第5話

梅香とお絹


女将のお鶴は遠い目をして話し出す。

うちの店は昔、およねさんの住んでいる吉平長屋にほど近い所で「梅屋」という小さな菓子屋を営んでおりました。母が病で亡くなった後私がまだ小さかったこともあり、先代は早く後添いをもらおうとあちらこちらに声をかけていたようでした。

そんなある日やって来たのが、後に母になる梅香でした。色が白くキリッとした切れ長の目、それは子供の私でもぽぅっとしてしまうほど色気のある人でした。

「お前のおっかさんだぞ」と父に紹介されたのです。

なにぶん子供だったので、詳しい事情はよく分かりませんし覚えていないのですが、

「へぇこんな綺麗な人がおっかさんになるのか」と思った事は覚えております。

義母は、時折出掛けて行っては、土産に評判の菓子を持って帰っては、私に食べさせてくれました。

「何故うちは菓子屋なのにお菓子を買って来るの」と聞くと、

「お前は、この店を継ぐ者なのだから、世間様にはどんな菓子が出回っていて、今評判が良いのは何故なのかいつも気にかけてなきゃいけないからさ。」と言っておりました。

そんなものかと思って、三つ子の魂百迄と申しますが、今でも評判が高い菓子が有ると聞くと、小僧に買いに走らせてしまいます。

義母は、それだけでは無く私が少し大きくなると父から許しをもらうと、芝居や町場へもよく連れて行ってくれたものです。本当に出て歩くのが大好きな人でした。

「私は行儀作法は教えてやる事は出来ないからね。せめて世間を見せてやろうと思ってるのさ。」と口癖の様に言っておりましたが、家事や裁縫は小女に、そのほかに茶の湯や生花に琴に踊りなど、様々な習いに行く手配をしてくれたものです。

踊りの披露会では、私の踊る姿に涙を流して喜んでいました。

そんな義母は、店の事には殆ど口を出さなかったのですが、新しい菓子を作るときだけは、父と膝を突き合わせてあぁでもないこうでも無いと、夜中まで話しておりました。

そうして、生まれたのが落雁の梅の香です。

それは、紅白で梅の形をした落雁なのでめでたいと評判を呼び、店は大いに繁盛致しまして、職人も増やし店も手狭になりました。

どうしたのものかと言っている時に、義母が丁度良い居抜きの店を見つけたからとこの店を探して来たのです。

そのままともいかず、少しばかり手を入れる事となったのですが、前の店を引き払う時期と普請の出来上がりの時期が上手く合わず、家財道具を吉平長屋に預かって頂いていた時期が有るんです。

いえいえ、吉平長屋には荷物だけで、私どもは新居の寝所だけは先に直してもらい新しい住まいの方へ移りました。

「そうなんですよ、およねさん。

荷物だけだったんですよ。」


と、ここで女将はすっとおよねの手を取って静かに続きを語り始めた。

母は、新しくなった店の名を「梅鉢にしたらいいよ」と言い、大きな梅柄の鉢を正面の棚に看板の様に置くといいと言って買って来ました。今でも店にはその鉢が飾られています。

落雁に梅干を細かく刻んで干した物を入れて「梅の香」と言う名前にしたらいいと新商品を考えたのも、お得意様にはうちの日除けと同じ柄の風呂敷で包んで渡せとも言ったんです。

それは事あるごとに当たり、店は更に繁盛致しました。しかしそれもこれもみんな義母ではなく先代が自ら考えた事として、店では通しておりました。

そして、新しくなった店で義母の姿を見た事は有りません。

すっかり引越しを済ますと義母は姿を見せなくなりました。

「おっかさんは」と店の者に聞いても十になるかならないかの私の顔を悲しそうに見るばかりでした。

おとっつぁんに聞くと、またすぐ帰って来るさと「はは」と乾いた声で笑うばかりです。

そして、私が祝言を挙げる事に決まった時やっと見つけたと、父は箱に入った一体の焼き物の人形を持って来たんです。


透ける様な地肌の美しい人形でした。綺麗な珍しい柄の着物を着て三味線を背負って、何かを歌っている様にほんのり口が開いています。

「おっかさん」

思わず言って、おとっつぁんの顔を見ると、「引越しの時しまい込まれてしまったのが、押入れのおっかさんの着物の間から出て来たのさ。お前のおっかさんに顔が余りに似ていたもんで、買ってやったのを覚えてるかい」そう言うんです。

産みの母の顔はもうぼんやりとしか思い出せないけれど、義母の梅香は間違いなくこの人形の顔でした。


「違うよおとっつぁん。梅香さんだよ」と言うと

「そんな風に名前を付けて可愛がってどこに行くんでも連れて行っていたなぁ」と懐かしそうに笑うんです。

子供の私が、何か勘違いして記憶していたのかと頭を抱えていると父は、

「おまえの祝言の祝いにと、出て来たんだなぁ」としみじみと嬉しそうな声を出していましたので、それ以上は聞けなくなってしまいました。


それから、きっと外が好きなんだろうと思ってあの飾り棚を店に作って菓子の見本と一緒に飾る事にしたんです。

とぎゅっとおよねの手をお鶴は握るとおよねが、

「それでも時折出掛けちまうんですね。」と言ったもんだから、お稲はひっと尻を上げて後退った。



「嫌だねぇ人を化け物みたいに」

不満そうに声をかけて来たのは、くだんの梅香だ。


お稲以外の三人が不意に後ろを向くと、床の間の前に足を崩して座り口を尖らせている。

やれやれと首を振りながら、

「おっかさん人がいるところでは出て来ちゃだめだって言ってるじゃない。」

「あら、およねさんもしんたも馴染みだものいいじゃないかい」

と屈託がない。

「ねぇ心太。」

いゃまぁとがりがりと首を掻きながら、心太は苦笑いをする。

およねは、梅香と心太を交互に見てから、お鶴を見ると 、お鶴も力の抜けた笑いを見せる。


その様子を見ていたお稲が、口をぱくぱくさせながら、青ざめている。

「誰も居ない床の間に向かってみんなして何してんだよぉ。」

情けない声をだして立ち上がると、姉ちゃん帰ろと袖を引く。

「えっ。おまえ、このお人が見えないのかい。」

「お人って、床の間には人形があるだけじゃないかぁ、あぁ〜。さっき店前にあった人形じゃないか。いつ、い、いつここに持って来たんだい」

ますます青くなるお稲におよねが、

「お前はいいから庭でも見せてもらっといで。」

と半ば強引に追いやってから、また皆んなの方へ振り返る。

「どうなってんだ、いったい」と呟くと、すっと冷たい手が肩に乗ったのに気づいて顔を向けると、梅香がにんまりと笑った。


お鶴が話した事を纏めれば、梅香と名付けた人形におっかさんの霊が宿っており、それだけでなく梅香は古い古い唐から渡って来た人形で、あまりに古いので付喪神になっているから話がややこしいが、霊と言っても取り立てて何かを呪ったり悪さをする訳でも無い。

人形に二つの霊的な物が宿って、この家を守っているというと収まりが良いかしらとお鶴は、首を傾げて弱り顔で説明した。


「そうさ、お鶴や店が心配だぁ心配だぁとお絹さんが言うもんだらさぁついちょっと見てごらんと体を貸してやったのはいいけど、出ていかないんだよぉ、お絹さんは。もう慣れちまったけどさぁ。」と梅香らしき声が言えば、

「あらぁ、だっていつまでって言わなかったじゃないですか。それに何だか楽しいんですもの。」とやんわりとした声が聞こえた。


「およねさん。荷物を長屋の物置に運び込んだ時、私の腕が欠けたのを、可哀想にと金継ぎを呼んで直してくれたろ。嬉しかったよ。背負っていたボロボロの琵琶を三味線に作り替えて背負わせてもくれたねぇ。覚えてるかい。」

「えっそんな事しましたっけ」

およねはすっかり忘れていたらしく、びっくりまなこで梅香を見ていると、すぅっと目が霞んだようになった。


気付くと、店の前におよねとお稲は立っていて、女将のお鶴が手土産にと梅の香の折詰を手渡してくれた。

「昔おっかさんを助けてくれたお礼です。」

そう言って見送られた。


「それでいつもの様に心太がおよね達が見た梅香を忘れさせた訳かい。」

ご隠居様は、心太を見て少し心配そうに眉を下げる。


心太は、鬼見だ。

小さな頃から沢山のものを見てきた。それに気づいた和尚が全く逆の魑魅魍魎に囲まれていたとしても、気配すら感じないご隠居の元に奉公に上がらせたのだ。

心太が怖いものを見た人の、その部分だけ抜き取ってやる事が出来るのに気付いたのもご隠居だ。

人の恐怖や不思議と思う気持ちを抜き取るというのは、すっかり何処かにその思いを霧散する訳でなく僅かばかりだが、心太の心に残る。時には具合が悪くなることもある。具合の悪そうな心太を気に掛けてご隠居は、話を聞くのだ。

ご隠居に話すと心太は、すっと心が軽くなる。

今回は、悪霊じゃ無かったから大丈夫だね。と胸で言うとご隠居の横にふっと梅香が現れ

「嫌だね。人を化け物みたいに。」

と言ったが、ご隠居は露ほども気づく様子は無かった。

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飛脚屋心太 始まりの巻 小花 鹿Q 4 @shikaku4

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