだろう。大方、誰かの手の込んだ悪戯には違いないのだが、それにしては一緒に飲みに行った時の、二人しか知らないはずの会話まで記されている事についてはどう解釈するべきか。結局、何一つ得る物も無いままに本を閉じて、仕事に戻ろうと顔を上げ……思わず悲鳴を上げそうになった。

 窓の外から、あの黒ずくめの男達がじっと僕を見つめていたのだ。

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